振り返ればあの時ヤれたかも
水無
第1話 魔王現る
月下に映える魔王城。
太陽がごとき彩光を放つ魔性の月は、紅色の夜空を背に受け、禍々しくも、美しく、魔王と勇者、そのふたつの黒影を見下ろしていた。
「クク……、よくぞここまで来たな。大儀であるぞ。勇者よ……」
「……魔王、聞こえてる? あなたは許さない。大勢の人たちを殺めた罪、
「ほざけ! 小娘風情が! 我の考えなど、貴様ごとき小娘に解せるはずもなかろう。力無き者は蹂躙され、力ある者の食い物にされる。これこそが、世の摂理。弱肉強食の世である。おまえたちはその輪廻から外れ、あまつさえ、自らが種の頂点だと錯覚し、我が物顔で世界を蹂躙している。うぬぼれ、堕落している人間どもに、我が直々に天誅を下し、いずれに責を受ける謂れがある? 我に滅ぼされた者たちは、ただ、我の糧になったに過ぎない。そのことを栄誉と誇るこそすれ、事しもあれ、その敵討ちだと? 笑止千万である」
「そう。だったら……、あたしがあなたを殺せばいい。それから、あの人を救う」
「ク……ククク……ハァーッハッハッハ! この期において、未だ、そのような世迷言を吐けるとはな、片腹が痛くて仕方がない。貴様……我を笑い殺す気か? ククク……」
「それで死んでくれるなら、こっちも苦労はしない」
「しかし……、フム、そのような
「いらない」
「我の部下に――」
「ならない」
「じゃあ、このまま我だけを逃がして――」
「あげない」
「ほぅ……、どう足掻いても、我を殺そうとするか……、ククク……ハァーッハッハッハ! ……それでも勇者かよォォ!?」
「うん」
「ヒトの願いを無碍にして、そのうえ、問答無用で殺しに来るって……! ひどくない? ひどいだろォォォォォ!? やめてよおおおお! もおおおおおお!」
「あなたは人じゃない」
「はい? いやいや……、ねえ、例えばだよ? 我が、そりゃもう、かわいいかわいいウサギちゃんだったとするじゃん?」
「うん」
「そんなウサギちゃんがよ? こんなにも必死になって、命乞いしてたら、そらもう助けるでしょ!? 何が何でも助けちゃうでしょ?」
「ううん」
「え?」
「ううん」
「ウサギ!?」
「あたし、ウサギの肉、好きだから」
「へえ、そうなんだ。ちなみに我は牛と豚と、鶏しか食べたことないから、そこらへんの肉の味、想像できないかな……おいしいの? て、あれ? なんか話脱線してない? てか、好みの問題? え……、じゃあ……小熊さん……とかだったら? ほら、あのかわいいやつ」
「小熊、んまい」
「雑食かよ!」
「哺乳類は基本的に、なんでも食べられる。これ、地元じゃ常識」
「んなアホな……! おまえはどこの狩猟民族の出だよ!」
「……そんなの、どうだっていい」
「どうだっていい……そんなのあるワケないじゃん。どうだってよくないよ。……まあ? でも? そんなこと言って、やっぱり見逃してくれるんでしょう?」
「ううん。見逃さない。この時の為に、いままで頑張ってきたから」
「勇者よ、情けは人の為ならず。……という言葉があります。良い行いをすれば、自ずと、自身にも良い事が返ってくる。此れ即ち人道也……神はあなたの行いを、見ていらっしゃいますよ」
「この世に、神も仏もいない」
「え、なんでそんなにスレてんの……? 勇者なのに神様とか、信じてらっしゃらないかんじ?」
「信じてない。無神論者」
「これっぽっちも?」
「……でもやっぱり
「うんうん。たしかに食材に感謝するのは良いことだよね。……あれ、そういう問題だったっけ?」
「もう、いい? しゃべるの、あんまり、得意じゃない。はやくしないとまたじ――」
「あのね、いいわけないでしょ! 我の命をウサギと同等に扱わないでくれません? そういうのがこういう悲しみの連鎖を引き起――」
「頂きます」
勇者はそう言うと、大きく踏み込み、自分の身の丈ほどある剣を、目にもとまらぬ速度で振ってみせた。
「うわあああああああああああおい!? 容赦なしかい!!」
「うん」
「うん、って……、んもぉぉぉぉぉぉぉ! やだぁぁぁぁぁぁぁぁ! この子! 怖すぎ! 勇者、怖すぎ! てか、ハルゴンのやつ、これを言えば助かるとか言っておいて、全然効かないじゃん! このあと説教だわあいつ。許さねえわ、マジで」
「……動かないで。せめて痛みはなくしてあげられるから。それが、あたしの出来る唯一のこと」
「ク……我に、大人しく殺されろ……と? そう、のたまっておるのか、小娘? ……フ……、舐めるなよ。そんなこと言ってると、キレちゃうぞマジで! つーか、キレた! テメーは我を怒らせた!」
「そう……」
「ククク……心底興味とかなさそうだな。……しかし、それでもまけない、くじけない、へこたれない! ま、く、へ! その三拍子そろってこそ、魔王というものだ」
「そうなんだ」
「う、うん。まあね。……しかァし! こういうこともあろうかと、奥の手として、かの有名なギガントドラゴンを飼っていたのだ!」
「ギガントドラゴン……?」
「ああ、そうだ。ひとたび動きだせば、山は崩れ、咆哮すれば、天をも震わす。口から吐く熱線は、鋼をも一瞬で溶かすという、なんかすごく怖いドラゴンだ! 我の誘いを断った報い、とくと受けるがいい! 恐れよ! 震えよ! そして我に泣いて許しを乞え! さぁ……邪神をも食い殺す、その万有の頂点たる姿を、その目に焼きつけろ! ギガントォォォドラゴォォォォォォン!」
バッと、勢いよく手を挙げる。
しかし、待てど暮らせど、一向に、近所の山が崩れる気配も、天が震える気配も、ましてや、鋼が溶ける気配もない。
「……あれ? なんで? なんで出てこないの?」
「ギガントドラゴンって、もしかして、これ……?」
どこから取り出したのか、勇者は自分の体の倍以上はある、ドラゴンの頭骸骨を、ごみ箱にごみを捨てるのように足元に放った。
骨は虚しく、カランカランと、床上に転がった。
「あの……さ、これ、どしたの……?」
「なんか襲ってきたから、食べた」
「食べたァ!?」
「生で」
「生でェ!?」
「味はイマイチ」
「味はイマイチィ!?」
「いうほど強くなかった……」
「てか、哺乳類だけじゃねえのかよ、食うの! これ、どっちかっていうと爬虫類に分類されるよね?」
「想像してたより食べられた」
「食べられた……て、おま、これ……、維持費と導入費に、どれくらい費用費やしたと思ってるんですか! これの為に、どれだけ黄金伝説作ったと思ってんですか!」
「500円くらい?」
「やっす! 今どきのガキの小遣いでももっと貰ってるわ! いいか、よく聞け? このために、我、66兆2000億もの金を借金したんだぞ?」
「いち、じゅう、ひゃく……よくそんなお金貸してもらえたね」
「まあね。これも魔王たる我の人徳……もとい、魔徳の為せる業だからね」
「そっか……、こういうところも……迂闊……」
「え? なに? 聞こえない」
「なんでもない」
「……ともかく、このために1年くらい牛丼食ってたんだぞ!? もう最近なんて、寝ても覚めても牛丼と紅ショウガが我の脳内と口内を占拠して……、なんか……、今ではものすごくあまじょっぱい思い出が……それに口内炎とかもすごいし……て、そういうことじゃなくて、人ん家のものを勝手に壊すなって教わらなかった? 人ん家のギガントドラゴン勝手食うなって、教わらなかった? あなたの親御さん、どんな教育してるの?」
「あたし、親いない」
「あ、きみの親殺したの、我の軍勢だったわ」
「――頂きます」
「あひんっ!?」
まさに、神速の一撃。
多分、一刀両断されたのだろう。
勇者が言った通り、痛みは全くなかった。
瞳に映る全てが、ゆっくりと、まるで『静止』に向かっているように、時を緩めていく。
あ、ご紹介が遅れました。
我――僕は、ここ、魔王城にて、魔王という、阿漕な商売をやらせてもらっている魔王と申します。普段はこんな口調なんですけど、さっきまでのは……まあ、雰囲気づくりみたいなものです。以後、お見知り置きを……。
はい?
なに?
以後お見知りおきを、とか言ってるけど、死んでるじゃないかって……?
はい。
確かに、いま、僕の命は風前の灯……と、いうよりも、消えゆく最中でしょう。
このまま目を瞑ってしまったら、それこそ、そのまま起きなくなるでしょう。
ですが、ご安心くださいませ。
魔王は、死にません。
……あ、いえ、心の中で生きている……、とか、そういう事を言うつもりはありません。
とにかく、こうして、ばっさりと斬られましたが、きちんと生きているのです。
『カウントダウン開始――』
――どこからか、僕の頭に――脳内に、声が響いてくる。
女性の声。
淡々とした声。
聞き覚えのない声。
これが僕の能力。
『5――4――3――』
永遠に続くと錯覚してしまうほどの3秒から2秒までの間に、僕は、僕の体から熱が
『2――1――』
――ドカン!
なんだろう、どこからか、
『0』
ピタ――
時間が進む感覚は消え失せ、空間が、時間が静止した感覚。
例えるなら、一瞬で湖ごと周囲を凍らされた魚のような感じ。
腕、肩、指、筋の一本に至るまで、すべての動きが制限された世界。
目の前の、僕を切り裂いた勇者は、瞬きすらもしなくなり、僕の体から『落ちていく感覚』がなくなっていく。
そして――
『時間、逆行します』
僕の体の中心。
腹のあたりに、掌に収まるほどの黒い、丸い物体が出現する。
それはまるで、ブラックホールのように、周囲のモノ、空間、時間を吸い込んでいった。
そして、すべてを吸い尽くし、真っ白な、何もない空間に残ったのは、そのブラックホールと僕と、勇者のみ。
……さて、今回はどんな
僕は静かに瞼を閉じると、その流れに身を任せた。
――体は再び稼働可能となり、深く、深く、海底へと沈んでいく感覚に包まれていく。
そして、体が小さく……収縮していくような感覚。
不快ともとれない、奇妙な感覚が、きれいさっぱり消え、やがて、僕はおもむろに瞼を持ち上げた。
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