第十六話 修羅場?
そういや今までちゃんと解説したことがなかったが、数ある魔術のなかでも俺が最も得意とする『幻術』は、対象の精神に作用する魔術である。蜃気楼なり麻薬なりを作るのではなく、相手の心身に直接作用して幻覚や幻聴を引き起こすのだ。そういう意味では、催眠術に近いものといえる。
で、それゆえに幻術には欠点がある。対象の精神状態によって、術の効き目が大きく左右されるのだ。
心が不安定であれば幻術による干渉をモロに受けるが、逆にしっかりと制御できていれば惑わされずにすむ。
というわけで、場面を戻して俺と勇者グリムガンの戦闘真っ只中。っつーか、俺が一方的に逃げ回ってる最中だ。
グリムガンのやろう、外見だけじゃなく精神的にもガッシリしてるようで、幻術をかけても全然効いてない。これまでの悪行が無意味だった、と知らしめてやったときにはかなり動揺していたが、あっというまに立て直してくれやがったおかげで効果は限定的だ。
もっとも、初手の幻術がある程度でも効いてくれたおかげで、今のところ死なずに済んでるともいえる。
ズガァン!
ほら今も、俺目がけて投擲された斧がギリギリのところで外れた。
「……ぬう、なぜ当たらん」
グリムガンが苛立ちを声に漏らす。
やつにかけた幻術はレイカとの戦いで使ったのと同じ、俺の立ち位置を誤認させるものだ。正確に狙い定めたつもりでも、実際にはズレた位置で認識しているので命中するわけがない。もっとも、レイカの時と比べて効きが悪いので、どうにかこうにか致命傷を避けるのがやっとという状況だ。
囲っている観客はずいぶん数を減らし、減った分の下っ端盗賊をベルーカが片っ端からぶっ飛ばしているらしい音が聞こえてくるが、グリムガンは微塵も気にすることなく俺を攻撃し続けている。ちょっとは心配したりしないのかと思うし、実際に訊いてみたんだが、
「あなたに自分の価値を示すために、と手に入れた盗賊団だ。あなたの為にならぬと分かった以上、どうなろうと知ったことか!」
だとさ。
情け容赦ない。ひどい話もあったもんだ。
何とかして、幻術をかけるだけの精神的な隙を作らねば。そうでないとレイカを助けるどころか俺の身が危ない。
……とは言ってもなぁ。
「ぬぉおおおっ!!」
グリムガンが雄たけびを上げて、またも双斧を投げた。
回転しながら飛翔する鉄斧はあさっての方向へ飛んでいく。暴投か? と思いきや、グリムガンの体から白光がこぼれる。
――グニャリ、という擬音しか当てはめようがない動きで、斧が軌道を変えた。急旋回して、俺の頭だか胴体だかを射程にとらえた。
逃げなければ――と叫ぶ本能を押さえつけ、俺はピタリと動きを止める。硬直した俺の左右を、斧が轟音を立てて通過して地面に穴をあけた。
またも生き延びた、と冷や汗をぬぐうものの、このままでは打開策がない。レイカと戦ったときのように、大きく揺さぶりをかけられるような挑発ができればいいんだが、正直なところネタ切れだ。……レイカにとっての妹みたく、グリムガンの逆鱗を知ることが出来ればいいんだけどな。
…………。待てよ? そうかベルーカか。試す価値はあるかもしれない。
「ベルーカ、ちょっと来い!」
叫ぶと少しばかりの時間をおいて――待っている間に数度、グリムガンの攻撃にさらされた――青い残光を曳いてベルーカが見参した。
「忙しいとこ悪かったな。そっちは順調か?」
「囚われていた宿場町の人は全員解放しました。いまは護衛しながら、この場から遠ざけようとしている最中です。あのそれで、わたしの代わりにクモさんが守ってくれてるんですけど、いまのクモさんはその、アレな見た目になってるから護衛に向いてるとは言えなくて、早く戻って皆さんを安心させてあげたいんですけど」
「ああ分かった分かった。すぐ済むから安心しろ」
クモのやつ、変身したんだな。言われてみれば「うわー化け物だー」みたいな悲鳴も聞こえてくる。そりゃ確かに、護衛を任せるのは不安だわな。
納得して話を終えて、グリムガンへと向き直る。
ベルーカが姿を見せてから、攻撃は止んでいた。けっこう隙だらけだったはずだが、そんなこと気にする余裕もないようで、目を見開いて打ち震えている。
「そ、その少女は……まさか」
「あんたには紹介したほうがいいんじゃねーか、と思ってな。紆余曲折あって俺の奴隷になった勇者だよ」
「な、なんと!?」
棍棒で殴られでもしたように、グリムガンはよろめいた。
「ば、馬鹿な!? 自分を捨てておいて、そんな小娘がなぜ認められるのだ!?」
「…………なんか三角関係こじらせた修羅場みてーだな」
筋骨隆々な巨漢になじられたところで微妙な気分になるばかりだけどな。これが美女なら……いや、やっぱりめんどいか。って、そんなことはどうでもよく。
これなら付け入ることができる。
「こいつが良くてあんたが駄目な理由、ね。そりゃもちろん、こういうことさ!」
いかにもやつが耳を傾けたくなるような言葉とともに、俺は魔力全開の幻術で動揺する心へと干渉する。
「うぬ!? ぐ、そんな、あああああああああ!!?」
途端に、グリムガンは頭を抱えて崩れ落ちた。顔は苦悶に歪み、苦しみの絶叫を上げる。
「よし、こうなったらもう決まりだな。戻っていいぞ、ベルーカ。……いや、こうなったらもう、宿場町のやつらを守るよりも、盗賊どもを一掃したほうが楽か?」
周囲を見回してみると、下っ端盗賊たちは混乱の極みだった。無理もない。はたから見れば、俺が特別に何かをしたわけでもないのに、いきなりグリムガンは倒れたのだから。精神系の魔術は対象以外には影響を及ぼさない。やつが何を見て何を聞いているのか、知っているのはやつ自身と術者である俺の二人だけなのだ。
最強に見えた頭目の敗北。後ろでは恐怖の蜘蛛女が暴れている。なかなか絶望的な状況だな。同情はしないが。
「そうですね。隠密の必要がないなら、さっさと片付けた方が皆さんも安心できるでしょう」
俺の呟きを聞いたベルーカはうなずいて、体から青い燐光をこぼし始める。
盗賊団の野営地が完封されるまで、時間を計ろうと思う間もなかった。
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