第十五話 アラクネ

 少しばかり時間を巻き戻す。

「あーあ、こんな日に見張り当番なんてツいてねーな」

 喧騒から少し離れたテントの前で、退屈そうにしている男が二人して駄弁っていた。

「お頭が女勇者を倒すとこ、見たかったなー」

「おい知ってるか? 勇者って倒すと奴隷にできるんだと」

「マジか! じゃあ、あの女はじきにお頭の奴隷ってことか」

「うらやましいねえ。おれたちもおこぼれに預かりたいもんだ」

「まったくだぜ。遠目にしか見てねーけど、なかなか美人だったな。あれだったら、逆に奴隷にしてもらったって美味しいくらい……」

「なんだお前、そんな趣味あったのか?」

 下卑た笑いを浮かべる男たち。どうしようもない想像を膨らませているであろう二人は、気配もなく忍び寄る人影に気付きもしない。

「なあ、こっそり見に行ってもいいんじゃ?」

「ばか。ちゃんと見張ってねーと、お頭に殺されるぞ。万が一にも逃げられたらどうする」

「逃げられたらそんなに困るものなのですか?」

「あったりまえだろ。人身売買に手ぇ出してるなんてお上にバレたら縛り首だ」

「なるほどなるほど、この中にいるのは例の宿場町からさらってきた住民や泊まり客、だったのですか。人買いに売り飛ばそうとは、ワルでございますねえ。ところでつかぬことをお聞きしますが、人々を閉じ込めているのはこのテントだけでしょうか?」

「いや、他に二つあるけど……」

 問われるままに応えてしまっていたが、何かがおかしい。男は黙り込んで、そして今さらになって気が付いた。

「誰だてめー!?」「敵か!?」

「女の声なのですから、すぐに気付いてもよさそうなものを」

 弾けるように左右に跳んだ二人のちょうど中間、そっと会話に混じっていたクモは呆れたように嘆息する。

「うううるせーな!」「どっから入り込みやがった!」

 男たちはうろたえながらも持っていた手槍を突き付けて恫喝するが、クモは「てへっ」と可愛らしく舌など出してみせるだけ。答えるつもりなどないし、結局のところ意味もなかった。

「ガッ!?」「げっ!?」

 いきなり、男たちが呻き声をもらして足から崩れ落ちた。頬にお揃いのアザをこしらえて目を回している二人の横に、青い燐光を散らして着地するのは黒髪の少女。

「さすがベルーカさま、鮮やかなお手並みでございます」

「それほどでもないですよ」

 音を控えめに拍手すると、ベルーカは照れくさそうにはにかむ。

「そんなことより、宿場町の人たちはここに監禁されてるんですよね。ご主人さまが注目を集めているうちに、急いで助け出しましょう」

 人垣の方へ目を向けてみれば、騒々しく勇者の決闘を観戦していた盗賊たちは妙に静まって、どこからともなく出現した元魔王に戸惑っていた。

 決闘場に釘付けの盗賊たちが大多数で、その周辺にちらほらと立っている見張り役が何人か。野営地の全体図を大まかに把握したクモは、テントの入り口を開けようとしていたベルーカに声をかける。

「ベルーカさま。捕虜の方々は三カ所に分けて囚われているそうでございますが、お任せすることは可能でしょうか?」

「え? ……そうですね。さっきの見張りと同じ程度の実力だったら、よっぽどの大人数で連携されない限りは守りきれると思いますけど」

 常人ならば無茶ぶりと目を剥きそうなところだが、さすがに勇者なだけあってベルーカはあっけらかんと答えてみせる。

「それでは、皆さまを守り逃がすのをお願いします」

「分かりましたけど、クモさんはどうするんです?」

「もともと、余裕がありそうならば潜んで様子を見ようと思っていたのです。もちろん陰ながらベルーカさまの援護もさせていただきますが、ワタクシが傍にいると

 そう言って、クモは色付き眼鏡を外した。

「……ッ!?」

 始めてクモの素顔を見たベルーカは絶句した。

 眼鏡の奥に隠れていたクモの目は、白目のない黒一色の眼球だった。色付き眼鏡のせいで分からなかった? いや、そんなことはない。普通の人間の目だったはずだ。

 理解が追い付かないベルーカの前で、クモは体に力を込める。

「ん、くうぅぅぅ、くくくくくくくく」

 ――メキリ

 骨格の軋む音。

 メキメキと背筋が凍りそうな音を立てながら、クモの胴体が伸びた。

「ンな……!?」

 ブクゥ、と下半身が三倍ほどに膨らむ。バキバキ、と人間の脚が蟲の節足に変形し。ズシャ、と追加で四本二対が膨らんだ下半身から生えてきた。

「ん? あれは……」「……ひ、ひい、バケモ」

「フシャウッ!」

 たまたま、その様子を目にしてしまった盗賊が二人、口から吐き出された粘糸に捕らわれ雪ダルマ状になって沈黙した。

「…………。……く、クモさん。その姿は……?」

 危うく悲鳴を上げそうになったのを呑み込んで話しかけるベルーカに、半人半蟲の異形と化したクモはどこか寂しげな笑みでもって答えた。

「アラクネ、という魔物をご存知ですか?」

「えっと、人間と蜘蛛が混ざったような姿の怪物ですよね。多くは女性の姿で描かれます。……おとぎ話とばかり思ってましたが」

「ええ、ワタクシは魔物アラクネの末裔なのでございます」

 出来れば知られたくなかった、とクモは顔を伏せて――ニパッと笑った。

「というウソはさておき」

「嘘なんですか!?」

「変身魔術の一種でございますよ。人体構造を組み替える変身術は外法の技と忌み嫌われるのですが、我が一族は秘伝として、蜘蛛に変身する魔術を受け継いできたのでございます」

「あ、なんだ、魔術なんですか。びっくりした」

 説明を信じてあっけらかんと受け入れるベルーカを面白そうにクモは見つめて――

「な! ば、バケ」「フシュッ!」

 不幸な目撃者を糸で絡め取ってから、三対の蟲脚を動かして山林の闇へと移動する。

「それではベルーカさま、後はお任せしますよ」

「は、はい! 援護よろしくおねがいします」

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