第九話 ”炎蛇”のレイカ

 俺とクモの二人が宿場町に到着したのは、ベルーカが赤毛の女勇者と対峙しているところだった。相手は初めて見る顔だ。過去に俺がおっぱらった勇者じゃないみたいだが、どうも穏やかじゃない。

 轟々と炎が燃えている音で会話の中身は聞き取れなかったが、遠目にも剣呑な空気になっているのは見て取ることができた。

 だから、横やりを入れさせてもらったわけだ。

「なによこの糸、ベッタベタで気持ち悪い」

「いやー、悪かったな。こんな止め方しか思いつかなかったんだ。なんでモメてるのかは知らねーが、暴力はよくないぞ」

 へらりと緩い笑みを浮かべながら、俺は一人で姿を見せる。

 なるべく友好的に、と心掛けたんだが、白い粘糸に囚われている赤毛は逆に声を荒げた。

「よくもノコノコ出てきたもんね、魔王!」

「ん? ……あー、魔王っても『元』なんだけどな。いい加減、間違えないでほしいね。現職のがカワイソウだろ」

「ふっざけた男ね。炎蛇ァァァッ!!」

 怒髪衝天の勢いで赤毛が吠えるや、彼女の体が火柱に飲み込まれた。

 ちょっとギョッとしたが、自爆したわけでないのはすぐに分かった。火柱は女勇者の髪一筋から服の端まで焦しもせず、彼女を拘束する粘糸だけを焼いている。

「なるほど、火炎を操る勇者か」

「“炎蛇”のレイカ、参る!」

 粘糸を焼き尽くして使い手を開放した火柱は、二本に分かれて空中でとぐろを巻いた。まさしく、炎の蛇と呼ぶにふさわしい姿だな。

 標準を定めるような静止時間があって、二匹の炎蛇は獲物に向かって踊りかかった。両方ともに狙いは俺。

「ぅ熱ぢぃっ!?」

 一匹目は尻餅をついてかわした。前髪が焦げる臭いに気を回す余裕もなく、それが牽制だったと悟る。

 転んだ隙をつくように、二匹目の炎蛇が迫っていた。敵ながら完璧なタイミング。逃げられそうもない。

「――危ない!」

 横から突っ込んできたベルーカが、俺を抱きかかえて飛んだ。二人絡み合うような姿勢で地面を転がり、目が回るやら痛いやら柔らかいやらイイ匂いやらでクラクラするも、消し炭になる運命を免れることができた。

「助かった」

「トロッコの時みたいな醜態ばかりさらしていられませんからね」

 ベルーカは不敵な笑みを浮かべて、体から青い燐光をこぼしながら前に踏み出した。一歩、ザクと土をかむ音が耳に届いた時にはもう神速の域へ達し、目では追えなくなっていた。

 斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬斬!!!

 上下左右前後へ無尽に飛び回る青の閃光が、炎蛇を微塵切りにした。細切れにされた炎の蛇は、燃料を断たれたように消滅する――が、

「そこっ!」

 俺は気付かなかった。いつの間にか、レイカとかいう女勇者の手には背負っていたはずの大剣が握られていて、横薙ぎに振るったのだ。

 ガギィィンッ! とすごい音がして、弾き飛ばされた何かが手毬みたいな跳ね方で俺の足元まで転がってきた。

「痛たたた。さすが、ですね」

 薄刃の長剣を防御姿勢で構えたベルーカが、土埃や炭で汚れた頬をぬぐう。

 ……あのスピードで飛び回ってたのを、あんな馬鹿でかい剣で叩き落したってのか。

 遅まきながらレイカの戦闘能力の高さを認識して、嫌な汗が流れる。一見すると激情家だが戦い方は真逆、冷静な洞察力と精密な技術の持ち主である。アテが外れたな、なかなかどうして

「――効きが悪い」

 ついた悪態を、果たして聞かれただろうか。

 実際にはこちらにも注意を払っているんだろうが、表向きは完全に目の前に集中している様子で二人の女勇者は対峙していた。

「ずいぶん楽しそうね、ベルーカ。魔王の下ってそんなに居心地がいいの?」

「勇者としては正しい在り方じゃないですか。それに、さっきも言ったけど姉さんは誤解してます」

 ……おや? ほうほう。

「姉さんって、あんたら知り合いなのか?」

「実の姉です」

 わずかにもレイカから目を離さず、ベルーカが答えた。

 衝撃の事実が発覚。これはいいことを聞いた、使わせてもらおう。

「実の姉か。そう、お姉さんねえ」

 ニィ、と意識的に口元を歪める。

 俺は三白眼なこともあって、悪人に見られやすい。クモに言わせれば「三下っぽくて魔王に見えない」らしいが、ともかく悪い方に誤解してもらうときには何かと便利だ。

「そいつは悪かったな。肉親だと知ってたら、もう少し接し方も変えてたんだが」

 オーバーに両手を広げて話し始めると、勇者たちがにらみ合いを中断して怪訝そうな視線をこちらに向けたのを感じる。

 つかみはオーケー、だな。

「勇者とはいっても一人の人間だ。実の妹が魔王の奴隷になってるなんて知ったら……。心中お察しするぜ」

「……何のつもり?」

 レイカは不愉快そうに顔をしかめるが、無視して続ける。

「ああでもな、俺だって止めたんだぜ? 若い身空で人生を捨てるようなのはよくない、ってな。だけどこいつが、勇者の掟なんだからどうしてもってすがりついてくるじゃねーか。そこまで言われて何もしないってのも、男がすたるってもんだろ?」

「あ、あの、ご主人さま?」

 何言ってんだこいつ、みたいな顔でベルーカが見上げてくる。まあ、俺のこれまでの言動を知ってたらそう思って当然だ。

 ――だが、あいにくレイカは普段の俺を知らない。

「アンタ、ベルーカに何したの?」

 レイカの瞳が怒りで揺らぎだした。もうひと押し、ってところかな。

「そんな特殊なことはしてねーぜ? こいつがまだ五体満足の健康体なのを見れば分かるだろ。何だったら、あんたもウチに来ればいい。ちゃーんと優しくしてやってるとこを見れば安心するだろうし、もし乗り気なんだったらあんたも同じように可愛がってやったって――」

「こンの、クソ野郎がァァッ!!」

 絶叫するレイカの体から紅蓮の光があふれだした。消滅した炎蛇が再び召喚され、使い手の憤怒を反映するかのように激しい動きで俺を焼き殺さんと襲いくる。

 ――よし、十分だ。

「こっちだ!」

「ええ!?」

 ベルーカを引っ張って右手に避けた直後、炎蛇がはるか左方の小屋に突っ込んだ。

 だいぶ火が回っていたそれは馬小屋だったように見えたが、炎蛇が衝突した拍子に柱がへし折れて、原型を残さず倒壊した。

「チィッ、逃がすか!」

 レイカは舌打ちし、炎蛇を操って追撃する……が、二匹とも標的を捕らえることはできずに、十歩ほども離れた地面を焼き焦がす。

「そんな、姉さんがこんな雑な攻撃を意味もなく……もしかして?」

 信じられないものを見る目でベルーカは迷走する炎蛇を眺めていたが、合点がいったように俺を見つめた。

 ご名答。っつーか普通は分かるよな。

 意味もなくあんな妄言を吐き散らしたわけがない。

「クソッ、何よこれ!?」

 必死で炎蛇を操作するレイカは、俺にまったく攻撃が当たらないことへの焦りを隠すことすらできなくなっていた。

「魔王が! 何かしたわね!」

 遠距離では埒が明かないと判断したか、大剣を振り上げて駆け出す。

 だが、近接攻撃なら当たるというものでもない。

「ダアッ!」

 剛力でもって振り下ろされた大剣は、しかし俺まで届かないまま虚しく大地を叩き割った。

「惜しかったな、三歩分ほど遠かった」

 弾け飛んだ土くれの勢いにビビったことには気づかれないよう、平静を装ってうそぶく。

「確かに、何かしたってのは正解だ。だけど、気付いたって遅せーよ。挑発に乗った時点で、あんたに勝ち目はないのさ」

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