第七話 魔術は便利、という話

 太陽が沈み夜の帳に覆われた山林の中、夜行性の動物や虫たちが活動する気配こそするものの、一見するとなんら動きのない静止画のような光景だ。

 ――ゴトリ

 不意に、静止画が崩れた。

 山林の中でひっそりと立っている小木が横倒しになって、その跡の地面から人間の頭が生えてきた。

「……敵影なし。出てきても大丈夫ですよ」

 先頭をきって地上へ出たベルーカが周囲を見渡し、人間の気配がないことを確かめてから俺やクモも隠し通路から出ていく。

 あれから三時間ほどが経って、ようやくトロッコはルネロ坑道に到着した。

 最初こそ車酔いに苦しんでいたベルーカも、酔い止めの魔術が効いてからは体調を崩すこともなく、車内で仮眠と軽食を取ってすっかり回復していた。

 到着後の様子をみて不安要素は少ないと判断し、俺たちはすぐに地上へ出てルネリアへ向かうことにしたのだった。

「ふう、いい風。地価は空気が淀んでいるのが難点でございますね。陛下、女性の脚を見上げながら上るハシゴはいかがでしたか?」

「ぶっちゃけ薄暗くてよく見えな……って、何を言わせんだよ!?」

 息をするように脱線しようとするクモをを黙らせて、空を確認する。生い茂る枝葉で夜空はほとんどうかがえない。

「これじゃ時間も方角も分からねーな。」

 地下でドワーフたちに教わったところ、ルネリアはまっすぐ西へ小一時間も歩けば着くらしいが、土地勘のない山の中では五里霧中の状態だった。

「ちょっと待ってください。いま磁石を出します」

「いや、いい。あんたこそ待ってくれ」

 すかさず自分の鞄を開こうとするベルーカを、俺はとめた。わざわざ方位磁石を使わなくても、もっと便利な方法がある。

 まず近くの立木から枝を一本拝借する。手折ったばかりの枝を手にしゃがみ込み、集中を高めながら地面に新円を描くと、ただの線が次第に輝きだした。円の光は線の部分によって輝きが強い場所があれば弱い場所もあったりと一定していない。

 光の強弱を見定めたのち、俺は円を踏み消して立ち上がった。

「方向は分かった。行くぞ」

「かしこまりました」

 何も聞かずについてくるクモから遅れて、ベルーカも慌てて鞄を背負いなおし追いかけてくる。

「あの、ご主人さま。いまのも魔術ですか?」

「まあな。自分と縁の深い人間がどの方角にどのくらいの数いるのかを知るための魔術だ。距離によって反応が鈍るからザックリしかわからねーけどな。この近辺で知り合いが何人もいるのはルネリアだけだから、反応した方に向かえば間違いないはずだ。……ああ、後ついでだ。ちょっと来い」

 もう一つ魔術を使うから、と招き寄せてキリッとした瞳を手のひらで覆い隠した。ベルーカが困惑しているうちに魔術は完成し、離した手で今度は自分の目を覆う。

「わ!? え、ええ!?」

 ベルーカが驚き騒いでいるのを聞いて魔術がうまくかかったのだと確信しつつ、手をどけると景色が一変していた。

 月明りもまともに届かない暗闇が、昼間のように明るくなっていたのだ。

「視覚強化の魔術だ。少しの明かりでもよく見えるようになるが、光に対して敏感になりすぎるのが難点でな。軽くまぶたをこすれば解除されるから、明るい場所が近付いたら目を焼かれる前に自分で解けよ」

「わかりました、ありがとうございます」

 心ここにあらずのままベルーカは頭を下げて、「へえ、うわあ」と声を漏らしながらキョロキョロと辺りを見渡している。

 ちなみに、クモには視覚強化の術を使わない。こいつは素でも夜目が利くので必要ないのだ。

「ご主人さまはさすがですね。あんなに強力な幻術を使えるだけじゃなくて、他にも便利な魔術を何種類も使えるなんて」

「幻術はともかくとして、こんな小技は感心するようなもんでもないぞ。最低限の魔力を持っていて使い方を身に着けた人間なら誰だって、ちょっと練習しただけで習得できる。あんただって教わりさえすれば使えるようになると思うぞ」

「わたしが、ですか……?」

 ベルーカは心惹かれたようだったが、葛藤でもあるのか悩ましげに顔をそむけた。

「わたしも魔術を使えるようになれば……だけど、勇者としてはちょと、……うう」

「別に無理して習うことはねーぞ。俺もあえて教えようと考えてるわけでもねーし、あんただって元敵国の技術ってのは微妙だろ」

「い、いえ、そうじゃなくてですね。わたしたち勇者の力というのは、神から授かった加護なわけでして。追加で異能を身に着けようというのは、こう……神の加護に不満を持ってるみたいで、仁義に反する気がするっていいますか……」

「おや、それは違うと思いますよ」

 クモが口を挟んだ。俺としては、アダマント人の神については詳しく知らないし他人の信仰スタイルにケチつける気はないのだが、クモは力強く主張する。

「例えば貴女さまはお腰に立派な剣を提げてらっしゃいますね。武術をたしなんでおられるのでしょう?」

「それは、もちろん。わたしは戦士ですから。幼少のころから剣術を学んでいます。でも、それが何か?」

「魔術とは簡単に言ってしまうと、自己の魔力を操り消費することで様々な現象を引き起こす技術でございます。戦士が体力を使って戦技を操るのと何ら変わりはないではありませんか」

「いやでも、不思議なことをいろいろできる魔術を、武術と同じって言うのは無理があるんじゃないですか?」

「不思議かどうかなど、見る人間によってどうとでも変わります。自慢ではありませんがワタクシ、武術家の方々の技術を理解できたことがありません。目に見えないパンチとか、飛んでくる矢を掴むとか、素手で鋼鉄の剣を折るとか」

「どれも素手の技ですけど、何か実体験でもあるんですか? ……でも、言われてみるとそうか、わたしも純粋に神の加護だけで戦ってきたわけじゃなくて、他の術技や武具などいろんなものに頼ってきたんだ……あれ?」

「そうでございますとも、さあ魔術を学びなさいませ。ワタクシが手とり足とり腰とり教えて差し上げ――」

「ちょっと待ってください」

 もうちょっとで言い包められる、というところで、ベルーカはいきなり厳しい表情になってクモを制した。

 何を感じ取ったのか、犬のように鼻を高く上げて空気の匂いを嗅いでいる。

「……やっぱり、煙の臭いだ」

「煙だと?」

 まったく気づかなかったが、嘘を言っているような顔ではない。

 俺も自分の鼻に手を当て嗅覚強化の魔術をかけてみると、途端にむせ返った。

「げほっ!? なんだこの煙、尋常じゃねーぞ!?」

 すぐさま魔術を解除した。わざわざ嗅覚を強化しなくてもはっきり分かるくらいに煙の臭いは酷くなっている。風が強くなったわけでもないのに、いきなりこれだけ激しい煙が起こるとは何事だというのか。

「山火事でございましょうか?」

「たぶん違います。詳しいことは分からないけれど、この先で争いが起こってる」

 クモの予想を、ベルーカは確信をもって否定した。視線が向いているのは、まさに俺たちが目指している方角。魔術による強化とは関係なく、女勇者の目は不思議な直感でもって木々に遮られたその先を見透かしているようだった。

「山火事でないなら……ルネリア周辺の宿場町と考えるのが妥当でございますね」

「争いって、いったい何が起こってんだか。余計な面倒ごとに巻き込まれんのはごめんだぜ」

 うんざりと頭をかく俺に、女二人の視線が集中した。

 言葉にせずとも言わんとしていることは明白。決断を求める目だ。

「――よし、全速前進。煙の原因を確かめる」

「わたしが先行しましょうか? “神速”の加護を持つわたしなら、一瞬でたどり着けるはずです」

「……いいだろう。荷物は置いてけ」

「はい!」

 逡巡ののち提案を了承すると、ベルーカは嬉しそうに返事をして三人分の旅鞄を地面に置き、親指で軽くまぶたをこすった。慌てて、俺も自身の視覚強化を解除する。

「ハァァァァァァ――」

 深い呼吸で力を溜める少女の体が青く輝き始める。進行する戦神から授かった力の発露だ。

「では、行ってきます!」

 言ったときには、ベルーカは青い光の軌跡と化していた。

「ったく、光るならちゃんと一言断われっての」

 音も風も残すことなく、曳光弾のようにジグザグと残光だけを残して煙がやってくる方へと消えたベルーカを見送り、鞄を拾い上げる。

「さあ、俺たちも追うぞ」

「かしこまりました」

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