第一話 倒した勇者が起き上がってこちらを見ている
青の世界だった。
すみわたる青空。青々とした植物たち。深く、静かな湖の色もまた青。
「ぅ……んん」
シンプルなログハウスの一室、窓辺に腰掛けてのどかな湖畔を眺めていると、そばのベッドに横たわっていた少女が、悩ましげに身をよじって薄く目を開いた。
「よう、いい夢は見られたか?」
「んぅ…………んな痛ッ!?」
寝起きでぼんやりとしていた少女の瞳に意識が戻り、椅子に座る俺に気づくや否や獣のような身のこなしで飛び上がり、ベッドから転げ落ちた。
「おいおい、大丈夫か?」
「……な、なんのこれしき」
立ち上がってベッドの向こうを覗いてみれば、少女は顔をしかめて腰をさすっている。痛そうだが、ケガはしていない。
「それより、ここは? あなたはいったい……それに魔王は?」
「落ち着けって。いっぺんに訊かれたって答えられねーだろ」
物に掴まって立ち上がろうとする少女をなだめつつ、俺は手を貸してベッドに座らせてやる。
「質問に答える前に一つ。あんたの名前は?」
「ベルーカ。戦神アダムの末裔にして、“神速”の加護を授かった勇者です」
向かい側に椅子を置きなおして訊ねると、少女はさしてためらうこともなく答えた。
会話に応じてくれるのはありがたいが、なるほどアダマント人の勇者ね。
独特な編み方でまとめた髪型は例の民族に伝わるものだから予想はしてたものの、実際に名乗るのを聞くと改めて驚く。
このご時世、女勇者なんてのも珍しくはないが、ベルーカという少女ほど若いのはめったにいない。物腰こそ大人びてるが、幼さの残る顔立ちはせいぜい十代半ばといったところだろう。普通なら親元で家業の手伝いでもしている年頃だ。凛とした美人でスタイルもなかなか、きっと有名な看板娘になったろうに……っと、脱線はこのくらいにして。
「んじゃ最初の質問に対する答えだが。ここはゴウマ山脈ふもとにある名もない森だ。地図で言うと旧ミスリラ本国、あんたらアダマントの言い方をすれば旧魔王領南東部のはしっこだな」
「旧魔王領、ゴウマの……森」
何かに思い当たったように、ベルーカは黙りこんだ。
「そうだ、思い出した。先の大戦で敗れた魔王がこの森に潜んでいるという噂を聞いて、それでわたしは……」
もとが冷静な性格なのか、軽く誘導してやるだけでベルーカは落ち着きを取り戻しつつあった。
「森に入って、人の気配を頼りに進んでいたら――」
「うらめしや~~」
「そう、うらめしや……って、え?」
唐突に後ろから割り込んできた声に、ベルーカが驚いて振り替えると、色付き眼鏡をかけた白髪の女が手のひらをだらんと下げて立っていた。
……向かい合って座ってた俺にも気付かれずに、どうやって背後に回りやがったんだか。
「何を遊んでるんだよ、クモ」
「くぷぷ、申し訳ありません。渾身のギャグで陛下のご威光を示す一助を、と思ったのですが、スベってしまいました」
「そんなんで示そうとすな。俺は芸人か何かか」
登場と同時に場の空気をひっかきまわしにくるクモだったが、目的のベルーカは何も聞こえていない様子で、驚愕に打ち震えていた。
「……い、いま、『陛下』と言いましたか? それって……いやまさか…………」
「容赦なく話を進めていくお客さまでございますね」
おふざけを完全にスルーされたクモは残念そうに手を下しつつ、俺の隣へと回って頭を下げる。
「いかにも。このお方こそ我らミスリラの民の頂点、、魔王ヨギィ陛下でございます」
「もう退位して一年近くになるけどな」
「な、あなたが魔王!? そ、んなバカな」
仰々しい紹介に補足を加えるが、相手にとっては些細なことか。ベルーカは取り戻したばかりの落ち着きを失っている。
「あらあらあら、陛下があまりにも魔王っぽくないから、混乱しているのですね。かわいそうに」
「すっとばすぞ、このアマ」
「陛下も先代さまくらいにご立派な装いをなされたらよろしいのに」
「親父と比べんなっての。……ってか、先代って言ったらもう俺のことだからな」
ムカつくことはなはだしいが、クモの言っていることにも一理ある。ヒョロリと細い貧相な体つき、三白眼に彫りの浅い顔。年だって二十にも満たない若輩で、魔王然とした威厳に欠けるのは、自覚している。
親父は体格も顔つきもゴリゴリだったから、しょっちゅう比べられてたしな。もう、ミスリラの恥だから表に出るなとさえ言われるくらいで……あ、泣きそうだ。
「……そんな、だったらわたしが戦っていたのは……あの鎧の大男は?」
外見についてとやかく語っていたものの、ベルーカが引っかかったのはそこではないようだ。混乱した様子でブツブツとつぶやいている。
さて、どう説明したものやら。
ちょっとクモと視線を交わし、やっぱり実演が分かりやすいだろうというところに落ち着いて、俺はおもむろに右手を挙げ――
――使った。
「なっ!?」
ベルーカは瞠目した。
椅子に座ったまま、指をパチンと鳴らしただけで、俺の姿が一変したのだ。
トゲトゲとした邪悪なデザインの全身鎧に長大な槍。まさしく、ベルーカが赤と黒の世界で戦っていた魔王の姿だ。
鎧の巨漢と化した俺が立ち上がると、少女勇者はビクリと身を震わせたが、すぐ違和感に気づいたか眉をひそめた。
「……音が、しない?」
まだ混乱してるだろうに、いい勘だ。「触ってみるか?」と手を差し出せば、おずおずと応じようとした握手がすり抜けてしまってまた驚愕、そして理解する。
「触れもしない。……もしや幻ですか!」
「せーかい」
ほくそ笑みながら解除。幻を消し去って元の姿に戻ってみせる。
幻術。
俺たちミスリラ族に伝わる『魔術』の一種で、簡単に言ってしまえば対象に幻覚を見たり聞いたりさせる術だ。
今回の変身もどきみたいに目に見えるだけの幻を見せることから始まり、極めれば五感すべてを惑わせて本物と区別できないようにしたり、周囲の環境を書き換えて夢幻の世界に閉じ込めることだってできる。
ベルーカがいた赤色の異世界みたいな景色も、どうやっても勝てない重鎧の魔王も、すべては俺が見せていた幻覚だった、というわけだ。
「そ、んな……」
真相を知った勇者は、ショックを受けた様子でベッドに突っ伏した。
「……いつから、わたしは幻術に?」
「あんたがいきなり飛び出してきて、勝負を仕掛けてきたときかな。ほら、『魔王はどこにいる!』って言った直後くらい」
まさか探しにきた魔王がこんなヒョロいとは思わなかったらしく、「俺がそうだ」って答えたらさっきの反応に負けず劣らずいいリアクションがもらえたなぁ。
俺にとってはほほえましい記憶だが、ベルーカは自嘲気味に口をゆがめた。
「それじゃあ、最初からじゃないですか」
「ええ、登場した次の瞬間には、コテンとおねんねなさっておられました」
「わたしは必死で戦っていたつもりだったのに、全部夢の中の出来事だったなんて」
「がんばった気でいたのは貴女さま一人だったというわけでございますね」
「やめろ。鬼かお前は」
追い打ちをかけるように合いの手を入れるクモはやけにツヤツヤと楽しそうだ。
見かねて止めたら、むしろこっちを向いて手招きし、
「そうおっしゃらずに。陛下もこの際、落ち込む少女をいたぶって日頃の無聊を慰めて下さいませ」
「やらねーよ」
魔王だから残虐なのが好き、なんてのは前時代のイメージだぞ。
ひどいことを勧めるクモを軽くどつき倒していると、ベルーカがむくりと身を起こした。憔悴した様子に変わりはないが、その瞳には何かを決意したような、確固たる意志がうかがえた。
「言い訳の余地もなく、完敗です。かくなる上は……」
こういう顔をした勇者を、俺は何人も見てきた。イヤな予感がする。
俺の不安を余所に、ベルーカは変身から下りて床に膝を付き、頭を垂れて言った。
「――戦神アダムとの誓約に基づいて、あなたのものとなりましょう」
「いらないです」
…………
…………
…………
しばし、我慢比べのような沈黙が続いた。
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