最終章 輝く世界

繋がる心(前編)

 A組の生徒達による沙也香へのいじめは、日を追うごとにエスカレートしていた……。


 その情報はB組にも流れてきていたが、優衣の心は未だに複雑で、自分には関係のない話だと聞き流していた。

 けれども、もう他人事では済まされない、痛々しい現場に遭遇してしまう日がやって来てしまった……。


 ある朝……。

 いつものように登校してきた優衣は、昇降口で靴を履き替えようとしていた。

 その時、ずっと避けていた沙也香が視界に入った。必死に何かを探している……。

 話さないどころか、挨拶すら交わさなくなっていた2人。

 そんな当たり前の沈黙に耐えられなくなっていた優衣の心が、密かにざわめき始める……。


「ないの? 上履き……」


「………………」


 聞こえないのか、無視しているのか、沙也香からの返事はない……。

 あとから登校してきた生徒達が、気にせずに通り過ぎていく。


 気が付くと、優衣はA組の下駄箱の前に移動していた。

 一緒に探してみるが、沙也香の上履きだけがどこにも見当たらない……。

 諦めた沙也香は、何も履かずに教室に上がっていこうとした。


「沙也香! ちょっと待ってて。職員室で予備の上履き借りてくるから」


「放っておいてよ!」


「えっ?」


「関係ないでしょ!」


 優衣の好意を迷惑そうに振り払い、そのまま歩きだそうとしている。


「待って!」


 腕を掴んで引き止める優衣を、沙也香は鋭い目つきで睨み付けて言った。


「なんなのよ! 私がいじめられてることがそんなに楽しい? どうせ、いい気味だとか思ってるんでしょ!」


 優衣はもう、自分の感情を抑えることができない。


(こっちだって、勇気出して声掛けてるっていうのに!)


 全身が、どんどん熱くなっていく……。


「どういう意味?」


 優衣も、沙也香を睨み返した。


「ひとを憐れんで、蔑んで、いい人ぶっていたいんでしょ‼︎ 優衣はいつでも上辺だけなのよ! 私と本音で向き合ったことなんて、一度もないじゃないっ!」


(うっそ‼︎ どんだけ上から⁉︎ 私が今まで、どれだけ我慢してきたと思ってんの! 大谷とのことだって、頑張って応援してきたのに‼︎)


 優衣の中の全てが崩壊されていく……。


 沙也香と真っすぐに向き合うと、優衣は冷たい表情で言い放った。


「沙也香はいっつもそう! ひとの気持ち勝手に決めつけて、被害者ぶって、思い通りにならないと全てを誰かのせいにして……。そんないじけた根性してっからいじめられんじゃないの!」


 言い争う2人のまわりに、見物客が集まり始めた……。


「優衣! もう、やめなよ」


 その人だかりを割って、瑞希が止めに入る。

 沙也香の瞳からは、涙が溢れだした。

 その様子を笑いながら眺めていたA組の厳つい女達が、優衣の前に歩み出る。


「あんた、わかってんじゃん! うちらの仲間に入りなよ」


 優衣を見て、にやけている。


「はっ! あんた達となんか、わかり合いたくもないし」


 優衣の暴走は、もうどうにも止まらない。


「優衣、行くよ!」


 瑞希に無理やり引っ張っられて、人だかりの外に出る。

 手を引かれながら、上がっていた熱を少しずつ冷ます……。


 教室に辿り着くと、瑞希は振り返って言った。


「いくらなんでも、あれは言い過ぎだよ! 沙也香が今、どういう状況だかわかってんでしょ!! 優衣らしくないよ」


(何、言ってんの! 自分だって、さんざん沙也香のこと悪く言ってたじゃん)


 わかったように批判する瑞希に、優衣は反論したくなった。


「だいたいさぁ、そんなに敵ばっか作ってどうすんの?」


 瑞希に諭され、優衣はようやく自分の置かれている立場に気付いた。

 1つ1つの言動を顧みながら、現実に戻される。


「やばい、よね?」


「かなりね」


「まずいよ‼︎ もう、教室から出られないよ! トイレにも行けない」


 優衣は、ことの重大さをしっかりと把握した。


 朝の勢いは、完全に消えてしまった優衣。

 廊下を歩く人影に怯えながら、地獄のような時間に耐え忍ぶ……。


 そんな長い1日も、間もなく終ろうとしていた。


「あれ〜、あそこ歩いてるの大谷と沙也香じゃない?」


 その一声で、教室に居た生徒達が窓際に吸い寄せられていく。

 優衣もその流れに従い、窓から校庭を見下ろした。

 その瞳に映ったものは……、


「えっ……」


 大谷と沙也香が、寄り添って歩く後ろ姿。

 時は止まり、

 2人を批評するみんなの声だけが賑やかに流れている……。


「うっそーっ!」

「付き合ってたの!?」

「でも、あの2人、意外にお似合いかも!」


(そっか……、そうだったんだ……。私って、バカみたい)


 優衣の中で、何かが吹っ切れた。


「なんで、大谷は優衣じゃなかったの?」

「私もそう思ってた!」


 優衣に視線を移して、騒ぐクラスメート。


「やだ、そんな訳ないじゃん!」


 あっけらかんと訂正しながら、優衣は校庭に背を向け席に戻った。


「優衣……、いいの?」


 瑞希が、心配そうに近付いてきた。


「なんで? 私には関係ないし」


 優衣は座ったまま、鞄に教科書やノートを詰め込む。

 そんな行動をじっと眺めていた瑞希が、突然キレた。


「沙也香が言ってたこと、本当だと思う」


「えっ!?」


「私は、優衣を親友だと思ってるから本音で付き合ってきたけど……。優衣は、本当の自分を見せないよね」


 涙を浮かべ、悔しい表情をする瑞希。

 そのまま、教室を出ていってしまった。

 異変に気付いた深沢が、そのあとを追う。


(なんなの、もう意味わかんない! 本当の自分って何⁉︎ 私だって、瑞希を親友だと思ってるよ! 沙也香だって……。だから、いろいろ我慢してきたんじゃない! それなのに…。もう、疲れちゃったよ……。消えちゃいたいよ……)


 絶望的な心を隠しながら、帰っていく生徒達の流れに乗り正門を出る。


「おい、早川! 送るよ」


 門の前で、深沢が待ち構えていた。


「えっ、いいよ」


「でも、ほら」


 その視線の先を見ると……。

 A組の厳つい女達が、昇降口を出てこようとしている。


「うそ!」


 瞬間的に深沢の後ろに移動し、優衣はびびりながら様子を窺う……。


「でっ、瑞希は?」


 背後から、深沢に話し掛けてみる。


「今日は1人で帰るから、早川をバス停まで送ってやってくれって」


「えっ……」


 深沢に付き添われ、バス停に向かって歩きだす。


「お前らって、なんか似てるよなぁ」


 不思議そうに優衣を見る深沢。


「えっ、全然違うでしょ!」


「ほら、そういうとこ!」


 ムキになる優衣を笑いながら、深沢はバスが発車するまで見送ってくれた。


 *


 バスに揺られながら、しみじみと街の風景を眺める……。

 買い物帰りの老夫婦、自転車を並べて走らせる親子、コンビニで働く店員、客までもが、みんなとても幸せそうに見える。


 優衣は、自分だけが不幸な人間のような気がして、生きていることがたまらなく辛くなってしまった。


(あの夢が本当に私の前世だとしたら……、大谷と私は、いつの時代も一緒には生きていけない運命なんだよ)


 優衣の瞳から涙がこぼれ落ちる。


(はぁ〜っ……、人間なんてやってらんない! この街も、この国も大っ嫌い! 核戦争でも大地震でも起きて、地球も宇宙も、ぜーんぶなくなっちゃえばいいのに!)


 それでも優衣は、いつものバス停で降りる。


 やっとの思いで、家に辿り着いた。

 玄関のドアに手を掛けると、これから出掛けようとしている母親と出会した。


「あら、優衣! 塾は?」


「身体が怠いから、休んでもいい?」


「まぁ……、大丈夫?」


 心配して、優衣の額に手のひらを当てる母親。


「熱はないみたいだけど、顔色が悪いわねぇ」


「お母さん、出掛けるの?」


「そうそう! お父さんと待ち合わせしてるから、一緒に買い物してくるわね。夕飯何がいい?」


「食欲ないから、何もいらない」


 青白い顔で2階に上がっていき、サンルームには立ち寄らずに自分の部屋にこもる。


 カーテンが閉ざされた薄暗い部屋……。

 無造作に制服を脱ぎ捨てて、部屋着に着替える。

 ベッドに潜り込むと1人きり、こらえていた涙が溢れでる。


「ヒック、ヒック……」


 異変に気付いたおじさんが、優衣の部屋のドアを叩いた。


『ユイ?』


 ドアの隙間から顔を覗かせて、中の様子を気にしている。

 優衣は、泣き腫らした赤い目でおじさんを見た。


『何かあったのカイ?』


「ヒック、ヒック……、どうして⁉︎」


『ヘッ!?』


「どうして、私だけが頑張らなきゃいけないの! どうして、私だけが我慢しなきゃいけないの! ねぇ、どうして私だけ」


『ユイ、ソレは』


「もう苦しいよ! 耐えられないよっ」


 おじさんは静かに頷きながら、優衣の言葉に耳を傾けている。


「おじさんが、あんな夢見せるからだよ! あんな夢見てなかったら、私は大谷のことなんか……。大谷とはただの友達で、瑞希や沙也香とは親友で」


『ユイ、聞いてオクレ』


「おじさんの話なんか、もう聞きたくない! おじさんなんか連れて来なければよかった……。おじさんなんかと……、おじさんなんかと出逢わなければよかったっ」


『ユイ……』


 おじさんは淋しそうな瞳で優衣を見つめると、静かにサンルームへと戻っていった。

 悲しい顔が、優衣の胸に残る……。


(私、何言ってんの! おじさんが悪い訳じゃないのに)


 一度出してしまった言葉は、もう取り消すことができない。

 優衣は、出口のない心の闇に堕ちていく……。


 廊下で話を聞いていた陽太が、すぐにおじさんを追い掛けた。


「おじさん……、姉ちゃん最悪だな」


『ユイにも、色々と事情があるカラナァ』


「って、おじさん! 何してんだよっ」


 おじさんは、自分の身のまわりのものを綺麗に片付けて、荷物をまとめている。


『コレ? 旅支度ダケド』


「旅支度って、うちを出ていっちゃうのかよ! あっ、姉ちゃんがあんなこと言ったから」


『イヤッ、そうじゃナクテ……。時が来てしまったからダヨ。旅立ちの時が……』


「旅立ちの時って……、ダメだよ! どこにも行かないでよっ」


 泣きながら、陽太がおじさんを引き留める。


『ヨータ! 男だったら泣いたりシナイデ、大切な人を守れる強い人間になってオクレ』


「まじかよ! まじで行っちゃうのかよ」


『ヨータと戦ったオセロのゲーム、楽しかったナァ……。ナツキと見た花火は、ホントーに綺麗だったナァ』


 声を殺しながら、激しく泣きじゃくる陽太。


「ウーーッ、ウッ……」


「ただいま〜」


 玄関からは、父親と一緒に荷物を運び入れる母親の嬉しそうな声が聞こえてくる。


『ヨータ! オトーサンとオカーサンにご挨拶させてオクレ』


「えっ、父ちゃんにも?」


『ソッ』


 陽太は泣きながら、おじさんを右の手のひらに乗せた。

 2人の居るリビングへと下りていく。


「母ちゃん、ウッ……。おじさん、うちを出ていっちゃうんだって」


 母親は、持っていた野菜を投げ捨てておじさんに走り寄った。


「本当に行っちゃうんですね」


「なんだよ、母ちゃん知ってたのかよ」


「お母さんも、今朝、聞いたのよ。でも、こんなに早く出ていっちゃうなんて……」


『オカーサン! ワタシの身の周りをいつも綺麗にして下さり……、毎日欠かさず好物のコンペーサンを食べさせて下さり……、本当にアリガトーございマシタ』


「引き留めては、いけないんですよね……」


 母親も、涙ぐむ。


『ハイ。オカーサンのお蔭で、気持ちイー毎日になりマシタ』


「私も……、素敵な毎日でした」


 母親は、陽太の手のひらからおじさんを受け取った。

 揃えた両手のひらを引き寄せ、愛しそうに頬を寄せる。


『オトーサン!』


 おじさんが、父親を見た。

 父親はソファーに座って、白々しく新聞を読んでいる振りをしている。

 母親はおじさんを手のひらに乗せたまま、父親の真正面に座った。


『オトーサン! お世話になりマシタ』


「いや、私は何も……」


 おじさんは嬉しそうに微笑みながら、父親の顔を覗き込んだ。


『オトーサンは、強い陽射しが照りつける真夏には、サンルームに陽除けを付けて下さいマシタ……。寒さがキビシー真冬には、隙間風が入らないヨーニ、サンルームを修理して下さいマシタ……。オトーサン! 気付かない振りをしてまでワタシを置いて下さり、感謝してイマス!』


 父親は体裁悪そうに微笑むと、テーブルの上に新聞を置いた。


「気付いてらしたんですか?」


『ハイ。ワタシは妖精デスカラ』


 父親とおじさんが、楽しそうに笑い合う。


「なんでだよ! なんで父ちゃんが知ってんだよ」


 納得できない陽太が父親に迫ると、


「私……」


 母親が、気まずそうに自白する。


「お母さんの行動が怪しかったから、すぐにわかっちゃったみたい。でも、お父さんが誰にも言うなって言うから」


「なんだよ! 母ちゃんが黙ってろって言ってたくせに、簡単にバラしてんじゃねーよ」


「ごめーん……」


 嬉しそうに、3人を見つめるおじさん。

 心が通い合うあたたかい時間が流れる……。


「ところで、妖精さん! 優衣は納得したんでしょうか?」


 父親が、真剣な顔でおじさんを見た。


『ユイは……、ユイは今、自分の心と闘ってイマス! 間もなく落ち着くデショウ』


「そうでしたかぁ」


『トリアエズ、旅立ちの手続きをシテカラ、ユイにお別れを告げに戻って来るつもりデス』


「頼みましたよ! 優衣にはきちんと説明してやって下さい」


 深々と頭を下げる父親。

 おじさんも丁寧に頭を下げると、母親の手のひらから床にスーッと降りていった。

 3人の足元からそれぞれの顔を代わる代わる見つめ……、

 家の中をゆっくりと見渡し……、

 とても名残惜しそうに……、

 1年間過ごした早川家を出ていった。


 *


 その頃、

 泣き疲れた優衣は、そのまま眠りに就いていた。


 全てを忘れ……、現実から逃げだすように……。

 当たり前の毎日の中で、新しい何かが始まっていることにも気付かず……。

 当たり前の毎日にも、終わりがあるということにも気付かずに……。


 カーテン越しに射し込んでいた微かな夕陽の色も完全になくなり、その夜は更けていく……。


「優衣っ、優衣!」


 布団を捲り、母親が優衣の身体を揺らしている。


「んっ⁉︎ 眩しーっ……」


 煌々と光る電気の明かりが、優衣の目に直撃する。


「優衣、起きて! 大谷君が来てるわよ」


「えっ?」


「大谷君……。外で待ってるけど……」


「……大谷?」


「うん……?」


 混乱しながら起き上がり、意識朦朧のまま階段を下りる。

 洗面台の蛇口を捻り、冷たい水で顔を洗っていると……、


「おじさん追い出しといて、男かよ」


 陽太が、すれ違いざまに嫌みを投げ付けてきた。


「はっ? 何言ってんの」


 陽太の言葉を軽く流し、髪を整えながら玄関のドアを開ける。


 門の外には、制服姿の大谷が立っていた。


「ど、どうしたの……? バイトの帰り?」


 訳もわからず門を出て、大谷に歩み寄る。


「お、おーっ」


 ぎこちない返事をしてから、大谷も優衣に歩み寄る。


「あのさ」


「うん」


「なんていうか……」


「…………?」


「俺、早川優衣のこと好きみたいだ……」


「う、うん」


 徐々に目が覚め、珍しく緊張している大谷の顔がはっきりと見えてくる。


「っていうか、好きだ!」


「うん……」

(えっ、今、好きって言った!?)


 完全に目が覚める優衣。


(うそっ! これって、告白⁉︎ えっ、でも待って、沙也香は? 今日だってさんざん見せつけてたじゃない! 私は別に、大谷のことなんか……)


 優衣は、大谷から視線を逸らした。


 夢にまで見た瞬間なのに、最高に嬉しい言葉なのに、素直に受け入れることができない。

 もう傷付きたくない!と、心が叫んでいる。


「そんなこと言われても……、困る」


 思ってもいない言葉が出てしまった。

 頭は混乱し、胸はざわついているのに、優衣にはどうすることもできない。


「……そっか」


 大谷は無理に笑った。

 少し離れた大通りから、車が行き交う音だけが聞こえている。


「わかった……。じゃ」


 大谷が、背中を向けて歩きだす……。

 失いたくない後ろ姿が、1歩1歩離れていく……。


 その時、優衣の胸におじさんの言葉が蘇った。


『自分の気持ちや想いは、勇気を出して伝えようとしなケレバ、何も始まらないんじゃナイノカイ!?』


 同時に、優衣の奥底に眠っていたもう1人の自分が目覚める。


「傷付くことなんて怖くない! やっと、巡り逢えたのだから」


 その声で、夢と現実の大谷がぴったりと重なった……。

 優衣の中で、何かが変わり始める。


(素直な気持ち、伝えたい!)


 優衣はすぐに、大谷を追い掛けた。


「待って! 大谷、ちょっと待ってーっ‼︎」


 バス通りに向かっていた大谷が、立ち止まって振り返った。急いで走り寄る。


「あの……、あのね」


「ん?」


 優衣は、笑顔で大谷を見上げた。


「本当は、私も……、私も大谷のこと、ずっと好きだったよ」


 凍っていた心がスーッと溶けていき、体の中に新しいエネルギーが流れ始める。

 照れくさそうに、何度も頷いている大谷。

 優衣も急に恥ずかしくなり、意味もなくただ笑い合う。


「あっ、でも……」


 ふと、優衣は現実に戻された。


「沙也香は? 今日だって一緒に帰ってたじゃない」


「美山? あ〜、偶然、帰り一緒になって、早川優衣についてさんざん語ってたよ」


「えっ!?」


「“やっぱり、優衣は最高! 大谷もボーッとしてたら他の男に取られちゃうわよ”とか言って……」


(えっ……、あの時、そんな会話してたの?)


 想像も付かない意外な展開に、優衣の頭の中はもう整理ができない。

 後悔、反省……、なんとも言えない感情に押し潰されそうになる。


「それより、市原には参ったよ」


「えっ、瑞希?」


 吹きだしながら、大谷が話し始める。


「あいつ、今日、店に来てさ」


「えっ、瑞希がMバーガーに?」


 頷きながら、大谷が続ける。


「いきなりカウンター越しに胸ぐら掴みやがって、“あんたさぁ、優衣のことどう思ってんの! 男だったらハッキリしなさいよっ”って、もうキレまくって」


「まじで!」


「店長は止めもしないで喜んで見てるし、チーフ達も無視しながら嘲笑ってるし、もう店の笑い者だぜ」


(そうだったの……。瑞希、あれから1人で、私のために?)


 非難していた自分が情けなくなり、涙が溢れそうになる。


 優衣は、瑞希や沙也香が大谷の背中を押してくれたのだと思った。

 嬉しいけれど、何か物足りない……。


「なるほどね〜。それで来たんだ?」


 呆れたように、大谷を見る。


「別に、誰かに言われたからって訳じやねーよ」


 大谷が、険しい顔で否定する。

 そのまま、空に視線を移しながら、


「月がさぁ、光ったんだよ」


 眩しそうに、そう言った。


「つき?」


「なんか、懐かしいような、大事なものを忘れてるような……。よくわかんねーけど、早川優衣に会いたい!って思って」


 見上げた空には、美しい三日月が……。

 夢の中で手紙を受け取った夜に見た時と同じ、闇夜を照らすように白く輝いている。


(うっそーーーっ!!)


 あの時1人で見上げた月を、2人で一緒にしみじみと眺める……。


「まっ、そういう訳だ」


 優衣に視線を下ろして、大谷が微笑む。


「えっ、あ、うん」


 優衣も、大谷に視線を合わせる。


「じゃ、明日から、早川優衣は俺の彼女? なっ」


「あっ、うん」

(キャーーッ!! 俺の、って! ちょー嬉しいんですけどーっ)


 思いっきりの笑顔を、大谷に向ける優衣。

 大谷はハッとした顔をすると、ゆっくりと近付いてきて、そのまま優衣をギュッと抱きしめた。


「……え?」


 キョトンと驚く優衣の耳元で、大谷が囁く。


「その顔、まじでヤバいから」


(ちょっと待ってーーっ‼︎ なにこの展開! 体が、体が動かない……。っていうか、大谷って意外に手が早い? っていうか、どうなっちゃうの〜っ私?)


 あたふたしたのも束の間、大谷はあっさりと優衣から離れた。


(えっ、終わり?)


「行くわ」


 爽やか過ぎる笑顔で、明るく去っていく。


(うそ、こんな感じで帰っちゃうの⁉︎ って、別に、何か期待してた訳じゃないけど)


 拍子抜けしながらも、優衣は笑顔で手を振る。


「バイバ〜イ」


 夢心地気分で、後ろ姿が見えなくなるまで見送った。


「うわぁ〜っ、キラキラ〜*。.」


 星空を見上げながら門を入ると、リビングのカーテンの隙間から覗く6つの瞳と目が合う。


「ちょっとーっ、いつから見てたの? しかも、3人揃って」


 次の瞬間、その隙間はサッと閉じられ、わざとらしく明かりまで消えた。

 そんな不審な行動を笑いながら、軽い足取りで自分の部屋に戻っていく……。

 ドアを閉めるとすぐに、携帯を手に取った。


「あっ、もしもし、瑞希?」


「もしもし……」


「あの……、瑞希っ、ごめんね」


「あっ、私もごめん。ついカッとなっちゃって……。いろいろ言い過ぎた……」


「ううん、瑞希が言ってた通り。私、本当の気持ち隠してた……。でもね、ちゃんと伝えたから!」


「えっ!?」


「だから、大谷のこと好きだって言っちゃったのっ」


 電話を続けながら、優衣はベッドに飛び込んだ。


「ほんと、瑞希のお蔭だよ」


「………………」


「瑞希、聞いてる?」


「聞いてるけど……、ふーん、2人共やっと自分の気持ち認めたんだぁ」


「うん! それでね、ほんと急なんだけど、彼女になっちゃったみたいな感じなのっ♪」


「あっ、そう」


「それでね」


「優衣! 私より報告しなきゃいけない人が居るんじゃない?」


「あっ……、沙也香?」


「あとは、学校で聞くから」


「えーーっ!」


「じゃ、頑張るんだよ!」


 そう言って、瑞希は電話を切った。


「う〜ん……」


 ベッドから起き上がって、携帯の画面に表示されている“沙也香”の文字と向き合う。


「そうだよね。やっぱり、言わなきゃダメだよね! でも……、なんて言えばいいのかなぁ」


 なかなか通話を押すことができない。


「もーっ、逃げてても意味ないし!」


 優衣は思いっきって、その画面に触れた。


「もしもし、沙也香?」


「優衣?」


「うん! あのね、私……、沙也香に言わなきゃいけないことがあって……。っていうか、聞いて欲しいことがあるんだけど……」


「……なーに?」


「私ね、沙也香と大谷のこと応援するって言ってたんだけど……。あっ、でも、最初は本当に応援するつもりだったんだけど……。なんか、私も大谷のこと好きになってたみたいで……。自分でも、どこでそうなったのかよくわかんないんだけど……。だから、なんていうかぁ」


「………………」


「ごめんね! 私、もう応援できないのっ。沙也香、聞いてる?」


 黙って聞いていた沙也香が、フッと笑いだした。


「そんなこと、とっくにわかってたわよ」


「えっ?」


「優衣の気持ちも、大谷の気持ちも……」


「うそ?」


「わかってたけど……、鈍感な優衣がなんか憎らしくて」


「えっ……、なんで!?」


 優衣は、携帯を持ち直した。


「なんでって……、優衣のまわりにはいつでも友達が居て、自分のことよりも大切に思い合える瑞希が居て、あたたかい家庭があって……」


「………………」


「いつも幸せそうに笑ってる優衣が、すごーく鬱陶しかったから!」


「何、それ!」


「何か1つくらい……、1つくらい譲ってくれたっていいんじゃないかって思ってた。だから、大谷とうまくいってる振りして優衣を試してた。自分でも嫌になるくらい優衣に嫉妬して……。私って、ほんと、最低!」


「沙也香……」


 電話の向こうで、沙也香が泣いている。


「……そっか。きっと私、沙也香に嫌な思いさせてたんだね」


「違うの! 全部、私が悪いの。それなのに……、優衣、ごめんね」


 沙也香の痛みが、優衣の胸にも伝わってくる……。


「私も! ごめんね。沙也香のこと何もわかってなかった……。だから、もう元通りねっ。明日からは前みたいに一緒に居よー」


「こんな私なのに……、いいの?」


「いいに決まってんじゃん」


「優衣っ」


 沙也香の声が、一気に明るくなった。


「あっ、それから、もう1つ沙也香に伝えなきゃいけないことがあるんだけど」


「なーに?」


「あの……、私ね……、なんか、大谷と付き合う感じになってるんだけど……、いいかなぁ?」


「そんなこと私に聞いてどうするの?」


 ため息混じりの声で、呆れる沙也香。


「優衣にベタ惚れな大谷なんて、全然興味ないし!」


(強がってんの?)


「本当は、大谷のことなんか好きじゃなかったのかも……」


(それとも、負け惜しみ?)


「だから、そんなこと気にしなくていいの」


(違うよね……。私を気遣ってくれてるんだよね……。大谷を想う沙也香の気持ちが本物だったことは、私が1番よく知ってる。だけど……、譲れないよ! 沙也香、なかなか言いだせなくて、本当にごめんね)


「ねぇ、優衣! 私、優衣に聞いてもらいたいことがたくさんあるの」


「私も! 沙也香に話したいことがいっぱいあるっ」


 それから2人は、離れていた時間を取り戻すかのように、夢中になって話し続けた……。


「じゃ、明日、学校で」


「うん、明日ね! おやすみ」


 電話を切るのと同時に、部屋の時計が視界に入る。


「ゲーッ!」


 時計の針は、真夜中の3時33分を指していた。


「ヤバいよっ、まずいよっ、携帯代いくらよーっ!!」


 通話時間を計算しながら、優衣は冷静さを取り戻していく。


「それにしても、沙也香があんなふうに思ってたなんて……。人の気持ちって本当に聞いてみなきゃわかんないんだね。おじさんの言ってた通り……。あっ!!」


 優衣は、おじさんの悲しい顔を思いだした。


「私、おじさんに謝らなきゃ!」


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