もどかしい日常

「エェーンッ、えっ!」


 優衣は、自分の泣く声で目が覚めた。


「うそっ? 今のも、夢!? まじリアルだよーっ」


 瞳からは涙がこぼれ、流れる涙で枕もびしょ濡れになっている。

 夢から覚めても、悲しみが消えない。

 布団に顔を埋め、もう感情のまま泣き続ける……。


 夢が徐々に離れていくと、優衣は少しずつ落ち着きを取り戻した。

 暗がりの中、手探りで携帯を探し時間を確認する。


「5時15分かぁ」


 いつもならまだ眠れると喜ぶところだが、とても穏やかな眠りには就けそうにない。どんよりとした重い頭で起き上がり、おじさんのところに向かう。


 うっすらと陽が差し込んでいるサンルーム。おじさんは、ふかふかのベッドでスヤスヤと眠っている。


「もーっ、呑気なおじさんだなぁ」

 独り言をブツブツと呟きながら、階段を下りていく。


「はぁ〜っ、戦争なんてまじ最悪だし……。目覚め悪っ」


 キッチンの方からは、現実的な物音が聞こえてくる。母親が、お弁当作りに掛かっているようだ。

 匂いに誘われるかのように入っていく……。


「おはよ」


「あら、優衣! どうしたの?」


「なんか、変な夢見ちゃって……」


「変な夢?」


「私の夫が戦死しちゃう夢」


「優衣の夫が戦死? プッ、嫌だぁ、彼氏も居ないのに」


(グサッ!)


 忙しそうに卵焼きを巻きながら、母親は思いっきり笑っている。

 微妙に傷付きながら、優衣はウィンナーをつまみ食いした。


「でも、それって、優衣の前世かもね」


「まさかぁ」


「ところで、優衣のご主人って誰だったの?」


「それは……」


「わかった! 大谷君でしょ」


(図星ーーっ!???)


「な、何言ってんの! そんな訳ないじゃん」


「あら、残念。運命感じてたんだけど」


「もーっ、変なこと言わないでよ」


「まぁ、今日から3年生。全力で頑張って下さい!」


 母親が、優衣をまっすぐに見て微笑んだ。


「そうだ。クラス替えどうなったかなぁ〜」


 プレッシャーを交わすように、キッチンを出ていく。

 重い夢を引きずったまま、優衣はかなり早めに家を出た。


 *


「優衣ーっ!」


 校舎に入ると、朝練を終えた瑞希が走り寄ってきた。


「優衣っ、奇跡だよ! またまた同じクラス」


「嘘でしょ⁉︎」


「信じられないけど、私達って相当強い縁で結ばれてるみたい」


「やった、やったぁ」


 抱き合って喜ぶ2人。


「そうそう、それからね。すごーく残念なんだけど、大谷とは離れちゃったよ」


 瑞希が、優衣の顔をまじまじと見る。


「あっ、そうなんだぁ……。って、別に残念じゃないし」


 動揺を隠しながら、あっさりと反応してみせる。


「しかも、沙也香と同じA組! あっ、深沢は私達と同じB組なんだけどね」


「へぇ〜、よかったじゃん!」


 ハハッと笑いながら、優衣は多少パニックになる。


「無理しちゃって……、はいっ」


 呆れた顔で、クラス名簿のプリントを手渡す瑞希。ほとんど知ってしまったが、一応そのプリントに目を通してみる。


(本当だ。大谷と離れちゃってる……)


 かなりの衝撃だ。


「それにしても、A組の女子っていかついメンバー揃ってない?」


 改めてプリントを見直していた瑞希が、顔をしかめている。


「確かに……。瑞希でも、引いちゃう人とか居るんだぁ」


「当たり前でしょ! 相当のわるだし」


「へぇ〜っ、悪なんだぁ……。あんまり興味ないかも」


 気持ちの整理もつかないまま、ホームルームが始まる。


 新しい教室、よそよそしいクラスメート。

 優衣はしみじみと、不自然なその風景を眺めてみた……。

 大谷が居ない教室は、何かがいっぱい足りない。


 昼休み、教室前の廊下で大谷とすれ違った。


「よっ、早川優衣!」


「あっ、大谷」


 売店に向かう生徒達が、2人を横切っていく……。


「もしかして、またB組?」


「ま、まぁね。大谷はAでしょ」


「おーっ。早川優衣が居ない教室は、静かで平和だぜ」


(相変わらずイラッとさせるヤツ! まじでムカつくっ)


「こっちこそ! 頭の良さそうな人が揃ってるからね〜。あっ、それから、進路が決まるまではバイトにも行かないから、しばらくは大谷の顔を見ない穏やかな日が続くわぁ〜」


「まじで!」


 空元気で強がる優衣を、大谷が真剣な眼差しで見つめている。


 大谷に真っすぐ見つめられると、優衣は悲しくなる……。

 夢の中の大谷と重なり、愛しくてたまらなくなる……。

 隠さなければならないこの想いで、胸が苦しくなる……。


「そっか……」


 珍しく、大谷が淋しそうに呟いた。


(何、この反応?)


 意外な展開に、戸惑う優衣。

 見ないようにしてきた自分の気持ちが、いっぱいになって溢れてくる。

 感情の流れを止めていたプライドが、呆気なく崩れていく……。


(私、やっぱり、大谷のことが好き……)


 突然、まわりがざわめき始め、A組の教室前の廊下に人が集まってきた。


「えっ、なーに?」


 感傷から覚め、優衣は背伸びをしながらその方向を覗き込む。


「あいつら、美山のことが気に入らないらしいぜ」


 余裕で眺めながら、大谷が説明する。

 やがて優衣の視界にも、その光景がハッキリと見えてきた。 

 瑞希も引いていたあのA組の厳つい女子5〜6人が、沙也香1人を囲んでいる。


(えっ! 沙也香、いじめられてんの?)


 優衣がその状況に気付いた瞬間、傍に居た大谷は、その中心になっている女に向かって歩きだした。


(うそっ……)


「くだらないことしてんじゃねーよ!」


 そう言って、不機嫌そうに教室に戻っていく。

 大谷の勢いに圧倒された女達は、沙也香に捨て台詞を浴びせながら、あっという間に散っていった。


 沙也香が目の前でいじめられているというのに、何もできなかった自分への苛立ちからか……。

 大谷にしっかりと守られている沙也香への嫉妬からなのか……。

 優衣の心は、もうどうしようもないくらいに重苦しくなっていた。


 *


「ただいまー」


 いつものようにサンルームを覗いてみるが、そこにおじさんの姿はない。

 プランターの隙間を探しながら、その気配を辿っていくと……。

 おじさんはベランダに出て、気持ちよさそうに太陽の光を浴びていた。


「おじさん、ただいま」


『オッ、ユイ! 今日は早いんダネ』


「うん! 明日からまた遅くなるけどね」


『ユイも大変ダナァ』


 すっかり春めいているベランダからの景色を、一緒に眺める……。


「そうだ! おじさん、ちょっと散歩しない?」


『シヨ、シヨ!』


 制服のポケットにおじさんを入れて、優衣は近くの河川敷に向かった。


 土手を一気に駈け上がると、菜の花が一面に咲き乱れている景色が広がる。透き通った川の流れにやわらかい太陽の光が反射して、水面もゆらゆらと煌めいている。


「気持ちいいーっ!」


 優衣は、青々と香る草の上に仰向けになって寝転がった。


『サイコーッ!』


 ポケットから飛び出して、おじさんは葉っぱの上にチョコンと座った。

 やわらかい水色の空には、ふんわりとした白い雲がゆったりと浮かんでいる。


「はぁ〜あっ……。なんかもう、何もかも面倒くさくなっちゃったなぁ」


 空をじっと眺めながら、優衣は投げやりに叫んだ。


『面倒がクサイ?』


 首を傾げるおじさんに、今日の出来事をザッと話す……。


「結局、大谷のお蔭で、沙也香は助かったって感じ」


『ナルホドー……。イジメられてるサヤカを助けるナンテ、オータニにもいいところがあるじゃナイカ』


「まぁ、確かに……。あんな中に入っていくなんて、凄いと思った」


『ユイは、ドースルつもりだったんダイ?』


「私? 私は、特に何も……」


『オータニが居なかったら、サヤカを助けたカイ?』


「う〜ん、わかんない」


 おじさんはにっこりと微笑むと、優衣と同じように寝転がった。


『人間てのは、大切な人の為ナラ命だって差し出して守り抜こうとするノニ、他人の事とナルト見て見ない振りをスル……。ホントーは、ミンナ1つに繋がってるのにネ』


「見て見ない振り……。うん。面倒なことには関わりたくないし……」


 そよそよと吹き渡る黄色い風が、鼻をツーンとくすぐる。

 そのままウトウトと眠りに就く2人……。


『ユイ、大変ダヨ! 早く起きてオクレッ』


「えっ?」


『アイツが……、アイツがワタシを狙ってるんダヨ』


 寝起きのボーっとした頭で、おじさんの指差す方を見る。

 そこには、大きなのら猫が!

 今にも飛び掛かってきそうな勢いで唸りながら、おじさんを睨み付けている。


「なんで! 動物とは仲良くないの?」


『ワタシは、動物も虫も苦手ナンダヨ』


「はぁ〜っ? みんな1つに繋がってんじゃないの」


『オソラク、アイツとは繋がってナイネ』


「全く、わがままなんだから」


『トニカク、早く帰ろー』


 おじさんは、素早く制服のポケットの中に潜り込んだ。

 辺りは、もう暗くなり始めている。

 優衣も、慌てて立ち上がった。

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