永遠の絆〜前世〜

 優衣はまたしても、あのモノクロの世界に居た。


(えっ、また来ちゃったの?)


 ザワザワと賑わい、着物と軍服が行き交う世界……。

 少し離れたところには、いつか見たあの黒い物体が……。軽快な汽笛を響かせながら、ゆっくりと近付いてくる。

 その汽車に、吸い寄せられるように群がる人々。


(やっぱり、あの駅?)


 そこは、戦地に旅立つ大谷を泣きながら見送った、悲しい記憶の中にあるあの駅である。

 夢の中に居る優衣は、その光景を少し遠目に見ながら汽車から降りてくる人達の顔を1人1人確認している。

 駅構内にある待合室に立っているのだろうか? 淋しげに佇むその身体には異変が……。


(重いっ。なんか、動きにくーい)


 着物を身にまとったその姿は、以前より少しふっくらとしている。違和感を感じながら自分の腹部に手を当て、優衣は全てを理解した。


(そっか! 赤ちゃんが居るんだ)


 遠い世界に存在するもう1人の優衣は、母になる誇りに溢れる妊婦になっていた。


 駅の構内では……、再会に涙する軍人……。

 悲痛な様相で、還らぬ誰かを探す老夫婦……。

 笑顔で汽車に乗り込んでいく単なる乗客……。


 今、優衣の目の前で、それぞれのドラマが繰り広げられている。

 そして、ここに立っている優衣が待っているのは、大谷にそっくりなあの軍人に違いない。


 人の流れが、こちらに向かってやって来る。

 待ち構えていた優衣は、その人達の顔をしつこいくらいに覗き込んでいる。

 人が1人減り……、2人減り……、あっという間にその波が引けていく……。

 そして、汽車は当たり前のように汽笛を響かせ、またゆっくりと動き始めた。


(帰ってこない……)


 肩を落としながらも、次の汽車を待つ……。

 暫くすると、また軽快な汽笛を響かせながら、違う汽車が入ってきた。

 一斉に、群がる人々。期待しながら、優衣はまた1人1人の顔を覗き込んでいる。


(今度こそ!)


 同じ流れが繰り返される……。


 次の日も、その次の日も、夜が明けると駅に向かい……。日が暮れるまで、ただ、ただ、汽車の到着を待った。

 けれども、通り過ぎていくのは見知らぬ顔ばかり……。


「次の汽車には乗っているかもしれない!」


「また、ダメかもしれない……」


 疲労と寒さと心の葛藤の中で、優衣は今日も待ち続ける……。

 そして、また汽車が到着した。

 当たり前のように、通り過ぎていく人達の顔を覗き込む。


 日も暮れ掛け、今日も還らなかったと諦め掛けたその時……。

 優衣は、汽車から降りてくる1人の青年の顔を見てハッとした。

 あの、古の香りがする日本家屋で、大谷にそっくりな軍人と共に居た1人である。

 あとに続いて降りてくるのも、あの時の青年達に違いない。


(よかった〜。大谷達、無事に帰ってきたんだ〜)


 喜びと期待を胸に抱き、重いお腹を抱えながら走り寄る。

 優衣に気付いた青年達も、一目散に走りだした。


「ご無事で何よりです!」


 1人1人の顔を嬉しそうに見つめながら、丁寧に確認をするもう1人の優衣。

 けれども……、

 青年達は黙ったまま、ただ優衣を見つめている。


(何? この温度差……)


 ただならない雰囲気に、優衣の表情も次第に険しくなっていく……。

 緊迫した空気の中、1人の青年が重い口を静かに開いた。


「自分達の部隊が攻め入ったのは、敵軍の数も軍事力も圧倒的な激戦地でありました。不利を承知で前へ前へと進撃して参りましたが……、負け戦だということはもう見えており、ウッ……。大佐は自分達に撤退を命じましたが、時は既に遅く……。逃げ道までもが塞がれ、あとは敵の攻撃を待つのみという事態にまで追い込まれておりましたっ。ウゥッ……」


 青年は声を詰まらせ、言葉は途切れてしまった。


(だから、なんなのっ? 何が言いたいの!)


 優衣はじれったくなった。


(どうして、どうして大谷だけ居ないの!)


 すぐにでも、そう叫びたい。

 けれども、そこに居る優衣は、瞬き一つしないで青年の言葉を待っている。

 居た堪れなくなった他の青年が、優衣の前に進み出た。


「大佐は、“自分が囮(おとり)になる。その時こそが退却すべき時!”だと……」


 唇を噛み締める青年。

 別の青年が、涙混じりの声を絞りだす。


「我々も、最後までお供させて頂きたいと申し出たのですが……、“一人たりとも欠くことなく生きるべし! 皆で生きる! これが私の最後の指令である”そう命じ、ウッ……、見事、戦地に散りましたっ。ウゥーッ、ウッ……」


「大佐は我々の恩人であります、ウォーッ、オーッ……」


 青年達は一斉に、声を上げて泣きだした。


(散りましたって……、死んじゃったってこと? 大谷だけ、もう帰ってこないの……)


 厳しい報告に、茫然とする優衣。


「あの人らしい、最期さいごだったのですね」


 夫が戦死したというのに、そこに居る優衣は微笑みながら頷いている。


「はっ、はい! それはもう、大佐は最期まで勇ましく、ウゥッ……」


 号泣する青年達。


「お疲れのところ知らせを届けて下さり、心よりお礼申し上げます。私は……、幸せ者ですね」


 そこに居る優衣と青年達のやりとりを、優衣はどうしても納得することができない。


(なんでそんなこと言えるの! この人達は大谷を見捨てて、自分達だけ帰ってきちゃったんだよ)


 残酷過ぎる結末に、優衣の胸は苦しくなる。


「申し訳ありません!」

「お許し下さいっ!」

「自分達だけ生き延び、恥ずかしい限りであります!」


 泣きながら優衣に詫びる青年達。

 そこに居る優衣は、笑顔で青年達の顔を1人1人見つめている。

 そして、


「生きて下さい! あの人の分も。さぁ、一刻も早く、ご家族の元へ」


 そう言って、深々と一礼した。


(そっか……。あの大谷は自分の命を懸けて、この人達の命を守ったんだ……)


 なんとなく、そこに居る優衣の気持ちが少しわかったような気がした。

 青年達が、一斉に敬礼する。

 肩を震わせながら身体の向きを変え、それぞれの郷里へと帰っていく……。


 *


 もとの雑踏の中に、取り残された優衣。

 まるで魂が抜けてしまったかのように、その場に座り込んだ。


(ここに居る私は、もう二度と、あの大谷には逢えないんだね……。このお腹に居る赤ちゃんは、父親に抱かれることもなく、父親の顔も知らずに生きていくんだね……)


 痛すぎる悲しみに、思考回路は停止する……。

 ただただ、心の闇を1人彷徨う……。

 それから長い時間、優衣はその場を離れられずに居た。


「こんなところに居たら、お腹の子に障りますよ」


 静かに、声のする方を見上げてみる。


「あっ、深沢!」


 あの時、優衣を怒鳴り付けた、警察の制服を着た深沢にそっくりな男が、優しく微笑み掛けている。


(えっ、なんでそんなに優しいの?)


 状況が、全く理解できない。

 優衣は急いで立ち上がろうとしたが、ふら付いてしまった。

 深沢に似た男は、そんな優衣を支えゆっくりと立ち上がらせてくれる。


「1人で帰れますか?」


「はい、ありがとうございます。もう、大丈夫です」


 すっかり日が暮れてしまった暗い夜道を、たった1人、歩きだす。

 どこをどう歩いているのか……。何から考えたらよいのか……。

 月明かりだけを頼りに、ただ、ただ、足を前に運ぶ。


 気が付くと、あの大谷を初めて見た日本家屋の前に辿り着いていた。

 明かりが煌々と灯され、優衣を温かく迎えている。

 当たり前のように引き戸を開き、中へと入っていく。

 梯子のような華奢な階段を、重い体で1段1段上がっていく……。


「あっ、綺麗……」


 小さな窓の向こうには、美しい三日月が……。闇夜を照らすように、白く輝いている。

 そして、階段を上がりきったところには、


「あっ、やっぱり!」


 そこには和服姿のおじさんが……。

 あの時と同じように、上品な笑顔で待ち構えている。


「おじさーん!」


 優衣の声に、おじさんは一瞬ニヤリと笑った。けれどもすぐに、元のすました顔に戻っている。


『お待ちしておりました』


 そう言って、奥へと歩きだした。


(変なおじさん! 知らない振りしてるの? それとも……、もしかしてこれも妖精界の掟?)


 疑問を抱きながら、他人行儀なおじさんのあとに付いていく。そしてまた、突き当たりの部屋の前で立ち止まった。


(ここで振り返るのだ!)と、優衣は身構えたが、そうではなかった。

 そのまま頑丈そうな扉を開いて、おじさんは更にその中へと入っていく。


『どうぞ』


 扉を抑えて、優衣を招き入れようとしている。

 導かれるまま近付いていき、超えてはいけない一線を超えてしまった。


 入るとすぐに、綺麗に片付けられた長い机があった。


(あっ、この机を囲んで、みんなは会議してたんだ)


 以前見た夢を、鮮明に思いだす優衣。

 部屋の中をゆっくりと見渡しながら、机の脇を通り奥へと進んでいく。おじさんも、優衣のあとに続いている。


(確か、大谷にそっくりな軍人は、この辺に立ってたよね)


 そこには、木製の立派な机が置かれていた。

 そこに居る優衣が、その机を愛しそうに撫でながら椅子に腰掛ける。


『そこの引き出しを、開けてごらんなさい』


 おじさんの言う通り、優衣はその引き出しをそっと引いてみた。

 中には、一通の手紙が入っている。

 凄まじい勢いでその手紙の封を切り、きちんと折り畳まれた白い紙を急いで開く。

 そこには、1行だけの文字が記されていた。

 どちらの優衣も、その文字をじっと見つめる……。


“もふ一度、君に巡り逢いたひ”


 そこに記された1行の文字。

 大谷にそっくりなあの軍人が残した手紙には、“もう一度、君に巡り逢いたい”そう書かれてあった。

 ずっと気丈に振る舞っていたそこに居る優衣が、その手紙を胸に抱きしめ激しく泣き叫ぶ。


(あの大谷は、もうここには帰ってこれないことを覚悟してたんだ……。もう二度と、ここに居る私に逢うことはないって……。あの駅での別れが、永遠の別れだってことも……)


 そこに居る優衣の亡き夫を想う恋しさが、優衣の胸にも伝わる……。

 大谷への想いと重なり、胸が張り裂けそうになる……。


「ヒック、ヒック……。嫌だよ、こんなの……」


 優衣も、声を上げて泣き叫ぶ。


「どうして死んじゃうの? だから、汽車から下りた方がいいって言ったのに! 1人で、たった1人で……、エェーーンッ、エェーーンッ……」

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