第4章 黄色い春

すれ違う気持ち

 スキー場での事件以来、気まずい関係になってしまった優衣と沙也香、そして瑞希。

 新学期になってから、沙也香がB組の教室に来ることはほとんどなくなっていた。


 そして、ある噂をきっかけに、3人の友情は益々こじれていく……。


「優衣っ、工藤先輩と付き合ってるの?」


 クラスメートからの唐突な質問。


「えっ、付き合ってないよ!」


「うそっ! うちの部の先輩が、あとで優衣の顔を見にくるって言ってたけど」


「やだっ、なんでーっ!!」


 その日の放課後、優衣は上級生に呼びだされた。

 冷え冷えとした廊下……。

 雪景色が映る窓には、結露がつたっている。


「ねえ、工藤と付き合ってるの⁉︎」

「どうなってんのよ!」


 2人の後ろには、工藤の彼女らしき女子生徒が立っている。

 工藤のバイトが終わる頃、よく店に来ていたから顔はなんとなく知っていた。


「えっ? ……ないです! 付き合ってません‼︎」


 瑞希の証言もあり、すぐに誤解を解くことはできたのだが……。


「ねぇ、優衣! 工藤先輩と優衣が2人でスキーに行ったって話が広まってるみたい」


「えっ、2人で?」


「それって、沙也香が誰かに話したんじゃない?」


 その噂を流したのは沙也香ではないかと、瑞希は予想し……。


 芽生えてしまった不信感……。

 失われていく信頼、友情……。

 いつからか優衣は、沙也香に笑い掛けることも話し掛けることもできなくなり、沙也香もまた優衣を避けるようになっていた。


 離れていく2人の距離……。

 お互いの気持ちを打ち明けることもできずに、

 心はどんどんすれ違っていく……。


 *


 やがて、大地を覆っていた白い雪は解けていき、嵩の増した川がゴウゴウと音を立てて流れだす……。

 草花や木々達には新しい命が吹き込まれ……、

 空も、大地も、この街も、全てが活気で溢れ始めている。


 放置状態だった校庭の花壇を、無言のまま手入れする優衣と沙也香。

 厳しい寒さから守られていたシートが外されると、生命力をたっぷりと蓄えた茶色い土が蘇る。

 お互いの存在に戸惑う2人は、感動を分かち合うこともできない。


「おっ! 水捲係、復活?」


 通り掛かった大谷が、優衣を茶化すように声を掛けてきた。


「春だからね〜」


 ホースから出る水を大谷の方に向けて、優衣は企みのある笑みを浮かべる。


「おいっ、やめろよ! これからバイトあんのに、濡れたらどーすんだよ!」


 警戒しながら接近し、大谷がホースを奪おうとする。


「あっ、こっち来たらやるよ!」


 慌てて逃げる優衣。

 バタバタと奪い合う2人の中に、沙也香が入ってきた。


「大谷、ちょっといい?」


 大谷が振り返ると、嬉しそうに歩み寄り何やらひそひそと話している。


(感じ悪ーい! なんかムカつく)


 一瞬にして思いやりという優しい気持ちが消えていき、


「大谷ーっ、これからバイトでしょ? 一緒に行こ」


 大谷と話し続ける沙也香に、挑戦的な態度をとってしまう。


「おー……?」


 戸惑いながら頷く大谷。


「鞄取ってくるから、ちょっと待ってて」


 もう、どうにも止まらない……。嫉妬の炎が、めらめらと燃え盛る。

 暴走を続ける優衣は……。沙也香の目の前で、どうどうと大谷の隣りを歩いていた。


「美山と、なんかあった?」


 不思議そうに、優衣を見る大谷。


「別にっ」


 視線を逸らして、素っ気ない返事をする。


「あいつ、最近いつも1人だよな」


「えっ、そーお?」


 足を速め、冷めた態度で聞き流す。


「早川優衣が相手してやんなきゃ、誰も相手にしないことくらいわわかってんだろ」


(はぁ〜っ? どういう意味! 私が悪いって言いたいのっ)


 冷静という感情の防波堤が、音を立てて崩れていく……。


「大谷が居るじゃん!」


「はっ!」


「大谷が相手してあげればいーじゃん! 沙也香だって、それを1番に望んでるんだから」


「なんだよ、それ」


 賑やかなランドセルの集団とすれ違いながら、2人は無言のまま歩き続ける……。


 バイトに入ってからも、優衣は絶不調。


「もーっ、何、このレジ!」


 何もかもが上手くいかない。


「優衣ちゃん、なんかあった?」


 いつもと違う優衣を、店長も気遣う。


「えっ、なんでですか?」


「ま、まぁ、女の子には色々と事情があるからな」


 優衣の肩をポンポンと軽く叩いて、店長は調理場に消えていく……。


(あーっ、イライラする! なんで大谷に責められなきゃいけないの!! 何もわかってないくせに! 何も知らないくせに! 説教とかやめてくれないかなぁ!)


 *


 家に辿り着くとすぐに、癒やしを求めてサンルームに向かった。

 けれども、そこには先客が……。


「うわっ、先越された……」


 先に帰った陽太が、オセロゲームを前にして頭を抱え込んでいる。


「あっ、それ、おじさんちょっと待って」


 コマを両手で持ち上げて移動させようとするおじさんに、泣きつく陽太。


「もーっ、陽太に勝ち目はないんだから、早く部屋に戻って勉強でもしたら!」


 優衣はイライラを、陽太にぶつける。


「なんだよ! うるせーな」


『ユイ、どーしたんダイ? 穏やかじゃないネェ』


 コマを置いて、優衣の顔をじっと見つめるおじさん。


「穏やかじゃないどころか、沙也香のお蔭で精神状態、最悪! もう、沙也香なんて嫌い」


『キライって何?』


「えっ!? 好きの反対だけど」


 おじさんをチラッと見て、優衣はふてくされる。


『ヘェーーッ!』


 おじさんは、目を丸くして驚いた。


「大谷も、ちょームカつくし」


『オータニも〜』


 なぜか嬉しそうな顔になるおじさん。


「姉ちゃん、おじさんは妖精だぜ! 嫌いだとかムカつくだとか言って……、神聖なこの部屋の空気を汚すんじゃねーよ」


 陽太の理論を聞いて、おじさんは真面目な顔に戻る。


「誰が汚してるっていうの!」


「姉ちゃんみたいなヤツと一緒に居ると、こっちまで気分悪くなんだよ! 被害が広がるから、部屋にこもってろっ 」


『ヨータ、言い過ぎダヨ』


(確かに……、その通りかもしれない)


 自己嫌悪に陥りながら、優衣はおとなしく自分の部屋へと戻っていった。


 暫くすると、ゲームに勝利したおじさんが優衣を心配してやってきた。


『ユイ、大丈夫カイ?』


「あっ、おじさん!」


 ベッドに寝転がったまま、おじさんを見る。


『コノ部屋、懐かしいナァ』


 目を細めながら、優衣の部屋を見渡すおじさん。


「そっか。おじさんが初めてうちに来た時、この部屋に住んでたんだもんね」


『ソウソウ! アノ棚の1番上が、ユイが作ってくれたワタシの部屋』


「そうだったね。あれから、もう10ヶ月経っちゃったんだぁ」


『ヘッ! 10ヶ月も!?』


 慌てて、カレンダーに目をやるおじさん。じっと、日付を確認している。


「おじさん……。私、なんだか疲れちゃったよ」


 床に下りてきて、優衣はおじさんの前に座った。


『サヤカやオータニと、喧嘩でもしたのカイ?』


 おじさんもその場に腰を下ろし、優衣の顔を覗き込んでいる。


「喧嘩なんてしてないよ。沙也香とは、ずっと話もしてないし」


『話もしてナイ!? ソレではお互いに分かり合えないんじゃないのカイ?』


「まぁね」


『ワタシ達妖精は、以心伝心でお互いを分かり合えるケド。人間てのは、言葉にして伝えなケレバ理解し合えないと聞いてるヨ』


「だいたいの想像は着くけどね」


『ユイ! 人間の心ってヤツは自分にしか分からないラシイ。ダカラ、相手の気持ちナンテ分かる訳ないんダヨ! 想像や思い込みで人の気持ちを決めてしまうのは、間違ってるんじゃないのカイ!?」


「でも……」


 目を逸らし、優衣はベッドにもたれ掛かった。

 おじさんはベッドによじ登って、更に話し続ける。


『ワタシも驚いたんダケド。人間てのは、親友や親子、仲の良い夫婦でサエ、お互いの気持ちを正確に読み取る事は難しいラシイ』


「………………」


『自分の気持ちや想いってヤツは、頑張って伝えようとしなケレバ、相手の心には届かないんじゃナイノカイ!』


「そんなこと、わかってるけど……。でも無理」


『アッ、ソッ』


「えっ! そんな簡単に終わらせる⁉︎」


『簡単ダヨ! ユイの心は、ユイにしか変えることが出来ないカラネ』


「冷たっ」


 おじさんのその言葉は、本当は優衣の胸に響いていた。

 頭では理解できる。けれども、心が……。

 沙也香への不信感や嫌悪感でいっぱいになってしまった心は、どうしてもそれを受け入れることができない。


(わかってるよ、わかってるけど……)


 優衣の心は立ち止まったまま、前に進むことができなくなっていた。


 結局、沙也香との最悪な関係になんの行動も起こせないまま、優衣は2年生を終えようとしていた。


「そろそろ将来のことを真剣に考えないと、夢が夢で終わっちゃうわよ! ハンバーガー売ってる場合じゃないんじゃない?」


 呪文のように繰り返される、母親の戒めの言葉。


「う、うん」


 優衣は暫くMバーガーを休職し、予備校に通うことを決意する。


(はぁ〜っ、受験生って……、重い)


 そんな悶々とした春休み最後の夜、

 優衣はとうとう、

 あの謎めいた夢の結末を知ることとなる。

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