聖なる奇蹟(後編)

「1番大きな失敗は、やっぱ、フライヤー爆発事件!」


 自慢げに語る工藤。


「何それっ」


 Mバーガーでの失敗エピソードを連発させる……。


「研修の時、習わなかった!? フライヤーのスイッチを入れる時は必ず蓋を閉めることって」


「あ〜っ、あのポテトを揚げる機械ですよね。確か、開けたままスイッチを入れると爆発するとか、ってまさか」


「うん。それやっちゃったんだよね」


「えーーっ!」


「出来上がりのブザーが鳴って振り返ってみると、なんと蓋が!」


「開いてたんですか⁉︎」


 工藤は目を見開いて、大きく頷いた。


「一瞬、まじで逃げようかって思ったんだけど」


「うわっ、最低」


「でも、まぁ、結局は傍に居た店長に白状しましたよ」


「店長、なんて?」


「確か、言葉はなかったな。2人で手を取り合って、少し離れたところからその様子を眺めることしかできなかったね」


「それ、ちょっと笑っちゃいます」


「でも……、無事に温度が下がったことを確認したところで、ボコボコにやられたけどね」


「なんか、想像できる」


「あいつ、全力で殴ってきやがって……。でも、俺、店長嫌いじゃないなぁ」


「私も」


「ゆいちゃんはいつでも完璧だからなぁ。店長も、ゆいちゃんには甘いよね」


「そんなことないですよ! 私も失敗ばっかりです。店長やチーフには、いつも助けてもらってます」


「まじで?」


 失敗談を話し続ける工藤の明るさで、優衣の気持ちも少しずつ穏やかになっていく……。


 窓の外の風景も、夕陽に照らされた慌ただしい街の景色に変わっていた


 そろそろ終点の駅、であろう時、


「あっ!」


 優衣は、ダウンのポケットに手を当てた。


「えーっ!」


 急いで中を覗いてみる。


「うそーっ!」


 あらゆるポケットを確認し、鞄の中まで探り始めた。


「どーしたの?」


 慌てふためく優衣の行動を、工藤が不思議がる。


「あっ、なんでもないです」


「もうすぐ駅だよ」


「あっ、はい」


 空返事をしながら、優衣はパニックに陥っていく……。


(なんで、なんで、どうしてーっ! おじさんは!??? おじさん、どこに消えちゃったのーっ!!)


 優衣は、振り返りたくない今日1日の行動を振り返ってみる。


(リフトに乗ってる時は、確かに居たよね。滑ってる時だって返事してたし……)


「あーーっ!!」


 優衣は、決定的なことを思いだした。


「だいじょぶ!? 着いたけど」


「あっ、はいっ」


 意識をスキー場に戻したまま、適当に返事をする。


(そっか、あそこで転んだ時だ! ってことは私、スキー場におじさんを置いてきちゃったのーっ)


 バスから降りると、工藤は優衣と同じ道を歩きだした。


「家まで送るよ」


「えっ、大丈夫です!」


「なんか心配だから」


「全然、平気です! ひろ先輩のお蔭で、もうすっかり元気になりました」


「ほんとに、だいじょぶ? 」


「はい、間違いなく大丈夫です!」


「じゃ、気を付けてよ」


「はい、絶対に気を付けます!」


 工藤と別れたあと優衣は家に帰ると見せかけて……、駅前広場の曲がり角に身を潜めた。

 工藤が立ち去るのを、じっと待つ。


 工藤が帰ったことを確認すると、荷物を背負ったままバスロータリーに走った。

 白樺スキー場行きのバスに、再び乗り込む。


 3組のカップルと、プロらしき男が1人しか乗っていない淋しいバス。

 優衣は1人、動揺を隠せない。


「どうしよう、どうしよう……」


 立ち上がったり……、席を移動してみたり……。


「おじさんお願い! 無事でいて」


 おじさんの無事を祈りながら、すれ違った対向車の中に大谷と沙也香を見つけた。


(次のバスで帰ってきたんだぁ……)


 2人を見るのは辛いはずなのに、今はおじさんのことで心臓が破裂しそうなくらいいっぱいになっている。


「もーっ、まだ着かないの!」


 スキー場までの道のりが、異常に長く感じられる……。


 窓の外はだんだんと薄暗くなり、バスの中にも明かりが灯された。

 不安と恐怖の闇が、孤独な優衣を襲う……。


「もーっ、なんで気付かなかったんだろ!」


 おじさんをすっかり忘れていた自分が腹立たしい。波打つ心で、愕然とバスの揺れに身を任せる……。


 薄暗い景色の向こうに、ようやく、ナイター用にライトアップされた眩しいゲレンデが見えてきた。


「神様! どうか、おじさんが見つかりますように」


 強く、願う……。


 *


 急いでバスを降りると、まずは、バス停からゲレンデに続く雪道を確認しながら歩く……。


「やっぱり、あそこしかないよね」


 クレープ屋のベンチの前に荷物を放り投げ、靴だけ履き替える。そのままボードも持たずに、頂上へと繋がるペアリフトに乗り込んだ。


「おじさーーーん!! おじさん、どこーっ!」


 前のリフトに乗っているカップルが、その声に気付き、振り返って笑っている。


「虚しい……、悲し過ぎる。おじさん、早く出てきてよー」


 突き刺すような厳しい寒さの中、優衣は目を見開いて、あちこちを見渡す。


 ヒューーーッ、ヒューーッ……。


 サラサラだったパウダースノーはガリガリッに凍り付き……。美しい雪景色は、恐ろしい氷の世界へと化していた。


 ようやく頂上に辿り着いた。コースの端から端まで、丁寧におじさんを探し始める。

 気が遠くなるような広いゲレンデを……、人工的なライトの明かりだけを頼りに……。


「キャーーーッ!!」


 急な斜面で滑り落ちたり……。


「もーーっ!」


 深い雪に足を捕られ、身動きができなくなったり……。


「おじさーーーん!!」


 颯爽さっそうと滑っていく人達の中、不恰好な姿で氷のような雪の上を必死に歩き続ける……。


「痛いっ」


 上級者が、氷の破片を散らしていく……。

 楽しそうに滑っていく若者達が、優衣の行動を気味悪がる……。

 恋人達には、存在すら気付かれない……。

 そうして、何人ものひとが通り過ぎていく……。


「あっ! 確か、この辺で転んだんじゃない?」


 転倒した場所に辿り着くと、更に身を低くして探し始めた。


「おじさーーん、おじさーーん!」


 形振り構わず……、無我夢中になって……。

 突然、通りすがりの細身の男が、必死に這いつくばる優衣の前で止まった。


「コンタクトでも落としたの?」


「あっ、いえ、違います……」


「もう、諦めたほうがいいよ。ほら、また大粒の雪が降りだしてる」


「えっ!?」


 見上げた夜空からは、大きな牡丹雪が次から次へと降り掛かってくる。


「急がなきゃ!」


 更に慌てて、雪の上を見渡す優衣。

 男は呆れて、サッサと滑り下りていってしまった。


「おじさ〜〜ん……」

(雪に埋まっちゃったのかなぁ……。もしかして、死んじゃったのかなぁ……。お母さんに危ないって言われたのに……)


 急に心細くなり、悲しみが込み上げてくる。


「おじさ〜ん、お願いだから出てきてよ〜っ! ヒック、ヒック……」


 おじさんとお揃いの白いニット帽は凍り付き、優衣の瞳からは涙がこぼれ落ちる。

 全てが凍ってしまいそうな氷雪の世界で、身も心も痛いほどに冷えきってしまった優衣。手足がかじかんで、もう思うようには前へ進めない。


「諦めない……。絶対、諦めない!」


 孤独の恐怖にも、過酷な現実にも、負けたくない。

 優衣は、ちっさいおじさんを探すという使命だけに懸命になる。


「おじさーん……」


 探し始めてから、どのくらいの時間が経ったのであろうか……。

 捨て身で頑張る優衣を見離すかのように、ナイター終了を知らせるアナウンスが流れた。


「えっ……、待って待って!」


 麓に辿り着いてからも、諦めずにまだまだ探し続ける。

 帰っていく人達で混み合う通路を、這いつくばるように……。


「危ねーよ!」


 金髪の男に突き飛ばされながら……、


「あっ、すみません」


 謝りながらも、その足元を見る。


「神様、仏様、ご先祖様、どうか、おじさんの居場所を教えて下さい!」


 必死に願い探し続けるが、優衣の想いは届かない……。

 そして、全てのライトが消えた。


 闇に包まれた極寒の大地で、途方にくれる優衣……。

 おじさんの姿や言葉を思いだし、胸が張り裂けそうになる。

 泣きながら、誰も居ない真っ暗なゲレンデを見つめる……。


(『この星は、スバラシーッ!』)


 暗闇と一体化したレストハウスに目をやる……。


(『ユイ! 普通ってのは実は凄い事ナンダヨ』)


 人気のない更衣室が目に止まる……。


(『アッタカァ』)


「『アッタカァ』って……」


 優衣は、更衣室でのおじさんとのやり取りを思い返した。


「もしかして!」


 猛ダッシュで女子更衣室に向かった。

 けれども、室内は真っ暗でドアには鍵が架けられている。

 息を切らしながら、管理室へと急ぐ。


「すみませんっ、ハァ、ハァ……。更衣室に忘れ物しちゃったみたいなんですけどっ、鍵を開けて頂けないでしょうかっ、ハァーッ……」


 管理室で作業をしていた従業員が、一斉に優衣を見た。


「忘れ物? 一応、一通り点検してきたけど、特に何もなかったよ」


 入り口近くに座っている若い男が、ファイルを整理しながら軽く答えた。


「凄くちっちゃいんで、とても見えにくいんです!」


 必死に訴える優衣を、全員がまじまじと見る。


「お願いします! 鍵を開けて下さいっ」


 優衣が深く頭を下げると、若い男は鍵を持って立ち上がった。


 更衣室に向かって歩きだす。


「すみません。本当に、すみません」


 必死な優衣を不思議そうに見つめながら、その男はガチャガチャと鍵を開ける。


「探し終わったら、声掛けて」


 そう言うと、急いで管理室へと戻っていった。


「ご迷惑お掛けしてすみませーーーんっ」


 後ろ姿に向かって、大きな声で叫ぶ。

 気持ちを落ち着かせながら更衣室と向かい合い、ゆっくりとドアを開けた……。


(おじさん、お願い、ここに居て!)


 祈るように電気のスイッチを入れると、蛍光灯の眩しさに一瞬視界を奪われた。

 やがて見えてきた部屋の中……。

 すぐに、温風ヒーターに向かって走りだし、目を細めながらその周辺を見渡してみる。

 前かがみになって、ヒーターの脇を覗き込む。


「……あ!」


 そこには、座ったままヒーターに寄り掛かり、ぐっすりと眠っているおじさんが!


「おじさーーーんっ!!」


『………………』


「おじさん、大丈夫っ!? 怪我してない?」


『………………』


「おじさんっ、生きてる!? おじさん、おじさん、ごめんなさーい、エェーーーンッ、エェーーンッ……」


 張り詰めていた気持ちが一気に崩れ、優衣は声をあげて泣いていた。

 迷惑そうに眉をひそめながら、おじさんはその瞼をゆっくりと開ける。


『イキテルヨ』


「……おじさ〜〜〜んっ!」


 全ての力を失い、その場にへなへなと座り込む優衣。

 その様子を、おじさんは不機嫌そうに眺めている。

 おじさんと目が合うと、優衣は慌てて座り直し、泣きながら話し始めた。


「今日はいろんなことがあり過ぎて、なんだかもう、訳がわからなくなっちゃって、ヒック、ヒック……」


『………………』


「だけど、おじさんをこんなところに置き去りにするなんて、私って本当に最低だよ! 私が無理に連れてきたのに、ヒック、ヒック、エェーーン、エェーン……」


 自分を責め、激しく泣きじゃくる優衣。

 黙って聞いていたおじさんが、慌てて立ち上がる。


『ユイ、分かったカラ……。モー、泣かないでオクレ』


 おじさんは優衣の涙に弱い。


「おじさ〜〜ん」


 鼻をすすりながら揃えた両手のひらを差し出すと、おじさんはその上にピョコンと飛び乗った。


「あっ、おじさん怪我してるじゃん!」


 おじさんの右の頬には、猫のひげのような2本線の傷が付いている。


『コンナの、何でもナイヨ』


「おじさん怖かったでしょ⁉︎ 寒かったよね。おじさん……、私を許してくれる?」


 おじさんは、凍り付いた優衣の姿を愛しそうに見つめている。


『コンナに冷たくなるマデ、一生懸命にワタシを探してくれたのカイ!?』


「うん、探して探して探しまくったよ。 もう全身麻痺で死ぬ寸前だと思う!」


『ユイにはワタシが必要なのカイ?』


「ぜーったいに、必要だよ!」


『ユルス』


「おじさーん!」


 嬉しそうに微笑みあう2人。


「おじさん、だーい好き」


 優衣は両手を引き寄せて、おじさんの頬にキスをした……。


「そうだ! 管理室に戻らなきゃ」


 まだデレデレのおじさんをポケットに中に入れ、電気を消してまた走りだす。


「ありがとうございました」


「あっ、お嬢ちゃん、忘れ物は見つかりましたか?」


「はい、見つかりました! わがままを聞いて下さり、本当にありがとうございました」


「それはよかった。それより、たった今、最終のバスが出ちゃったけど大丈夫?」


(えっ、まじーっ!)


 優衣は、再び気が遠くなった。

 けれども、これ以上迷惑は掛けられない。


「あっ、母が迎えに来るので大丈夫です」


「それならよかった」


 深々とお辞儀をして、優衣は管理室の外に出た。

 閉店してしまったクレープ屋の前を通り、投げ出されたボードと荷物を拾う。そのままゲレンデに向かって歩きながら、携帯を取り出した。


(そっか、電源切ってたんだ)


 慌てて電源を入れた優衣は、凍った通路でひっくり返りそうになった。


「えぇーーっ!」


 そこには、今まで見たことのない驚異的な着信とラインの数。ほとんどが、母親と瑞希からのものだ。


「大変なことになってるかも⁉︎」


 衝撃と声に驚いたおじさんが、顔を出す。


『どーしたんダイ!?』


「おじさん、ヤバいよ! お母さんに電話しなきゃ」


『アッ、そうダネ! ジャッ、ワタシはアノ木の下で待ってるカラ、頑張ってオクレ』


 おじさんは、スキー場の入り口に立っている大きなモミの木を指差した。


「わかった。絶対に、あそこにいてねっ」


『アイヨ』


 おじさんをそっと下ろすと、優衣は覚悟を決め携帯を握り締める。


「もしもし、……」


「優衣っ、優衣なの!!」


「うん。お母さん、私ね……」


 それから優衣は、おじさん捜索活動についての一部始終を説明する……。

 黙って最後まで聞いていた母親だったが、

 何かの弾みで、突然ぶちキレた。


「だ、か、らーっ、危ないって言ったでしょーっ!」


 巻き舌で怒鳴り散らす母親に、優衣はもう太刀打ちできない。


「は、はいっ。ごめんなさい!」


「とにかく、今すぐに行くから、そこを動くんじゃないわよ!」


「はいっ」


「あっ、それから、瑞希ちゃんに連絡しておきなさい」


「はい、わかりましたっ」


 母親に言われた通りに、すぐに瑞希に電話をする。


「もしもし、瑞希?」


「優衣っ、どこに居るのっ!」


「あっ、今、白樺スキー場……」


「まだ、スキー場に居るのーっ‼︎」


「う、うん……。最終バス逃しちゃって、お母さん待ってるとこ」


「待ってるって……、もうバカじゃないっ!」


「えっ」


「だいたいのことは想像できるよ! だから断っちゃいなって言ったのに……。優衣ってほんとっバカなんだから!」


「そんなにバカを連発しなくても……。あの、予想外のことがいろいろ起きたりして……」


 瑞希の怒りは、全てが沙也香に向けられている。


「工藤先輩が駅で別れたって言うから、その周辺を深沢達とずっと探してたんだよ! 大谷なんか、もう町じゅう走りまわってるから!」


「うそっ!」


「沙也香は家から出られないって言うから、あちこちに電話してもらってたし……」


「えーっ!」


「まぁ、いいや……。みんなには連絡しておくから、サッサと家に帰ってよーく反省しな!」


「うん。瑞希……」


「もう、忙しいから切るよ」


「う、うん。瑞希……、ありがとう」


 瑞希の想いをいっぱいに感じ、優衣は胸が熱くなった……。

 電話を切って、おじさんの待つモミの木に向かって歩きだす。


 *


「おじさん、お待たせ。お母さんが、すぐに迎えに来るって」


『ヨカッタ、ヨカッタ』


「おじさん何してるの?」


 おじさんは瞳を閉じて、木の根元に立っている。


『ユイ! チョット、ここに立ってオクレ』


「うん」


 優衣は荷物を置いて、おじさんの隣りに歩み寄った。


「何、なに!?」


『静かニ!』


 大きなモミの木の下で、ライトの消えた真っ暗なゲレンデを見つめる2人……。

 しんしんと降り続けていた雪はピタッと止み、ざわめいていた木々達も一斉に静止する。


 シーーーンッ……。


 全ての生き物が息を潜めているかのような、音のない世界。


「何、なんなの!? どうしちゃったのっ」


 身を低くして、小声で問い掛ける優衣。おじさんは、黙ったまま空を見上げている。

 スキー場は、嘘のように静まり返っている。


 その静寂を破るかのように、周波数の合わない電波のような音が微かに聞こえてきた。


 ザザッ、ザザザッ……。


 優衣の耳にどんどん近付いてくる……。


 ザーッ、ザザーッ、ザザッ……。


(えっ、なんか来るの!? U、F、O? それとも……、まさかまさかの雪女!)


 ただならない異様な空気に怯えながら、優衣はおじさんをちらっと見下ろした。

 余裕でニコッと笑うおじさんは、突然、両手を合わせてパンッ! という音を立てた。

 その音が暗い夜空に響き渡ると……。

 ついに、その時がきた。


 暗いはずの空は徐々に明るくなり、宝石を散りばめたような満天の星がその準備を整える。

 次の瞬間、天空の遥か彼方から、緑色に煌めく一筋の光がキラキラと舞い降りてきた。

 眩いほどに輝くその光は、まるで巻物が開かれていくかのように、ゆっくりと広がっていく……。

 緑色に煌めきながら……、優しく包み込むかのように……、眩しく揺れている……。

 やがて、2人が見上げた空一面を、神秘的な緑色の光のカーテンが覆い始めた……。


「へぇ〜……」


 胸が躍るようなその鮮やかな輝きに、優衣は息を呑む。

 更に、緑色に煌めいていた光は、ゆっくりとその色を変え……。

 みるみるうちに、紫の光のカーテンとなって、空いっぱいに広がり始めた。

 紫色に煌めきながら……、麗しく誘い込むかのように……、妖しく揺れている……。


「うわぁ〜……」


 胸が高鳴るようなその美しい輝きに、優衣は暫し酔いしれる……。

 やがて、紫色に煌めいていた光は、その色を青い色に変え……。

 今度は、青い光のカーテンが空いっぱいに広がる……。

 青く煌めきながら……、生命の儚さを伝えるかのように……、静かに揺れている……。

 暫くすると、青い光のカーテンは深い夜空へと少しずつ吸い込まれていき……。


 キラッ、キラッ!


 と、最後にダイヤモンドの結晶のような小さな幾つもの光を放った。

 無数に散った光の粒は、その輝きを保ったまま、優衣達の目の前に迫って来る。

 次第に鮮明に映しだされるその光の正体は……。

 可憐な花のような衣装を身にまとい、虹色に輝く羽を広げ、キラキラと煌めく光を振り撒きながら真っすぐに近付いてくる。

 フェアリーと呼ばれるのにふさわしい、あの美しい妖精達である。


「キャーーッ」


 この世のものとは思えないその姿に魅了され、ただ茫然と立ち尽くす優衣……。

 妖精達はおじさんの前に整列し、その羽を休めた。

 お互いに見つめ合い、交信のような儀式が始まる。

 大きなモミの木の下で、妖精達の不思議な時間が流れる……。


 やがて、羽を広げた妖精達が、優衣の目線まで上がってきて丁寧に会釈をする。


「あっ、ど、どーも」


 そして、再び羽を輝かせ、遠い星空に消えていった。


 あっという間に空は元の暗さを取り戻し……、再び雪が降り始めた。

 木々達は、またざわめき始め……、いつもと変わらない空気が流れだす。

 夢のような出来事に、放心状態の優衣。

 おじさんは満足げに、優衣の顔を見上げている。


『……ユイ』


「……え?」


 辺りを見渡し、優衣は我に返る。


「おじさん! 今のって、夢?」


 興奮しながら、おじさんの前にしゃがみ込んだ。


『夢じゃないヨ! ワタシからのクリスマスプレゼント』


「プレゼント?」


『ソッ! コノ帽子のお返し』


「……うっそーっ!」


『イヤッ、本当』


「じゃあ、さっきの妖精達は、おじさんの知り合い?」


『知り合いというよりは、モー家族ダネ』


「家族⁉︎ なんか、種類違うような気もするけど……。でも、凄い! おじさんて、凄いよーっ」


『イヤッ、それほどデモ……』


 感動を抑えきれなくなった優衣は、勢いよく立ち上がってもう一度空を見上げた。

 真っ白い雪が舞う、果てしない夜空が広がっている。


「 夢みたい! 素敵過ぎるっ」


 ゆっくりと視線を下ろすと、同じように空を見上げおじさんも嬉しそうに微笑んでいる。

 優衣は、冷えきったおじさんを揃えた両手のひらに乗せて言った。


「おじさん……。おじさん、ありがとう。最高のプレゼントだよ! 私、おじさんに出逢えてほんとによかったぁーっ」


 瞳をキラキラさせながら、おじさんをじっと見つめている。


『ワタシもダヨ。ワタシもユイに出逢えてヨカッタ』


「本当に」


『本当、本当。ヘックシュン! 寒っ』


「大丈夫!? 妖精も風邪とかひくの?」


『ヒク、ヒク。熱もデル』


「まじで!」


 慌てておじさんを肩に乗せ、白いマフラーで包み込む。

 そうして、静かに瞳を閉じて心の中で叫んだ。


(神様、ありがとうございます。もう一度おじさんに逢わせてくれて……、あの日あのバス停でおじさんと私を出逢わせてくれて……)


 感謝の気持ちでいっぱいになる……。


『ところで、ユイ! イッタイどの辺で、ワタシが居ない事に気付いたんダイ!?』


「う〜んとね、駅に着く頃だったかな」


『へッ!? って事は、ワタシを置き去りにしてバスに乗っちゃったのカイ?』


「うん?」


『ワタシが寒さに震えながら下山してたアノ時、ユイは、アッタカ〜いバスの中に居たのカイ?』


「う、うん……」


『ヒドッ』


 間近で睨むおじさんを、優衣は見て見ない振りをする。


(まずーい……、すぐに気付いたって言っとけばよかった。あ〜あ、怒っちゃってるよ)


 おじさんをチラチラ見ながら、言い訳を考える……。


「あーっ!!」


 優衣は、凄いことを思いだした。


「おじさん、そんなこと言っちゃっていいの!?」


『ハッ!?』


 睨み合う2人……。


「凍り付く冬の雪山で、私が遭難しそうになりながらも必死におじさんを探してた時!」


『ヘッ?』


「おじさんは、あったか〜いヒーターの傍でスヤスヤと眠ってたんじゃないの?」


『イヤ、ネテナイ、ネテナイ……』


「絶対、寝てた!」


『アッ、ユイ! オカーサンだ』


「何それ? そうやってごまかすつもりでしょ!」


 おじさんの視線の先に目をやると、真っ暗な山の中に、ほのかな灯りが見えていた。


「本当だ!」


 その灯りは徐々に大きくなり、強く眩しいライトとなって、優衣達に近付いてくる……。

 間違いなく母親の車である。


「うわっ、怖い!」


 おじさんを肩に乗せたまま、車道に向かって歩きだす……。

 やがて、優衣達の目の前に、恐ろしいくらいに眩しく光る白い車が停まった。


(運転してるのは、鬼かもしれない……)


 恐る恐る車に近付くと、

 不気味な音をたてて、運転席の窓がゆっくりと開かれた。


「あっ、お母さん」


 車窓から、憔悴しきった母親の顔が覗く。

 優衣達の姿に安心したのか、瞳に涙を浮かべる母親に、もう怒鳴りつける力はない。


「早く乗りなさい」


「はい」


 遠慮がちに、後部座席に飛び込む優衣。


「怪我してない?」


「うん」


「妖精さんは無事なの?」


『オカーサン! 心配掛けてスミマセン……』


 おじさんはマフラーから身を乗り出し、母親の顔を覗き込んだ。


(あっちゃーっ! 先に言われちゃったし)


「こちらこそ、すみませんでした」


 母親が振り返って、申し訳なさそうに頭を下げる。


「お母さん、ごめんなさい」


 おじさんに便乗するように、優衣も謝ってみたが、


「………………」


 母親の返事はない。


(えっ、無視!???)


 黙ったまま、ゆっくりと車を発進させる。

 険悪な空気の中、ウトウトと眠りに誘われる優衣とおじさん。同じように、首を傾けて……。

 そんな2人の姿をミラー越しに見る母親は、涙をこぼしながら微笑んでいる。

 やがて、車は静かな街に入り……、ようやく暖かい家に到着した。


「優衣、着いたわよ」


「う〜ん……」


 ぼんやりと窓の外に視線を向け、家の前に恐ろしい人影を発見。

 腕を組んで仁王立ちしている父親の姿が、寝起きの優衣の目に飛び込んできた。


「お母さん、どうしよーっ!」


「さぁ〜? 自分で考えなさい」


 突き離すように言い放つ母親は、いつもの顔色に戻っている。


「うわっ、意地悪!」


 次なる試練に立ち向かう覚悟を決め、優衣はしぶしぶと車から降りた。


「ただいま〜」


 母親の後ろに隠れるように、父親の前を通り過ぎようとする。


「何時だと思ってるんだっ!」


「ごめんなさい……」


 立ち止まって、父親と向かい合う。


「……とにかく入りなさい」


「はい……」


 玄関に入るとすぐに、2階に上がろうとしている陽太とすれ違った。


「陽太も、ずっと探してくれてたのよ」


 母親が、靴を脱ぎながら説明する。


「陽太、ごめん」


「バーカ、姉ちゃんを心配してたんじゃねーよっ」


「くっ!」


(悔しいけど、今は言い返せない……)


 言葉を呑んで、玄関を上がる。


「着替えたら、すぐに下りてきなさい」


 これから始まる“お説教”を予告してから、父親はリビングに消えていった。


(まじでーっ! ちょー疲れてんですけどっ)


 絶望的な気分で、2階へと上がっていく。


「うわぁ〜、あったかぁ〜い」


『ポッカポカ〜』


 煌々と明かりが灯されたサンルームでは、クリスマスツリーが色鮮やかに煌めいている。

 足元いっぱいに広がる赤いホットカーペットが、冷えきった2人を暖かく迎え入れてくれる。


「お母さん、あっためてくれてたんだね」


『オカーサンに、そんな余裕はなかったデショ』


「そう、だね……。えっ、陽太?」


『ウ〜ン……。オトーサンかもネ』


「えっ、それはないよ! あれ、そういえばおじさん、ずっとそこに居た?」


 肩の上に乗っているおじさんを、不思議そうに見る。


『ズット居た……』


「やっぱり……、お父さんには見えないのかなぁ?」


『何でカナァ』


 考え込む優衣に、睡魔が襲う……。


「優衣ーっ! お父さんが呼んでるわよーっ」


 下から叫ぶ母親の声で、目が覚めた。


「もーっ、お母さんは頼りにならないんだから」


 ブツブツとぼやきながら、階段を下りていく。


 それから優衣はリビングに連行され……、


「なんで、携帯の電源を切るんだっ!」


「それは、色々あって……」


「きちんと説明しなさいっ!」


「えーっと……」


 監禁状態は続き……、テーブルの上のごちそうにお腹が鳴る。


 父親は、おじさんのことには一切触れず、成績や生活態度について深く攻めてきた。


 釈放されたのは午前1時過ぎ……。

 こうして、優衣16歳のクリスマスイヴは、長〜い1日の幕を閉じた。


「って、もうイヴ終わっちゃってるし……」


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