繋がる心(後編)

 優衣は急いで、真っ暗なサンルームに向かう。


「起こしちゃおっかな〜」


 暗さにも目が慣れ、廊下から差し込む一筋の明かりでサンルームの中がはっきりと見えてくる。

 その時、優衣は自分の目を疑った。


「えーっ!」


 いつもおじさんが寝ている場所に、おじさんの姿はない。

 慌てて、電気のスイッチを入れてみる。


「嘘でしょーっ!」


 そこにあるはずのおじさんのベッドや机、椅子までもが全て消え、おじさんが来る前の元のサンルームに戻っている。


「どういうこと!?」


 優衣は、陽太の部屋に飛んでいった。


「陽太、起きて! おじさんが居ないんだけど」


「うーん、zzz……」


 何度呼んでも、揺さ振ってみても、陽太は目覚めそうにない。


 ベランダや廊下、2階の全てに明かりを点けて、必死におじさんを探し始める。


(なんで! なんで居ないの⁉︎ 私があんなこと言っちゃったから?)


 おじさんとのやり取りを思いだしながら、階段を下りてリビングに向かう……。

 テーブルの下や椅子の下、全ての場所を細かくチェックしていく。


「何してるんだ!」


 物音に気付いた父親が起きてきた。


「あっ、お父さん! ちょっと探しものしてるんだけど……、お母さんは?」


「お母さんならとっくに寝てるよ! そんなことはもう朝にして、早く寝なさい」


「は〜い……」


 不満げな返事を残しながら、しぶしぶと自分の部屋に戻っていく。


「そういえば、さっき陽太が、おじさんを追い出したとかなんとか言ってたけど……。まさか、私のせいで本当に出てっちゃったの?」


 泣きながら、優衣は部屋の窓を勢いよく開けた……。

 空には満天の星、そして、街灯に照らされた白いバス停がそこにある。


「もしかして!」


 何かに気付いた優衣は、足音を立てないように階段を下りていった。

 玄関のドアをそっと開けて、静かに外に出る。

 そのまま、バス停に向かって全速力で走りだす。


 真夜中の静寂も……、暗闇の恐怖も……、何も感じられないほど無我夢中になって……。


 バス停に辿り着いた優衣は、息を切らしながら待合所の中に入っていった。

 蒼白い街灯の明かりがうっすらと差し込むそのベンチの下を覗き込む。


「あっ、やっぱり!」


 そこには、あの日と同じように、忙しそうに動きまわる3人の妖精達が居る。

 あの時、同じ小人に見えた妖精達……。けれども、今は、その違いも歴然としている。


 1番手前に居るのは、柔道着を身にまとい白い顎髭を生やした、おじさんより年配の妖精。

 その後ろに居るのは、緑色のジャージを着た、おじさんより少し若いと思われる背の高い妖精。

 そして、1番奥に居る青いジャージを着た妖精のおじさんは、優衣にとって、もうかけがえのない特別な存在である。


「おじさーーん!!」


 3人の妖精達が、一斉に振り返った。


「おじさーん、ごめんなさーいっ! 私、ひどいこと言っちゃって……。お願いだから帰ってきてーっ」


『ユイ……』


 涙ぐむ優衣を、嬉しそうに見つめるおじさん……。

 2人の妖精に歩み寄り何かを告げると、優衣の方へと歩いてきた。


『外にデヨ』


 待合所を出た2人は、月明かりに照らされたラベンダー畑の真ん中の道で向かい合った。


『ワタシも、ユイに会いに行こうとしてた所ダヨ』


「えっ、じゃあ、おじさん帰ってきてくれるの?」


 嬉しそうに、優衣はおじさんの前に膝まずいた。

 けれども、おじさんは首を横に振っている。


「じゃあ、どうして?」


『……ユイに、お別れを告げるタメニ』


「お別れ?」


 おじさんは、静かに頷いた。


「私が、あんなひどいこと言っておじさんを傷付けちゃったからだよね! 自分が苦しいからっておじさんに当たったりして……」


 うずくまって泣きだす優衣。


「おじさんはいつでも私の為を思って大切なことを教えてくれてたのに……。もう、私ってほんとっ最低だよ! ヒック、ヒック……」


 おじさんは慌てて、優衣の顔を覗き込んで言った。


『ユイ、ソレは違うヨ!』


「ヒック、ヒック……」


『確かに、ちょっとショックもあったケド……。デモ、ユイが真っすぐに向き合ってクルって事は、ワタシを信頼してクレルようになったって事ダカラネ。ユイとの別れが、益々辛くなっちゃったナァ』


「おじさ〜〜ん、ヒック、ヒック……」


『誰ダッテ、苦しい時は1人じゃ耐えられないんダヨ! ソンナ時は、心を許せる人に思いっきり甘えればいいんじゃナイノカイ?』


「……おじさん、怒ってないの?」


『怒ってナイヨ』


「よかったぁ! それなら、もうお別れだなんて言わないでっ」


 おじさんは頭を掻きながら、淋しそうに優衣を見つめている。


『ユイ……、ワタシの役目は終わったんダヨ』


「役目って……、どういうこと?」


『忘れたのカイ? ワタシは心を逞しく成長させる妖精! 優衣に課せられた使命は、素直な気持ちを伝えラレルようにナル事!』


「えっ……」


『自分の気持ちを伝える為には、勇気や覚悟という強さが必要ダカラネ。心が逞しくナケレバ出来ないんダヨ……。ユイの心は、モー大丈夫! 今のソノ気持ちを忘れないで、素敵な女性になってオクレ』


「無理だよ! おじさんが居てくれなきゃなんにもできないよっ。ヒック、ヒック……」


 泣きながら、首を横に振る優衣。

 おじさんは、ただ優しく見つめている。


『ソレニ……、ユイにはオータニが居るじゃナイカ』


「大谷って……、どうして? おじさん嫌がってたじゃない」


『ソレは……、オータニはユイの1番ダカラ……、悔しかったんダヨ』


 体裁悪そうに、おじさんが下を向いている、


「おじさん……」


 優衣は、揃えた両手のひらにおじさんをそっと乗せた。


「おじさんと大谷は違うよ! おじさんが居なくなっちゃうなんて考えられないよっ」


 誇らしげにジャージの上着を引っ張って、おじさんは背筋を伸ばした。


『大丈夫! ユイには、最高の友達や家族も居るカラ』


「友達や家族? あっ、そういえば、おじさんが居ないっていうのに、お母さんも陽太も爆睡しちゃってんだよ! なんか、本性見ちゃったって感じ」


『ソレは……、ワタシとの記憶は、モー消えてしまってるカラネ』


「えっ! おじさんとの記憶、消しちゃったの?」


『ソッ! ソレが、妖精界のオキテ……』


「まさか、私の記憶も消しちゃうなんてことないよね?」


 手のひらの上のおじさんを、優衣はじっと見つめる。


『ユイとの楽しい日々は、ユイの分も……、ワタシがしっかりと心に刻んでおくカラ』


「やめてよっ! そんなことしないで! おじさん、ひどいよっー……。おじさん……、傍に居てよっ。ヒック、ヒック……」


『ユイ、モー泣かないでオクレ……。ユイは笑ってる顔が1番! ユイの笑顔は、妖精のワタシから見ても最高ダカラネ』


「おじさん……、どうしても行っちゃうの? ヒック、ヒック……」


『ソッ!』


「どうしても、どうしても、どうしても!? ヒック、ヒック……」


 おじさんは、大きく頷いた。


 地平線がほんのりと赤い色に染まり、暗闇がじわじわと明けていく……。


 泣きながらおじさんを見つめる優衣の胸に、おじさんとの日々が鮮やかに蘇る……。


 雨降りのバス停で出逢った、調子のいいおじさん……。

 大好物の金平糖を、美味しそうに食べるおじさん……。

 自分を天才だと自慢する、自意識過剰なおじさん……。

 ふわふわおっぱいが好きな、ちょっとエッチなおじさん……。

 ポケットの中から嫌みを言う、子供のようなおじさん……。

 大谷にやきもちを妬く、可愛いおじさん……。

 優衣との別れを辛いと言ってくれる、素敵なおじさん……。


 優衣は今、おじさんの全てがたまらなく愛おしい。


 朝焼けで真っ赤に染まった空が、朝露に濡れる紫色のラベンダー畑をゆっくりと映しだす……。

 深い青と燃えるような赤、鮮やかな紫色のグラデーションに包まれた幻想的な世界……。


 涙でいっぱいの優衣の瞳に映るおじさんは、涙ををこらえて優しく微笑んでいる。

 優衣は、手のひらを引き寄せておじさんを胸に抱きしめた。


 心と心が繋がる、あたたかい感覚……。

 おじさんに出逢えた奇跡に感謝する……。


 荷物を抱えた2人の妖精が待合所から出てくると、おじさんは優衣の手のひらからスーッと下りていった。

 緑色のジャージを着た背の高い妖精から手渡された荷物には、優衣が編んだ帽子と母親が作った靴下がきちんと重ねられている。


「おじさ〜〜ん! エェーンッ……」


『ユイ……、ワタシの大好きな笑顔で見送ってオクレ』


「こんなに悲しいのに、笑える訳ないじゃーん! ヒック、ヒック……」


 おじさんは優衣を愛しそうに見つめながら、荷物を背負った。


『ユイ……、アリガトー』


「嫌だよ、エェーーンッ……」


 おじさんは泣きじゃくる優衣を気にしながら、2人の妖精のあとを追っていった。

 3人の妖精達が、朝陽に向かって歩きだす……。


(素直じゃない私に、たくさんの大切なことを教えてくれたおじさん……。私は、おじさんに何もしてあげられないの?)


 優衣は、涙を拭いて立ち上がった。


(せめて、お礼くらい……。お礼だけは言わなきゃ!)


 優衣は、おじさんの後ろ姿に向かって大きな声で叫んだ。


「おじさーーーんっ! おじさん、ありがとーーーーーっ!! おじさんと出逢えてよかったぁーーーっ! おじさーーんっ、だーい好きだよーっ!」


 優衣の声が赤い空に響き渡ると、右端を歩いていたおじさんは真っ赤な目をして振り返った。

 笑おうとする優衣の瞳からは、涙がこぼれ落ちる……。

 優衣は泣きながら、思いっきり手を振った。

 おじさんも涙を拭いながら、手を振っている。


『ユイーーーッ! 幸せになってオクレーッ』


 朝の太陽が眩しい光の矢を放ちながら燦然さんぜんと輝いた時、それぞれの任務を終えた3人の妖精達は遥か遠くに消えていった。


 まるで眠りに就くかのように、その場に倒れ込む優衣。


 おじさんと出逢ったこと、おじさんと過ごした日々、おじさんとの記憶は全て失った。


 *


 チチッ、チチチ、チュンチュン……、


 小鳥のさえずりで目覚める朝。


 ピピッ、ピピピ、ピピッ、ピピピ……、


 すぐに携帯のアラーム音が鳴る。


 いつもの朝……。

 けれども、優衣には何かが違う爽やかな朝。


 音を止めるのと同時に、大谷からのラインが届いた。


〝いつものバスに乗る〟


「そっか、今日から私、大谷の彼女なんだ〜。あっ! ってことは、大谷は、私の彼氏?」


 相当な浮かれ状態で携帯を握り、テンポよく階段を下りていく。


 家族で囲む、慌ただしい朝の食卓。


「姉ちゃんにも、やっと春が来たかぁ」


「どういう意味?」


「うちが平和になるって意味」


 意味ありげに笑いながら、牛乳を一気に飲み干す陽太。


「ったく、生意気なんだからっ」


 父親は黙って新聞を読み続け……、


「ほら、急ぎなさいっ」


 母親は相変わらず急かし続ける。


 テーブルの真ん中には、ガラスの器に入った色とりどりの金平糖が、今日もキラキラと輝いている。


 *


「行ってきまーす!」


 玄関のドアを開けて、眩しい光の中へ……。


「あ〜っ、いい香り〜っ。また、この季節が来たんだぁ」


 煌めき香るラベンダー畑を通り抜けて、バス停に向かう。


 今年も、紫色の風が心地いい……。


「おはようっ」


 緊張しながら、いつものバスに乗る優衣。


「おはよ」


 照れくさそうに、いつもの場所に大谷が立っている。


(私達って、付き合ってるんだよね〜)


「1時間目、何?」


「えっ?」


 いつもの調子で、あっけらかんと話し掛けてくる大谷。


「古典だったかなぁ」


「古典かぁ……。俺ら、体育! しかもサッカー」


「あっ、そうなんだぁ」


「俺の活躍、まじで凄いから」


(はっ! 結局、またまた自慢っ!?)


 バスが停まると、試験前の為、朝練のない瑞希が乗り込んでくる。


「あ〜っ、そっかぁ……。2人……、そうだったんだよね〜っ! 嫌だぁ、気を効かせて違うバスに乗ればよかったぁ。もーっ、朝からラブラブなんだからーっ」


「何、言ってんの! いつもと一緒だから、ねっ大谷!」


「おーっ。いつもと変わんねーよ」


 照れる2人を、瑞希が面白がる。


「あっ、大谷、昨日はごめん……。でも、まぁ、私のお蔭って感じ?」


 真剣に謝りながらも、瑞希がニヤニヤと笑いだす。


「はっ、そんなんじゃねーし!」


 学校の近くの停留所に到着すると、大谷は逃げるようにサッサと先に行ってしまった。


 あとを追うように、優衣達も学校へと急ぐ。


「瑞希、色々とありがとね。沙也香にもちゃんと伝えたから」


「そっか」


「そうそう、沙也香に聞いたんだけど……。A組のあの厳つい女達に、瑞希が話を着けてくれたんだってね」


「あぁ、あの中にはバスケ部のメンバーも居たし……、なんたって私には深沢が付いてるから」


「えっ、深沢ってそんなに強いの?」


「あっ、深沢というより深沢のお父さん!」


「お父さん?」


「うん! 警察官だから」


「そうなのーっ! じゃあ、深沢も警察官になっちゃったりして?」


「多分ね。先祖代々、続いてるらしいから」


「へぇーっ、なんか合ってるーっ」


 おじさんとの記憶は消えてしまっても、なぜか、微かな感覚だけは残っている。


「優衣ーっ! 瑞希ーっ!」


 嬉しそうに追い掛けてくる沙也香。


「あっ、沙也香っ」

「おはよーっ」


 久しぶりに、3人揃って歩きだす。


「あのね、私、2人に話したいことがあるの」


「なーに?」

「どうしたの!?」


 2人揃って、沙也香の顔を覗き込む。


「実はね、第1志望校を桜花美大に変更しました!」


「桜花美大って……」

「うっそーっ!」


 顔を見合わせて驚く2人。


「医者にならなくていいの?」

「親は認めてくれたの?」


「うん! 思いきってパパとママに、“美大に進学して、もっと絵の勉強をしたい!”って話してみたの」


「うんうん!」

「それで?」


「最初は呆れてたけど、“沙也香の人生なんだから、自分の思うように生きればいい”って……、ちょっと胸が痛んだけどね」


 沙也香は、今までに見たことのない明るい笑顔で話し続ける……。


「よかったね、沙也香!」


 笑顔で、沙也香を見つめる優衣。


「あの、沙也香……。私、何も分かってないのに色々とキツいこと言っちゃって……、ごめんね」


 潔く謝る瑞希。

 沙也香は首を横に振りながら、優しく微笑んだ。


「確かに、言われた時はかなり落ち込んだけど……。でも、2人のキツーい言葉があったから、前に進めたの」


 涙いっぱいの瞳で、3人が微笑み合う……。


「じゃあさ、仲直りの記念に、学校終わったらドーナツ食べに行かない?」


「あれっ、瑞希、今日は深沢と一緒に試験勉強するんじゃなかったの?」


「それがね……。クラスの男子と勉強するって約束が、今日になっちゃったんだって! “友達大事だし”とか言っちゃって、まじでムカついたし! こっちだって、友達が1番だっつーのっ」


 ふてくされる瑞希を、2人は控えめに笑う。


「それなら私達も、ドーナツでパワー充電して勉強頑張ろーっ! 沙也香も行けるでしょ」


「もちろん!」


 *


 そして、放課後……。


「早川優衣、一緒に帰ろ」


 大谷が、B組の教室に入ってくる。


(えっ、そんな堂々とーっ? 一緒に帰ろうって……、瑞希達と約束しちゃってるし)


「あっ……」


 焦る優衣に、驚くクラスメート。

 そこに沙也香も現れ、優衣はもうパニックに!


(恋か? 友情か? やっぱり、女の友情を優先させるべき?)


「大谷、あのね……」


 優衣が説明に入ろうした、その時、


「優衣ーっ、じゃあね! バイバーイ」


「えっ?」


 教室の入り口に立っている沙也香と走り寄った瑞希が、いたずらっぽい笑顔で手を振っている。


「ちょっ、待っ、ドーナツ!」


 慌てる優衣を笑いながら、瑞希が叫ぶ。


「たまには、優衣抜きで沙也香と語りたいからーっ」


「はっ! 何それ」


 その言葉を聞いた沙也香が、嬉しそうに瑞希の腕に絡み付いて叫ぶ。


「そこの2人ーっ、ケンカしないで仲良くね!」


「ラブラブ〜っ」


 ひやかしながら、あっさりと背を向けると、2人は腕を組んで楽しそうに行ってしまった。


「いいの?」


 キョトンとしながら、大谷が優衣を見る。


「うっ、うんうん!」


 一瞬の出来事に唖然とする優衣。

 ドーナツを引きずったまま、大谷と仲良く学校の門を出る。


 下校する学生達を乗せたバスは、賑わいながらやわらかい光の中を走り抜けていく……。


 飛び交う、楽しげな会話……。重なる笑い声……。

 同じ空間に居るというのに、窓の外を眺めながら並んで立つ大谷と優衣の間には、どことなく不自然な空気が流れている。


(私から、なんか話した方がいいの? いつもどんな感じだったけ……)


「いい天気だねっ」


「だな」


(えっ、終わり!???)


 再び、沈黙……。


「……はぁーっ、試験かぁ。ヤバいなぁ」


「うんっ、やばい、やばい! 早く解放されたいよ」


 会話が復活し、優衣はホッとする。


「ねぇ、ノート貸してくんない?」


「えっ、どの教科?」


「全教科!」


「はっ! 今更ーっ」


 呆れきった顔で、優衣は大谷を見上げる。

 その瞬間、バスが急停車した。


「そっ!」


 間近で、優衣を見下ろす大谷。

 無邪気な笑顔が迫っている。


(まじで無理っ。近過ぎる! こんなんじゃ心臓もたないよーっ)


 紫色の香りでいっぱいのバス停に降りた2人は、試験範囲を確認しながら並んで歩く……。


「試験終わったら、どっか出掛けよっか」


「えっ、ほんと? どこどこ、どこに行く?」


 初めてのデートに、はしゃぐ優衣。


「ゆいの行きたいとこ」


「えっ……、今、ゆいって言った?」


「あのなーっ、こっちは必死に言ってんだから軽く流せよ」


「プッ、だってぇ〜。なんか笑っちゃうーっ」


「バーカッ、もう言わねーよ」


「うそ、うそ、もう笑わない! じゃあ、私も呼んでみるね」


 大谷が、優衣を見つめる。


「……じゅんぺー」


 いつもの笑顔で、右手を差し出す優衣。


「おー」


 大谷は思いっきり照れながら、差し出されたその手をしっかりと握った。


 幾つもの時を越えて、再び繋がれた手と手……。

 その2つの魂は、同じ時間ときを刻める喜びを、今、噛み締めている……。


『モー、ソノ手を離すんじゃナイヨ!』


「えっ?」


 優衣には、そんな声が聞こえたような気がした。


 オレンジ色の夕陽に照らされてキラキラと輝くラベンダー畑。

 その真ん中の道に、幸せいっぱいに映しだされた2つの影……。

 と、小さな小さな1つの影……。




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