第3章 真っ白い冬

憂鬱な約束

 初雪が、ひらひらと舞っている……。


 何度も目を覚まし、サンルームの天井を気にしているおじさん。

 夜半過ぎから降り始めたその雪は、夜が明ける頃には全てのものを真っ白に塗り替えていた。


『ユイ、ユイ!』


 ドアの隙間から入り込み、ベッドを見上げているおじさん。


「うーん、zzz……」


 暖かいベッドの中で、優衣は眠り続けている。


『ユイ、起きてオクレ! 外はもう真っ白ナンダヨ』


「……雪、積もってるんだぁ」


『積もって積もって、モー凄い事にナッテルヨ! 早く、早く起きて見てオクレ』


「うーん、これからは毎日見れるからいいや」


 ふかふかの布団に頭までスッポリと潜っていき、また眠りに就く。


『ユイは、分かってナイナァ』


「………………」


 ベッドを気にしながら、おじさんが大きな声で話し始める。


『ソノ年、初めて雪が降った日は、雪の妖精達がお祝いに駆け付けてルノニ』


「………………」


『ダカラ、どんな雪よりも綺麗に輝いているんダケドナァ』


「……まじ!?」


 布団から、少しだけ顔を出す優衣。


『ウン。真面、真面!』


「1番輝いてるの?」


『ウンウン、キラキラーッとネ』


「本当に?」


 勢いよく起き上がって、優衣はベッドから飛び下りた。


「寒っ」


 パーカーを羽織って、おじさんを手のひらに乗せると、急いでサンルームに向かう。


「キャーッ、本当だーっ!」


 周りの家の屋根も、ラベンダー畑も、バス停も、全て真っ白。

 目の前には、雪の結晶一粒一粒がキラキラと輝く、目に眩しい真っ白い世界が広がっている。


 ベランダに駆け寄って大きな窓を勢いよく開けると、一気に冷たい風が吹き込んできた。


「おじさん! ほんとにキラキラだね」


『デショ!』


 優衣の手のひらからスーッと下りていき、おじさんは得意気な顔でベランダに積もっている雪の上に立った。


「あれ? その靴下どうしたの」


 おじさんは、毛糸で編まれた暖かそうな白い靴下を履いている。


『コレ、オカーサンからのプレゼント』


「お母さんから?」


『手袋の指先を、チョンギッテ作ったんダッテ』


「えーっ!」


『コノゴム入れるのに、3時間程掛かったラシイ』


「どんだけ不器用なのー」


『アッタカクて、嬉しいヨ』


「そっかぁ……。よかったね、おじさん」


『ヨカッタ、ヨカッター』


 不器用な母親の駄作に2人で盛り上がっていると、サクッ、サクッ、と、誰かが雪道を歩く音が聞こえてきた。

 ベランダの柵の隙間から、2人揃って玄関の方を覗き込む……。


「なっちゃん?」


 学校指定のコートを着た夏月がポーチで立ち止まり、優衣の声に反応してベランダを見上げた。


「あっ、ゆいちゃーん! おじさーん!」


 元気いっぱいな笑顔で、手を振っている。


「凄い雪だよー! 陽ちゃんが早めに行こーって……」


 話しの最中で、玄関のドアが勢いよく開き、陽太が飛び出てきた。

 その陽太の頰に、夏月は持っていた雪を当てて、いたずらっぽい笑顔を優衣とおじさんに向けている。


「何すんだよ!」


 陽太が嬉しそうに夏月を追いかけると、夏月は「行ってきまーす!」と叫びながら雪道を逃げていった。


『ナツキは可愛いナァ』


 おじさんが、デレデレと夏月に手を振っている。


「若いって、いいわね〜」


 嫌味っぽくぼやく優衣は、微妙に面白くない……。


『ユイは若くないのカイ?』


「えっ? 若いに決まってるじゃん! っていうか、私はどう見えてんの?」


『ユイは〜……、寒っ』


 考えがまとまらなかったのか、おじさんは肩を竦めながらサンルームへと戻っていった。


「もーっ、おじさんが誘ったくせに! あっ……」


 優衣は、朝の挨拶運動があることを思いだした。


「ちょっと、今、何時?」


 おじさんのあとに続いて、優衣も急いで部屋に戻る。


 *


 濃紺のダッフルコートに身を包み、優衣は白い道を歩いていく。


「冷たっ」


 久しぶりの雪を手に取り握り締めると、キュッときしむ音がする。

 サラサラと払い落としながら、いつもより1本早いバスに乗った。

 大谷も瑞希も乗ってこないそのバスは、緩やかな速度を保ちながら白い世界を走っていく……。


 環境委員の冬の朝は、正門付近の雪掻きから始まる。

 そして、恒例の挨拶運動。


「おはようございます!」

「お早うございます」


 新しい雪にはしゃぎながら、生徒達が登校してくる。


 賑わう流れが収まり掛けた時、あの男が走ってくる姿が目に映った。

 いつかの朝と同じ……。大谷が、全速力でぐんぐんと近付いてくる。

 なぜか目を逸らせずに、優衣はじっと見つめてしまう。

 その時、反対側に立っていた沙也香が大谷に走り寄っていった。


「おはよう」


 はにかんだ笑顔で、大谷を見つめている。


「あっ、おはよ」


 それに答える大谷。

 そんな2人の行動が、優衣にはなぜか悲しい。


(ヤバい! どうかしてる! 2人が仲良くなったっていいじゃない!)


 身体の向きを変えて、優衣は視界を反対側に移動させた。

 気持ちを切り替えて、普通を装う。


「おはようござ……」


「早川優衣!」


 名前を呼ばれ、その声のする方を振り返る。


 ドサッ! サラサラ。


「ギャッ!!」


 優衣の顔面に、巨大な雪の固まりが直撃!


「ちょっと、何!」


 冷たい雪を払い除けながら、投げた相手を探す……。

 その犯人と思われる男、大谷は、真っ白になった花壇の前で勝ち誇ったような顔をして笑っている。

 その笑顔が……、夢で見たあの軍人の笑顔と重なった。


(あんなの、ただの夢! 大谷と私は、なんの関係もないし)


「もーっ、許さない!」


 負けずに、雪の固まりを投げ返す優衣。それを交わして、逃げる大谷。

 まわりの生徒達をも巻き込み、2人は暴走する……。


 ふと、沙也香の冷たい視線を感じ、優衣は我に返った。

 同時に、本鈴のチャイムが鳴る。

 一気に、校舎に吸い込まれていく生徒達。任務を終えた環境委員も、それぞれの教室へと戻っていく……。


「優衣ーっ! ちょっとお願いがあるんだけど」


 そそくさと階段を上がっていく優衣を、沙也香が追い掛けてきた。


「なーに?」


「実は私、工藤先輩と同じ予備校に通ってて、最近よく話をするようになったんだけど」


「工藤先輩って、ひろ先輩?」


「そう、Mバーガーで優衣達一緒にバイトしてるひろ先輩!」


「そっか。一応、受験生だもんね」


「まぁね。それで……」


 瞳をキラキラと輝かせながら、沙也香が優衣に近付いてくる。


「今年のクリスマス、ダブルデートしないかって誘われたの」


「ダブルデート?」


「うん。工藤先輩、優衣と一緒に過ごしたいらしいの! 私も、大谷と過ごせたらいいなって」


「ちょっと待って! それは……」


 突然のその企画に、優衣は戸惑いを隠せない。

 強引な沙也香に、困惑してしまう。


「優衣、お願い!」


「お願いされても……、だいたいひろ先輩には彼女居るじゃない!」


 階段の踊場で揉める2人の横を、B組の担任が通り過ぎようとする。


「ほらほら、ホームルームが始まるぞ! 早く教室に戻りなさい」


「はーい」


 その場をスルーしようと、優衣は担任の後ろに付いていこうとする。


「ねぇ、優衣! 大谷とのこと応援してくれるって言ってたじゃない」


 優衣の腕に絡みついて、沙也香が更にしつこく迫ってくる。


「応援はするけど……」


「もしかして、優衣も大谷のことが好きなんじゃない?」


「えっ、そんな訳ないじゃん!」


 担任が教室の入り口で振り返り、優衣を睨み付けている。


「わかった。行けばいいんでしょ」


「本当! 優衣、約束だからね」


 細い腕をまわして、優衣に抱きつく沙也香。


(最悪……。あ〜っ、行きたくなーい)


 承諾してしまった自分に腹立たしさを覚えながら、担任の後に付いて教室に入る。


 *


「どうしたの? 朝から元気ないじゃん」


 机の前にしゃがみ込み、瑞希が顔を覗き込んでいる。


(あれっ、もう授業終わってたんだぁ)


 教室を見渡してから、優衣も瑞希に視線を合わせた。

 いつもホッとさせてくれるその顔を見ていたら、胸に引っかかっていることを打ち明けたくなった。


「瑞希、あのさぁ……。実は、沙也香に頼まれて……」


 沙也香との約束を、言いにくそうに説明する。


「何それ! ちょー自己中じゃん!! 断っちゃいなよっ」


 想像以上の瑞希の怒りに、逆に焦る優衣。


「う、うん。あっ、でも」


「今まで黙ってたけど、沙也香ってあんまりいい噂聞かないよ」


 転校生の沙也香は、インテリでプライドも高いと校内での評判は悪い。


「うーん……」


「誰にでも優しい優衣を凄いと思ってるけど、優柔不断な態度は人を傷付けたりもするよ!」


「優柔不断? 私が!」


 瑞希は自分の胸の内だけ伝えると、強気な態度で席に戻っていった。


 ポツンと残された優衣……。静かに、窓の向こうの景色に目をやった。

 どんよりと曇った空からは、また、雪が降りだしている。


(確かにそうかも……。なんだか、沙也香がすごーく嫌になってきた。他に友達居ないからって、いろいろ我慢してきたけど……、なんだか沙也香って面倒くさい!! 友達ができないのだって自分が悪いからじゃん!)


 優衣の心も、この空と同じ。

 自分の気持ちも、ひとの気持ちも、もう何も見えなくなってきてしまった。


 *


 白いバス停に降り立つ優衣。雪は、尚も降り続けている……。


 家までの一本道に深い足跡だけを残し、震えながらサンルームに上がっていく。


「おじさん、ただいま! もう凍っちゃいそー」


『オッ、ユイお帰りー』


「うわぁ〜」


 出迎えてくれたおじさんの向こうには、色とりどりのイルミネーションで光り輝くクリスマスツリーが飾られている。両脇にはポインセチアとシクラメンが交互に並べられ、真っ赤なカーペットまで敷かれている。


『ジングルベー、ジングルベー♪』


 鼻歌を歌いながら、ツリーの枝にぶら下がっているおじさん。クリスマスモード全開の暖かいサンルームで、陽気にはしゃいでいる。

 沈んでいた優衣の心も、一気に明るくなった。


「おじさん、その歌知ってるの?」


『サッキ、オカーサンがコレ飾りながら唄ってたカラ』


「それだけで覚えちゃったんだぁ」


『ダカラ〜、ワタシの頭脳は、一度聞いた事をすぐにインプットできるんダヨ。ナンタッテ、IQが200あるカラネ』


「200って! そんなのあるっ?」


『マァ、人間でいうと、天才ってヤツ!?』


 おじさんは豪快に笑いながら、ツリーの表面を器用に滑って下りてきた。

 着地するのと同時に、優衣のポケットで着信音が響く。


「あっ、沙也香からだ」


 すぐに携帯を開いて、内容を確認する。


《クリスマスの件ですが、優衣も行けると工藤先輩に伝えておきました。場所と時間は、工藤先輩が直接連絡してくれるそうです。優衣のLINE、工藤先輩に教えました》


「えぇーーっ! なんでー! 勝手に教えちゃう⁉︎」


 驚きの声をあげる優衣を、おじさんは迷惑そうに見上げる。


『突然、オーキナ声を出さないでオクレ』


「だってぇ、沙也香酷いんだもーん」


(そっか。無断で携帯教えたこと、大谷が怒るのも無理ないか)


 ブツブツと呟きながら、優衣は1人で納得する。


「そうだ! 素敵なおじさまに、お願いがあります」


 いつになく礼儀正しい優衣を、警戒するおじさん。


『……ナンダイ?』


「クリスマスのダブルデートに付き合って下さい!」


『ダブルのデート?』


「そう! 沙也香から強引に誘われてるの。ひろ先輩や大谷と一緒に出掛けるんだって」


『オータニとーッ!』


「うん」


『ヤダ……』


「そんなこと言わないで付き合ってよー」


『モノ凄く寒いし』


 優衣に背中を向けて、おじさんがお決まりの書き物を始める。


「うん、確かに寒い……。そうだ、いいこと考えた!」


 何かを思い付いた優衣は、嬉しそうにサンルームを出ていった。

 暫くすると、手芸用品の入っている籐の籠を下げて戻ってきた。その籠の中から白い毛糸と棒針を取り出し、黙々と何かを編み始めている。


 書き物をしていたおじさんの手は止まった。優衣の行動を、興味深く観察している。


『何してるんダイ?』


「編み物……」


『アミモノって……。ア〜、女子の想いが入ッテルとか言う手作りのあれカイ?』


「………………」


『ドーセ、オータニへのプレゼントか何かデショ!?』


 笑いを堪えながら、優衣はおじさんの頭を真剣に見つめている。

 おじさんはチラチラと気にしながら、また書き物を始めた。


『アハハッ、ソレはいったい何ナンダイ!? ゴミクソみたいダケド』


 編み物から目が離せないおじさんは、バカにするように笑いだした。


「ひどっ」


 それでも優衣は、編み続ける……。

 おじさんはもう、その編み物が気になって仕方ない。


『ハァ〜ッ……、何だか不愉快ダナァ』


 おじさんはとうとう書き物を投げだして、寝転がってしまった。

 優衣は気にせず、夢中になって編んでいる。

 そのうちに、おじさんは眠りに就いてしまった。


 外では雪がしんしんと降り積もり……、暖かい部屋におじさんの寝息と毛糸の擦れる微かな音だけが聞こえている。


 とても心地良い、静かな時間……。


「おじさん! おじさん起きて」


『ウーン、zzz……』


 眠り続けるおじさんの顔を、じっと覗き込んでみる。


『……ウッ、ウワァーッ!!』


 驚いたおじさんは、後ずさりしながら起き上がった。


「ひとの顔見て、そんなに驚かないでよっ」


『イヤッ、そういう訳じゃナクテ……』


「あっ! そんなことより、見て見てー」


 優衣は、編みあがったものを自慢げにおじさんに手渡した。

 それを手に取ったおじさんは、首を傾げながら不思議そうに眺めている。


『何ダイ、コレは?』


「ちょっと早いけど、おじさんへのクリスマスプレゼント」


『ワタシへの?』


「そう! おじさんの帽子。おじさん、頭が寒そうだから」


『ヘッ!? ユイが編んでいたのは、ワタシの帽子だったのカイ?』


「そうだよ! おじさん、被ってみて」


『ワタシの……、ワタシの帽子……』


 おじさんは瞳をうるうるさせながら、白い毛糸で編まれたその帽子をそっと被ってみせた。


「キャーッ、ぴったりーっ! おじさん、すごーく似合ってるよ」


『ソウカイ?』


 窓ガラスに映しだされた自分の姿を、とても嬉しそうに確認している。


「私って、やれば出来る女なのかもー」


『ユイは、ヤレバ出来る女なのかも、ダナァ』


「じゃあ、おじさん! ダブルデートに付いてきてくれる?」


『当たり前じゃナイカァ』


「本当に! おじさん、約束だからね」


『オッケー牧場!』


 飛びあがって喜ぶ優衣。

 ハイテンションの空気の中、再び携帯が鳴る。


「……まさか?」


 手に取り確認をすると、予想通り、工藤からのラインが届いていた。


「早っ!」


《白樺スキー場に決定! AM9:00、駅に集合》


「おじさん! ダブルデートの行き先はスキー場だって。もう、こうなったらガンガン滑ってやるーっ」


『ヘッ! スキーって、雪山を板で降りてくるアノ危険なスポーツでは?』


「全然危険じゃないよ! 私は、スノボだし」


『ヘッ、巣の棒で降りてくるのカイ?』


 リアルに想像したおじさんが怯えだす……。


「大丈夫! 私、自信あるから」


『……ヤッパリ、止めとこうカナァ』


「おじさーん! 約束したでしょ」


『……シタ』


「着いてきてくれるよねっ」


『………………』


「素敵な妖精のおじさーん!」


 おじさんは黙ったまま頷くと、凄い勢いで何かを書き始めた。

 まるで、全ての記憶を書き残すかのように……。

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