遠い記憶〜前世〜

(えっ…、あの夢の続き?)


 優衣は再び、モノクロの世界を彷徨っていた。


 辺りを見渡してみるが、あの美しい田園風景は広がっていない。

 着物と軍服が、入り混じる景色。その中で……、バンザイ三唱をする人。笑顔でガッツポーズを決める人。抱き合って泣いている人。

 人……、人……、人……。

 そこは見渡す限り、大勢の人でごった返している。


 夢の中に居る優衣は、その人混みを掻き分けながら必死に誰かを探している。

 目の前には、重々しく迫り来る大きな黒い物体。それは蒸気をモクモクと吐き出し、今にも動き出そうとしている。


(あっ、これ教科書で見たことあるっ。確か、蒸気機関車!)


 全体的に黒い材木で覆われたそれは、教科書に載っていたものより少し華奢に見える。けれども、存在感は圧倒的である。


「ここって、どこかの駅?」


 困惑する優衣などお構いなしで、そこに居る優衣がその物体に近付いてく。連なる大きな窓1つ1つを覗き込んで、車内を確認している。

 雑踏の中、必死に探し続けるが、その人はなかなか見つからない。


 着物の乱れも気にせずに、急ぎ足で、ただただ前を向いて進んでいく……。


 やがて、その視線の先に、全開にした窓から身を乗りだし、同じように誰かを探している男を見つけた。


「あっ、……」


 そこに居る優衣が、その男に向かって走りだす。

 前に見た夢で、優衣の主人だと教えられた人……。その人はやはり、


(なんで、大谷?)


 大谷にそっくりなあの軍人が、走り寄る優衣を見つけ嬉しそうに微笑んでいる。

 信じられない光景に、目を見張る本当の優衣。

 その軍人は、真っさらな軍服を凛々しく着こなし、何かが書かれたたすきを掛けている。これから戦地に旅立っていくということは一目瞭然である。


(えっ……、大谷、戦争に行っちゃうの!?)


 動揺する優衣とはうらはらに、そこに居る優衣はいたって凛として、大谷を見送る人達に丁寧に挨拶をしている。


 その時、汽笛が悲痛な声を挙げ、重苦しく鳴り響いた。


 ゆっくりと走りだす汽車……。


(嘘っ! まじで行っちゃうの?)


 優衣はただ1人、その速度に合わせて歩きだす……。

 人混みを掻き分けながら……、大谷から目を離さずに……、ひたすら前へと進んでいく。


 見つめ合う2人……。

 次の瞬間、何かを言おうとした大谷は、言葉の代わりにそっと左手を差し出した。優衣はすぐに、その手を握る。


 しっかりと繋がれた手と手……。

 恋しそうに、優衣を見つめる大谷。


「大谷! ダメだよ!! 降りた方がいいよ!!」


 思わず優衣は叫んでいた。

 けれども、そこに居る優衣は、溢れそうになる涙を堪え、必死に笑顔を作っている。


 汽車の速度が増していく……。

 それでも優衣は、大谷の手を離さずに追い続ける。

 更に、速度が増していく……。

 汽車が無情に勢い付いたその時、

 大谷は思いっきり身を乗り出し、最後に優衣の手を力強く握ると……、

 名残惜しそうにその手を離した。


 どちらの優衣も、もう自分の感情を抑えることができない。

 そこに居る優衣が叫ぶ。


「ぜったい、絶対に帰ってきて下さーい!」


 優衣が叫ぶ。


「大谷ーーーっ!!」


 大谷は悲しそうに微笑みながら、大きく頷いた。


 手を振る大谷が、小さくなっていく……。

 優衣の頬を、涙がポロポロとつたう。


 愛しい大谷が行ってしまった。

 切ない笑顔を、優衣の胸に残して……。


 深い悲しみに、押し潰されそうになる心。あまりの辛さに体は震え、もうとても立ってはいられない。

 優衣は、その場に泣き崩れた……。


 行き交う人達が、優衣につまづく。

 殺気だった人達が、優衣を蹴飛ばす。

 けれども優衣は、

 もう痛みすら感じられないほど、生きる希望を失っていた。

 たった1人、暗闇に取り残されていた……。


 そんな絶望的な優衣を支えてくれる、優しい手。抱きかかえ、自分の体を張ってかばってくれている。


「大丈夫ですか?」


 声を掛けられた優衣は、その人の顔を見て驚いた。


(えっ、瑞希?)


 瑞希にそっくりな女学生が、優衣の着物の汚れを払い落としてくれている。


「私の兄も、今の汽車で発っていきました。お互い辛いけれど、頑張って帰りを待ちましょうね」


 瑞希によく似ているが、よく見ると、品のいいお嬢様である。


「ありがとうございます」


 優衣は、やっとの思いで立ち上がった。


「痛っ!」


 その瞬間、背中に激しい衝撃が……。

 振り返ると、警察と思われる制服を着た男が、木刀のようなものを振り上げている。


「えっ、深沢?」


 更に驚いたことに、その男は瑞希の彼・深沢にそっくりである。


「どけっ、邪魔だ!」


 優衣を怒鳴り付け、また次の目的に向かって歩きだす。

 やがて、ザワザワとざわめく人波に消えていった。


(ふ、深沢、ふざけんなーっ‼︎ )


 取り乱す気持ちを抑え、通路の端に寄る。瑞希にそっくりな女学生に支えられながら、着物の裾を整える。


「あいつ、最低だね」


 優衣は、同意を求めてみた。


「……え?」


 その女学生は、優衣の顔を不思議そうに見つめている。

 かなりまずいような気がして、優衣は次の言葉を飲み込んだ。


「もう、大丈夫ですね」


 安心した女学生は、瑞希と同じ顔でにっこりと微笑んだ。


「はい、本当にありがとうございました」


 お礼を言ってから、優衣は考えた。


(怖いけど、ちょっと聞いてみちゃおっかなー)


「あの〜」


「はい?」


「今って、何年でしたっけ?」


「おかしなことを聞きますねー。27年じゃないですか」


「あっ、そうでした! 27年ですよね」

(これ以上は、もう聞けない……。怪し過ぎるよーっ)


 とりあえず、優衣は納得した振りをした。


「1人で帰れますか?」


「はい、もう大丈夫です」


「では、ごきげんよう」


「あっ、ごきげんで」


 その女学生は、優衣の変な挨拶と笑顔に微笑みを返し、人混みに消えていった。


 訳も分からず……、優衣も歩きだす。

 独り言をブツブツと呟きながら、走ってきた道を戻っていく。


「27年って……、いったいいつの27年なの?」


 優衣は、辺りを見渡した。


「昭和なら、もう少し洋服が浸透してるはず……」


「大正は確か、15年までだし……」


「明治? その前は江戸だから、軍人じゃなくて侍だもんね」


「うんうん、それっぽい……。ここは、明治27年の日本だよ!」


 自分で謎を解くと、背筋が凍りついてゾッとした。


(怖っ! まじで怖いんですけどーっ)


 怖いけれど、また、その続きを考える。


「ってことは、これって日清戦争? あれっ、日露だっけ!?」


「まぁ、どっちにしても確か日本の勝利だったはず……」


「でも、犠牲者は出てるんだよね……」


「大谷……、無事に帰ってくるのかなぁ?」


 また、悲しみでいっぱいになる心……。

 そんな優衣の目の前に、深沢にそっくりなあの男が再び現れた。同じ制服を着た男達と、楽しそうに笑い合っている。


「あいつ、人が悲しんでる時に、なに笑ってんの!」


 自分でも熱くなっていくのがわかる……。

 その男が仲間達と別れて歩きだした時、怒りが抑えきれなくなった優衣は、その男の前に出た。


「あんたさぁ、この国の為に働いてるんでしょ! だったら、もう少し国民の気持ちとか考えなさいよ!」


 その男は、何がなんだか分からず唖然としている。


「こんな戦争、止めるべきなんだよ! 国と国が憎しみ合うなんて、破滅行為だよ。たくさんの命が奪われるだけで、誰も幸せになんかなれない!」


「はっ!」


 男が大きく息を吐く。


「今は日本も強いかもしれないけど、そのうちヤラれちゃうんだよ!」


「何を言ってるんだ!」


 男が鋭い目付きに変わった。


「とにかく、悲惨なことになるから、早く仲直りしたほうがいいって」


「貴様! 大日本帝国を侮辱するのかっ!!」


 その男が大声を張り上げると、散っていた仲間達が一斉に優衣に注目した。


「えっ! あれっ!? ちょっと待って!」

(キャーッ!! 私、捕まっちゃう? 川原で処刑されちゃうのーっ!)


 慌てる優衣の手を、誰かが引っ張った。


(誰⁉︎ 敵? 味方?)


 取り合えず、その手を頼りに走る。

 人混みを掻き分けながら……、着物の裾をたくしあげて……。


『急いで!』


 振り返ったその人は……、


「おじさーーん!」


 窮地に追い込まれた優衣を救ってくれたのは、

 前に見た夢で案内をしてくれた和服姿のおじさんである。


「おじさん、どうしたのーっ!? 人間みたいに大きくなっちゃってるじゃん!」


『いいから、早く走りなさい!』


「待てーっ!」


 後ろからは、警官達が追い掛けてくる。

 おじさんを頼りに、息を切らしながら必死に走り続ける。


(もーっ、ほんと、深沢ムカつくーっ!! 恨んでやる! イジめてやる! 瑞希との恋、邪魔してやるーっ!!)


 駅を出て、レトロな街中に入る。


「おじさん、もう無理ーっ! もうダメ! 痛い、手が痛いよーっ……」


 *


 激しい痛みで目が覚めた。

 おじさんが握っていたはずの優衣の右手は、ベッドと壁の間に挟まり大変なことになっている。

 すぐにその手を抜き出し、無事を確認する。


「痛ぁ〜い!」


 左手で擦りながら、部屋の中を見渡した。まだ、夜は明けていない。


「あっ、おじさん」


 暗闇の中、サンルームに向かう……。


「あーっ」


 おじさんはベッドから転がり落ちて、左手にアイビーの弦をしっかりと握っていた。


「まさか、これって」


 アイビーの弦と、優衣の右手が重なる……。


 混乱しながらも、おじさんの手からその弦を離し、そーっとベッドの上に運んだ。

 夢と現実を照らし合わせ、優衣は首を傾げながら静かにベッドに戻っていく……。


 朝、目覚めるとすぐに、優衣はおじさんのところに走っていった。


「おじさん、夕べはありがとう」


『フワァ〜ッ……、何のコト?』


 おじさんは小さな布団を更に小さく畳みながら、大きなあくびをしている。


「おじさんが助けてくれたんだよねっ」


『助ケタ!?』


「またまた、とぼけちゃって……。私の夢に、2回も出てきたくせに!」


『夢は、見てないナァ』


「もーっ、しらじらしいんだからーっ」


『変なユイだナァ』


 呆れて、ベランダに出ていくおじさん。優衣は、しつこく付きまとう。


「だけど、あいつだけは絶対に許せない!」


『アイツ?』


「うん、深沢! 瑞希は、深沢のどこがいいんだろ?」


『ドコかが、いいんだろうナァ』


「もう理解できないよ!」


 深沢への怒りと共に、あの悲しい夢がリアルに蘇ってくる……。


「ねぇ、おじさん! おじさんは、夢の続き知ってるんでしょ?」


『夢のツヅキ!?』


「そっかぁ、わかった! 妖精界の掟とかで、言っちゃいけないんでしょ!?」


『イヤッ、そんな事は……』


「ねぇ、1つだけ教えて。大谷は帰ってくるの?」


『モーッ、朝っぱらからその名前を出さないでオクレ!』


「お願ーい、教えて」


『ユイ、学校に行かなくてイイノカイ?』


「あーっ!!」


 そしてまた、慌ただしい朝が始まる。

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