第2章 黄金色の秋

届かない想い

 制服のリボンの位置を確認しながら、優衣はいつものバスを待っていた。

 急に涼しくなった、朝のバス停。

 まわりの緑も、赤や黄色にほんのりと色付き始めている。


 バスに乗ると、いつもと同じ場所に大谷が立っている。


「あっ、おはよう」


「おはよ」


 最近、優衣と大谷は、このバスで一緒になることが多くなった。

 同じ通学路……、同じバイト先……、いろんな偶然が重なり、険悪だった2人の関係も少しずつ友好的なものへと変わり始めていた。


 バスが走りだすのと同時に、大谷のポケットで着信音が響いた。

 携帯を取り出し、画面を見る大谷。特に返信する様子もなく、すぐに仕舞い込む。

 そんな様子を、優衣は見て見ない振りをする。


「あのさ」


 つり革を握りながら、大谷が不機嫌そうに優衣を見た。


「俺の携帯、美山に教えただろ」


「あっ、うん」


(そっか、今の、沙也香からだったんだぁ)


 沙也香が大谷とラインするようになったと喜んでいたことを、優衣は思いだした。

 バスは、次の停留所に到着。

 朝練のない日は、瑞希がここから合流してくる。


「おっ邪魔しまーす!」


 2人をひやかそうとした瑞希も、すぐに、ただならない空気に気付いた。


「勝手に教えてんじゃねーよ!」


 捨て台詞を残し、乗客をすり抜けて前へと移動していく大谷。


「えっ、だって、それは……」


 沙也香に頼まれたのだと言おうとした。けれども、言葉を飲み込んだ。

 なんとなく、言ってはいけないことのような気がしたからだ。


「全く……。ラインくらい、なんだっていうのよ!」


 どうしたらいいのか、わからなくなってしまった優衣は、強気な発言をしてしまう。


「……なんかあったの?」


 心配そうに、優衣を見る瑞希。


「沙也香に携帯教えたこと、怒ってるみたい」


 プッと噴きだす瑞希。


「ふ〜ん……、なるほどね」


 なぜか、1人で納得している。


「どーしたの?」


「別に……。優衣って、本当に鈍感なんだねっ」


「はっ!?」


 バスを降りる時に、大谷の姿はなかった。

 瑞希と2人で、学校への道を急ぐ。


 昇降口に入ると、掲示板の前には人だかりが出来ていた……。


「なんだろう?」

「行ってみよ」


 生徒達を擦り抜けながら、その輪の中に入っていく。


“第15回絵画コンクール

 優秀賞 美山沙也香

 佳作  佐藤浩奈

 佳作  ………… ”


「沙也香!?」

「うん」


 目配せを交わし合い、優衣と瑞希は同時に走りだす。

 勢いよくA組の教室に飛び込み、沙也香を見つけ優衣は叫んだ。


「沙也香ーっ、すごいじゃん!」


 瑞希も、そのあとに続いて言った。


「さすが、沙也香! これで、親にも認めてもらえるね」


 けれども沙也香は、冷めた顔で淋しそうに呟いた。


「あの人達、私の絵には全く興味ないから」


 唖然とする優衣の隣りで、瑞希の顔色が変わる……。


「そんな訳ないじゃん! ちゃんと報告したの?」


 その一渇で、喜びの空気の温度が一気に下がっていく。


「報告しなくたって、わかってるわよ! 私の行事の為に、どっちが仕事を犠牲にするかでいつでも揉めてきたんだからっ」


「なんか、親も沙也香も最悪だね!」


 瑞希のきつい一言で、沙也香は涙ぐんでしまった。


 人一倍、友達想いの瑞希を優衣は知っている。沙也香の心には、その想いが届かないことも……。


(ゲッ、この空気どうすんのーっ!?)


「あの〜、あの、沙也香の絵って展示されるんだよねっ。ね、ねっ」


 重い空気の中、1人明るく振る舞う優衣は完全に浮いている。


「うん……。1週間、飾れられるみたい」


 無理のあるその笑顔で、沙也香が少しだけ元気になる。


「それなら、今度の日曜日、3人で見に行こうよ! ねぇ、瑞希っ」


 突然振られ、瑞希は複雑な表情を浮かべている。


「あっ、もしかして深沢とデート?」


 強引に迫られ、瞬間的に考えをまとめる。


「ううん、大丈夫! 3人で行こっ」


 話がまとまったところで、1日の始まりを告げるチャイムが鳴った。


 *


 睡魔に襲われながら物理の授業を終えると、6時間目は委員会活動。


「ねぇ、優衣……。私、瑞希に嫌われちゃったかなぁ?」


 優しく揺れる秋桜に、やわらかい水のシャワーを浴びせながら、沙也香がポツリと呟いた。

 朝の出来事をずっと引きずっていたらしく、かなり落ち込んでいる。


「そんなこと、ある訳ないじゃん」


 蛇口の水を止めて、優衣は沙也香に近付いていく。


「私ね、自分でも自分のことが大っ嫌いなの」


「えっ!?」


 不意に出た沙也香の言葉に、優衣は立ち止まった。


「大谷にも嫌われてるみたいだし……」


「そんなぁ……。だって、ラインだってしてるんでしょ!?」


「うん。でも、私が一方的にって感じ……。大谷は、たまーに質問に答えてくれるだけ」


「そうなんだぁ」


 優衣は、今朝、大谷に届いたラインを思いだした。あまりにも素っ気ない態度だった大谷への怒りが急にこみ上げてきて、沙也香が不憫ふびんで仕方なくなってしまった。


 結局、気の効いた言葉も掛けられずに沙也香と別れ、重い気分でMバーガーへと向かう……。

 タイムカードをラックに戻そうとしているところに、大谷が飛び込んできた。

 いつもなら「ついでに押しといて」と優衣に頼むのだか、今日は違った。不機嫌そうに自分で押して、優衣の前を素通りしていく。


(えっ!? あっ、そっか……。携帯のこと? なんか、怒ってたんだよね!?)


 大谷の機嫌を窺いながら、話し掛けてみる。


「あの〜っ、勝手に教えちゃったことは悪かったかな〜って……。ちゃんと言ってからにすればよかったって思ってる」


「………………」


 優衣を無視して、大谷は着替えを始めている。


(こっちが低姿勢で謝ってるっていうのに、なんなのこの態度!)


 沙也香の件と、素直に否を認める自分を無視された怒りがダブルで込み上げてくる。


「あのさぁ! ラインとか来たら、普通、返信するんじゃないのっ」


「はっ!? そんなのお前に関係ないだろ!」


 カッチーーッン!


 優衣の中で、何かがキレる音がした。


「確かに私には関係ないけど、ちょっと無神経なんじゃないかなーって思って」


「だからなんだよ!」


 そんな激しいバトル最高潮の時、工藤が楽しそうに入ってきた。


「何、なに、どうしちゃったのーっ!?」


「あっ、ちょっと、私が勝手に、大谷のIDを友達に教えちゃったんです!」


 心配する工藤に、優衣はそのまま伝えた。


「そうだ、ゆいちゃん! 俺にも教えてよ。ゆいちゃんに連絡できなくて困ってたんだ」


「えっ、私のですか?」


「そう! ゆいちゃんのID〜」


 大谷は、工藤と優衣のやりとりを横目で眺めている。

 そして……、


「IDくらい、いいんじゃねーの」


 シラッとした顔で、2人の会話に口を挟んだ。


(うわぁーっ、最悪! まじで嫌なヤツ!)


 朝の仕返しだ、と優衣はすぐに悟った。

 そして、


「……あっ、いいですよ! IDくらい全然OKです」


 大谷の挑発に乗ってしまった……。


「やりーっ!」


 張り切って、自分の携帯を取り出す工藤。


「早く、早く」


「あっ、はい」


 工藤に催促されて、優衣も慌てて鞄の中を探る。

 すぐに携帯が手に当たった。けれども……、その携帯を取り出すことができない。

 優衣は、大谷の目の前で、工藤の携帯と自分の携帯が繋がることに抵抗があった。


「ほらほら、何やってんだ。早く仕事に就く!」


 突然、従業員室の奥から店長が現れた。


「優衣ちゃん! 個人情報は、そんな簡単に教えるもんじゃないぞ。ひろになんか教えたら、大変なことになっちゃうんだからなっ」


(えぇーーーっ!! いつから居たのーっ!)


 気まずそうに、笑って頷く優衣。


「なんだよ、それ!」


 悔しがる工藤と、他人事のように素知らぬ顔をする大谷。


(なんか……、助かったぁーっ。店長が大人に見える!)


 難を逃れたことに、優衣は胸を撫で下ろす……。

 その後、何もかも中途半端な状態で、3人は仕事に就いた。


 *


 結局、大谷とは険悪なままバイトを終え、店を出た。

 外はすっかり暗くなり、かなり冷え込んでいる。


「寒っ」


 上着を羽織って、優衣はバス停に向かって歩きだす。

 混み合うバスに乗り、家に辿り着くと……、

 まずは、おじさんの居るサンルームに向かう。


「おじさん、ただいまーっ」


『オッ、ユイお帰りー』


 おじさんは、サンルームいっぱいに並べてある植物の葉のホコリを、1枚1枚丁寧に拭き取っていた。

 その様子を眺めながら倒れ込むように寝転がり、優衣はいつもと同じように今日1日の出来事をおじさんに報告し始めた。


「沙也香はね、絵を描くことが本当に好きなんだと思う」


『ヘェ〜、サヤカは絵を描くのカァ』


 忙しそうに作業をしながらも、一応、話を聞いているおじさん。

 真面目に相手をしなければ、優衣の機嫌が悪くなることを、しっかりと学習したからである。


「でもね、沙也香の親は、沙也香を医者にしたいみたい」


『サヤカは医者になるのカァ』


「子供の将来、勝手に決めちゃうなんて酷くない?」


『ウーン……』


 おじさんが作業を中断して、優衣の方へと歩いてくる。


『確か、サヤカの親御さんも医者ダッタヨネ?』


「うん」


 返事をしながら起き上がり、


「パパが外科の先生で、ママは小児科の先生。おじさん、よく覚えてたね」


 感心しながら、おじさんと向かい合って座る。


『ワタシの記憶力は、ずば抜けてるんダヨ』


「へぇー」

(自分で言ってるし……)


『オソラク、サヤカの親御さんは、医者が1番スバラシー職業だと思ってるんだろうナァ』


「そんなの、勝手な思い込みじゃない! 自分の子供のこと、なんにもわかってないよ」


『マァ、親子とイッテモ、別々の人間ダカラネ。自分の気持ちや想いは、勇気を出して伝えようとしなケレバ、何も始まらないんじゃナイノカイ!?』


「まぁ、ね〜……。おじさんも、たまには妖精らしいこと言うんだね」


「ワタシは、正真正銘の妖精ダヨ」


「はいはい……。それで、沙也香の絵が展示されてる会場に、瑞希と3人で行くことになったんだけど……。あっ、そうだ! おじさんも一緒に行こーよ。沙也香の絵、見たいでしょ」


『ウーン……』


 盛り上がる優衣とは対照的に、おじさんは何か考え込んでいる。


「瑞希達に、おじさんを紹介したいし」


『ソレは嬉しいケレド……。ワタシは、あまり多くの人に会ってはイケナインダヨ』


「どうして? 会ったら、どうなっちゃうの」


『サァ〜? ソレガ妖精界のおきてダカラネ』


「おきて? ……わかった。もう誰にも言わない! 陽太にも言っておかなきゃ」


『デモ……、ユイの友達、見てみたいナァ』


「会わなければ平気なの?」


 時が止まったような顔で、首を傾げるおじさん。


「こっそり隠して、連れて行くのはあり?」


『ナルホドーッ、それは面白い!』


 優衣の提案に、おじさんも喜んで同意する。


「そうそう、それからね。今日は、朝っぱらから大谷に怒鳴られて、もーっ最悪だったんだよっ」


『オータニの話は、モーイイヨ』


「えっ!? だって、酷いんだよ」


 嬉しそうに大谷の話をする優衣が、おじさんはなんだか気に入らないらしい。


『モー、聞きたくナイ』


「どうして?」


『飽きたカラ……』


「飽きるほど、話してないでしょ!」


『モー、寝る』


「えーっ、そんなこと言わないで聞いてよーっ! ちょームカついてんだから」


『オヤスミ……』


「ちょっと、おじさーん!」


『電気ケシテ』


「もーっ」


 そしてその夜、優衣は再び、あの謎めいた夢を見ることになる。

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