始まる予感(後編)

“本日の花火大会は〜、予定通りに〜、決行致します〜”


 部屋に居ても、リビングに下りてきても、朝から騒がしく聞こえてくる町のアナウンス。

 同じ内容を、何度も何度も……。


「もう、わかったから! 花火大会を予定通りにやるんでしょ。浴衣を着て、カップルが……、はぁ〜っ」


 ふてくされながら、氷が入ったグラスに勢いよくアイスティーを注ぐ優衣。


 彼氏ができたら、浴衣を着て夏祭りに出掛ける。これが優衣の密かな夢であり、目標である。

 今年も、願いは叶わず。


「姉ちゃん! 夏月が、花火一緒に見に行かないかって言ってっけど」


 通話中の携帯を耳に当てながら、陽太もリビングに下りてくる。

 こうして、毎年、弟の彼女にまで気を遣われている。


「あっ、なっちゃん? ごめーん、 今日、バイトなのー」


 電話の向こうに居る夏月に聞こえるように叫ぶ。


(そうそう! そうだった。バイトが入ってるから行けないのよ)


 予定が入っていることに、優衣は少し救われたような気がした。

 待ち合わせの時間を約束して、陽太は電話を切った。ダイニングテーブルに近付いてきて、優衣と向かい合うように座る。

 その時、


「あっ、そうだ!」


 優衣は、いいことを思い付いた。


「ねぇ、陽太。おじさんを連れていってくれない? あの花火の迫力、きっと驚くよ」


「うん、いーよ。あっ、でも、夏月が……、夏月におじさんのことバレちゃうじゃん」


「あっ、そっか」


 簡単に諦めて、食事を始める2人。


「あら、なっちゃんならもう知ってるんじゃないの?」


 サラダを運んできた母親が、陽太の顔を覗き込む。


「えっ!? なんだよ! 母ちゃんと約束する前の話だろっ」


 動揺を隠しきれず、開き直る陽太。


「なんなの! 逆ギレ?」


 呆れて、優衣は立ち上がった。


「でも、なっちゃんが知ってる方が安心なんじゃない?」


 母親の言葉にハッとして、優衣は頷きながら座りなおす。


「うんうん、確かにそうだよね! 陽太、やっぱりおじさんを連れていってよ」


「はいはい、わかりました」


「私、おじさんに言ってくる!」


 急いで食事を済ませ、サンルームへと駆け上がっていく。


「おじさーん!」


『アイヨ』


 返事は、ポトスの大きな葉の後ろの方から聞こえてくる。その葉を避けて覗いてみると、おじさんはとても軽快な動きで体操をしていた。


(オモチャみたいっ)


 クスッと笑う優衣を、横目で見るおじさん。


『ドーしたんダイ?』


「あっ、そうそう! 陽太が、おじさんを花火大会に連れていってくれるんだって」


『ハナビの大会? ソノ大会は確か、ユイはバイトで行けないんじゃナカッタノカイ!?』


「うん……」


 淋しそうに応える優衣。


『ソレナラ、ワタシも行かないヨ! ヤラナケレバならない事も沢山アルシ』


 体操を終えたおじさんが、優衣の方に歩いてくる。


「そっかぁ、それは残念。なっちゃんも居るから安心って思ってたんだけど」


『ヘッ!? ナッチャンって、ナツキの事?』


「そうだけど」


『ナツキも行くのカイ!?』


「おじさん、なっちゃんを知ってるの?」


『イヤァ…、シラナイ、シラナイ』


 優衣から視線を逸らし、ポトスを見つめるおじさん。

 白々しいその態度に、優衣はピンときた。


(陽太のヤツ。もう既に、おじさんとなっちゃんを会わせてるな!)


『ヤッパリ〜、ワタシも行こうカナァ』


「えぇーーーっ!???」


『ナツキと、アッ、イヤイヤ、ハナビっていうものを見てみたい気がスルシ……』


「だっておじさん、やらなきゃいけないことが、たくさんあるんじゃなかったの?」


『イイヤッ』


「はぁ〜っ!??? 何それっ」


 結局、おじさんは陽太達に付いていくことになり……。


 優衣は、1人淋しくMバーガーに向かう。


 バスを降りると、駅前は既に活気付いていた。行き交う人々は皆、どこかウキウキと浮かれている。


「もーっ、なんでこんなに暑いのっ」


 真上からの強い陽射しが、汗ばんだ素肌にヒリヒリと直撃する。


 空も、町も、妬ましいほどに、まさに花火大会日和!


「全く、みんなこんなに騒いじゃって……。花火大会がなんだっていうのよ!」


 逆に沈んでいく優衣の心。

 店の前では、気合いの入った店長が……。今日の目玉商品“キラキラセット”のポスターを満足げに眺めている。


「おはようございます」


「おーっ、優衣ちゃん。おはよ! これどうよ、本日限定キラキラセット。イケるかなぁ」


 店長の背後から、優衣もポスターをじっと見つめる。


(ハンバーガー2ケとドリンク2ケ、ポテトが1ケで777円。お得ーっ!)


「イケると思います!」


「よーし! 記念すべき1日になるぞ。その笑顔で頑張ってくれよな」


「あっ、はい」


 店長に喝を入れられ、店の中へと入っていく。

 店内は、まだ静まり返っていた。50席以上あるテーブルも、まだ2つし使われていない。

 けれども、調理場は違っていた。

 殺気立った空気。目まぐるしく流れる作業。大谷や工藤にも、いつもの余裕はない。


「優衣ちゃん、頑張れよ!」


 エールを送ってくれる仲間達。


「ゆいちゃん! 何かあったら俺が助けるからねっ」


 ハンバーガーを運んでいた工藤が、馴れ馴れしく肩を抱えてくる。

 大谷が、冷めた目つきで優衣を見た。


「あっ、とりあえず頑張ってみます」


 さり気なく擦り抜けながら、いつもとは違う雰囲気に優衣は若干焦り始める。


(なんだか、ハードな1日になりそうなんですけど……。大丈夫かなぁ、自分)


 ただならない空気に、ただ、ただ呑まれていく……。


「キラキラセット、お1つですねっ」


「次にお待ちのお客様、どうぞ」


「その次にお待ちのお客様、どうぞ」


 店内は人で溢れ、長蛇の列は店の外にまで繋がっている。


 いつもと変わりなく、冷静に対応するチーフ。優衣もパートのおばさんと共に接客に挑むが、先が全く見えない。

 既に、2件のオーダーミス。

 優衣はもう、パニック状態に……。

 

(もう、泣きたい! 誰か助けてーっ)


「ちょっとーっ、ハンバーガーじゃなくてチーズバーガー頼んだんだけどっ!」


 金髪にギャル風メイクをしたヤンキーカップルの彼女の方が、大きな声で怒鳴りこんできた。

 食べかけのハンバーガーをカウンターの上に放り投げ、優衣を睨みつけている。


(そんな〜っ……。この人は、絶対にハンバーガーって言ってた!)


 さんざん迷ったあげく、ハンバーガーに決めた彼女。

 優衣にはハッキリとした記憶があり、変に自信があった。


「あの、お客様は間違いなくハンバーガーを注文され……」


 そう言い掛けた時、

 店長の背中が、優衣の視界を遮った。


「大変、失礼致しました。すぐにチーズバーガーの方を、ご用意させて頂きます」


(なんで! 店長は、私が間違ってると思ってんの?)


 店長は、素早く新しいチーズバーガーをトレーに乗せ、丁寧に手渡した。


「あったま悪いおんなっ」


 捨て台詞を残し、彼女はテーブルへと戻っていった。

 同じ髪の色をした彼氏の方もニヤニヤと笑っている。


(なんなのっ、このバカップル! 我慢できないっ)


 衝動的に、前に出ようとする。

 けれど、

 深々と頭を下げている店長に止められた。


「ほらっ、優衣ちゃん! 笑顔、笑顔っ」


 今にも泣きだしてしまいそうな優衣に、店長は全てを理解していると言わんばかりの笑顔を向けている。


 店長の大きさが、優衣の胸に沁みる……。


(どっちが間違ってるなんて、どうでもいいことなんだ……。更衣室にも“どんなお客様にも、心からの笑顔とサービスを!”って書いてあるし……)


 気持ちを切り替えて、

 そこからラストまでは笑顔で乗りきる……。


 *


「皆さん、お疲れ。今日の目標、達成しました! 昨年の売り上げも軽く超えてたよ」


 日計表を確認しながら、上機嫌で従業員1人1人と握手を交わす店長。


「優衣ちゃん、頑張ったな! 一時はどうなるかと心配したけど、お客様の声ポストにも、“早川さんの笑顔が素敵でした”っていくつか入ってたぞ」


「えっ、ほんとですか!」


「その笑顔はうちの武器になるなっ。あっ、バス、バス! 乗り遅れたら大変だからもうあがって」


「はいっ。お先に失礼します」


「お疲れ。そうだ、じゅんぺー!」


 そう叫びながら、店長が調理場に入っていく……。


 優衣が従業員室に入ると、仕事を終えた大谷も続いて入ってきた。


「店長が一緒に帰ってやれだって」


「えっ、大丈夫だよ」


「まぁ、俺もバスなくなるし」


(そっか……)


 店長の余計な気遣いで、2人一緒にMバーガーを出ることになった。


 *


「嘘でしょ!」


 駅前は花火大会帰りの人達で、異常なまでに賑わっていた。

 人混みに揉まれながら、優衣は大谷に付いていく……。

 ひたすらに、人を避けながらただただ進んでいく……。


「痛い!」


 対向して歩いてくる誰かの足を、優衣は踏んでしまった。


「あっ、ごめんなさい!」


 立ち止まって振り返ろうとするが、人の波に押し流されてしまい相手もわからない。

 よろめきながら前を向くと、景色は一転していた。


「あれっ、大谷が居ない」


 背伸びをして見渡してみるが、どこにも見当たらない。


(どこに行っちゃったのーっ)


 仕方なく、人波に流されるように再び歩きだした。


「よっ、姉ちゃーん! ヒック」


 並行して歩いていた、酔っ払いの中年男が絡んできた。

 その男を無視して、優衣は強気で歩き続ける。


(うざっ、最悪。どっか行ってよ!)


 素知らぬ顔で歩いていたが……。よろよろと近付いてきたその男は、優衣の顔を覗き込みながら乱暴に腕を掴んだ。


(ゲッ、まじ!)


「なんだよ、愛想がないなぁ。少しだけ付き合ってよーっ、ヒック」


「ちょ、ちょっと、離してよ!」


 賑わう雑踏の中、その腕を振り払おうと暴れまくる優衣。

 投げ飛ばそうという勢いで気合いを入れると……。どういう訳か、優衣の身体は簡単に解放された。


「えっ!?」


 振り返ると、

 怒りをあらわにした大谷が、その男の腕を掴んで睨みつけている。


「ちぇっ、なんだよ。男付きかよ!」


 あっさりと退散していく中年男。


「はぐれてんじゃねーよ!」


 怒鳴りつけてくる大谷に圧倒され、優衣は心の中で反論する。


(なんなの! 私だって、怖くて泣きたいくらいなのに……。普通、大丈夫?とか怪我ない?とか気遣ってくれるんじゃないの!)


 さっさと歩きだす大谷に、びびりながら付いていく……。


「捕まってろよ」


 不機嫌そうに、大谷が振り返る。

 優衣は、Tシャツの裾を一応掴んだ。けれども、すれ違う人達の勢いですぐに離れてしまう。


 大谷は一瞬考えてから、ゆっくりと優衣の右手を取った。


「えっ、ちょっと」


 迷惑そうに、その手に視線を送る優衣。


「しょうがねーだろ! こっちは店長に頼まれてんだから」


(うわっ、まじか! 手を繋ぐの初めてなのに……)


 次の瞬間、人波は更に激しくなり、もう細かいことを考える余裕はなくなっていた。

 握られている大谷の左手だけを頼りに、ひたすら歩き続ける。


 大きな手のひらから伝わる温もり……。

 なぜか懐かしくて……、とても愛おしい……。

 大谷の手のひらに包まれた優衣の右手は、その温もりを素直に受け入れられる。


 人波を交わしながら、急いで歩く大谷。ただ、付いていく優衣。


 やっとの思いでバス停に辿り着くと、すぐに最終のバスが到着した。


「危ねーっ! ギリギリじゃん」


 2人は、意外にも空いているバスに飛び乗った。進行方向に逆らいながら進んでいき、後部座席に並んで座る。


「大谷、ごめんね。私がはぐれちゃったから……」


「へぇ〜、早川優衣でも素直に謝ることあるんだ」


「あのねー! 私だって、自分が悪いと思ったら普通に謝るけどっ」


「いつもそうだったら可愛いのになっ」


 優衣を横目で見て、大谷が優しそうに微笑んでいる。


「えっ……」


 優衣は一瞬、ドキッとした。


(やだっ、なんなの。なんで大谷になんか動揺してんの!)


 慌てて視線を逸らし下を向くと、まだしっかりと繋がれている右手が視界に入った。


「あっ、あの……」


 優衣の視線に気付いた大谷が、慌てて手を離す。

 気まずい沈黙が、続いてしまう……。


「あっ、そうだ!」

(沙也香に頼まれてた、あれ聞きだすチャンスじゃん!)


 突然笑顔になる優衣を、大谷は気味悪そうに警戒する。


「ねぇ、大谷。あのさ、携帯かライン教えてくれない?」


「おー、いいよ」


 あっさりと返事をして、大谷はジーンズのポケットから携帯を取り出した。


「携帯は?」


「えっ、私の?」


「番号送るから」


「あっ、そっか」


 鞄の中を探って、優衣も携帯を取り出す。大谷は、画面を操作している。


 やがて、大谷の携帯と優衣の携帯が繋がる……。

 お互いの携帯を、2人はじっと見つめている。


(近っ! 近過ぎる)


 その距離に、優衣は息が苦しくなった。大谷の顔を、まともに見ることもできない。


(なに、この感じ! まだ? 長過ぎるよ)


「ねぇ、終わってっけど」


 いつまでも携帯を見つめる優衣を、大谷は不思議そうに覗き込んでいる。


「あっ、本当だ」


 優衣は慌てて、大谷から少し離れた。そのまま、沙也香に送信する。


 それから2人は、今日の自分達の活躍について自慢し合い……。

 気が付けば、次は優衣が降りる停留所。


「あっ、降りまーす!」


 勢いよく立ち上がると、大谷も立ち上がった。


「送るよ」


「えっ、だって、大谷んちまだ先でしょ!?」


「歩いて帰れるし」


「そこまで責任感じなくても……、大丈夫だから」


 優衣の言葉はスルーされ、結局、大谷は一緒にバスを降りた。


 静まり返ったバス停には、もう終わってしまったラベンダーの香りだけが漂っている。


「うわっ、ほんとに誰も居ないだぁ〜」


「だろ」


 白い街灯に照らされたラベンダー畑の真ん中の道を、2人は並んで歩く。


「大谷、今日は色々とありがと」


「べつに……。まっ、そう思ってるなら宿題でも見せてもらおっか」


 眠たそうに大きなあくびをする大谷。


「何それ! でも、まぁ、仕方ないかぁ。いいよ、終わったのは見せてあげる」


「えっ、まじで⁉︎ 早川優衣、いいヤツじゃ〜ん」


 優衣の右手を両手で握って、大谷がおおげさに喜んでいる。その先に、人影らしきものが見えてきた。

 母親が家の前で、こちらの様子を伺っているようだ。


「あっ、お母さん! 店長に頼まれて、大谷が送ってきてくれたの」


「こ、こんばんは」


 慌てて手を離し、大谷が会釈をする。


「あら、そうだったの? どうもありがとう。だけど、もうバスないんじゃ……」


「あっ、大丈夫です! 走って帰るんで。じゃっ、失礼します」


 走り去る大谷を、嬉しそうに見送る母親。


(ちょっと、お母さん! 勘違いしないでよーっ)


 危険を察した優衣は、サッサと家に飛び込んだ。


 2階に駆け上がるとすぐに、サンルームを覗いてみる。

 花火大会に出掛けていたおじさんは既に帰宅し、机に向かって書き物をしていた。


「おじさん、ただいまーっ」


『アッ、ユイ! お疲レーッ』


「花火どうだったぁ?」


 おじさんはペンを止めて、優衣に近付いてきた。


『凄カッタヨ! ドーンドーンって、綺麗なお粉をイッパイ降らせてタナァ……』


「うわぁ〜っ、見たかったなぁ」


『ユイにも見せたかったヨ』


「うん……。で、迷子にならなかった?」


『ズーット、ヨータの胸ポケットに入ってたカラ』


「そっか」


『マァ、ワタシとしては、ナツキの胸ポケットの方が良かったんダケド……』


「えっ!?」


『ナツキの胸ポケットは、フワフワしていい匂いがしそうダカラネ!』


「………………」


『アッ、ユイの胸ポケットも涼しそうで、ある意味、快適かもシレナイナ』


「はぁーっ!? それって、私の胸がないとでも言いたいのーっ!」


 怒りに溢れた優衣の顔に気付いたおじさんは、クルリと背を向けた。


『寝よーット』


 ベッドに向かって歩きだす……。


「もーっ!! この、変態エロじじーっ!」


 傍にあった植木の肥料を一粒、おじさん目掛けて投げ付ける。それは見事に、おじさんの後頭部にヒット!


『イタッ! 何するんダヨ』


 振り返ったおじさんは、初めて見る優衣の顔の恐ろしさに怯んだ。


『冗談ダヨ、冗談っ……』


「ふんっ」


『ユイが1番素晴らシー!』


「別に、どーでもいいし……」


 それからおじさんは、優衣の機嫌を直すのに1時間程の時間を要した……。


 こうして、この夏1番のイベント花火大会は、呆気なく終わりを告げた。

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