黒い雨 (前編)

「こんなにいい天気なのに、夕方から荒れるんだよね」


 昼食を終えた瑞希が、教室の窓から顔を覗かせ空を見上げた。

 初夏の陽射しが、眩しく降り注いでいる。


「えっ、まじ⁉︎ 今日、5時からバイトの面接なのに〜」


 パックジュースを手に、困ったような顔で優衣も窓際に近付いていく。


「面接って、Mバーガーの?」


「うん」


「そっか! いよいよ優衣もバイトデビューだね」


「まぁね。だけど、本当に夕方から荒れるの?」


 顔を見合わせ、同時に晴れた空を見上げる。


「何なに、どうしたの?」


 突然、沙也香が2人を割って入ってきた。未だA組に馴染めない沙也香は、環境委員で仲良くなった優衣が居るこのB組で過ごすことが多い。


「優衣、今日バイトの面接なんだって。でも、天気が怪しいねって言ってたところ」


 瑞希の言葉に、沙也香は大きく反応する。


「そうそう! 朝のニュースでも、激しく荒れる恐れがあるって言ってたわよ。とりあえず傘は持ってきたけど」


 沙也香も身を乗り出して、同じように空を見上げている。


「うわぁ〜、最悪。今朝、テレビ見る余裕なんてなかったしなぁ。傘も玄関に置いてきちゃった……」


 うなだれる優衣に、瑞希が沙也香の背後から言った。


「じゃ、私の置き傘貸してあげるよ! あれ持ってるといいことあるから」


「ほんと!」


 嬉しそうに瑞希を見る優衣。


「わ〜、いいなぁ」


 沙也香は、羨ましそうに優衣を見つめていた。


 *


 学校が終わると、優衣は空を気にしながらMバーガー駅前店に向かった。先程までの晴天が嘘のように、灰色の雲が覆いだしている。


「すみません。あの、バイトの件でお電話した早川です」


 緊張する優衣を、綺麗系の女性店員が店の奥へと案内してくれる。胸の名札にはチーフという肩書きが記されている。


「あっ、早川さん? こっちこっち」


 人の良さそうな男が、事務所から顔を出して手招きしている。


「店長の坂本です。とりあえず座って」


「はい、失礼します」


 指示通り、応接用の黒いソファーに浅く座った。


星隆せいりゅう高校の2年生かぁ?」


「はい」


 履歴書に目を通しながら、優衣の前にゆっくりと腰を下ろす店長。


「うちにも星隆の2年と3年が1人ずつ居るよ、男だけど……」


「あっ、そうなんですかぁ」

(まじでーっ!?)


 当たり前の返事をしながら、優衣は期待に胸を膨らませる。


「しかも、2人共イケメン」


 店長が、自慢げな顔をして身を乗り出した。


「へぇ〜」

(ヤッホー♪)


 他人事のように聞き流しながら、心ではガッツポーズを決めている。


「じゃあ、明日から来れる?」


「えっ、決まりですか?」


「そう。決まり」


「あっ、よろしくお願いします!」

(やったぁー! 念願のバイトが決まったぁ!! そして、何かが始まりそう♪)


 呆気なく採用が決まり、笑顔で握手を交わしたその瞬間……。


「店長ーっ!」と、調理場の方から誰かが呼ぶ声がした。


「じゃっ、みんなには明日紹介するから」


 そう言って、慌ただしく事務所を出ていく店長。残された優衣も、案内をしてくれた女性店員に挨拶をしてから店内に戻った。


(明日からここで働くんだぁ。しかもイケメン2人……。どちらかと恋に!? なんてことも……♪ まじで、この傘凄いかも!)


 鞄からはみ出した傘をギュッ握り締め、ハイテンションで店の中を通り抜けて外に出る。


「えっ! ちょー不気味なんだけど」


 先程までの灰色の雲は黒い色に変化し、黒い空が真上まで迫っている。


「早く帰らなきゃ」


 優衣は、急いでバス停に向かった。


 バスに乗ってからも、黒い空は凄い勢いで追い掛けてくる。

 ゴツッ、ゴツッ、ゴツッ……。大粒の雨が降りだし、窓ガラスを強く打ち付けている。不快な音と異様な景色に怯える優衣。


(瑞希達が言ってた通り……。荒れ過ぎだよ!)


 家の近くのバス停に辿り着く頃には、雨はもう土砂降りになっていた。

 瑞希に借りた赤い傘を開いて、家のドアまで一気に走る。


「ただいまーっ」


 バスルームに直行し、乾いたタオルで髪や制服の滴をサッと拭き取る。

 そのまま2階に上がっていくと、サンルームの方から騒がしい音が聞こえてきた。母親がドタバタと、取り込んだ洗濯物と格闘している。


「あら、おかえり。傘なかったんじゃない?」


「瑞希に借りた」


「もーっ、いつも鞄に入れておきなさいって言ってるでしょ」


「だって、重いんだもん。それに……」


 言い訳を考えながら、ベランダを叩きつける雨に目をやった。土砂降りの雨はもう、全ての景色を消してしまうほどの豪雨となっている。窓から見える白いバス停が、可哀想なくらいに痛々しい。


 その時、


「あーーーっ!!」


 優衣は、朝の出来事を思いだした。


(小人達!)


 玄関に掛けてある紺のレインコートを羽織りながら、優衣は外に出た。

 激しい雨の中、バス停に向かって走りだす……。

 滴を拭いながら誰も居ない待合所の中に入り、濡れたベンチの下を覗き込んだ。


「わぁ〜、やっぱり」


 目を細める優衣。

 そこには大量の雨が流れ込み、あたり一面大洪水になっている。


(小人達、流されちゃったのかな〜っ!?)


 目を凝らして、茶色い泥水の中を注意深く探してみる。


「小人さぁ〜ん……」


 暫く探してみたけれど、今朝見掛けたあの小人達は見つからない。

 諦めた優衣は、一度腰を思いきり伸ばしてからベンチに座った。


(やっぱり、見間違えだったのかなぁ?)


 滝のように降り続ける雨を眺めながら、混乱している頭の中を整理する。


『……イヤァ、参ったナァ』


「え?」


 優衣は、その声のする方を見た。

 これと言って変わった様子はない。そう思って、視線を雨に戻そうとしたその時、


(えーーーーーっ!?????)


 まるで雷神のごとく、眼球が飛びだしそうになった!


 あの、その、3人の小人のうちの1人が、優衣の座っているベンチの端っこにチョコンと座っている。

 立ち上がると7〜8cmぐらいだろうか!?

 その小人は、白い2本線の入った青いジャージを着ている。

 更に驚いたのは、年季の入った顔だ。


(あれ、このおじさんどこかで……)


 優衣は、そのおじさんの顔に見覚えがある……。


 正面を向いたまま、横目でキョロキョロと様子を窺う優衣。

 おじさんは激しく降り続ける雨を眺めながら、何か独り言のようなものをブツブツと呟いている。


「あの〜」


 優衣は、勇気を出して声を掛けてみた。


『…………』


 聞こえないのか!? それとも、無視しているのか!? 反応はない。


 その時、黒い空に光が走った!


 ピカッ、ゴロゴロ、ガッシャーン!!


 おじさんの頭をやっとのことで覆っている髪の毛は逆立ち、涼しげな目はまん丸に……。完全に固まっている。


(へぇ〜、このおじさん、雷が苦手なんだぁ)


 優衣はクスッと笑いながら、そのおじさんの顔をまじまじと見た。


(そうだ! 今朝見た夢の中で私を案内してくれたあの人だ! 服装のせいかなぁ、顔も少しだらしなく見えるけど、あの案内人に間違いないよ)


 優衣は、再び挑んでみた。


「あのーっ、夢の中で私を案内してくれたおじさんですよね?」


『…………』


 またもや、反応はない。


 次の瞬間、黒い空に更に強い光が走った!!


 ピカーーッ、ゴロゴロッ、バリバリバッキーン!!!!


 おじさんは更に目を見開き、両手で耳を塞いで、もうパニック状態に陥っている。


「こんなところに居たら危ないのに……」


 優衣は、独り言のように小さな声で呟いた。


『ヘッ!?』


(えっ、今のは聞こえたんだぁ?)


 意外なところで反応され、調子が狂う優衣。

 ひどく怯えるおじさんが、少し可哀想になってきた。


「あのーっ、ここはとても危険だと思うので、よかったらうちに来ませんか?」


『いいのカイ!?』


(早っ!)


 その反応の早さに、優衣は驚いた。

 おじさんは目をウルウルさせながら優衣を見つめ、何かを考えている。


「どうしたんですか!?」


『イヤァ、それは有り難いのダケレド、アナタの親御さんが何とイウカ……』


「お父さんやお母さんには内緒で、私の部屋に連れていきますよ」


『そうカイ!? ソレナラお言葉に甘えようカナッ』


(即答!? しかも、もう荷物まとめてるし)


 おじさんの行動力に圧倒される優衣。


『サァ、早くイコーッ!』


 おじさんは優衣を見上げていながら、上から目線でそう言った。


 小心者で、調子のいいちっさいおじさん……。

 優衣はなぜか、このおじさんがとても愛しく思えてもう放ってはおけなかった。


「そういえば、おじさんみたいな人が、あと2人居ましたよね?」


『アイツらなら、ソレゾレ自分達の持ち場に向かってイッタ』


(自分達の持ち場!?)


 意味不明な言葉に、眉をしかめる優衣。深く考えていたら頭がおかしくなりそうなので、「ま、いっか」と立ち上がった。


「とりあえず、ここに入ってて下さい」


 そう言いながらおじさんに近付いていき、レインコートのポケットを開く。


『アイヨ』


 おじさんは、ポケットの中に飛び込んだ。


(軽っ……)


 少し膨らんだポケットを押さえながら、待合所を出る。


 激しい雨の中、来た道を一気に戻る。

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