第44話
自炊のことなんてもはやどうでもよくなった。これからこの環境下において僕の立場的にいろんな意味で忙しくなると察したからだ。
以後、あらゆる事に配慮し留意し注意し用心しなくてはならなくなる。アニメやギャルゲーだとそういう部分は細かく表現・描写はなく簡略化されているが、実際にこうした状況となるとそうはいかなくなる。
まずは咲さん御一行だ。
彼女達は社会人であるが故にある程度の問題は自分たちで解決できる。だからと蔑ろには出来ない。彼女らとて心細いと感じることはある。僕と年齢が近く親しい間柄であっても気を配ることは必要だ。親しい仲にも礼儀ありだ。
彼女達がどんなに僕への信頼によって心を許していたとしてもそれに甘んじてはいけない。然るべきところで僕は彼女達から一定の距離感を保ち続けることが大事だ。玲ちゃんについてはその都度考えるとして、咲さん達とはとにかく密な接触は避けるようにしよう。
次に梓丘女子大の子達への対応だ。
彼女達は未成年と二十歳なりたて子達だ。敷居高いお嬢様というわけではないが少なくとも箱入り娘に等しいほどの世間の常識にやや疎いところがある。
また唯一の異性との付き合いがあるのが年上で社会人の僕だけというのも危ういところだ。この様子だと男性の僕と普段のような宿泊中でもあの距離間で接してきてしまうことだろう。それはよろしくない。僕はあくまでも彼女達の〝保護者〟であり過度なコミュニケーションは避けるべきだ。
ただ、一人を除けばそうもいかなくなるが。まあ、そこはなんとかするしかないな。
などと考え込みながら顎に手を当て彼女達のキャッキャする様を只々黙々と眺めていると咲さんに肘で突つかれた。
「なんて難しい顔で女の子達を見てんのよ」
「いや、咲さんたちや梓丘女子大の子たちを護れる男が僕しかいないとわかると、少しプレッシャーというかしっかりしないとな、と…」
「ここは比較的治安が良いし、女子大生や女子高生だけで旅行するなんてよくあることじゃん。アンタが見てるアニメだってそういうのあるでしょ?」
「まあ、そりゃそうですけど…」
「それに、何かがあれば私たちでなんとかすればいいし、桂だけが責任を感じて構えることないって」
咲さんの言葉で少しばかり肩の荷が降りたようだ。
「…そうですね。女性との旅行なんて初めてなので、緊張してしまったのかもしれません」
「よかったじゃん。こんな美人で可愛い女の子たちと一つ屋根の下でお泊まりなんて。男としては冥利に尽きるんじゃない?」
「そんな余裕ありませんよぉ。確かに僕だけが気を張る必要はないかもしれませんが、皆さんと数日一緒に過ごす以上はいろんなことに配慮し留意し注意し用心しないといけないんですから」
「まったく、ホント変なところで生真面目なんだから」と咲さんが仕方がなそうに笑うとふと僕の目の前に立つと顔を近づけて
「———でも、桂のそういうところ、わりと好きだよ」
そう言い残して女性陣のところに駆け寄る彼女を見つめる僕の顔は少し熱かった。
時刻は午後3時。
咲さんたち〝大人組〟は菫さんが運転するレンタカーで近所のスーパーで夕食の買い出しを終えて、最新のIHキッチンで楽しくワイワイと調理を行い、梓丘女女子サークルの面々はリビングで夏コミに向けて原稿作業に勤しんでいた。
「あれ?僕もしかして役に立つこと何もなくない?」
持ってきたタブレットでアニメを見るのもさすがに憚れるし、料理している大人組に「僕もなにか手伝いを」と言うと
「あ、桂はゆっくりしてて」
とやんわり断れてしまった。ですよね。
サークル女子の原稿の手伝いをしようと名乗り出たが
「大変嬉しい限りですが、これだけは自分たちだけの力で成し遂げたいので!」
ときっぱり断れてしまった。真面目で素晴らしい。が、これで本当にすることがなくなってしまった。どうしよう。
「どうしよう。集団での共同生活において役割がないのはとてもマズイ」
と焦燥感に駆られながら自身の無力さに絶望しリビングの片隅で体育座りして彼女たちを見つめる。
掃除でもしようかと我ながら閃いたつもりだったが、何処かしも全てクリーニング済みで非の打ち所がなく敢えなく轟沈。
「巡回に行ってきます……」
「え…じゅ、巡回っ!? ちょっっっ桂ーっ!?」
苦渋の末、僕は外に出ることにした。散歩という巡回警備である。
別荘内に居ても居心地悪いし独りで散歩した方が気が楽だ。でも後で咲さん達から叱られちゃうんだろうなぁ。
「夜になると涼しいもんだな〜」
昼間の地獄ような暑さも陽が落ちれば心地良い微風が吹く。
とりあえずは別荘の外周だ。青空荘はその大きな敷地面積から大回りしないと一周することはできない。
バルコニーの窓から彼女たちが和気藹々する姿が部屋から盛れる明かりで遠目からでもよく見える。
「これだと覗きだな。もう少し遠くに行ってみようかなぁ。たしかこっちに自販機あったはずだよな。そこで一休みするか」
不審者だと怪しまれる前に立ち止まらず進む。
別荘から南側に歩けばスーパーやお土産さんが並ぶ商業エリアだ。歩いて1分も立たずして夜道が伸びる先に自販機の明かりが見える。
「…フンッ なんだかんだ独りは落ち着くものだ」
缶コーヒーで一服しながらふと夜空を眺め深く息を吐く。これでは息抜きしているようだ。僕は無意識に彼女達と居ることにストレスを感じているのだろうか。
———違うな。これは
「そっか…。僕は、いま〝独り〟なんだよなぁ」
彼女達と出会った今までが独りはなかったのだと改めて実感させられる瞬間だった。あの場から物理的に離れたことで何時ぶりの孤独感に僕は不思議と懐かしさを憶えたのだ。本当に変なはなしだ。いつも独りでいたから感じる孤独感ではなく他者と離れたことで感じる孤独感なんて可笑しい。いや、これは「寂しさ」…?
ポケットに入れていたスマホから着信音のアニソンが流れとっさに通話ボタンを押す。相手は理乃さんだ。
《桂先輩、そろそろ帰ってきてください。夕食の準備ができましたよ》
「了解した。すぐに戻るよ」
《はい。待ってます》
通話越しから微かに女子達の燥ぐ声が聞こえていた。
「……戻るか」
帰路につく足取りは自分でも気持ち悪いほどに軽かった。この軽やかさはお気に入りアニメの最新話や購入した漫画を楽しみにしている仕事帰りと似ていたからだ。
青空荘に着くと女子達の笑い声が漏れている。
今からあそこに男一人で入るのかと思うと少し尻込みをしてしまうなと苦笑いしつつ玄関のドアを開ける。
「ただい———」
『お帰りなさ——————いっ!!!!!!!』
大勢の美人揃いの女性達が僕の帰りを待ち侘びたかのように満面の笑みを咲かせて出迎えた。これ、なんてラノベ?
「た…ただいまっ」
彼女達の歓喜に圧倒され唖然とする僕の腕を理乃さんが引く。
「さあ、桂先輩。いっしょにごはん食べましょっ!」
「桂ぃ〜、その前にちゃんと手を洗ってきてー」
「桂君、貴方の席は私のト・ナ・リね♡」
「何言ってるの明日実、彼の隣は私よ?」
「二人ともすみませんけど、兄の隣は昔から妹って決まってるんで」
「じゃあ反対側はわたしでいいですよねっ?」
明日実、菫、玲『ダメに決まってるでしょっ!!!!』
「さすが彼崎さん、
以下サークル一同『うんうんっ!!!!!!』
それからは僕の隣を席を巡っての争奪戦が始まりだし、食事どころではなくなった為咲さんと理乃さんが痺れを切らして場を鎮静化。
ようやく夕食をとることができたかと思えば、今度は僕にあ〜んをしたいがために明日実さんと菫さんがまたしてもバトル。そこに恵里沙さんも混じりだし更に状況は悪化。その場を見ていた玲ちゃんがとうとうキレだし場は
一方サークルの女子達はこの
食事が喉を通らない。いや、そもそも食事に手をつけられない。彼女達に腕を引っ張れて飲み物に口をつけるだけで精一杯。楽しく美味しい夕食は何処へ?食べ物が視界に入らない。視界に入るのは彼女達の天真爛漫の乱舞。
意識が朦朧とする中、走馬灯のように高校生の頃に観ていた自身をヲタクへと昇華させるきっかけとなった学園ラブコメアニメのOVAの一コマが蘇った。
————————————独りに、なりたい。
「つ、疲れた………」
狂喜乱舞の夕食が終わり、残りわずかのHPで皿洗いにとりかかろうしたが、サークル女子達が「させてください!」と言い出し、断ったのだが圧に押されて渋々仕事を譲りこうして彼女達の真面目差に与りソファーに腰掛けていた。
ここに来てから自分は何も役割を果たせていない。強いていえば
(食事でこんな疲れることなんてあるのだろうか…)
咲さんたち4人は入浴中。4人で入っても狭くないらしい。どれだけ広いんだ。
もはや疲れが勝って、壁を挟んだところに裸の女性達がお風呂に入っていることになんら動揺や恥ずかしも感じない。
「はい。桂兄ぃ」
玲ちゃんが水を淹れたコップをこちらに差し出し僕が手に取ると、彼女は左隣に近い距離で腰掛ける。
「ありがとう玲ちゃん(近い…)」
「なんでそんなに疲れてんの?」
「いや、心当たりあるでしょ」
「フンッ! 明日実さんたちが悪いんじゃん。桂兄ぃにアーンしようとするから。 しかも…自分が口につけたフォークで…っ!」
ぷるぷると顔を震わせ顔を紅潮させる玲ちゃんに「いや〜サイコーだったわ〜」と煽る恵里沙さんが、僕を挟むように右隣に勢いをつけて腰掛けた。
「お兄さん、モッテモテでしたネッ」
「美味しかったはずの食事の味が思い出せないよ(こっちも近い…)」
「アハハハッ! お兄さん、みんなのア〜ンにめっちゃ動揺してましたよネー」
「恵里沙、アンタも共犯ていうか同罪だからね」
「え〜ぇ? アレはジョーダンだったのにぃ」
「はぁっ!? そんなわけないでしょっ!」
「二人とも、僕を挟んでケンカするのやめてね」
金髪と黒髪のストレートロングが似合う美少女に密着し挟まれているこの状態はラブコメ的に非常に映える…が、さすがにこれはイケナイ距離だ。
今更注意するのもソファーから立ち上がり離れる気力もない。なぜなら疲労が勝っているから。
このままだと勢いに身をまかせて上半身だけがこちらに正面を向けてしまうと、二人の左右の胸部が腕に当たってしまう。むしろもう当たる寸前。
「お兄さ〜ん、玲がこーわーいーっ」
恵里沙さんが腕を組んできた。しかも両腕で。
あーもう完全に当たっちゃってるよ。アレが、ふたつも、右腕に、ムギュってさ。
「ちょっ、アンタなに腕組んでっ!———ワタシもっ!」
対抗心か玲ちゃんも続いて腕を組んできた。もちろん両腕で。
こっちも完全に当たっちゃってるよ。アレが、ふたつも、左腕に、ムギュってさ。
「ねえお兄さん、わたしもお兄さんの妹にしてよ。ネ?」
「はぁああああああ!!!??? 恵里沙っ、アンタねぇ!!!」
「きゃーっ、玲がマジオコ〜♪」
こんなふざけたギャルの言動をしているけど、玲ちゃんが知らないであろう
彼女はとても友達思いの誠実で可憐な淑女だ。
玲ちゃんにその一面を見せないのは、隠すつもりではなく玲ちゃんと一緒に居る『ギャルの妃本恵里沙』こそが彼女にとって———〝素〟だからなのだろう。
「お兄さん、ワタシ今日眼鏡持ってきたからさ、後で掛け合いっこしない?」
「ダメに決まってるでしょ!」
「二人とも、腕を離してくれない?(そろそろ限界だ)」
『———イヤッ!!(デース)』
頼む。誰か殺してくれ。
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