第41話
翌日。
部署に戻るために通路を歩いていると、反対方向から咲さんが段ボールを二つ抱えて向かってくる。
目が合った咲さんは「お疲れ」と言って自分の横を過ぎ去るその瞬間、「お疲れ様です」と返した僕はクルリと方向転換し咲さんの持つダンボールの上に載っている一つを取り上げる。
「え、ちょっと!」
「これ、どこに運べばいいですか?」
「えっ!? 向こうの空室だけど……」
「了解です」
「……。クスッ」
「なんですか」
「なんでもな〜い」
とぼけて笑みを浮かべる咲さんを横目に、段ボールを彼女が指定する空室に運び終える。
「よっこいしょっと!」
「ここでいいですか?」
「うん。サンキュー。助かった」
「いえ。これくらいは」
少し間をおいて咲は桂に歩み寄る。
「…。あの、さ…」
「はい?」
咲は迷っていた。
聞くの?
聞いちゃっていいの?
昨日の夜のことを。
桂と理乃ちゃんが昨夜に楽しそうにデートしてたことを。
二人の様子を見た後に家に帰っている間のことは、あまり覚えていない。
衝撃的なものを見てのショックなのだろうか。
「昨日…」
「昨日?」
どうして、こんなに桂から本当の聞くの怖いって思ってるの、私…?
なんで?別にいい事じゃない。
「あー、やっぱなんでもない!…それよりさ、最近理乃ちゃんとはどうなのよ?」
「理乃さん?」
あの陰キャでコミュ障で二次元の女の子しか興味なかったあいつが、理乃ちゃんみたいな可愛い子と付き合えたんだよ?
喜ばしいことじゃない。なのに—————
「どう…とは?」
「ほらアンタたち、先輩と後輩にしては仲が良いし、趣味も同じで話も弾むし、一緒にアキバとかに行くぐらいの仲でしょ?付き合いたい…とか思わないの?」
理乃ちゃんは桂と価値観も近いし真面目で健気で素直で可愛い。
桂が理乃ちゃんを好きになっても可笑しくなかった。
お互いに地味だったけど垢抜けて格好良く可愛くなって、趣味や境遇が同じでお互いの家に遊びに行くほどの仲。惹かれ合うのは当然のこと。
「(—————ほんと、理想的で〝漫画〟みたいなふたりで…)」
咲の表情がみるみるうちに曇りはじめる。
「…っ……」
「咲さん?」
中々言い出しきれず言葉に詰まる咲。
すると、オフィスから咲さんを呼ぶ社員の声がした。
「屋敷部さーんっ!お電話でーす!」
オフィスの奥から女性社員が咲さんを呼ぶ。
「……」
「咲さん?呼んでますよ?行かなくていいんですか?」
「…。あ、うん…。そうだね。ごめんね。なんでもない。行ってくる」
咲は曇った顔を誤魔化すように桂に笑顔を向けてオフィスへと戻っていった。
「(咲さん、さっき様子がおかしかったよなぁ。元気がなかったというか…。昨日のことってなんだ?)」
結局、咲さんがなにを僕に聞きたかったのかわからない。ただ、彼女のあの顔を見るに、何か大事なことであるということは、なんとなくわかるような気がする。
————その時間、理乃は咲に次の打ち合わせの時間が迫っていることを伝えるが、咲はどこか上の空でキーボードの手が止まっている。
「咲先輩、そろそろ打ち合わせの時間ですよ」
「…」
「咲先輩?」
「———えっ!? あ、ごめん! なに?」
「そろそろ打ち合わせの時間なので会議室に行かないと…」
「あ!そっか、そうだったね。あはは! えっと…どこだっけ?」
「第3会議室ですけど…」
「そう!第3会議室だったね。そうそう!」
「…?」
咲は笑いながら慌てて資料を抱える。
彼女の変な様子に気に掛かる理乃。
「打ち合わせ、結構長引きましたね…」
「だね…」
打ち合わせが終わり、デスクに戻った理乃と咲。
「…」
「咲先輩、どうかしたんですか?」
デスクに戻っても尚、キーボードに手を置いたまま固まっている咲に理乃は気にかかり声を掛ける。
「へぇっ!? ううん!なんでもないよ?」
「打ち合わせの時も、何か別のことを考えていたような気がしたんけど…」
「嘘っ!? あちゃ〜、私ってば仕事中なのに別のこと考えたなんてダメだね〜。集中力が足りてない証拠だよねぇ。後輩に恥ずかしいところを見せちゃったなぁ。しっかりしないとだね。あはは…」
「いえ、そんな! 咲先輩はすごい人です。企画案やスケジュール調整の組み立ても、到底私なんかじゃあ考えもつかなくていつも勉強になってるんです!」
「ありがとう。理乃ちゃん…」
咲は少しの沈黙の後に理乃に尋ねる。
「理乃ちゃんはさ…」
「はい」
「その…えと…、社内恋愛ってどう思う…?」
「ふぇっ!??」
咲の口から出た言葉に思わず驚いてしまう理乃。
「と、突然何の話ですか?」
「ほら、この間見たドラマが社内恋愛のやつでね。それで…」
この時、理乃は『資料室の出来事』を思い出していた。
同じ部署の男女の秘密や桂と密着したことが脳裏を駆け巡り一気に顔を赤らめる。
「しかも〝先輩と後輩の恋愛〟とかでね————」
咲は自分がずるくて最低な人間だと実感した。
ドラマの話をしている間の理乃の動揺し顔を赤らめる姿に咲は悟った。
「(やっぱり…、このふたり…)」
————そのお昼、咲さんはいつもの休憩室には来なかった。
理乃は可愛い弁当を広げてタコさんウインナーをパクッと咥える。
「咲さん、来ませんね…。どうしたんでしょうか?」
「さあ…。仕事が推してるのかなぁ?」
コンビニ弁当のプラスチック蓋を開けたまま手が止まる桂。
桂の脳裏にはあの時の咲の曇った顔が浮かぶ。
「さっき、咲さんを手伝った時に訊かれたんだ…」
「なにをです?」
「なんか『昨日のこと…』って。なにを言い掛けてたんだろう?」
「昨日、ですか?」
「それに…。なんか様子がおかしかったんだよなぁ」
「様子が?」
「なんか浮かない顔をしていたんだ。それに、突然理乃さんのことを訊かれて」
「私ですか?!」
「うん…。最近理乃ちゃんとはどうなのかって。でも、その後に咲さんに用事の電話があってそれで別れちゃったんだけど…」
「咲さんが私のことを…」
理乃も打ち合わせの時の咲の様子が脳裏に浮かんだ。
そして、咲が唐突に自分にした社内恋愛ドラマの話題。そこで出た〝先輩と後輩の恋愛〟というキーワード。
「————っ!?(もしかして!?)」
何かに気付き箸を止めた理乃は、ふとスマホを取り出し操作しはじめる。
「桂先輩、咲さんが同僚さんたちと行ったカラオケの場所ってどこかわかりますか?」
「えっ? ちょっと待って。えっと、確か……」
桂はスマホを取り出し理乃に咲が行ったカラオケの場所を伝える。それを聞いた理乃は続けてスマホを操作する。
しばらくしてスマホを膝下にゆっくりと下ろししばらく考え込む理乃。
そして何かを察した彼女は意を決したかのように顔を上げる。
「…っ。桂先輩」
「ん?どうした理乃さん?」
「私…、ちょっと咲さんのところに行ってきます!」
そう言い放した直後、彼女は急ぐように休憩室を飛び出した。
「ちょっ、理乃さんっ!? 行っちゃったよ…」
理乃は昨夜買った咲へのプレゼントを抱えながら咲を探す。
咲が桂にしようとした「昨日」の質問。
突然、自分に関する話題に変えたこと。
そして、桂と自分に見せたあの思わせぶりな表情…
「(私の考えというか想像が正しければ、きっと咲さんはあの時————っ!)」
会社中を探し歩く中、歩いている咲を見つける。
「いたっ! 咲さんっ!」
自分を呼ぶ声に驚く咲。
呼ぶ声がする方を振り向き、その声の主が理乃だと気づくと一瞬の戸惑いの表情が漏れる。
「理乃ちゃんっ!? どう…したの?私を探すためにこんなところまで…。何かあった?」
「咲さん。少し時間、いいですか?」
咲に真剣な眼差しを向ける理乃。
彼女から発せられる雰囲気に咲はこの前の夜についてのことだろうと瞬時に悟った。
「…。うん。わかった」
理乃と咲は会社から少し離れたカフェに入る。
チェアに座ってすぐ理乃から話を切り出す。
「咲さん————」
「!」ビクッ
理乃から発する次の言葉に咲は怯える。
「桂先輩から聞きました。咲さんから昨日ことを聞かれたと」
「…!。そう…なんだ。あはは…。いや、大したことじゃないんだけどね」
「あと…、私のことも」
「あ、あれは、その…えっと…っ!」
戸惑い困惑する咲を複雑な顔で見つめる理乃。
「昨日の夜、私は桂先輩と仕事帰りに行動を共にしてました」
「…っ!」
できれば、勘違いであってほしかったと心ので願っていたが、これでその願いは叶わなくなった。
「…っ。そ、そっか!やっぱりあそこ歩いてたのって理乃ちゃんと桂だったんだ。あははっ! いや〜二人を見かけた時に声を掛けようと思ったんだけど、君たちがあれほど仲良さそうに楽しく歩いてたもんだから、あの雰囲気に声かけずらかったんだよねぇ」
そう誤魔化し笑いで悠長に話す咲だったが、徐々に沈むように声のトーンが落ちる。
「…でも、びっくりしたなぁ。まさか理乃ちゃんと桂が、付き合ってるなんて思わなかったなぁ…」
もう誤魔化す気力はなく寂しそうな表情をする咲に理乃は咄嗟に彼女の名を叫ぶ。
「(やっぱり!)咲さん、違うんですっ!」
「えっ…?」
唖然としてつつも寂しそうなままな顔を向ける咲。
「……っ! 私と…桂、先輩はその…、付き合っていませんっ!」
「だ、だって…あんなに楽しそうにデートしてたのに…」
なぜか言っててとても恥ずかしくなる理乃。
『デートしてるように見えてたんだっ!』と内心驚くが、今はそれどころではないと気持ちをグッと抑えて、理乃は言葉を続ける。
「あれは!デートとかじゃないんです!」
「え、でも…」
まだ疑念が拭いきれてない様子の咲に対し、理乃は心の中で桂の顔を思い浮かべて『ごめんなさい桂先輩!』と心の中で謝り、彼女に昨夜の紙袋を差し出す。
「あ、あの…、これ」
「これって…」
「桂先輩が今日が咲さんの誕生日だって教えてくれて…それで昨日、買ったものです」
「桂が私の誕生日を?」
それから理乃は咲に昨日の夜のことを話した。
桂から咲の誕生日プレゼント選びの相談をされ一緒にデパートを回ったことを。
「————だから、咲さんが見たのはその時だったんですっ!」
必死に自分に説明する彼女の姿に申し訳なさと自身への情けなさが込み上げ、それと同時に安堵な気持ちが湧き上がる。
「そっか…。桂が私のために…。バカだなぁ私…。二人が一緒に歩いていたところを見ただけで付き合ってるって勘違いしちゃうなんて…っ」
そう呟きながら遠くを見つめる彼女を見て理乃は勘繰るのだった。
自分達が付き合っていると勘違いし、仕事に支障をきたすショックを受けたということは、この人が桂先輩に抱く気持ちが自分と同じなのではないかと…
「咲さんは桂先輩のこと…」
「ん? なんか言った?」
「あ、いえっ! なんでもないですっ!」
声がか細かったのか咲には聞こえなかったようだ。
なぜかそれに少しホッとする自分がいた。
「そう? ね、理乃ちゃんからのプレゼント、見てもいい?」
咲がワクワクしながら紙袋を両手で持ちはしゃいでいる。
「あ、はい!どうぞっ」
直感で選んだが、自分に女の子らしい美的センスなどなく自信がないため、プレゼントを喜んで貰えるか少し不安になる。
「—————可愛い」
箱からネックレスを取り出し掌に乗せる。
「ほんとですかっ!」
「このネックレス、すっごく素敵っ!ありがとー理乃ちゃん!」
「喜んでもらえてよかったです」
「桂からも…プレゼント、あるんだよね?」
「はい」
「あいつのプレゼント…、なんか知ってたりする?」
誤解が溶け安堵になったことで、二人が自分のためにプレゼントを用意してくれていたことを知って喜びの反動が大きい。
今、自分の胸の中は、あの他人に率先して贈り物をしようとして来なかった桂が自分にどんな物を贈ってくれるのか嬉しさと期待が膨らんでくる。一体どんなプレゼントを渡すのかという好奇心が理乃に対し冗談混じりに訊いてみたかったりする。
「それは…、桂先輩にプレゼントを貰ってからのお楽しみですっ」
「うふっ そうね。楽しみにしとく」
✳︎
「(さて…どうしたものかな…)」
死んだ目で業務と並行し咲さんへの誕生日プレゼントをどのタイミングでどう渡そうか模索する最中、僕はキーボードを打つ手を止めて腕を組む。
「(何処か人目のつかないところに呼び出して渡すか、それとも仕事終わりに会社から出たところで渡すか…)」
当然、一番推奨すべきなのは後者の仕事終わりに渡すパターンだ。
だが、それを実現させるには咲さんより先に仕事を終わらせるか、咲さんのペースに合わせて仕事を終わらせるかしかない。
正直、今取り掛かっている作業と溜まっている仕事の量から考えて、中々難しそうだ。
「(溜まっている仕事の何個かを明日に持ち越すことは可能だし調整はできる。それでなんとかなるか…)」
明日に持ち越せる仕事だけ残し、今日中に済ませらえれる分だけの作業を速急に終わらせることにした。
そして—————————
『おつかれさま〜』
「ふぅ〜」
「屋敷部さん、お疲れ様でした〜っ」
「お疲れ〜」
なんとか作業を終わらせ咲さんにプレゼントを渡すタイミングを図るチャンスを得た。あとはどう声を掛けるかだが…あれ?
「(そういえば…、誰にも見られないようにプレゼント渡す時に咲さんにどう言って誘えばいいんだ?)」
しまった!
渡すタイミングを図る準備は考えてきたが、渡す前の誘い文句はちゃんと考えて来なかった。
「(どうしよう…っ! なんて言って咲さんと二人っきりにするところに誘導してプレゼント渡せばっ!?)」
早く考えなくては咲さんは退社してしまう。
退社する前に呼び止めてプレゼントを渡さなくては今日の頑張りが水の泡となる。
「(考えろ…考えろ…っ!)」
デスクの下に隠してある紙袋を見つめながら焦っていると
「彼崎、お疲れさま。もう帰れそ?」
咲さんが鞄を肩に掛けて僕に声を掛けてくれた。
これはチャンスだ!
僕は立ち上がり思いのまま頭に浮かんだ台詞を咲さんに発す。
「————咲さん、このあと時間いいですか。大事な話があります(ん?)」
あれ? この言い方合ってる?
今のなんか変な言い方に聞こえなかった?
彼の真剣な眼差しで「大事な話がある」という文言に思わず心臓が跳ねて、変な期待と高揚感で頬を一瞬赤らめて小さく頷く。
「えっ!? …あ…う、うん…っ」
「じゃあ、下で」
「わかった…」
なんとか咲さんと約束を取り付けることに成功した。
あとはプレゼントを渡すだけだ!
「—————————っ」
二人のやり取りを遠い場所から見届け安堵した笑みを浮かべながら理乃は鞄を持ちオフィスを出る。
周囲に人がいないことを確認し、僕は咲さんを本社ビルの裏手に呼び出した
「咲さん、仕事帰りにすみません…」
「うん…。それで、大事な話って…なに?(彼が私に誕生日プレゼントを渡すって知ってるしわかってはいるんけど、…でも、なんかこのシチュエーション、これから私が後輩の男の子に告白されるようとしてる瞬間みたい)」
「実は…その…っ」
。
ただ誕生日プレゼント渡すだけでどうしてこんなに緊張しているんだ僕は?心臓もどうしてか鼓動が早くなって呼吸するもやっとだ。
「どうしたの?」
咲さんが心配そうに僕を顔を覗き込む。
その仕草の所為なのかさらに鼓動が早くなり熱も帯びてきた。
「あの…これ!」
持っていた紙袋を咲さんに差し出す。
「今日は咲さんの誕生日なので…その、プレゼントを!(やった!やっと言えたし渡せた!)」
紙袋を受け取った咲さんは、紙袋を優しく抱きかかえた。
「ありがと」
「っ!」
彼女の笑顔を見た瞬間、僕の中の何かが弾け飛んだような気がした。
「ねえ。見ても、いい?」
「ど、どうぞ…。あの、気に入らなかったらすみません…」
咲さんが紙袋の中に手を入れ、中のものを取り出す。
「これって…」
「咲さんがこの前のお昼時間に、好きな動物の話題になったとき、好きな動物が
咲さんは「そっか…」と海獺のぬいぐるみを優しくぎゅっと抱えながらクスッと笑う。
「可愛い…」
「よかったぁ。喜んでもらえて」
「うふふ。桂らしいね、なんか」
ぬいぐるみの頭を優しく撫でる咲さん。
「子供っぽすぎるかなって最初は思っていたんですけど…でも、咲さんが好きなもので唯一僕が知っていたのがこれだったので」
「よく覚えてたね。私が海獺が好きだって話してたこと」
「相手との過去を思い出し相手が好きなものが何か考えて〝思考〟すれば、自ずと本人が欲しいものはなんなのか導き出せると、とあるラブコメ漫画の主人公が言っていました」
「そっか…。私のことを想って考えて…」
今までの男性からの贈り物は殆どが、お花やブランドものだった。
どれも私が貰って喜ぶものというより女性が貰って喜ぶものばかりだった。
だから正直、どんな男性からのプレゼントも心から嬉しいと感じたことはなかった。でも…
「実はですね!買うかどうか迷ったんですけど、2匹の海獺が手を繋いでいるぬいぐるみもあったんですよ。どちらにしようか20分も悩みましたよ〜」
私のことをここまで大事に想って一生懸命に考えてくれた男性は彼・彼崎桂という私の後輩だた一人だけだった。
「うっそ! じゃあ今度いっしょに見に行こっか?」
「はい。そうしましょう」
理乃ちゃんとの疑念がすっかりどこかへと吹き飛び、彼が私のために贈りものをくれたことと私のことを真剣に思い考えてくれたこと両方に、只々溢れんばかり嬉しさだけが私の心を満たすのだった———————。
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