第40話

 ある日の午前中、僕はキーボードを打つ手を止めオフィスの外に隠れてとある人物が通りかかるのを待ち構えていた。


「あ…来たっ 理乃さん、ちょっとちょっと」

「え?桂先輩?」


 彼女に手招きをして小声でこちらに来るよう誘導する。

 理乃さんも小声で僕に問いかける。


「どうしたんですか?」

「ちょっと今いいかな?」

「はい。大丈夫ですけど…、どうかしたんですか?」

「ちょっと相談があって」

「相談、ですか?」

「とりあえずこっちに」


 首を傾げる理乃さんを人目の着かない場所に連れていく。

 彼女は二人っきりの状況にやや戸惑いつつも再度訊き返す。


「あ、あの、どうしたんですか桂先輩?私に相談だなんて……。私にできることならなんでもしますよ?」


 今〝なんでも〟と言ったか君?

 その言葉に二言はないな?


「実は明日、咲さんの誕生日なんだ」

「————え!? 明日、咲さん誕生日なんですか!?」

「シーッ!! 声が大きいよ!!」

「あ、ごめんなさいっ!」


 咄嗟に口元を両手で隠す理乃さん。


「咲さん、明日誕生日だったんですね。知りませんでした……。桂先輩は咲さんの誕生日を知ってたんですね」

「たまたまね。入社した年に咲さんが同僚たちからプレゼントを渡されるところを遠くから見てたんだよ。それで知った」

「なるほど」

「それで…大変言いずらいんだけど、僕は入社以来一度も咲さんに誕生日プレゼントを渡していないんだ……」


 後ろめたそうに理乃さんから目線を逸らすと、彼女にジト目で睨まれた。


「桂先輩、咲さんの後輩なんですよね?たくさんお世話になってるんですよね?家まで遊びにくるような仲ですよね?」


 最後のところはどこか含みを持たせるような言い方だな。


「あ…はい…」

「なら、どうして今までプレゼントを渡せなかったんですか?」


 ムスッとした顔で腰に手を当て僕に詰め寄る理乃さん。


「えと…、それはその…ですね。何を渡せばいいのかわからなくて…」


 渡すつもりがなかった訳ではない。ただ、渡せなかったのだ。

 家族以外に誕生日プレゼントなんて渡したことなんてもちろんなかったし、女性に送るプレゼントに何が相応しいかなんて陰キャでヲタクの僕にわかるはずもなく…


「…。なるほど。そーゆうわけですね」


 唖然とはするも納得する理乃さん。


「それで相談なんだけど、僕と一緒にプレゼント選びを考えて欲しいんだ!」

「それは別に構いませんけど…。私も、咲さんに誕生日お祝いしたいですし」

「ありがとう!そういう訳で、今日仕事が終わったら僕に付き合ってほしい!」

「え、付きあっっ!!!??」

「じゃあ、仕事終わったら玄関前に集合ということで!じゃあ!」


 桂が去った後も理乃はその場に立ち尽くしたままだった。


「(桂先輩とつ、付き合う…。はっ!いやいや違う違う!付き合うって言ってもそういうことじゃないし、ただ買い物に付き合うっていうだけだで!……多分、ファミレスか喫茶店でお茶しながら何を買うか相談して、その後にどこかのお店でプレゼント選びするってかんじだよね、きっと。うん。流れとしてはそうだよね。でもそれって——————」


 この時、理乃の数多読んできた恋愛漫画のありとあらゆるシチュエーションが脳裏を駆け巡った。


「(仕事終わりのデートじゃあああああっっっ!!???)」


 理乃が顔を赤め悶絶しているのも知らずに彼は死んだ魚の目をしながら仕事をしていた。


「(さて、ささっと仕事を終わらせて理乃さんとどっかの喫茶店で作戦会議するか…)」



 会社ビル玄関前。

 理乃は玄関を出てキョロキョロと辺りを見渡し桂を探す。


「あっ! 理乃さん、こっちこっち!」


 理乃は桂のところへ駆け込むと咄嗟に前髪を整える。


「すみません!お待たせしてしまって!」

「いやいや、大丈夫だよ。僕もさっき出てきたばっかりだから」

「咲さんは?」

「今日は同僚の人たちのカラオケらしい」

「そうなんですね」

「とりあえず、どこかゆっくり相談できるところに行こう」

「わかりました」


 僕らは大通り沿いのお洒落な喫茶店に入ることにした。


「ごめんね理乃さん。今日は僕のためにわざわざ仕事終わりに付き合わせっちゃって」

「いえいえそんな!誘ってくれてありがとうございます!」

「じゃあ、咲さんのプレゼントのことなんだけど———」


 桂がプレゼントについて話す中、理乃は入店してから動揺して桂の言葉が耳に入らなかった。なぜなら


「(ここ…、周りがカップルだらけだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!)」


 それもそのはず。週末の夜の喫茶店。

 学生のカップルや仕事終わりの恋人たちがこの店内のほぼ8割を占めており、店内中が圧倒的なあま〜い雰囲気に包まれていたからだ。

 彼女はこういう甘い雰囲気が充満している場所に行き慣れてなかった為、喫茶店店内がこんなカップルだらけとは知らず、緊張と動揺が入り混じり店内の雰囲気に酔いそうになっていた。


「(よりにもよってカップルが多いこの時間帯にこの喫茶店を選ぶなんて〜!桂先輩のことだから周りがカップルだらけなんて気付いてないよね。きっと」

「それでね、…うん?理乃さん聞いてる?」

「(これって私たちもはたから見ればカップル……に見えてたりするのかな?でも私たちスーツ姿だし付き合ってるカップルには見えないよね。でもでもお互いスーツ姿だから仕事終わりの恋人同士って思われるかもっ!?どうしよ〜!!仕事終わりに男の人の先輩と喫茶店でお茶なんて!!!!!)」

「おーい。理乃さん?」

「(こんなことになるんだったらもうちょっと可愛いトップス着てこればよかった〜っ!…て、何考えてるんだろう私は!こんなのただ仕事終わりに先輩と後輩が喫茶店に来ただけじゃない。あ〜もうっ!動揺して勝手に舞い上がってる自分が馬鹿みたいっ!)」

「理乃さん?おーい!」

「—————へっ!? は、はい! なんでしょうか!?」

「大丈夫?」

「だ…大丈夫ですっ! えと、なんの話でしたっけ?」

「いやだから、咲さんのプレゼントは食べ物が良いか実用的なものにしようかという話なんだけど?」

「え…、あ、そうでしたね!そうですよね!あははっ、どうしましょうか…っ」

「???」


 理乃さんの様子がおかしい。


 喫茶店に入ってからどこか忙しない様子。

 緊張?困惑?動揺?全てを混ぜたような複雑な顔をしている。


 一体どうしたんだ。


 この喫茶店が原因なのか?ここは会社から歩いてすぐの場所にある至って普通のオシャレな喫茶店だ。別段おかしいところはない。

 強いていえば、今日はお客さんが多いとの客層が若い男女のカップル率が高いってことぐらいか。まあ、関係ないだろうけど。


 だが、このままというわけにもいかない。


 もしかしたら理乃さん自身にも何かしら相談したいことがあるのかもしれない。もしそうなら先輩としてオタク仲間として良き親しい仲として是非力になりたい。


「理乃さん」

「あ、はい!?」

「理乃さんの誕生日っていつなんですか?」


 桂の突然の質問に目を丸くする理乃。


「へ!? 私のですか?」

「はい!」

「えと、3月2日ですけど…?もう過ぎちゃいましたけどね。あはは」

「それじゃあ、来年は理乃さんの誕生日を祝わないとな!」

「…っ!」

「そうなると理乃さんの誕生日プレゼントも考えないといけないな!うん!期待して待っといてくれ!」


 笑って彼女に笑親指を立てて断言した。


「———。はい。うふふっ」

「ん???」


 なぜ彼女が可笑しく笑ったのかわからない桂。


「(そうだ。私、何に緊張していたんだろう…)」

「しっかし〜、咲さんには何がいいのか…。やはり珍しい珍酒とかがいいだろうか…」


 この人は男性で職場の先輩でオタクの男友達。

 だけど、それだけじゃない。

 彼は鈍感で素朴で真面目でそばにいるといつも〝暖かい〟人。


 いつだって彼と何処に居ても緊張や動揺なんてしなかった。たまの彼の言葉や行動に胸の鼓動が高鳴りなんて心地良いほどに。


 そんな私にとって掛け替えのない〝憧れの人〟が今、私の目の前に居ることを私はついさっきまで忘れてしまっていたのだ。


「それとも料理する咲さんのことだからキッチングッズの方が喜ばれるだろうか…」

「———桂先輩」

「ん?」

「考えてばかりもあれですし、とりあえずお店、見に行ってみましょ。ね?」


 優しい笑みを浮かべながらそう提案する彼女に一瞬僕の胸の鼓動が高鳴った。


「っ! う、うん。そうだな。そうしよう(なんだかよくわからないが、理乃さんに笑顔が戻ってよかった。やはり誕生日を聞いて正解だったのかな)」


 理乃さんと喫茶店を出たあと、街の大きなデパートでプレゼントを選びの為店内を見て回る事にした。

 当然、デパート内にも男女ペアの割合が多く、手を繋いだり腕を組んだカップルがそこら中に闊歩していた。

 そんなところに安易に足を踏み入れてしまった恋愛未熟者の二人は固まっていた。


「理乃さん…」

「なんですか、桂先輩?」

「デパートってこんなイチャイチャリア充が闊歩しているような場所だったか?」

「どうでしょう。私もこういうところへは家族とでしか来たことがなかったので…」


 闊歩している男女の何割かは僕らと同じくスーツ姿のペアも居り、それらが目に入ると、気まずさが一層増した。


「お…臆してはいけないぞ理乃さん!僕らはたとえどんな圧倒的アウェーな場所であっても己を見失ってはいけない!」

「は、はいっ!そうですね!」

「僕らはただプレゼントを買うために来たんだ!」

「はい!私たちはプレゼントを買うために来たんですもんね!」

「気を引き締めていこう!」

「はいっ!」


 こうして互いの士気を高め合った。


「ん〜、プレゼント選びって難しいんだな」

「そうですねぇ…。相手が自分と同じオタクだったなら何で喜んでもらえるかなんてすぐわかるんですけどね」

「それな!」

「だけど咲さんはオタクではないですし、咲さんに喜んでもらえそうなものって中々思いつかないですよねぇ。あはは…」

「ホントそれな〜!」


 咲さんとの付き合いは長いが今になっても尚、彼女が何が好きで何を貰って嬉しいと感じられるのか全く知らない。知ろうともしてこなかった。

 これは由々しきことだ。

 こんなことでは相手にプレゼントなんて渡せられる訳がない!


 歩きながら理乃さんが訊いてきた。


「そういえば、玲ちゃんの誕生日にはなにを渡してたんですか?」

「玲ちゃんに?そうだなぁ。————棚かな」

「棚っ!?」

「中学の時から玲ちゃんはファッションに詳しくなってたし、疎い僕に服とかをプレゼントなんてできないから、それくらいしかなかったんだよね」

「玲ちゃんならきっと、桂先輩が買ってくれたものならなんでも喜んでくれてたと思いますよ?たとえ、アニメのキャラクターがプリントされたTシャツでも。うふふ。…それで、どうして棚だったんですか?」

「玲ちゃんの部屋が服やバック、小物類が多くて収納に困っていたんだ。それで良い収納する棚をずっと欲しがっていたんだ。だから機能的で見栄えがいい収納棚に詳しいことを活かして家でできる組み立て式の収納棚や木製ラックを買って作ってプレゼントしたんだよ」

「うふふっ。なんか、桂先輩らしくて素敵ですね(私の誕生日プレゼントも桂先輩に作ってもらった棚がいいなぁ。…なんて)」

「オタクのさがというやつで、漫画とかアニメグッズを綺麗に収納して飾るための棚とかラックに異常なほどのこだわりを持っていて詳しかったからな」

「あ!それすごくわかります!私も綺麗に可愛く飾りたいって棚選びとかすごくこだわりましたもん!」


 なんか、たまにこういう『オタクあるある』を話せる相手がいるっていいもんだな。

 理乃さんとこうしてオタクならではのトークをするのはここ最近なかったからちょっと嬉しい。


「それじゃあ、咲さんのプレゼントは棚で決まりですか?」


 理乃さんが冗談混じりにそう訊いてくる。


「あはは。悪くないかもだけど、さすがに棚はちょっとね」


 オタクじゃなくてもわかる。

 誕生日プレゼントに棚を渡す人間なんていない。


「それじゃあ、どうしましょっか?」

「う〜〜〜〜ん」


 腕組みをしてながら歩いていると、ふと理乃さんが足を止めた。

 彼女はアクセサリーショップの前で立ち止まり商品棚のガラスの中を覗き込む。


「かわいい…」


 理乃さんの横顔を見て、彼女もやっぱりこういうものに興味があって好きなんだなぁと再認識した。


「見ていく?」

「えっ!? あ…いや、大丈夫ですっ!すみません。行きましょ!」


 慌てて両手を振って全力で首も振り歩き出そうとする理乃さん。けれど視線だけはアクセサリーの方に向いていた。


 誤魔化しきれてないぞ、理乃さんや。


「ふん…。ちょっとだけ、見ていこうか?」


 桂の優しい声掛けにときめき、思わず「はい」と返事をする理乃。


「綺麗…」

「……っ!(しまった!こういうお店に行くと必ず…)」


「何かお探しですか?」ニコッ


「(やっぱり来たぁぁぁぁぁ!!!!!)」


 ショップの奥から若い女性店員さんが即差とニコニコのビジネススマイルで僕らに近づいてきた。


「え、えと、その!あの…っ!」

「ご自身へのお買いお求めですか?それとも、どなたかへの贈り物でしょうか?」


 理乃さんもこういう店員さんに慣れていないらしく、声を掛けられ困惑し言葉に詰まっている様子だ。

 ここは僕がなんとかしなくては!


 喉から力を振り絞って店員さんに答える。


「えと…、贈り物です!」

「そうでございましたか。では、何点かご案内させていただきしょうか」


 まずい。


 このまま店員さんのペースに流されたら勢いで何か買わされる可能性がある!

 状況が悪くなる前にこの場から立ち去る為の言葉を脳をフル回転させて考えていると、突如理乃さんが


「—————あの、これが気になるんですけど」


 理乃さんが突然、ガラスの中のアクセサリーの一点を指していた。

 店員さんは即座にそのアクセサリーについて説明を彼女にした。理乃さんは店員さんの説明にコクンと何度も頷きながら真剣に聞いている。


「これをください」

「はい。かしこまりました。では、こちらにどうぞ」


 理乃さんは店員さんと店の奥のカウンターへと進んでいく。


 あれ?

 もしかしてなくても理乃さんに先を越された?

 まずい! 後輩に先を越されてしまった。僕も早く何か選ばないと!


「(どうしよどうしよっ!)」


 頭を抱えて踠いてると、理乃さんが両手で紙袋を持って戻ってきた。


「買っちゃいました…。えへへ」


 照れ笑いながら僕に紙袋を見せる理乃さん。


「まさか相談した理乃さんに先を越されてしまうとは。自分が情けない」


 項垂れる僕に理乃さんが優しく励ます。


「そんなことないですよ。私でも選べて買えたんですから、桂先輩もきっと素敵なプレゼント選べると思います!」

「理乃さん…。君はなんていい後輩なんだ…っ」

「そ、そんな大袈裟な…」


 僕の言葉に唖然失笑する理乃さん。


「————よし! こうしてはいられない!僕も何か選ばないと!」

「お供しますよ!桂先輩!」

「ありがと、理乃さん!」


 僕らは店内を歩き回った。

 雑貨ショップやインテリアショップ、ブランドショップなどを見て回った。


「どれも値段が〜、これは違うような〜」


 プレゼント選びは難航していた。


「桂先輩、今こそオタクの知識を生かすべきでは?」

「オタクの知識を?ここで?」

「はい。あらゆるラブコメ漫画、ゲーム、アニメを観てプレイしてきた先輩なら、咲さんに渡したいプレゼントが何か、その最適解を導き出せるはずです!」

「理乃さん…」


 理乃さんに背中を押された僕は、脳内のオタク情報演算処理装置をフル稼働させた。


 そして—————————



「理乃さんのおかげで良いプレゼントを選ぶことができたよ。ありがとう」

「いえ。私はなにも。桂先輩自身の成果です」


 目的を達成した僕らはオタクトークをしながらデパートを後にするのだった。


              ❇︎


「それじゃあ咲ぃ〜また明日ね〜!一日早いけど誕生日おめでと〜っ!」

「ありがと〜っ!また明日ねぇ〜!」


 カラオケパーティーを終え、同僚たちと別れて帰路につく咲。


「明日、私の誕生日か…。学生の頃は喜んでたけど、流石にこの歳での誕生日はちょっと複雑だな〜っ」


 そう彼女が呟きながら大通りを歩いてると、車道を挟んだ向こうの歩道に見知った姿を見つける。


「(ん? あれって…もしかして桂?この時間にあんなところで何してんだろ?そうだ。せっかくだから声かけよ!)」


 咲が桂に向かって腕を大きく上げて彼の名を呼んだ瞬間だった。


「おーいっ!桂ぃ〜っ! なにして—————————」


 桂の隣を誰かが並んでいて歩いていた。


 ———理乃だった。


「…え? 理乃…ちゃん?」


 二人は仲良く楽しそうに歩いていた。

 理乃もスーツ姿であり、二人が仕事帰りにそのまま行動を共にしているとわかった。


「そっか…。あの二人…、付き合って…たんだ…」

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