第38話

 玲ちゃんが戻ってきた後も僕らはしばらく談笑に浸った。


 我が妹と楽しく話す恵里沙さんは本当にあの百合漫画『エリンジウムの教室』に登場する、誠実で面倒見が良い姉御肌の女の子だ。


「そろそろサークル棟に行く?」

「そだね。向こうもメンバー集まってる頃だろうしね」


 僕が此処に来た目的は恵里沙さんとの出会いだけではない。

 この梓丘女子大学にある唯一のヲタクサークルに訪問することだ。

 果たして、お嬢様大学のヲタクサークルとは如何なるものか。


 非常に興味が湧く。


「恵里沙さんは何かサークルに所属はしてるの?」

「おぉ? お兄さん、わたしに興味がありますか〜ぁ?」

「やっぱりなんでもないです……」

「あー!ウソウソッ! 冗談ですってば!えと、わたしはサークルには入ってないです。わたしもバイトしてるんで」


 サークル棟を目指しながら僕らは歩いていた。

 僕は歩きながら恵里沙さんに訊ねていた。


「へぇー(なんのバイトしてるかなんて聞いたらキモがられそうだしやめておこう)」

「なんのバイトしてるか聞かないんですか?」

「いや、聞かないよ」

「別にお兄さんに聞かれたってキモがったりしませんよ〜」


 恵里沙さんは僕の耳元で囁く仕草をしながら


「それに、お兄さんにならわたしがなんのバイトしてるか教えてもいいですよ?」


 と、あざとく言うのだった。

 彼女のあざとさに翻弄されないよう僕は平然を装うのだった。


「そっか。また今度にするよ」

「それって遠回しに今度会う約束ってことですか〜?」


 僕の負けだ。


「………っ(桂兄ぃ、もうフツーに恵里沙と会話できてんじゃん)」


 玲は少し変なジェラシーで肘で桂の横腹を突っついた。


「い、痛いよ玲ちゃん?」

「フンッ……」

「ぷふっ(あら〜玲カッワイイ〜!)」


 歩いて5分程してサークル棟に到着した。

 恵里沙さんの知り合いが会長をしているサークルの部室は、5階建てのサークル棟の3階の端にあるという。


「……僕の居た大学のサークル棟とは大違いだ」

「そりゃそうでしょ」

「全室冷暖房完備だし備え付きのテレビとネット環境。ついでにどの部室にもキッチン有りと。至り尽くせりってやつですな」

「すごいな」

「お嬢様大学だし」

「部室にテレビとネット環境が標準設備されているなんてヲタクとして最高じゃないか!」

「桂兄ぃ、うるさい」

「しかもエレベーターも付いてる」

「贅沢……」

「今更だけど、僕って入って大丈夫なの?」

「ほんと今更」

「学生の関係者ならもちオッケーです」


 僕らは意地を張って階段を昇ることはせずに素直にエレベーターで3階に昇った。


「乙女創作文化研究お茶会?」

「研究してお茶する会なの?」

「略して〈乙文研おつぶんけん〉だな!」

「略す必要ある?ていうか語呂悪っ」


 エレベーターでサークル棟3階に降りて右を曲がった奥にそのサークルの部室は有った。

 扉には花柄ネームフレームに〈乙女創作文化研究お茶会〉と明記されている。


「あの、すみません。花菱さんから呼ばれた者なんですけど〜」


 恵里沙さんがドアを開けると室内には数人の女性達がこちらに視線を向ける。

 ずらっと数えて7名が居る。ひと目見てもやはりどの子もレベルが高い。


「花菱。ほら、彼崎兄妹連れてきたよ」

「ありがとう妃本さん」


 そして、僕と玲ちゃんも恵里沙さんに続き部室に入った途端—————


『キャアーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!』


 という「悲鳴」ではなく甲高い黄色い声援が部室中に響き渡った。


「(なになになになに何なのこれは!?!!!!???)」


 サークルメンバーの女の子達がお互いに両手を重ねて歓喜をあげていた。


「あの方が彼崎さんのお兄さん!?」

「なんてお優しいそうな方なんでしょうか!」

「あの方が私たちと〝同志〟だなんて信じられない!!!!(※褒め言葉)」

「是非ともこの書籍マンガについて語り合いたいです!」

「彼崎玲さんってあの雑誌『ready』のモデルさんだよね!?生で見られるなんて嬉しい!!」

「私、彼崎さんには是非着てほしいコス(コスプレ)があるのよ!」

「彼崎さんには今度の同人即売会に出品する漫画のモデルになってもらうわ!」


 何やら奥の方でとんでもない文言が聞こえてきているが、あえて聞かなかったことにしよう……。


「私がこのサークルの5代目会長をしています花菱美桜子はなびしみおこと申します」

「彼崎桂です。初めまして」

「貴方が彼崎玲さんのお兄さんですね。遠いところをお越し下さってありがとうございます!」


 サラサラのミディアムヘアが特徴の赤いフレーム眼鏡を掛けた美少女が僕の手を両手でぐっと掴む。そして、玲ちゃんにも声を掛ける。


「彼崎さんも来てくれてありがとう!」

「——————!」コクン


 玲ちゃんは少し驚いたあと無言で頷いた。


「さあさあ!立ち話もなんですし、どうぞお掛けください」



 ◇◇◇◇



「(まるで取引先に企画のプレゼンに来たみたいだ………)」


 僕は長い会議テーブルの横幅狭い位置の中央に座らせられ、その両隣玲ちゃんと恵里沙さん。

 右側に会長さん。残りの7名のサークルメンバーが横幅長い位置に均等に並んで座っているという配置。


 どうしてこうなった!?

 いや、自分の所為ですけど!そうなんですけど!


 両隣には美人女子大生(内1人は妹)。僕を中心に並ぶ同じく美人女子大生たち。


 え、これもうピンチじゃん。手に負えないじゃん!

 もう僕のどうにかできるキャパ超えちゃってるよ!!!!


 ここに居る女の子全員、僕と〝同類〟なんだよな?

 僕と同じ趣味を持った同志ヲタクで間違いないんだよな!?


 ダメだ……。とてもじゃないけど信じられない。


 しっかりしろ僕よ!折角ここまで来たじゃないか!

 よく考えてみろ。今この部屋にいる8割は僕と同じ志を持ったヲタクなんだ。


 そう。仲間だ。ヲタク仲間なんだ。


 そうだよ。例えるのなら、理乃さんのような女の子が8人が居るサークルに居るようなものじゃないか!

 なにも恐れることなんてない!むしろ堂々としていればいいんだ!

 彼女達も僕とヲタクトークをしたくて此処へ招いたんだ。なにも臆することなんてない。むしろ彼女達に失礼じゃないか。


 あの頃を思い出せ。

 ヲタクは誰だってヲタク友達を作るのにいつも初めは苦労したもんさ。

 拙い挨拶に拙い会話で探り合いしながら互いのヲタク魂を知り、そしてわかり合ってようやく友達になったんじゃないか。


 性別なんて関係ない。場所なんて関係ない。何時だって僕らヲタクは拙くもお互いの「好きなこと」で語り合いそしてヲタク仲間になってきたんだ。コミュニティを作ってそこからヲタクの輪を広げていった。それはサークルというかたちであったりネットのオフ会だったり様々だ。


 僕の目の前にはいるのはヲタクだ。

 お嬢様大学に通う美少女女子大生であろうと彼女達は〝ヲタク〟なんだ!


 ———————なら遠慮なんていらない。全力でヲタクってやろうじゃないか!


「まずは自己紹介を。先ほど挨拶しました会長の花菱美桜子です!可愛い女の子が出てくるアニメや漫画はとりあえずチェックして全部見ています!最近ハマっているのは『猫のような同居人』です!」


 サークルメンバーがそれに続いて


「私は草壁美月くさかべみづきと言います!趣味は漫画の読書と手芸です!好きな作品は『魔王のメイド様』です!」

「私は所沢麻衣ところざわまいと言います!趣味は音楽鑑賞とアニメ鑑賞です!好きな作品は『魔法少女マーリンレイ』です!」

柊亜衣奈ひいらぎあいなです!コスプレとお琴を趣味としています!好きな作品は『叢雲戦記』です!」

「香山さくらと申します!百合小説を読むのが好きです!あ、書くのも好きです!好きな作品は『月山さんのパンツがほしい』です!」

三条柚さんじょうゆずです!コスプレが好きです!あとお茶を習っています!好き作品は『先輩、俺のネクタイ返してください!』です!」

音堂寺理恵おんどうじりえと言います!絵を描くことが好きです!同人誌を書いています!好きな作品は『シードアイズ』全シリーズです!」

周防結子すおうゆうこです!コスプレと漫画を読むのが好きです!あと小説を書くのも好きです!好きな作品は『ヲタクが恋をしてなにが悪い!』です!」

「これで自己紹介は以上です」


 ヲタクのさがというやつだな。興奮しすぎて我先にと自分の好きなことを早口で言ってしまうことは僕にもある。


 その焦る気持ちや高揚感はよくわかるぞ。うん。


「皆さんよろしく。えと……」


「普段どのような漫画を読んでいるのですか!?」

「今期のアニメ作品で注目しているものはありますか!?」

「コスプレしたことありますか?というかしますか!?」

「BLにご興味はお有りですか!?」

「もし宜しければ同人誌のモデルになってください!」

「絵はお描きになられますか!?」

「今注目の声優さんは誰ですか!?」


 女子大生のヲタク美少女たちからの質問攻め。

 圧というか彼女達のヲタクに対する情熱がすざましい。

 恐れ入った。


「皆さんお静かに! 彼崎さんが困っています!」


 会長さんが皆を鎮めた。さすがサークルを束ねる長だ。


「申し訳ありません彼崎さん。皆、貴方と自身の好きなことで語り合いたくて気持ちを抑えられなくて」

「いえいえ。僕は気にしてないので……。えと、僕は何をしたらいいんでしょうか?」

「私たちと好きな作品について只々お茶をしながら語り合いたいのです!」

「語り合う……ですか?」

「はい!」

「それだけですか?」

「欲を言えば、彼崎ご兄妹にはコスプレをしてもらったり—————」

「絶対イヤ……っ」ボソ

「ご一緒に漫画や小説の朗読会。あ、もちろん妃本も彼崎さんも参加してもらっても構いませんよ?」

「わたしもっ!?」

「絶対しない……っ」ボソ

「と言いたいところなのですが、私たちのワガママに彼崎さんのお兄さんを巻き込むのは本意ではありません。なので、今日は楽しく緩やかなお茶会とさせて頂くことにしました」

「なるほど……っ」


 本当ならヲタクとして彼女達の気持ちには応えてあげたいが、コスプレとか漫画の朗読なんて僕には無理だ。ヲタク出会ってもさすがにこれは恥ずかしい。

 彼女達には申し訳ないけど、ここは彼女達の遠慮に甘えさせてもらうとしよう。だけど、ただ甘えるだけではヲタクとして礼儀がない。なら——————


「でしたら、今日はとことんお互い好きな作品に語り合いましょう。僕なんかで宜しければ、ですが。……音堂寺さんの好きな作品は確か『シードアイズ』でしたよね?」

「私の名前を憶えてっっ!? え、あ…はいっ!」

「あのシリーズは僕も当時テレビを食い入るように観てました」

「あっ、私もです! あれはロボットアニメだと言う人は多いですが、あれは人間ドラマだと思うんです!」

「ですね。太田監督のインタビューでも、あの作品はロボットバトルがメインではなく、あくまで人間模様に焦点を当てていると語っていましたね」

「そーなんですそーなんですぅ!!!!!」

「柊木さんの好きな作品は『叢雲戦記』でしたよね?」

「えっ!?私の名前までっっっ!?」

「あれって来年アニメ化が決定してましたよね。しかも制作はあの神作画で名高いAurora studioさんですもんね。楽しみですよね」

「はい!!!! よくご存知で!」

「えと…、草壁さんでしたよね?」

「あ、はい!」

「魔王のメイド様は僕も漫画読みました。異世界ものでありながら女性にも大好評で驚きました。こうして異世界モノにも女性ファンが増えてくれるのは嬉しい限りです」

「あれほどピュアでキュンキュンするボーイミーツガールはありませんっ!」


 まあ、こんな感じで僕と彼女達とのヲタクトークは盛り上がった。

 コスプレや朗読はできないが、せめて好きな作品について遠慮せず思いっきり語り合って楽しみたい。


「あの一回の自己紹介でメンバー全員の顔と名前、好きな作品まで全部を一致して憶えたの?しかも作品の情報も把握しているなんて……」


 驚愕する会長。


「お兄さんすっごい!」

「はぁ……。全く。こーゆうところだっつーのっ」


 会長と同じく驚愕する恵里沙さん。

 その隣で肩を竦めて呆れため息をする玲ちゃん。

 会長さんが僕に訊く。


「彼崎さんは人の名前を覚えるのがお得意なのですね。それに作品の知識も豊富で」

「いや、僕は人の名前を覚えるのはむしろ苦手な方でして……」

「え? でも、皆の名前と顔をしっかり憶えててしかも一人ひとりの作品まで把握して。普通は誰がどの作品が好きかなんて分からなくなるのに……」

「恥ずかしい話、皆さんのことは作品名で覚えたんですよ。幸いにも皆さんが好きな作品は僕も好きだったり、丁度チェックしてたり読んだり観てたりしていたので。あはは……」

「私たちの好きな作品から名前と顔を憶えて頂けるなんて!作品を愛する者としてこれほど嬉しいことはありません!」


 部室内に歓声がさらに湧き立つ。


「お兄さんやるね〜」

「—————っ」じー


 恵里沙さんにはからかわれ肘で突っつかれ玲ちゃんにはジト目で睨まれる。

 そして……


「彼崎さん、紅茶のお代わりは如何ですか?」

「彼崎さん、焼きお菓子はまだありますので食べてくださいね」


 なぜ彼女達にご奉仕みたいなことをされているのだろうか……。

 言っておくが、これは決してチヤホヤされているわけではないからな!?断じて違うからな!?


「お兄さんモッテモテーッ♪」

「恵里沙さんやめて、ほんとやめて!!」


 この状況は全くもって羨ましいモノじゃない。むしろ重い背徳感で押し潰されそうだ!!!!


 あぁ、帰りたい。


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