第37話

「桂兄ぃ、改めて紹介しとく。此奴がワタシの親友の妃本恵里沙」

「よろしくです。お兄さんっ♪」

「彼崎桂です。よろしく………」


 女子しか居ない女子だらけの大学に美人女子大生二人と同じテーブルを隔てて座っているというこの状況に僕の胃が悲鳴を上げている。

 今更だけど家を出る前に胃薬を飲んでおくべきだったと後悔している………。


「ごめんなさいお兄さん、わたしの方から呼び出しておいて遅れて来ちゃってっ!」


 彼女は謝りながら申し訳なさそうに顔の前で手を合わせる。


「大丈夫大丈夫っ!僕は別に気にしてないよ。事前に遅れることは連絡してくれてたし、待っている間も一息つけたしね」

「そう言ってくれと助かります!やっぱり玲から聞いてた通りお兄さんって優しいんですね。————それに、ただ優しいだけじゃないみたいですしっ」


 彼女の僕を見る目の雰囲気が一瞬変わったような気がしたのは気のせいだろうか?


「わたし、いっつも玲からお兄さんの話を聞かされてて、聞いてる内にお兄さんに興味が湧いてきちゃって一度じっくりお話がしてみたかったんですよっ!」


 食い気味に訊いてくる彼女の肩まで開けた首袖の胸元から谷間が見えそうだ。

 こんな冴ないオタク野郎と一体どんな話を期待しているんだこの子は!?

 友達の兄妹に興味関心を抱くのは珍しくないし不思議ではない。だが、兄妹のエピソードを聞くだけに留まらず実際に会って話がしたいと思うほど友達の兄妹に興味を持つことなんてあまりない。

 僕の一体何が彼女をここまで興味を唆らせているんだ!?


「お兄さん、それコンタクトですよね?」

「え?……うん。そうだけど?」

「オタクの人って皆眼鏡掛けてるイメージだったんで、お兄さんを一目見た時、あれ?と思って」

「ああ、それは———————」

「ワタシが外させた」


 と、玲ちゃんが横から挟むように呟いた。


「なんでよー!? わたしが眼鏡フェチだって知ってんじゃん!」

「いや、知らないし」

「あ〜あ。こんなことならウチから眼鏡持ってこればよかった〜!」

「恵里沙って眼鏡持ってたっけ?」


 彼女みたいな黒髪美少女が眼鏡掛けたら更に知的で優美な女性になることだろう。


「まあね。と言ってもPC用だけどね。お兄さん、次わたしと会う時はちゃーんと眼鏡、付けてきてくださいねっ♪」


 そう言ってあざとくウインクする妃本さん。その横でため息をする玲ちゃん。


「う、うん。そうするよ」

「お兄さんってオタクなんですよね?」

「うん。そうだけど?」

「玲からは大体のことは聞いてるんですけど……、実際のところはどうなんです?」

「え?」

「休みの日とかは何してるんですか?」

「え!? え、えっと…………(ま、マズイ。これは—————!)」


 稀に、ヲタク生活を過ごしていく中で訪れる『非ヲタがヲタクに興味を持つ』という現象。

 普段私生活をオープンにしたがらない多くを語らないオタク対して非ヲタの人間がその謎に満ちた我々のオタク生活に好奇心を持つという稀有な状態に陥った際に、僕らヲタクが彼らの質問にどういう回答するべきかによって、今後のヲタクとしてのアイデンティティーを保っていられるかが試される、もはや試練。

 非ヲタからの幾つもの質問に無事見事なベストアンサーをすれば、オタク上級者としてまた一つ昇ることができる。


 まず、スタンダードとして非ヲタがヲタクにする質問は以下の通りだ。


 ①『休みの日は何してるの?』

 ②『漫画・アニメは何読んでるの(観てるの)?』

 ③『オススメの漫画・アニメってある?』

 ④『秋葉原(もしくはメイド喫茶)って行くの?』

 ⑤『彼女とかつくらないの?』


 最後の質問に関しては余計なお世話だと言いたいところだが、ここはグッと堪えるしかない。

 これらの質問に見事ベストアンサーを出せば、僕は玉砕されずに済む!


「玲ちゃんから聞いての通り、家ではアニメ観たり漫画を読んだりしてるよ?」


 この質問では変に意地を張らずにそのままを答えるのが良い。


「漫画は何を読んでるんですか?」

「最近は『20歳の転校生に恋をした』かな」

「あっ! それ知ってます!確か来年実写映画化するんですよねっ?」

「うん。そうだよ」


 僕が愛読している数ある漫画の中でもマイナーなヲタク向けの漫画を選ぶのは避けるべきだ。

 非ヲタにも目が入るほどのメディア展開している漫画をチョイスするのが妥当だ。

 だが、だからと云って自分のヲタク魂に嘘をついてまで大衆向けの作品を選ぶ必要はない。

 ヲタクとして自分が好きな作品の中から、メディア展開が広いものをセレクトすればいいだけのことなのだ。


 この『20歳の転校生に恋をした』もヲタクとして実に魅力的な作品だ。

 特にヒロインである20歳の転校生がとにかく可愛いくてその儚い姿が世のヲタク共を萌え豚にさせている要因だ。

 非ヲタからして見ればごく普通の恋愛漫画にしか捉えられてないため、この作品を選んでも別段引かれることはないのだ。


「わたしまだ漫画は読んでないんですけどー、面白いですか?」

「うん。面白いよ」

「じゃあ、今度買って読んでみますね。あ、アニメって何かオススメってありますか?」

「そうだな……。『なんでエルフの秘書さん!?』ていうアニメがオススメかな」

「どんな話なんですか?」

「舞台は現代の日本なんだけど、とある大手コンサルティング会社の社長秘書が何故かエルフ美少女なんだよ。ちなみに超優秀。しかも社員もその周囲の人間も何もそのことについて触れないんだ。社長である主人公だけがその異常に気付いてるというコメディ作品なんだ」

「あは。なんか面白そうですねーっ!今度配信アプリで観てみますね」


 漫画は非ヲタでも周知している作品を挙げたが、アニメは自分が率直に好みのマイナーなヲタ向けの作品を挙げても問題はない。

 バリバリのヲタク向けアニメをオススメに挙げることで、ヲタクがただの「アニメ好き」というライトな印象から「ガチのヲタク」だということを誇示することができるからだ。

 これにより、ヲタクという趣味を一つの突出した『個性(キャラクター性)』を持たせることができる。


「やっぱり秋葉原に行ったらメイド喫茶でオムライス食べるんですか?」

「買い物で秋葉原に行くことはあるけど、メイド喫茶はもうここ暫くは行ってないかな〜」

「昔はよく通ってたんですか?」

「高校から大学の間だけだけどね。よくヲタク仲間とお昼ご飯の時に通ってた頃はあったかな」

「メイドさんとカラオケしたり一緒にチェキとか撮ったりしましたぁ?」

「いや、流石に恥ずかしくてしなかったよ。あはは……。それにしても随分詳しいんだね?」

「ああっ! これから会う予定のわたしの知り合いが会長してるサークルの子がメイド喫茶でバイトしてて、その子からいろいろ訊いてて」

「メイド喫茶でバイトしてるんだ」

「……ここって、一応お嬢様大学なのにバイトには結構寛容だよね」


 玲ちゃんが肩を竦めながらスマホを弄るのだった。


 さて、ここまで4問の質問に見事に答えてきた。あとは最後の質問……。

 できるなら5問目の質問だけは来ないでほしいところ。


「お兄さんって、


 はい来た〜!来てしまいました〜!

 最後にして最大の難問が来ちゃいました〜!!

 一番答えにくくて毎回言葉選びに困る質問がきてしまった〜!!!


「あはは……。そうだね……。彼女、か……」


 質問の問いに詰まっている間、玲ちゃんの妙な視線が気になった。

 ふと視線を玲ちゃんに向けると、玲ちゃんは顎に手をついて顔を他所に向けてはいるが神妙な眼差しだけはこちらに向けられていた。


「——————まあ、趣味も仕事も充実してるし、そこまで彼女をつくろうとは思わないかな。なんて……」


 ふぅ。ベストアンサーまでとはいかなかったが、答えとしては無難かな。可もなく不可もなくといったところか。

 もう一度玲ちゃんに目をやると、僕の答えに対してなのか軽く肩を竦めている。


「えぇ〜っ!? お兄さん、結構モテてるって聞いてますよぉ〜?」

「モテっ!???」

「会社の美人な先輩と可愛い後輩でしょ〜?ちょっとエッチなお姉さんと清楚な同級生。選り取り見取りじゃないですか〜っ♪」

「玲ちゃんからどういう風に聞いてるかはわからないけど!皆さんとはそういう浮ついた関係とかじゃないからっっっっっ!」

「あはは。焦ってるお兄さんカッワイ〜♪」


 女子大生におちょくられ弄られている男性社会人……。トホホ


「ちょっとゴメン」


 と玲ちゃんが徐に席を立った。お手洗いだろう。


「行ってら〜っ」


 恵里沙さんが見送られ、心の支えであった玲ちゃんが奥に消えていってしまった。

 これで、僕と恵里沙さんの2人だけになってしまった。


「………………」


 玲ちゃんの気配が遠退いて暫くの間が空いた後、恵里沙さんが今までの明るい雰囲気から打って変わって、落ち着いた雰囲気で僕に話しかけてきた。

 彼女のこの雰囲気。何処かで観たような似てるような……


「ねえ、お兄さん—————」

「うん?なんだい?」

と仲良くしてますか?」


〝今の玲と〟。

 その言葉の意味を僕はすぐに理解できた。

 今の玲とは「自分の性格を明かした本当の玲ちゃん」のことだ。

 そうか。恵里沙さんも玲ちゃんが今まで僕に『明るく元気な可愛い妹』を演じていた過去・経緯を知っているんだな。

 知って当然だよな。だって彼女は玲ちゃんの唯一の〝親友〟なんだから。


「……うん。とっても仲良しだよ」

「————っ! ……そうですか。だと思ってましたっ!じゃなかったら此処に2人で来たりしませんもんね」


 その時の彼女の安堵した笑顔はとても印象強かった。


「わたし、玲とは高校の頃からの友達なんですけど、玲って、ああいう性格であのルックスだから友達とか中々できなくて、いろいろ大変だったんです……」


 そういえばあの頃、玲ちゃんから中学から高校と大学までの話をちゃんと聞いたことがなかった。

 その頃はまだ「元気で明るい妹」だった時で、玲ちゃんから時折学校の話を聞かされた事はあったけど、それもどこまでが本当でどこまでが誇張された話だったのかはわからなかった。当然だ。疑いもしなかったのだから。


「わたしは玲が不器用でイイ奴だって最初から解ってから親友で居続けられてたけど、あの人を寄せ付けないような雰囲気で仲良くしようとする子がいなかった」

「そっか……」

「————うふ。でも、当の本人はそんな事はあんまり気にしてなくて、大好きなお兄ちゃんに素の自分を何時明かすべきかどうかってしか悩んでいませんでした」


 その頃を想像すると可愛らしいなぁ、我が妹は……。


「恵里沙さんは、いつも玲ちゃんのそばに居てくれたんだね。—————玲ちゃんがこの大学にこだわってたのって……」

「はいそうなんです。わたしの第一志望がここだったんで、どうしても同じ大学に行きたいって」

「そうだったのか……」

「お兄さんが玲に勉強を教えてくれたんですよね。玲がすごく嬉しそうに話してました」

「そっか。あはは……っ」

「お兄さんのおかげで玲はわたしと同じ大学に通えてます。わたしも親友と同じ大学に通えて嬉しかったですし、お兄さんのおかげです!」


 彼女はスッと背筋を正した。

 そこに座っていたのは先程までのただの黒髪ギャルの美少女ではなく、ひとりの清楚で可憐な淑女だった。


「玲をこの大学に入れてくれてありがとうございます」


 この子はとても友達思いの誠実で面倒見のよい、姉御肌のような親友のようだ。

 まるで何処かの百合漫画に登場する主人公のクラスメイトみたい—————あ!


 やっと思い出しだ。


 彼女に対する妙な既視感の正体。

 誰かに似てるような見覚えがあるようなこの痒い感覚。

 ようやく分かった!

 彼女は、僕が大分前に読破した百合漫画『エリンジウムの教室』に登場する主人公の好き理解者であるクラスメイトとすごく酷似している!

 そうかだからか……。


「あの……お兄さん?どうかしました?」

「はっ!? いやいや、なんでもないよ。あはは……っ」

「そうですか?ならいいんですけど」


 いかんいかん!

 僕のヲタクとしての悪い癖が発動してしまった。

 人を漫画の登場人物に例えたり重ねたりしまう癖はなんとかしないとな。


「……あ、お兄さん、わたしがこの話したこと玲にはナイショにしておいてくださいね。あの子にバレると怒られちゃうんでっ」


 可愛らしく人差し指を口の前に立てるその彼女は、いつものギャルで明るい彼女だった。


「わかった。内緒にしとくよ」

「わたしとお兄さんの秘密ですよ?」

「りょーかい」

「とゆーわけで、秘密を共有する者同士として連絡先を交換しましょー!」

「連絡先?」

「そうですよ?」

「何故に?」

「だってわたしたちもうフレンドじゃないですかー。なら連絡先交換するのは当たり前じゃないですかー」


 彼女はそう言いながら自分のスマホを操作し始めている。


「はい。コードを読み込んでください」

「えっ!? あ……えと、はい」


 女子大生と、連絡先を交換してしまった。


「はい。これで完了っと。わたしのアドレス帳、初めての男の人の連絡先がお兄さんになっちゃいました。あははっ♪」

「あは、あはは…………。はあ〜」


 これ、後に逮捕とかされたりしないよね……?


「恵里沙さん」

「はい?」

「———————これからも、玲の大事な親友として仲良くしてあげてほしい」

「———————っ! はい」


 これだけは言っておきたかった。

 言って然るべきだと思った。我が愛する妹の兄として。


「お兄さんって、そーやって女の子たちをオトしてきたんですか〜?」

「ふぇっ!???」

「クスッ お兄さんの反応可愛いっ♪」


 女子大生とはなんて恐ろしい生き物なんだ……。


 その後、玲ちゃんが戻ってきて恵里沙さんが玲ちゃんに僕らが連絡先を交換したことをスマホの画面を見せながら面白可笑しく話したのだった。

 そして案の定、玲ちゃんにすっごい形相で睨まれたのは言うまでもなかった。

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