第31話

 ある日の有給休暇。

 僕は手提げカバンと手に紙袋を持ち、電車でとある場所に向かっていた。


 そう。

 今日は前々から約束していた理乃さんの家へ遊びに行く日。

 女の子の家に入るのは初めてで緊張はしているが、それよりも、果たして理乃さんのオタク部屋はどんな感じなのかという好奇心の方が大きかった。


 ピーンポーン


「あっ! 桂先輩いらっしゃい!」

「こんにち、は………」


 玄関の引き戸が開き、理乃さんが出てくる。


 理乃さんは、袖が膝までしかない白のノースリーブワンピースの上から青いショートカーディガンを着た、清純派ヒロインかと思うくらい可愛い格好をしていた。そして、久しぶりに見た気がする理乃さんのメガネ姿に僕はつい見入ってしまった。


「あ、あの、どうかしましたか?」

「えっ!? あ、いや、理乃さんの清純派ヒロイン並みの服の可愛さもさることながら、久しぶりに理乃さんのメガネ姿を見た気がして」

「え?——はっ!私ったらコンタクトにするのすっかり忘れてるっ!もぅ、私のばかぁっ!」


 頭を抱え慌てふためく理乃さん。

 なんでしょうこの可愛い女の子は。


「なんで? メガネ掛けてても充分可愛いと思うけど?」

「ふぇっ!? そ、そうですか……?」

「うん」

「ッッッッ! あ、ありがとうございます(か、可愛いって言われちゃったぁぁぁぁ!!!!)」


 メガネを掛けた彼女はまるで春のそよ風が吹く野原の木の下で本を読む文学少女系ヒロインに見えた。


「ご両親は?」

「両親は二人とも共働きでいません。今はおば、………祖母がいます」

「そうなんだ。じゃあこれ、お祖母さんに渡してくれる?」

「え? あっ!すみませんわざわざっ!」


 来る途中で買ったお菓子のお見上げを渡した。


「お口に合うか分からないけど」

「いいえ。きっと祖母も喜ぶと思いますっ!」

「ならいいけどね」


 実家が古い日本家屋に住んでいると聞いていたが想像していたよりかなり大きなお屋敷だ。障子戸から覗ける庭園も立派だ。まるで武家屋敷みたいだ。


 もしかしてだけど、理乃さんって由緒ある名家のお嬢様だったりする?


「お茶の用意をしてくるので、先に私の部屋に行って待っといてください」

「あ、ああ。わかった」

「階段を上がって左手直ぐが私の部屋なので」

「了解した……」


 理乃さんに言われるがまま、階段を上がり左手側にある〝りの〟と書かれた札がぶら下がったドアを見つける。


 いくらスキで仲が良いとはいえ、家族以外の男を簡単に自分の部屋に招き入れるとはなんと不用心というか警戒心の無さ。先輩として実に心配だ……。


 にしても女子のオタク部屋なんてアニメの世界でしか見た事ないし、実際のオタク女子の部屋なんてもちろん見たことがない。そもそも三次元の女子の部屋だってどんなものかも知らない。


 理乃さんは日常系、百合系アニメが好きだから、きっと部屋中もその類いのグッズがたくさん置かれて飾られていることだろう。


「…………っ」


 ドアノブのハンドルを押して開けて部屋に入ると、直ぐに僕の鼻腔に甘い香りがふわっと通るのがわかった。

 そして、視界に最初に飛び込んできたのは、壁に飾られた数枚の日常系、百合系アニメのポスターやタペストリーの数々だった。


 まあ、予想通りだな。


 棚にはもちろんのこと日常系アニメの定番作品のキャラクター達のフィギュアが置かれており、本棚にも原作漫画やDVDのパッケージが陳列されている。

 古き良き日本家屋の部屋でありながらしっかりとオタクであることを前面に主張し、且つ自分が何オタクなのかを分かりやすく表現した立派なオタク部屋と言えるだろう。


 座って待っていると、理乃さんがお菓子とお茶を載せたお盆を持って部屋に入ってきた。


「(重そうだな……)」


 僕は透かさず理乃さんの持つお盆に手を添えた。

 僕の添えた指が理乃さんの手に触れる。


「あ、ありがとうございますっ!(桂先輩の手が、手がぁぁぁぁぁぁ!!)」

「おっ! 和菓子か!?」

「はい。近所の和菓子店で買ってきたお饅頭の和菓子です」

「へぇー、綺麗なもんだな」

「よかったぁ、喜んでもらえて」

「あと、すみません。本当はコーヒーか紅茶、ジュースにしようと思ったんですけど、和菓子に合う飲み物といったら緑茶しかなかったので」

「いや、むしろ正解だよ理乃さん。和菓子にはやっぱりお茶だよ!」


 理乃さんにグッドポーズをする。


「んふ。やっぱり桂先輩は優しいですね」

「僕は一般論を言ったまでだ。―――にしても理乃さんのオタク部屋はなかなか可愛い部屋だな」

「か、かわいいですか?」

「そう思わない?」

「私、中学生の頃に女の子っぽい部屋じゃないと遊びに来たクラスの女の子に言われてとてもショックでした。でも、壁に張り付けたアニメ雑誌に付いてるアニメポスターとかの切れ端をどうしても剥がしたくありませんでした。なので結局、それ以来誰も家に呼んだことはありませんでした。でも、こうして初めて私の部屋を可愛いって言ってもらえたことが凄く嬉しくて、嬉しくて………グスンッ………ごめんなさい、私―――」


 嬉しさのあまり涙を溢し手で拭う彼女を僕は黙って見ていた。

 誰かにオタク部屋を「オタクっぽい」と言われるのは嬉しいしオタクとして最高の誉め言葉だ。


 でも、彼女は違う。他のすべてのオタク女子がどうかはわからないが、自分の部屋を「オタクっぽい」と言われるより「可愛い」とか「ステキ」と言われる方がずっと嬉しいはずなのだ。


 何故なら彼女は、オタクである前に一人の――――“女の子”なのだから。


「理乃さんの部屋には可愛い美少女のポスターやタペストリー、フィギュアがたくさんあって“かわいいモノ”がこんなにあるんだから可愛い部屋に決まってるじゃないか」

「グスンッ、なんですかその理屈は……ウフフッ」


 瞼にまだ涙粒を残しつつも可笑しく微笑む彼女が見れて安堵する僕。


「まあ、僕のオタク部屋はご存知の通り、統一感もないジャンルがバラバラの無駄に広いだけなんだけどね」

「そうですね。ホントに♪」

「ちょ、そこは否定するかフォローするところでしょー」

「プフッ、アハハハッ」

「アハハハッ!」


 理乃さんは最近、ラノベや恋愛漫画にも趣味の領域を拡げているとのこと。その証拠に本棚にも数冊のライトノベルや恋愛漫画が置かれていた。

 もちろん、そのアニメ化作品もチェックし視聴しているとのこと。流石だ。実に素晴らしい。那のでその作品についてのオタクトークも非常に盛り上がった。また、文芸部のように二人でラノベ小説っぽく交換小説を書いてみたり、ラノベ小説やラブコメ漫画を二人で台詞のところを互いにキャラになりきるように演技をしながら音読したりして遊んだりした。


 結構楽しかった。

 だが、演じながら読んでいる内に段々お互いすごく恥ずかしくなってきて耐えられず途中で止めたのは言うまでもない。


 更に、理乃さんがイラストを描くのが得意だということを知り、彼女のスケッチブックやノートを見せてもらい、少しばかり可愛い女の子の描き方も教えてもらったりして過ごした。


「————あの、桂先輩」

「ん?なんだ?」

「ちょっとお願いしたいことがあるんですけど………」


 もじもじする理乃さん。

 お願いとはなんだろうか?


「一緒にアニメを見てくれませんか?」


 そんなにもじもじするようなお願い事だろうか?


「別にいいよ?」

「ホントですか!?」

「う、うん……。それくらい全然構わないよ」

「ありがとうございます!実は私、同じ趣味のお友達、………オタク友達がいなくて、桂先輩のようにアニメや漫画の話ができる人と一緒にアニメを観て感想を言い合うのが夢だったんです」


 健気な夢だなぁ。


「だから、桂先輩と一緒にアニメを観て、感想を言い合いたいなと思って……。すみません。私の身勝手なことで……」

「そんなことはないぞ理乃さん!」

「えっ?」

「友達と一緒に何かをしたいと思うのは普通のことだ。一緒にしたいことを友達に言うのに身勝手なんて感じなくてもいいんだ。自分が一緒にしたいと思う時は、大抵相手も一緒にしたいと何処かで考えているものさ」

「…………っ……はいっ」


 理乃さんはどうやら涙もろい子なのだろうな。感極まってまた瞼に涙粒を浮かべてるよ。


「そんな涙を浮かべてたらせっかくアニメを観る時に視界がぼやけるぞ」

「はいっ!」

「うん。いい返事だ」

「じゃあ早速準備しますね!」


 理乃さんは立ち上がり、棚に整然に並べられたアニメのDVDディスクの中から、一枚のDVDを取り出す。


「なんのアニメを観るの?」

「〝花園の中佐ちゃん〟ていうアニメです」

「おおっ!それ観たことあるよ。5年前のアニメだよね。僕も好きなアニメだよ」

「ホントですか?良かったぁ!」


『花園の中佐ちゃん』とは、生徒達から親しみと畏敬を込めて「中佐」と呼ばれ、常に軍服を肩に羽織っている孤高の美少女が、一人の内気な同級生の主人公と運命的な出会いをする。それから友達作りに奮闘していく微百合要素がある日常系アニメだ。


「まさか放送直後に第二期が告知された時は驚きと喜びの感情が同時にきて変な声が出たもんだよ」

「私もです! 告知PVで中佐ちゃんのことを〝大佐〟呼ぶ謎の転校生が来るシーンを観た時は興奮して何度もPVをリピート再生した記憶があります」

「いやぁ〜、2期も中々面白かったよなぁ」

「観た記憶を消してまた一から観たいほどです!」

「あっ! それわかるわぁ。そう思えるほどあの作品は素晴らしかった!」

「なのでDVDも揃えちゃいました♪」

「僕もDVD揃えようと思ったんだけど、ゲームとかラノベで場所取りすぎて置けるところなくて買わなかったんだよね。まあ、今はアニメ専門の動画配信サービスとかあるからな」


 理乃さんはDVDディスクをプレーヤーに入れるため、こちらにお尻を向けるように四つん這いでプレーヤーにディスクを入れる。

 ひらひらと揺れるワンピースのミニスカからスラッと伸びた白くて細い太もも裏が僕の視界に飛び込んでくる。


「——————ッッッッ!」


 いかんいかん!なにを見ているんだ僕は!

 僕はすぐに視線を逸らした。


「お待たせしました」


 彼女は即さと僕の右隣に肩が触れるほど、真横に三角座りでちょこんと座る。そのミニスカワンピースで三角座りは色々と危ういような気がするぞ。


「…………」

「ッッッッ」


 目だけで真横を見ると、理乃さんが顔を赤くなっているがわかった。


「理乃さん?」

「ひゃいっ!」


 可愛い返事だ。


「近過ぎじゃない? 僕、男だけどこんなに密着していいの?」

「だ、大丈夫ですッッッッ!」


 どう見ても大丈夫そうな顔してないけど?

 多分だけどアナタ心臓鼓動早くなってるよね?こっちにも鼓動が伝わってきそうなんだけど。本当に大丈夫?


 明らかに男女の距離感としては大分近いはずだ。しかも理乃ちゃんは今、ミニスカの肩が露出したワンピースに薄いカーディガンを着ているだけというすごく無防備な格好をしている。


 それなのに自分の家で二人っきりの部屋で男と肩が触れるほど密着するなんてかなり大胆なことだ。


 そして、理乃さんは三角座りした状態で膝に頭を乗せ、瞳を潤ませながらこちらを向き小さい声で、



「ダメ………ですか………?」

「ッッッッ!」



 ————やられた。これは反則だ。可愛すぎる!!!!


 理乃さん、貴女いつからそんなメインヒロイン級のあざとい可愛い仕草をするようになったんだ!?桂先輩は聞いてなくてよ!?


「だ、ダメじゃ……ないと、思う………」

「桂先輩、顔赤いですよ? んふっ」


 微笑む彼女を見た僕の心臓の鼓動はどんどん早くなる一方だった。

 まずい。このまま密着していたら彼女にこのドキドキが伝わってしまう!


「それじゃあ再生しますね」

「えっ? あ、ああ。どうぞ……」


 理乃さんはリモコンを操作しだすと、映像が再生される。


「………」

「………」


 お互い無言でアニメを視聴する。

 よく男女二人っきりでドラマや映画を観る時、それが恋愛モノや、かなりディープなシーンがあったりすると、自然とお互いにムードになるということがあるらしい。


 この状態もそれに近いところはある。だが、今僕らが見ているのは美少女アニメで、しかも男がほとんど登場しない日常系で百合モノ作品。どう考えてもムードになるはずがないのだ。


 でも、男女が部屋で二人っきりで何も間違いが起きないはずがないのも道理だ。


 いや、別にそうなることを期待しているわけではないからな!


「…………」

「…………」


 そして、DVDに収録されている全3話の視聴を終えた。


「やはり安定の面白さだったな」

「ですね………」


 彼女の横顔はとても優しく温かみに満ちていた。

 まるで暖かく見守るように。


「私、今とても楽しくて幸せです」

「?」

「私は今まで、友達と呼べるほど仲のいい友人が1人もいたことがなかったんです。だから、高校生の頃に好きだった日常系アニメの主人公に友達ができるのがとても羨ましかったんです。何時しか、自分と主人公を重ねながらアニメを見るようになりました。気付いたら日常系アニメが好きですっかりオタクになってしまいました。ふふっ」

「………」

「でも、今は咲さんや明日美さん、玲ちゃんに菫さんと、私の周りにはこんなにも友達と呼べる人たちができました」

「そうだな」

「まあ、それだけじゃないかもですけど」ぼそっ

「ん? なんだって?」

「いえ、なんでもないです」

「???」

「————それに桂先輩も」

「ん?ん?僕?」

「桂先輩のように同じ趣味を持つ素敵な方とも出会うこともできました」

「す、素敵は余計だよ理乃さん」


 理乃さん、素敵って辞典で引いたら「素晴らしい」という意味だって知ってる?

 僕の一体何処が素晴らしいの是非聞かせてもらいたいところだ。自分でさえも素晴らしいところなんて知らないのに。


「いいえ。桂先輩は素敵な人ですっ!」


 まっすぐ僕の目を見てそう公言する彼女に、僕はまた胸の鼓動が早くなるのを感じた。


「あっっっっ、ありがとう………!」


 どうしよう。こういう時どんな顔をしたらいいのかわからない。


「また赤くなってますよ桂。んふっ♪」


 そのあざとい笑みに僕は脱帽した。


 理乃さん、君凄いよ。

 君をモデルにしたメインヒロインのラノベ書いたら人気間違いなしだよ!即、重版出来決定だよ!と、心の中で大いに絶賛した。


「今日はとても楽しかった。和菓子もごちそうさま」

「こちらこそありがとうございました。こんなに楽しかったのは生まれてはじめてです」

「アハハハ。大袈裟だよ」

「あの……また、遊びに来てください!」

「ああ、また一緒にアニメの視聴会をしよう」

「っ! はいっ!」


 その時の彼女の笑顔を僕は絶対に忘れないようにしようと誓った。

 次にお邪魔する時は、僕もなにかDVD持ってこようかな。と考えながら僕は彼女の家を後にしたのだった。


 その夜のこと。

 自宅にて。


「ねえ。桂兄ぃ……」

「うん? どうしたの玲ちゃん?」


 玲ちゃんはなにやら複雑な表情でスマホと睨めっこしながら僕に話し掛けてきた。しかも、今夜も相変わらずノーブラでキャミソールを着た姿で、肩紐が片方垂れたままである。実にだらしなく実に無防備過ぎてけしからん。

 お兄ちゃんは心配だよ、いろいろと。


「あのさ、今度の水曜日お休みだったよね?」

「う、うん。そうだけど」

「じゃあさ、ちょっとお願いがあるんだけど」

「なんだい?」


「——————その日、私の大学に来て欲しいんだけど」


「………………え?」

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