第29話
「こんにちはっ!」
「いらっしゃい」
「玲ちゃんもこんにちは」
「……こんにちは」
あらゆる疑念と不安を抱えたまま翌日を迎え、風宮さんが白の半袖のブラウスに水色のロングスカート姿で、手には漫画本を入れた紙袋ともう一つの紙袋を持って訪ねてきた。
「これ、もしよかったら玲ちゃんと」
紙袋の中身はフルーツごとに味が分けられたゼリーのセットだった。
「なんか御中元みたいでごめんね」
「いや、嬉しいよ。ありがとう」
「う、うんっ………ッッッッ」
桂にお礼を言われただけで素直に照れてしまう風宮。
それを桂の後ろのリビングから遠目で見る玲。
風宮さんを部屋に招き、センターテーブルを3人で囲んで用意したお菓子を摘む。
「これ、借りていた漫画返すね。彼崎君に厳選してもらった漫画、どれも本当に面白かった。ありがとうっ」
「喜んでもらえてなによりだ。もしよかったらまた何冊か漫画貸すけど?」
「ありがとう。でも、いつまでも借りて返してばかりなのもわるいし、自分でお店でレンタルするか買うかするよ」
「そうか。それもそうだな。わざわざ漫画を借りるためにここに来るのも億劫だもんな」
「あっ、でもたまにはこうして彼崎君の家から漫画を借りにまたお邪魔しても、いいかな?」
口元で両手を合わせ、やや上目遣いで聞いてくる風宮さん。
「え? ああ、もちろんだとも。風宮さんが面倒じゃなければ」
「ホントにっ? ありがとう!」
「ッッッッ!」
いかんいかん。いくら風宮さんが美人で笑顔が可愛いからっていちいち動揺してたら僕の身が保たないぞ。
「そういえば玲ちゃんって今大学生なんだよね。どこの大学行ってるの?」
「梓丘女子大です」
「梓丘って有名なお嬢様大学だよね。たしか偏差値も高かったと思うけど。玲ちゃん頭良いんだぁ」
「桂兄ぃの教えてもらったから………」
「彼崎君が!?」
疑うように僕を見る風宮さん。
「なんだよ……」
「いやだって、彼崎君がそんなに頭良かったなんて思わなかったから………」
「普通だふつう。頑張って勉強すれば偏差値が高い大学でも受かるもんだ」
「そんなことはないと思うけど……。ちなみに彼崎君ってどこの大学に行ってたっけ?」
「うん?
「拓城!? 今の話聞いてたら、彼崎君ならもっとイイ大学に行けたと思うけど」
「別に東大みたいなところに行きたいとか考えていなかったしな。前々からから拓城に決めてたし」
「どうして?」
「拓城には萌えアニメを研究するサークルがあったから!」
僕は拳を握りしめ高らかに言った。
「クスッ、彼崎君らしいね」
「まあ、そういうところも桂兄ぃの良いところだけど」
「大学は楽しい?」
「はい。まあ、そこそこ」
「女子大かぁ。私も女子大にすればよかったなぁ」
「風宮さんが女子大にいけば真っ先に後輩達に〝お姉さま〟と呼ばれていただろう!」
「お姉さま?」
「気にしないでください。いつもの桂兄ぃのオタク妄想なので」
「そ、そう………。玲ちゃんって今、彼崎君の家に泊まってるけど、兄弟といえど年頃の女の子が一人暮らしの男の部屋に泊まるってなるといろいろと不便というか気を使うんじゃない?」
「そんなことはないです」
「そうなの?」
「僕も最初は大丈夫かなとは思ったんだけど、案外お互いにそんなに気を使い合うこともなく、普段よく生活できるよ」
「泊まってどれくらいになるの?」
「もともと玲ちゃんのバイトの関係で1週間ぐらいになるはずだったんだけど」
「私が、もう少しここに居たいって桂兄ぃにお願いしたんです」
「どうして?」
「桂兄ぃと、一緒にいたかったから……」
「玲ちゃんはお兄ちゃんのことが好きなんだね」
「はい。好きですっ」
真剣な顔でそう答える玲ちゃんに少し驚く風宮さん。
「そ、そっか……。妹にここまで好かれるお兄ちゃんって中々いないよね」
「ちょっと困ることもあるけどね。あはは」
「でも、玲ちゃん美人で可愛いから、もし玲ちゃんが彼氏を連れてきたら彼崎君としては複雑じゃない?」
「ワタシ、別に彼氏とか欲しくないですし」
「そ、そうなの?」
「ワタシ、桂兄ぃがいてくれればそれでいいんで」
「そ、そう。すごいね。妹さんにここまで言われるって」
玲ちゃんの言葉が冗談ではなく本気のように聞こえて少し戸惑う風宮さん。
「………あっ 彼崎君、あれから紳士店にまだ行ってなかったよね」
「ああ、そういえばそうだったな」
「私の所為で結局、彼崎君のリュック買えなかったし」
「あれって風宮さんに絡んできた変な男のこと?」
玲ちゃんには、あの時のことは少し内容を少し変えて説明していた。
「変な男? 彼崎君、玲ちゃんになんて説明したの?」
「個人的なことだから内容を少し変えたんだ」
「そう……。ありがとう」
「なに?どういうこと?」
「実は、お店で私に声を掛けてきたのは私が大学にいたときに、私にしつこく付き合うよう付きまとっていた同級生なの」
「そうなんですか!?」
「うん……。それを彼崎君が助けてくれてね。でも、私は過去のことを思い出して心神喪失しちゃって、彼崎君の部屋に入れてもらったってわけ」
「そう、だったんですか………」
「あっ! なんかごめんね、変な話しちゃって」
「いえ。話してくれて嬉しかったです」
「ねえ。玲ちゃん、私のことは風宮さんじゃなくて菫って呼んでくれる?」
「え? いいんですか?」
「だって、私たちもう友達でしょ。まあ、歳は離れてるけど」
「関係ないです。ワタシも………菫さんと友達になりたかったし」
「………ンフッ」
「………ンフッ」
この時確かに二人の間に友情が芽生えた瞬間であった。
うんうん。女子同士の友情っていいよね!
「彼崎君も」
「ん? 僕も?」
「彼崎君も私のこと、菫って呼んでくれていいから」
「う、うん。わかった。…………菫、さん」
「——————はいっ!」
「ッッッッ!」
笑顔で返事をする菫さんにまた胸が高鳴ってしまう僕であった。
これで女性の下の名前で呼ぶ人が4人目に増えた。よくよく考えてみたえらこれってすごいことだよなぁ。
「ねえ、彼崎君は友達はいないの?オタクの?」
「え? いや、いないな」
「大学の時の友達とかは?」
「連絡とってないし、同窓会にも参加してない」
「どうしてっ!? さっき話してたサークルのメンバーとか会えるのに?」
「別に同窓会行かなくてもアキバとかイベントで会えるだろ」
「それもそうかもだけど………」
「そういう菫さんこそどうなんだ?自分の大学の同窓会には行ったのか?」
「………い、行ってません」
「ほら、みたことか」
「だ、だって別に仲のいい友達とかいなかったし、行ってもつまらないだろうから……」
「まあでも、桂兄ぃにはある意味で美人で可愛いお友達がいますから」
「ちょ、玲ちゃんなにを言ってるのかなっ!?」
「どういう意味?」
ピーンポーン
「桂兄ぃ、ワタシが出るよ」
玲ちゃんが受話器の通話ボタンを押すと、
『桂君、また来ちゃった♡』
『桂先輩、突然来てしまってすみません』
『桂……なんか、ごめん』
なん……だとっ!
「どうする桂兄ぃ?」
「……………」
「彼崎君—————」
「は、はい」
恐る恐る後ろを振り返ると、風宮さんがニコッと笑顔を見せ、
「今の声、誰かな?」
あれー? おっかしいなー?
さっきまで笑顔を見るだけで胸が高鳴っていたはずのに、菫さんの笑顔を見ると何故か怯えている自分がいる。
「き、きっと宗教勧誘かな?」
そして、どうして僕はこんなに焦っているのだろうか?
別に菫さんと明日美さんたちが出会うことに何の問題もないはずなのに。
「にしては彼崎君のこと、〝桂君〟ってやけに親しそうに呼んでたけど、どうしてかな?」
菫の笑顔に確かな〝圧〟を感じる。
あれ、菫さんどうしてそんなに憤りを隠せないような笑顔で僕に圧を掛けていらっしゃるのか?
「さ、さあ、どうしてでしょうね。あはははは」
「桂兄ぃ、せっかくだし入ってもらおうか」
「い、いやでも、今こうしてお客さんもいるわけだし」
「いいよ、玲ちゃん。部屋に入れてもらって」
「か、菫さん? でもですね————」
「なにか、困ることでも、あるのかな?」ゴゴゴゴゴゴゴッ
「い、いえ。ございません」
またか。またなのか。
しかも今回は僕の部屋で。
一人暮らしの男のオタク部屋に美人な女性が5人もいるというこの状況をオタクなら本来、羨ましいはずなのにどうしてこんなに肩身が狭いと感じるのだろうか。
「まさか、彼崎君にこんな美人な女性のお友達が〝3人〟もいらっしゃったとは知りませんでした」ニコッ
「私も、桂君にこんな美人な女性の同級生のお友達がいたとは知りませんでした。もう桂君ったら、それはそうと早く言ってくれればよかったのに」ニコッ
「…………」
気付いた時には僕は正座していた。
僕がなにか悪いことをしたわけでもないのに、実は4股していたことが彼女たちにバレて部屋で責められているわけでもないのに!なんだよこの修羅場みたいな感じは!
「え、ええと。私は、桂の会社の先輩で屋敷部咲」
「私は咲さんと桂先輩の後輩で香住理乃です」
「で、私は咲の親友の九字明日美。よろしく」ニコッ
「よろしく」ニコッ
「桂兄ぃ、なんで逃げるの?」
「!」ビクッ
咲さんたちの分の飲み物を用意しようと立ち上がった瞬間、玲ちゃんに声を掛けられた。
「や、やだなぁ玲ちゃん。僕はただ、咲さんたちの分の飲み物を用意しようとしただけだよ?」
「桂君、飲み物はいいからここに座って」
「え、でも」
「彼崎君」ニコッ
「はい」
「座ってくれるかな」ニコッ
「—————はい」
僕は救いの眼差しを咲さんと理乃さんに向けた。
「(助けてください二人とも!!)」
「「…………」」 ぷいっ
目を逸らされた。
「(ゴメン桂。さすがにこれは私にもどうしようもできないわ)」
「(桂先輩ごめんなさい。私も風宮さんのことは気になるというか見過ごせないというか、詳しく伺う必要があるので!)」
二人に見捨てられた僕は、唯々正座し俯くのみだった。
「そういえば皆さんって彼崎君のこと、下の名前で呼んでいるみたいなんですけど、彼崎君とそんなに仲が良いんですか?」
「「————!」」ビクッ
「ええ。私たちと桂君はそりゃあもう一緒にお買い物デートするくらいの仲ですから。ねっ、桂君♪」
「え、ええと、その………」
「彼崎君、どうなのかな?」ニコッ
尚も菫さんの笑顔からは圧が漏れ出ている。
「は、はい。この方々とは玲ちゃんと共に買い物に出掛けたりするほど親しくさせて頂いておりますです。はい」
「ふーん。そうなんだ。私も彼崎君とは一緒に買い物デートする仲なんです。だよね、彼崎君♪」ニコッ
「そ、そうですね。す、……風宮さん」
「あれー? どうしたの彼崎君。さっきみたいに私のことは〝菫さん〟って呼んでくれていいんだよ?」ニコッ
「菫、さん………? 桂君もほんとーに隅におけないわねぇ」ニコッ
もう二人とも笑顔で僕に圧を掛けるのはやめもらいませんかっ!
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