第28話

「ここですか?」

「そう。ここ」


 明日美さんに連れたれたのは、街から少し外れた位置にひっそりと佇む上品な大人の雰囲気のあるバーだった。


「なんかこういうお店って敷居が高そうで入るのがはばかれるというか……」

「そんなに肩に力を入れなくてもだいじょーぶ。ここ、私がよく行くお店だから」

「明日美さんの行きつけのお店なんですね。なら安心です」

「ちなみに、今まで男の人を連れてきたのは桂君が初めてよ♪」

「今まで付き合ってきた男の人は誰も連れてきてないんですか?」

「ここは普段、一人で飲みたいときに来てるからね」

「そんな憩いのお店に僕なんかを連れ————」


 そのあとを言いかけた途端、明日美さんが人差し指で僕の唇を塞いだ。


「ッッッッ!」

「私は、桂君ならいいかなって思ったから連れてきたのっ」

「こ、光栄です」

「うん。よろしい」


 僕だけが明日美さんの聖域に踏み込むことを許されたということか。

 信頼されてるってことだよな、これ……。


「いらっしゃいませ」


 僕らは中央のカウンター席に座った。

 オレンジ色の照明がまた心を落ち着かせてくれている。

 バーテンダーの後ろに伸びる端から端まである棚には英文字で書かれた幾つものお酒が隙間なく鎮座していた。


 これ、地震来たらどうするんだろ?なんてぼーっと考えていると明日美さんがメニューを僕に差し出し話しかける。


「桂君って、カクテル飲んだことあるの?」

「あ、ありがとうございます。 前に咲さんから僕が安心して飲めるようにってフルーツカクテルのセットをくれたんです」

「へえ。じゃあもう飲んだの?」

「いいえ。今でも大切に保管してあります」

「早く飲んで咲に感想聞かせてあげなさいよ」

「なんかもったいなくて………」

「飲んでもらわないとあげた意味がないじゃない」

「そうなんですけどね……。まあ、その内玲ちゃんと一緒に飲もうかなって思ってます」

「そっか、玲ちゃん二十歳だもんね。お酒飲める歳だ」

「そうなんです。玲ちゃんはまだお酒デビューしてないらしいので、アルコール度数も少なくて甘くて美味しいカクテルからお酒に慣れ始めたほうがいいかなと」

「なるほどねぇ。妹想いのいいお兄ちゃんじゃない」

「きょ、恐縮ですっ」

「じゃあ、私が気に入って認める妹想いの桂君に、美味しいお酒をごちそうしてあげるっ」

「あ、ご馳走になりますっ!」

「桂君が飲めそうなものをこっちで頼んでいいかしら?」

「はい。お願いします」


 明日美さんはバーテンダーにお酒の注文していた。明日美さんの口からはスラスラとカタカナのお酒名が出てくる。


「どうぞ」

「ありがとう」

「ど、どうも」


 明日美さんの前に出されたのはオレンジ色の綺麗なお酒だった。僕の前には見た目は黄色のお酒だった。 美味しそう……。


「………」


 僕はふと、隣に座る明日美さんを視線を移した。

 明日美さんはこのバーの常連ということもあるのか、お店の雰囲気に上手く溶け込んでいて非常に画になる。お酒を口に含み、ゆっくりとグラスから唇から離れる瞬間がこれまた非常に色っぽいのだ。これが、色気がある大人の女性というやつか……。


「ん? なに見てるのかな?」


 明日美さんが僕の視線に気付いた。


「あっ! い、いえ……そのっ!」

「私の横顔に見惚れちゃった?」


 そう言って首を傾げながら僕を優しく見つめる明日美さん。


「お酒を飲んでいる明日美さんの姿がとても綺麗だったもので、つい……」

「あら、ありがとう。桂君にそう言ってもらえて嬉しいわ」

「ど、どうもです………っ」

「桂君も飲んだら?」

「あ、はい。いただきます」


 グラスを持ち、お酒を一口飲む。


「—————美味しい」

「でしょ」

「すごく美味しいです。これ」

「そう。よかった」


 その嬉しそうに微笑む明日美さんからは、上品な大人の雰囲気の中にも僕と歳が2、3歳変わらない、今時の若い女性の可愛さが垣間見えた。


 明日美さんはグラスはすでに空になっており、気づかないうちにバーテンダーに2本目のお酒の注文をしていた。


「明日美さんってお酒飲むペースって早いほうですか?」

「そうねぇ。どちらかといえば早いほうかも」

「ちなみに何本ほど?」

「とくに決めてはないけど、多いときは5本以上は飲んだこともあるかな」

「そんなにっ? す、すごいですね……」

「あっ。今私のこと、豪酒な女って思ったでしょ?」

「お、思ってませんよっ!」

「本当? まあ、嫌なことがある時でないとそんなに飲むこともないんだけどね」

「そ、そうですか……」


 明日美さんは二本目のお酒を容易く飲み干しグラスを空にする。


「でも、今日はかっこよく私を助けてくれた桂君と一緒にこうして飲めてるから今は幸せな気分よッ♪」

「あ、ありがとうございます」


 結局、明日美さんはすすむペースも早かったために5本もお酒を飲んだ。おかげで首筋から顔にかけて薄桃色に火照っていて放つ色気が半端ない。それに、服の首袖からチラ見するブラ紐がさらに色ぽっさを際立たせる。


「ご馳走様でした」

「桂君と飲めて楽しかった」

「僕もです。美味しいお酒が飲めて面白かったでした」

「そう。誘った甲斐があったわね」

「誘っていただきありがとうございました」

「ううん。こちらこそ、仕事終わりなのに付き合ってくれてありがとう」

「い、いえっ」

「…………ねえ、桂君」


 明日美さんが僕のジャケットを摘み潤んだ瞳で僕の顔を見合げ、



「今から、私のうち、来ない?」



「……………。遠慮しておきます」

「—————ンフッ 言うと思ったわ」


 明日美さんは「あ〜あ」とわかりやすく残念そうに摘んだ手を離す。


「わかってて聞いたでしょ」

「そうよ。でも、お酒で酔った桂君ならもしかしたらと思って♪」

「なんて人だ……」

「ウフフッ 桂君、お酒弱そうだからイケるとおもったんだけどな〜」

「僕をからかったんですか」

「そうね。桂君はからからかい甲斐があって楽しいわよ」


 これが素なのか酔ってる所為か、僕をからかいながら無邪気に笑う明日美さんであった。しかし、いつまでも明日美さんにからかわれっ放しというわけにもいかない。ここは少し、反撃をするとしよう。


 眼鏡を外し、ナンパ男を追い払った時と同じ表情で明日美さんに歩み寄る。そして、明日美さんの背にある店の外壁に手を当て実質の壁ドンをした状態で少しトーンを落とした声で



「じゃあ、僕がもし行きますって言ったら、どうしてましたか?」

「—————っ!」



 桂の思いがけない言動に声も出ないほど驚く明日美。

 彼の予想外の言動に対し、何か言葉を返したいが酔いの所為か思考が上手くまわらなく、思わず——————


「ど、どうしましょう…………ッ」


 頬を更に赤らめ、手を口元に当て斜め下を向いて俯き、戸惑うように可愛らしい声で呟く明日美さん。


 あ、アレ?なんだ、この可愛らしい反応は?想定した反応と違うんですが!?


「す、すませんでしたぁぁぁぁぁ!!!! 調子に乗りましたぁぁぁぁ!!!!!」


 僕はその場で頭を下げた。


「いつも、からかわれっぱなしなのもしゃくだなと思い、つい仕返しをしてしまいましたっ!!!」

「い、今のは反則よっ!(あ、焦ったわ。ほんとビックリした……っ!)」

「明日美さんのことだから上手いことあしらわれると想定していたんですけど、まさか、あんな可愛らしい反応されるとは思ってもみなかったので………」


 明日美さんは会話中も尚も僕と視線を逸らし、照れている顔を隠すように手を口元に当てている。


「桂君、壁ドンなんてテク、どこで覚えたのっ?お姉さん聞いてないんだけど?」

「えと、アニメとかですかね」

「ふーん(ビックリはしたけど、さっきの壁ドンはちょっとよかったかも)」


 僕も正直なんであんなことをしようと思ったのかわからない。今振り替えてみるとすごく恥ずかしい気分になる。僕も酔ったのかなぁ?


「この明日美お姉さんをあそこまでドキドキさせた男は桂君が初めてよっ!」

「そうなんですか?」


 僕が初めてって、明日美さんと付き合ってきた男たちは今までどんな風に明日美さんと接してきたのだろうか?

 男女が付き合ったら毎日胸がときめくものじゃないのか?まあ、付き合ったことがないから知らないけどね。


 僕のこんなラブコメ漫画の真似事で顔を赤らめドキドキしてしまうなんて、普段はおしとやかなのに主人公の行動に一々ドキっとしてしまうちょろい系のヒロインみたいじゃないか。


 そんなちょろいヒロインな明日美さんが、今まで一度も胸の鼓動が速くなるようなことが皆無なんてことがあるのか? 信じられない。


「農場公園の時もそうでしたけど、明日美さんって可愛いところありますよね」

「そうね。誰の所為かしらねっ?」


 素っ気ない素振りを見せるも視線は僕に向けられたまま。


「え? もしかして僕ですか?」

「他に誰がいるのかしら。私が可愛くいられるのは桂君の前だけよ。んふっ」

「!」


 優しく微笑む彼女に僕は思わずドキっとしてしまった。


「ありがとう。送ってくれて」

「いえ。今日はありがとうございました」


 明日美さんのご要望で家の近くまで送るまでの間、ずっと腕を組んで歩いていた。組んでいる間は僕の左腕には彼女の柔らかい胸の感触が伝わり、冷静を保つために胸の鼓動を抑え込むのに必死だった。


「じゃあ、またね」

「はい。また」


 明日美さんは手を振って歩いていく。すると、ふと足が止まり、


「桂君」

「はい?なんでしょう?」

「明日、頑張ってね」

「明日?なんのことです?」

「んふふっ それは明日になってからのお楽しみ♡」

「?」


 そう言い残し明日美さんは去っていった。

 明日に何かあるのか?

 頑張るってなにを? 

 僕、なにかするの?


「ただいまぁ」

「桂兄ぃおかえり。遅くなるって言ってたけど思ってたより早かったね」

「ま、まあね」

「?」

「玲ちゃんはもうご飯は食べたの?」

「ううん。まだ」

「そっか」

「ちなみにお風呂もまだ」


 上目遣いでこちらを見る玲ちゃん。


「一応言っとくけど一緒に入らないからね?」

「たまにはいいじゃん」

「僕もこう見えて健全な男なんだけどな」

「一緒に入れば水道代浮くけど?」

「ふむ。それもそうだな。うん。そういうことなら一緒に入ろうか」

「え? そんな理由で?(なんか複雑……)」

「うん?どうしたの玲ちゃん?」

「桂兄ぃ、明日は覚悟しておいてよ」

「明日? 明日何かあるの?(明日美さんも似たようなこと言ってたよな)」

「無神経な桂兄ぃには教えないっ フンッ」

「えー!?」


 明日に何があるのかわからないし、玲ちゃんが何に拗ねているかもわからないまま、僕は玲ちゃんと本日2度目の兄妹一緒のお風呂に入ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る