第27話

「あっ。そういえばさっき、僕に聞きたいことがありそうだったけど?」

「そうそう。あのさ、この前来てた風宮さんていう綺麗な女の人、また家に来る予定とかってある?」

「風宮さん? 貸してた漫画を次の祝日に返しに来るって連絡あったし、多分来ると思うよ。それがどうかしたの?」

「うん。ちょっと、お話してみたいかな〜って思ってさ」

「そうかそうか。女性同士、きっと話が盛り上がることだろう。

「何時に来るとかってわかる?」

「お昼頃には来るらしい」

「分かった。サンキューね」

「やっぱりティーカップセット、買った方がいいかな?」

「なんで?」

「女子トークにはオシャレなティーカップの方がいいでしょ?」

「なんで? 別に普通のコップでいいんじゃない?」

「そうなのか?」

「それよりお菓子とか買わないとじゃない?」

「おっとそうだったな」


 桂がノートPCを広げている隙に、玲はリビングを離れLINEで咲たちにグループメッセージを送った。



 翌日。会社にて。

 同期の亀木にキレた事、絶対噂になってるよな……。


 あの亀木にキレた時に周りに他の社員も居たし、もしかしたら僕がいるオフィスの人もいたかもしれない。

 だとすれば、その社員が僕だとわかるのも時間の問題だ。あの日に亀木に書類を渡すように指示したのは十島さんだし、その日に亀木に声掛けたのはおそらく僕だけ。噂が広がって十島さんの耳に入ったら当然その社員が僕だと考えるはずだ。それに、亀木の居場所を聞いたあの社員さんも、僕だと勘付くはずだ。


 どうしよう。もし僕だと知れたらいい意味でも悪い意味でも僕は注目の的だ。ただでさえ僕は目立つのが嫌いなのに!


 どうして自ら目立つようなことをしちゃんだよ僕はっ!!

 とりあえず、今日はこれまで以上に存在感を消すようにしなくては。


「彼崎」

「はい。なんでしょうか?」


 少しの休憩時間。咲さんがコーヒカップを片手に僕のところにやってきた。その後ろから理乃さんも付いてきていた。


「彼崎って亀木ていう社員って知ってる?彼崎と同期なんだけど」


 き、きたぁぁぁぁ!!!!


「い、いえ。知りませんね」

「そう……。実はね、その亀木っていう社員、結構評判悪くてオフィス内で嫌われてるらしいの。仕事は多少はできるんだけど、とにかく態度が悪くて誰も彼に話掛けたりしないんだと。書類を渡すのも本人がデスクにいない時に置いたり、仕事の依頼も全部メールで済ましたりして極力、本人と言葉を交わしたくないんだってさ」

「へ、へぇ〜。そうなんですか……」

「私も先輩たちから聞いたことがあります。自分の仕事の失敗を後輩に擦りつけたり、同期や先輩を見下すようなことを言ってるそうです」


 アイツ、そんなクズみたいなこともしてたんだな。知らなかった。


「でもこの前、その亀木に勇敢にも声を掛けた社員がいたんだって」

「その社員さん凄いですね!」

「…………!」

「眼鏡を掛けた若い社員だったみたい。なんか、書類を手渡しただけらしいんだけど、普通にその社員が亀木と会話してたらしいの」

「友人だったんでしょうか?」

「どうだろう?その社員は亀木のいるオフィスの人間じゃなかったみたい。でね、なんか亀木が社員の女の子のことをその眼鏡君に聞いてたんだって」


 まあ、周りにも聞こえるぐらいの声量で話してたしな。


「だけど、亀木がある二人の社員の女子に半ば強引でも手を出すつもりみたいことを言って、それを聞いたその社員がキレたの。で、怒られた亀木はその後はずっと怯えてたんだって。今はすっかりしおらしくなってるんだってさ。いい気味だわ」

「ですね……。怒られて当然ですよっ!その社員さん偉いです!」

「………」


 ああ、とてもそれが僕だとは言えない。言えるわけがないっ!


「誰なんでしょうね。その勇気のある社員さんって」

「さあね。————でも、ひとつ言えることは、その勇気のある社員がわりと近くにいたりするんだよね……」

「?」

「………!」


 何故に咲さん、僕に視線を向けるわけ?

 もしかして僕だと気付いた?いやいやまさか………ね?


 今の咲さんの話を聞いても僕だと分かるには情報が少なすぎる。さすがに僕だと分かるはずがない。では、この咲さんのこの見透かしたようなこの目は一体なんなんだ!?


 お昼休憩時、お昼を買いに行くためオフィスを出ようとした所を咲さんに呼び止めたれた。


「彼崎、ちょっと時間いい?」

「はい。いいですよ」


 僕と咲さんは自動販売機のある休憩スペースに移動した。咲さんは壁にもたれながら


「なんですか?」

「やるじゃん」

「へ?なんのことでしょう?」

「噂の眼鏡社員さん♪」


 ば、バレてるぅぅぅぅぅぅぅっっっっ!!!!!!


「さ、さぁ、なんのことでしょうか? 僕にはさっぱり………っ」

「実は見てたんだ……。あの時」

「へ? 見てたって、まさか」

「そう。あの時、私も用事があってあそこの食堂前の通路を歩いてたの。そしたら桂にそっくりの社員があの亀木に向かってキレてる姿が見えたから、少し覗いて聞いてたの」


 あのギャラリーの中に咲さんもいたのか!


「その眼鏡君が、先輩と後輩に手を出したら自分が許さないって—————」


 そう話し微笑む咲さんの頬は薄桃色に染まっていた。


「全部、聞いちゃってましたか……」

「まあねっ」


 ヤバイ。死ぬほど恥ずかしい。


「あれって私と理乃ちゃんのことでしょ?」

「いやぁ………まあ……ええと、その………はいっ」

「正直でよろしい。ウフフッ」


 僕はその場でしゃがみ込んだ。


「ッッッッ!!!!」

「かっこよかったじゃん」

「どこがですかっ!?」

「あの二人に手を出したら僕が許さないってところ」

「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「ウフフッ 桂」

「なんですか?」


 すると、咲さんは僕の目の前に対面する形でしゃがみ込み、頬杖を付いて優しく微笑みながら


「————ありがとねっ」

「!………ど、どうもです」

「用件はそれだけ。じゃあね」

「あ、はい」


 咲さんは先にオフィスへと戻っていった。

 僕も自分のデスクへと戻ろうと通路を歩いている時、


「桂先輩っ!」


 後ろから理乃さんが僕に駆け寄って声を掛けてきた。


「うん? どうしたの理乃さん?」

「あ、あの。この前桂先輩のお家にお邪魔させてもらった時に、わ、私の家に遊びに行くっていう話があったと思うんですけど」


 そういえばそうだったな。

 理乃さんとのゲームで僕が負けて、理乃さんのお願いで家に行くっていう話になったんだっけ。


「ああ! そうだったね」

「それでですね、来週の土曜日はどうでしょうか………?」

「来週の土曜日? うん。大丈夫だよ。何時ごろに行けばいい?」

「12時にお願いします」

「了解した。何冊かオススメの漫画とか持っていくよ」

「は、はいっ! 楽しみにしてます!ではっ!」


 理乃さんはペコリとお辞儀をして、頬を緩ませながらオフィスへと戻っていった。

 こだわりの詰まった自慢のオタクの部屋を、同士であるこの僕に見せるのが楽しみなんだろうなぁ、きっと。わかるぞ、その気持ち!


 理乃さんの家は確か、昔ながらの日本家屋だと聞いた。ということはお部屋も畳みと障子の扉だよな。和室はオタク部屋にレイアウトするには中々難しいところ。さて、理乃さんのオタク和室は一体どのような感じなのかとても楽しみだ。


 だが、現実リアルのオタク女子の部屋にお邪魔するなんて始めてだ。そもそも女の人の家に行くなんてのも始めた。なんか妙に緊張してきた。行くのは来週だというのに。


「桂、残業?」

「ええ。今日中に終わらせておきたい仕事があるので」

「明日でもできることは明日に回したらいいんだからね?」

「はい。でも、今日中に終わらせられる内は早いほうがいいかなって」

「桂先輩が残業なんて珍しいですね」

「お二人は先に帰っててください。僕はもう少し残ってるので」

「フンッ……あまり無理しないでよ」

「了解です」

「では桂先輩、お先に失礼しますっ」

「うん。お疲れ様でした」


 二人を見送り僕は仕事を再開する。


「…………」カタカタカタ


 静かだ。なんて静かなんだ。悪くない。


 いつもは定時に帰っていたが、こうして誰もいない静かな時間帯で仕事するというのも中々乙なものだな。落ち着いて仕事ができる。しかも、仕事も明日に回せられるものだから、のんびりとできる。


 意図した残業はあんまりよくないし認められていないから、課長になんとか理由をつけて残業を許可してもらえた。何時まで残業すると事前に決めれば残業は可能だ。


「(時間は……うん。まだ余裕はあるな)」


 残業は午後19時まで。この進捗なら19時手前には終われそうだな。

 テーブルに置いていたスマホの画面が光る。どうやら誰かからLINEメッセージが届いていた。


「誰だろう? 玲ちゃんからかな?」


 見ると、送り主は明日美さんだった。


「明日美さんから?なんだろう?」


 メッセージを読むと


《桂君、仕事終わった? だいぶ前に一緒にバーでお酒飲む約束したの覚えてる? もし都合が空くならこれから一緒にバーで飲まない?》


「ああ。そういえばそんな約束してたなぁ」


 僕が酔っている明日美さんを家に入れた際にそんな約束したことを思い出した。

 明日は休みだし、玲ちゃんには帰りが遅くなることは事前に伝えてあるから、まあいいか。


《いいですよ。僕ももうすぐ仕事が終わるので。》


 メッセージを送信するとすぐに返信が帰ってきた。


《桂君残業してるの?》

《はい。今日中に終わらせておきたい仕事があったので。》

《めずらしいね。誘って大丈夫だった?無理して付き合うことないし今日じゃなくてもいいけど》

《問題ないです。根気詰めて焦るような仕事でもないのですし、明日は休みで玲ちゃんにも帰りが遅くなることは伝えてあるので大丈夫です。》

《そう?ならよかったけど》

《それに、一度バーに行ってみたかったという気持ちもあったので。》


 実のところ、某ギャルゲーシーンでヒロインと主人公がバーでお酒を飲んでいる場面が個人的に好きだったというだけなんだけどね。


《ウフフ。そうなんだ。じゃあお姉さんがイイお店に連れてってア・ゲ・ル♡》

《ありがとうございます。それで、何処で待ち合わせましょうか?》

《それじゃあ、中央通りの交差点近くで待ち合わせでいいかな?》

《分りました。近くにきたらまた連絡します》

《うん。待ってる》


「さて、女性を待たせるわけにはいかないっ!」


 残業指定時間までにはまだ余裕はあったが、僕は〝クルル総長モード〟で急いで仕事を終わらせた。


「なんとか予定より早く終わらせられたっ」


 僕は急いで会社を出て待ち合わせ場所へと向かった。


《明日美さん。もう少しでそちらに到着します》

《りょーかい!》


 なんとか待ち合わせ場所の交差点に到着した。


「明日美さんはどこだろうっ?」


 辺りを見渡すと、さすがにこの時間でも人は多く明日美さんを見つけるのも簡単ではない。


「電話してみるか」


 電話をかけてみるがスマホに出ない。気付いてないのか?


 電話を掛け続けたまま辺りを探し回っていると



「ねえ。君、キレイだね。誰かと待ち合わせ?」

「え、ええ。そうだけど……」


「—————!」


 どうにか明日美さんを見つけられたが、イケイケな男に声を掛けられ困っていた。そうか、だからスマホに出られなかったのか。

 しかし、あれが生で見るナンパというやつか。明日美さん美人だしな。ナンパされない方が難しいよな。


「女の子?男?」

「なんでアナタに言う必要あるわけ?」

「もし男ならさ、ソイツじゃなくて俺とどっかに行かない?」


「う、うわぁ……」


 どうしよう。明日美さん困ってる。なんとかしないと。でも、どう声掛けたらいいんだよコレ……。

 下手に声掛けると突っ掛かれたら怖いしなぁ。なんとかいい方法は


「ねえねえ。一緒にいこうよぉー」

「結構ですからっ!」



 ガシッ

「すいません。僕の彼女になにかご用ですか?」



「———ッ! ……け、桂、君っ?」

「ッッッッ!」


 桂は眼鏡を外した姿で、横から明日美の肩を抱き寄せる。

 そして、眉をひそめて目蓋を細くし男を見つめる。


「チッ! 彼氏いんのかよっ!」


 そのナンパ男は逃げるように去っていった。


「…………こ、怖かったぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」


 僕は緊張が解けて両膝に手を付ける。


「桂君、眼鏡……」

「ああ、演技をするために外したんです」


 僕はジャケットのポケットから外した眼鏡を取り出しもう一度掛ける。


「眼鏡を外したら視界がぼやけて眉をひそめながら目蓋を細くしたら、睨んでいるように見えて相手を威嚇できるかなと思って」

「………」

「はっ! ご、ごめんさい明日美さん!来るのが遅くなってしまってっ!僕がもう少し早く来ていればナンパされることもなかったのに!あと、その場の演技とはいえ、先ほど僕の彼女なんて失礼なことを言ってしまいすみませんでした」


 僕は明日美さんに上半身を45度に曲げて最敬礼での謝罪をした。


「頭を上げて、桂君」


 明日美さんは優しく僕の両肩に手を添えて上へと戻すと、無言で僕に抱きつく。抱きつくといっても手を回さずに腕を曲げて僕の胸に添えるかたちだった。


「あ、明日美さん!?(む、胸が当たる!!!」

「ありがとう。助けてくれて」

「い、いえ。そんな……!」

「こういうことは今までにも何回かあったんだけど、さすがにちょっと怖かった」

「………すみません」

「ううん。謝らないで。桂君は私を助けてくれた。私はそれがとても嬉しいの。それに……」

「それに?」

「私のこと、彼女って言ってくれたこーと♪」

「っ! そ、それは本当に申し訳ありませんでした!!!」

「ウフフフッ、どうして謝るの?演技でもそう言ってくれて私はすごく嬉しかったわよ?桂君が睨んだ目つきで私のことを彼女って言ってくれた時、久々にドキってして胸がアツくなっちゃった」

「そ、そうですか……」


 明日美さんはゆっくりと名残惜しいように僕から離れる。


「さてと、早くバーにいきましょっか。雰囲気の良いお店で美味しいお酒を飲んで忘れてしまいましょう」

「忘れるほど飲んじゃダメですよ」

「ウフフフッ いいじゃない今日だけは♪」

「ほどほどにしてくださいね」


 僕と明日美さんはそのバーへと向かった。

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