第26話

 会社にて。


「彼崎。ちょっといいか?」

「なんですか?」

「この書類をとなりの部署にいる〝亀木〟ていうヤツに渡してくれるか?」

「僕がですか?」

「俺とか他の連中もその亀木ていうヤツがどうも苦手でなぁ」

「僕と比べてですか?」


 ちょっと嫌味な言い方をしてみる。


「正直、お前のほうがよっぽどマシな方だ」

「そこまでですか?」

「俺も書類を持って行くときに見たことあるけど、オフィス内でもなかなか性格の悪い奴らしい」

「へぇ……」

「とにかく、こんなことを頼めるのはお前しかいないんだよ」


 この人は同じ部署で咲さんと同じ、先輩の十島としまさん。

 僕のことは煙たがることはしないが、馴れ合うことはしない。いうなればドライな人なのだ。まあ、僕はその方がいいんだけど。


「わかりました。亀木かめきっていう人に渡せばいいんですね?」

「ああ。悪いな。よろしく頼む」

「わかりました」


 他の部署に行くなんて入社時のオリエンテーションの見学で一回だけオフィスを除いた時以来だ。


「ええと、確かここだよな」


 近くにいる社員に声を掛け、亀木という社員の居場所を聞いた。


「あ、あの、となりの部署から来た彼崎です。亀木ていう人に書類を持ってきたんですけど、今、どちらにいますか?」

「亀木? アンタ、亀木に書類を渡しにきたのか?」

「ええ。そうですけど?」

「気の毒にな……。ジャンケンでビリにでもなったか?」


 本当に僕より避けられている人がいるんだな。


「いいえ、そんなことは。それで亀木さんは?」

「さあな。アイツが何処にいるなんて知ったこっちゃないからな」


 酷い言われようだな。よくここで働けてるな、その人。


「なあ。アイツ、亀木って何処にいるか知ってるか?」

「亀木? ああ、さっき社員食堂で見たぞ」

「サンキュー。———だってさ。多分まだいると思うから。悪いことは言わないからさ、さっとそんな書類を渡してきて自分の部署に帰りな」

「あ、はい。お気遣いどうもです」


 と、僕は言われた通りに社員食堂に向かった。

 しまった……。食堂には何人かの社員がいたが、正直誰が亀木さんなのか全くわからない。特徴ぐらい聞いとけば良かったな……。と後悔しながら食堂内を見渡していると、一人の社員に目が止まった。

 体格は少し小太りで身長は僕とほぼ一緒。若さからして僕と同期の会社員。直感というか勘というか、この人があの亀木という人のような気がする。


「あの、亀木さんですか?」

「え? ああ、そうだけど……」


 当たってた。


「お疲れ様です。となりの部署の彼崎っていいます。部署の人に聞いたら此処じゃないかって聞いたので」

「…………」


 亀木さんは終始、僕の顔を見て眉をしかめながら唖然としている。

 

「アンタ、ジャンケンで負けたのか?」


 この人も同じことを聞くのか!


「見ろよ、あの社員。勇敢にもあの亀木に声を掛けたぞ」

「すげぇ。罰ゲームか何かか?」

「あの人、かわいそう」


 うわあ……。

 僕はこういう良い意味でも悪い意味でも目立って注目されるは、苦手というか好きじゃないんだけどなぁ。


「いいえ。違いますけど?」

「………。一応、聞くけどさ。アンタ、俺が誰か知ってるのか?」

「あなたが亀木さんだということしか知りませんけど?」


 先輩から、あなたは性格が悪くて誰も近寄らないということを聞いた、ということは敢えて言わなかった。


「……アハハッ!俺のことを知らない社員なんてこの階の連中にはいないと思ってたんだけどな。こいつは驚いたわ!」


 そう言って失笑しながら頬杖を付き足を組む亀木。

 これが俗にいう小生意気なクズ社員、というものですか。


「アンタ、歳は?」

「23です」

「なんだよ、タメじゃん」

「じゃあ君は?」

「22だ」

「へえ」


 どうでもいいけど。


「あっ。これ、十島さんからこの書類を君に渡すように頼まれてたんだ」

「十島?————ああ。アイツか」


 先輩をアイツ呼ばわりとは。怖いもの知らずかこの人。


「確かに渡したから。それじゃあ」


 僕は即さにその場を離れようとした。早くこの周囲の視線から逃れたかったからだ。


「おい!ちょっと待てよ」

「え、なに?」


 亀木が僕を引き留める。

 なに?まだなにかあるの?早く自分の仕事に戻りたいんだけど。


「おまえ、となりの部署から来たって言ってたよな?」

「そうだけど?それがなにか?」

「お前んとこの部署に屋敷部っていう女の社員いるよな?」


 咲さん?


「ああ、いるな。今日はいないけど」

「そいつって彼氏がいるとかって聞いてるか?」


 ニヤッと笑いながら聞いてくる姿に僕は悟った。

 おお?これはもしかしてアレか?よく漫画でみる、性格がクズレベルで酷い男が主人公のヒロインに手を出そうとする兆候を見せる展開。この亀木というヤツ、咲さんに近付こうとしてるのか?


 おいおい。僕は主人公じゃないから此処でキレてカッコいい台詞とか言ったりしないけど。さすがにハードル高すぎるでしょ。


あの高嶺の花と呼ばれているあの咲さんに近付こうとせずにいる野郎なんて、ウチの部署にどれくらいいることか。同じ部署の人間でも無理なのに、他部署の人間でしかも性格がクズレベルのアンタなんかが咲さんと御近づきになれるわけがないだろう。


というか多分、咲さんもきっとアンタのクズっぷりの事は知ってるはずだから、余計に無理だと思うけどな。まあ、言わないけど。


「さあ。いないんじゃない?」

「そうかぁ……」


 ニタニタと笑う亀木に僕は思わず深いため息をつく。


「もしかしなくても、あの人を狙ってるのか?」

「だったらなんだよ?」

「いや、自分が周りからどういう風に見らているのか自覚あるんだったら、自ずと結果が見えてるでしょ」

「う、うるさいっ!わからないだろ、そんなことっ!」


 いや、分かれよ。


「あ、そういえばなんか可愛い新人が入社したって聞いたぞ!」


 ん?もしかして理乃さんのことを言ってるのか?


「そうだっけ?」


 咲さんは前からこの会社にいるから名前が知れ渡るのは当然だし仕方ながないとしても、理乃さんは後から入社してきた後輩だ。この亀木に名前を知れるのはなにか危なそうだから言わないでおこう。


「いるんだろぉ?」

「知らないよ。そんなの」


 軽くあしらう。


「俺は見たぞ。この前、通路で短髪で可愛い子を」


 全くこいつは。


「やめておけ。可愛い子なら尚更、周りの女社員が囲い込んでるから、無闇に近付いたら痛い目に逢うぞ」

「フンッ! 関係ないね。方法はいくらでもあるんだからなッ!」


 セリフがクズっぽすぎるんですが!?

 しかし、今のセリフはさすがに危険味を帯びてきたような気がする。

 コイツは、隙を見て咲さんと理乃さんに声を掛けてきて迫ってくるはず。コイツの性格からして、多少の法律とか条例とかギリギリ触れるような強引な手段を用いて彼女たちと接触するに違いない。そうなると、さすがに僕としてもあの二人とは仲良くさせてもらっている以上は〝護〟らないといけない。

 こんなヤツにあの二人を会わせるわけにはいかない————!


「迷惑行為なことはしないようにな」

「ななな、なんでお前なんかにそんなことを言われなくちゃいけないんだよぉっ!別にお前には関係ないだろぉっ!」


 ………。


 咲さんと僕はただの先輩と後輩。

 理乃さんと僕はただの後輩と先輩。

 一緒に買い物して僕の家で遊んだりするただの仲の良い先輩と後輩。


 でもな————————



 バンッ!!!!!!!



 打音が響き渡り食堂内が一瞬の静寂に包まれた。

 それは、桂が思いっきりテーブルに手を置いた瞬間の音だった。

 桂は亀木の目を睨み、怒りを潜ませながらの低い声で亀木に語りかけはじめる。


「関係ないわけないだろ。先輩は、こんな落ちこぼれで出来損ないのボッチな僕のことをほっとけいないとそばに居てくれる大切な先輩なんだよ。アンタが見たっていうその可愛い子の後輩も、こんな僕のことを優しくてそばに居て欲しいと言って慕ってくれる大切な後輩なんだよ」

「ッッッッッッ」

「こんな冴えない奴のそばに居てくれる大切な先輩と後輩を、お前みたいなヤツに遭わせるわけないだろ。もし、あの二人に何かしてみろ。僕はお前を絶対に許さない」

「ッッッッッッ」



 あ、アレ?

 意識が戻ったというか覚めたようだ。

 僕、今なんか主人公がキレた時のとんでもないセリフを吐かなかったか?

 地味に顔と身体が妙にアツい。


「今僕、なんか変なこと言わなかった?」

「…………」


 目の前にいる亀木は口を開けて何故か涙目を浮かべて震えて怯えていた。僕の問いかけも怯えて答えられないのか、それとも怯えすぎて聞こえてないのかわからない。

 気づくと周りのギャラリーたちが僕を注視している。

 うわっ、なにこれ。ちょー恥ずかしいんですけどぉぉぉぉぉぉ!!!!!


 まずは早く此処から離れよう。戦略的撤退!


「じゃ、じゃあなんかよくわからないけどそういうことだからっ」


 僕は逃げるようにその場から離れたのだった。



「つ、疲れた……… 」

「おう、彼崎。随分と遅かったな」

「あっ、十島さん。すみません。遅くなりました」

「亀木に捕まってたのか?」


 苦笑いしながら尋ねる十島さん。


「え、ええ。まあ……」

「よく、帰ってこれたなぁ」

「まあ、なんとか……」

「悪かったな。一息付いてからまた仕事に戻ってくれ」

「わかりました。………はぁ」


 なんか知らんけどすごく疲れた。肉体的にも精神的にも。

 あ〜どうしよう。噂になったりしてるのかなぁ?何人かギャラリーいたよね。でも、僕がどこの部署の人間とは誰も分からないだろうし、多分大丈夫だとは思うけど………。


「お疲れ様でしたぁ」


 とにかく今日も定時に帰れたことを喜んで早く玲ちゃんが待つ我が家に帰るとしよう。


「ただいま〜」

「あ、おかえり。桂兄ぃ。ちょっと桂兄ぃに聞きたいことが」


 僕はリュックサックを床に落とし、手を伸ばし子供のように玲ちゃんの方へと駆け寄った。


「れ〜〜〜〜いちゃぁぁぁぁぁんっっっっっ!!!!」


 そしておもいっきり玲ちゃんを抱きしめた。


「ちょっ、桂兄ぃどうしたの?会社でなんかあったの?」

「うん。ちょっとよくわからないんだけど、とっても疲れたんだ〜」

「そっかそっか。今日もお仕事頑張ったんだね。えらいえらい」


 実の妹に抱きついて頭をヨシヨシされているのは決して可笑しくはないのだ!


「よしよし。お仕事頑張ったご褒美にまた一緒にお風呂入ろっか?」

「あ。それは遠慮しておきます」

「なんでよっ!? そこは素直にうんって頷くところでしょ!」

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