第25話

 いつの間にか手には彼女の手が添えられていた。


「僕の家に?」

「ダメ……かな?」


 期待と不安に満ちた表情で僕を見つめる風宮さんに僕は思い悩む。ここで拒むのはいけないような気がする。彼女が心細いであることは十分承知している。でも、安易にこの頼みに頷いていいのか?


「僕の家、オタク部屋だよ?」

「いいの。彼崎君の家なら」


 僕の家なら、か……。


「今、家に独りになるのがすごく、怖いの」


 彼女の『ひとり』という言葉が文字通りに『独り』と確かに聞き取れた。

 これで迷いは完全に消え去った。


「分かった。少し歩くけど大丈夫?」

「いいの?」

「あとで後悔しても知らないぞ?引くくらいオタクまみれの部屋だから」

「ふふっ……うんっ!」


 マンションまで歩く最中、彼女は僕の腕を両腕で掴んでいた。


「着いたよ」

「此処が彼崎君のい……………え?」


 マンションを見上げて唖然とする風宮さん。


「此処、本当に彼崎君の家なの?」

「そう」

「彼崎君、確か一般企業の事務って言ってなかったけ?」

「そうだよ」

「本当は一流企業の社長さんとかじゃなくて?」

「違うから」

「ならどうしてこんな高層マンションに住んでるの!?」

「話はあとで。とにかく部屋に行こう」

「え、ええ。そうね」


 エレベーターに乗り、階のボタンを押す。


「玲ちゃん、帰ってきてるかなぁ」

「玲ちゃんって……ああ。今、妹さんが彼崎君の家に泊まってるんだっけ?」

「そうそう。朝からバイトの仕事に行っているんだけど、もう帰ってきているかな? 何時に帰るとかは聞いてなかったから。それとも、帰ってそのまま大学にでも行ってるかな……」

「彼崎君って妹のこと、ちゃん付けで呼ぶんだ。なんかヘンなの。うふふっ」


 あ、ちょっとだけ元気になったかな?


「そうだ。幼い頃からずっとそう呼んでいる」

「妹さん、嫌がってないの?」

「全く全然これぽっちも」

「そうなんだ。クスッ」


 よかった。少しは元気になったみたいだな。

 エレベーターを降り玄関のドアを開ける。


「ただいま〜。玲ちゃん帰ってきるぅ?」


 返事がない。

 下に視線を向けると玲ちゃんの靴はない。まだ帰ってないようだ。


「帰ってきてない、みたいだね」

「そのようだ。まだバイト終わってないのかな?」

「…………ッ」


 玲ちゃんが帰ってきてこの光景を見たら、僕が咲さん達とは別の美人な女の人を家に連れ込んでいると思うんだろうなぁ。説明するのが大変そうだな、これは。


「適当に座ってて」

「うん。ありがとう」


 ソファーに腰掛けながら部屋を見渡す風宮さん。


「どうだ?僕の最高のオタク部屋は」

「第一印象としてはさすが高級マンションだけあって広いって感じかな」

「そうか」

「ところで、なんで彼崎君はこんなリッチなところに住んでるの?」

「宝くじで当てたから」

「えっ!ほんとに!? いくら当てたの?」

「7億……」

「7億っ!?……す、凄い額だね。もちろん実家には仕送りしたんだよね?」

「ああ。この前銀行に行って来て、これぐらい親の口座に振り込んできた」


 僕は人差し指を立てる。


「もしかして1億!?」

「その通り。口座に送金する前には親には電話して、宝くじ当てたら1億ぐらい送るって話したらすごく驚いてた」

「でしょうね……。私も聞いたら驚くよ。口座に1億が振り込まれるって聞いたら……」

「僕も当選した時は固まったよ。理解して受け入れるのに20秒掛かったよ。驚くというよりどうしようていう気持ちの方が大きかったかな」

「そうなんだ。それで、最初に思いついたのが引越しと」

「そう。せっかく引っ越すんだったらいいところに住んでやろうと思ってここしたんだ。駅近だし、近くには徒歩で行けるデパートやコンビニもあるからな。中々の優良物件だよ」

「へえ……。あっ、ねえ。棚、見ていいかな?」

「どうぞどうぞ」


 僕がお茶を淹れている間、風宮さんはソファーから立ち上がり、棚に置かれている本やゲームのパッケージ、フィギュアを歩きながら眺めていく。


「これ、全部読んだの?」

「7割は読んだ。あとの3割は途中」

「この可愛い絵のゲームも?」

「もちろんプレイ済み。だけどたまにもう一回プレイすることもある」

「へぇ……。ねえ。なんかオススメの漫画とかあったら貸してくれない?」

「え? 別にいいけど、風宮さんって漫画とか読むの?」

「中学生の頃までは読んでたけど、今はまったく」

「そうか。はい、お茶」

「あ、ありがとう」


 彼女がお茶を一口飲む。床に座り僕も一口飲む。

 この静かで穏やかな昼下がりは、何故かとても心地良いと感じる。


「オタク部屋って言ってたけど綺麗だよね。オタクの人の部屋って、もっと物がたくさん無造作に置かれてて足の踏み場がないイメージだったけど、思ってたより片付いてるね。例えるなら豪華な子供部屋みたい」

「こう見えても僕は綺麗好きなんだ。綺麗に本やフィギュアが整頓されていないと落ち着かないんだ。それにオタクというものは常に子供心を忘れない生きものなのだ」

「ふふっ そうなんだ。………私、男の人の部屋に入るの初めてなんだけど。この部屋はなんというか、うまくは言えないんだけど……とても落ち着くの」


 彼女のその微笑みは、その名の如く菫のように可憐で綺麗だった。


「そうか。あっ!漫画を貸す話だったよね?」

「そうだったね。何かある?」

「その前に、風宮さんにいくつか質問に答えてもらう」

「え?」

「風宮さんはオススメされた漫画がゴリゴリのバトル系でも読みたいと思える?」

「普段は読まないジャンルだけど、意外と読んでみたらハマるかもしれいかも?」

「うん。間違ってはない。だかそれは、自分で漫画を探す場合のみに限られる。人に勧められた本が全く自分好みではなく惹かれないものだったら読みたいという意識は薄れ、せっかく紹介してくれたしと、親切心で読んでしまう」

「そう、かもね」

「だからあらかじめ、その人がどういうジャンルが好みなのかを知っておく事が重要なんだよ」

「そ、そうなんだね……」


 少し苦笑いする風宮さん。


「だから、早速質問していくよ」

「あ、はい!お願いしますっ」


 僕は彼女に10個の質問をし、その答えをメモに書いた。そのメモを元に棚から5冊の漫画を厳選した。


「風宮さんの答えから算出した結果、これらの漫画をチョイスした」

「ありがとう。また、読み終わったら返しにくるから」

「ああ。いつでもいいから」

「うん。—————ねえ。漫画を返しに行く以外でも、時折またここに遊びに来てもいいかな?」

「それは別に構わないけど」

「ありがとう。よかった……。じゃあ、遊びに行く日時が決まったら連絡するね」

「分かった」


 これで僕の部屋にまた1人、女性の客人が増えてしまったというわけか。ティーカップのセット、買った方がいいのかな……。


「今日は本当にありがとう。彼崎君が居てくれてとても助かった」

「いや、僕はなにもしてないよ。ただ下手くそなその場しのぎの小芝居をしただけだし。根本的な解決はしてないわけだし」


 またあの橋田という男が何かの偶然でまた風宮さんに遭遇して危害を加えないとも限らない。あれはただ橋田を追い払っただけだ。なにも解決していない。いずれなんとかしないといけないだろうけど、今はとりあえず風宮さんの周りだけでも守らないといけないよな。


「そう……だね。でも、それでまた彼崎君に迷惑はかけたくない、よ……。もしかしたら怪我をするかもしれないし」

「僕が怪我するのはいいとしても、風宮さんが怪我する方が一番洒落にならない。女性が負ったキズは簡単には癒せないし治らないものだと思うから。だから、僕の心配より自分の身の安全をことを考えてほしい」

「彼崎君———————」

「うおっ!」


 彼女は僕に近寄り、体を預けるかのように顔を僕の胸に埋めて身を寄せる。


「ありがとう彼崎君。彼崎君にまた出逢えてよかった。私のそばに居てくれてよかった」

「風宮さん……」

「私、彼崎君とならこのまま——————」



 ガチャ



 玄関の扉が開き、疲れた様子の玲ちゃんが帰ってきてしまった。


「ただいまー」

「「ッッッッ!」」

「疲れたぁ。早く桂兄ぃをハグして充電しな………きゃ……」


 玲ちゃんと目が合った。

 まずい。

 タイミングが悪すぎる。よもやこの体勢で帰ってくるとは。


「お、おかえり。玲ちゃん………っ」

「桂兄ぃ、その女の人、だれ……?なに、してんの?」


 どうしよう。この状態でどう説明すれば!


「あっ! お、お邪魔しています。私、お兄さんの彼崎君とは同じ高校の同級生で風宮と言いますっ」


 風宮さんが咄嗟に僕から離れて慌ててに自己紹介をした。僕もそれに続くように


「風宮さんはちょっといろいろ合って、辛そうだったから心配で家に入れたんだ」

「そうなの。さっきはのは————そう!私が疲れてフラついたのを彼崎君が受け止めてくれただけなの。変なことはなにもしてないのっ。ね?」


 僕に視線を向ける風宮さん。


「そ、そうなんだよ玲ちゃんっ!」

「ふーん」じー


 こればかりは誤魔化すのは無理かっ!?


「はあ……。わかった。信じるよ」

「「(よ、よかったぁ)」」


 誤解は解けたようだ。

 風宮さんのファインプレーには感謝だな。しかしあの時、風宮さんはなにを言おうとしたのだろうか?


「はじまして。彼崎桂の妹で玲って言います」

「あ、こちらこそよろしくね。風宮菫です」

「よろしくです」

「美人で礼儀正しい妹さんだね」

「そうだろう?僕の自慢の妹だ」


 と、僕は鼻を高くし、


「はい。自慢の妹です」


 真顔でそう答える玲ちゃん。



「今日はありがとね」

「いいってことさ。また何かあったら遠慮なく連絡するんだぞ。オタクの僕だけど、できることがあればなんでもするから」

「うん。その時が来たら遠慮なく彼崎君を頼るね」

「ああ」

「あ、漫画ありがとうね。読み終わったら返しに行くから」

「急がなくていいから、ゆっくり読んで気が向いたときに返して来てくればいいから」

「ううん。早く読んで返しに行きたい」

「うん?どうしてだ?早く次の巻が読めるからか?」


 風宮さんは数歩歩いたあとくるっと振り向き


「—————彼崎君にまた会いたいからっ!」


 そう満面の笑みで答える彼女に思わず胸が熱くなった瞬間だった。



 ◇◇◇◇



 某日。

 とある有名喫茶チェーン店にて、4人もの美女が一つのテーブルを囲んで華麗なる女子会なるものを開いていた。もちろん、周囲の客や店員の注目を諸共もろともせずに


「この前、桂兄ぃが黒髪美人な女の人を家にあげてました」

「えっ!嘘でしょ?」

「やるわね桂君」

「そんな………。桂先輩に限ってそんなこと………」

「その女の人って桂のなんなの?」

「玲ちゃん、その人と話したのよね?」

「はい。高校の頃の同級生で同じ美術部員だったそうです」

「高校の時の同級生……」

「しかも同じ美術部員……」

「あとで桂兄ぃに聞いたら、デパートで買い物していて偶然再会して、それからしばらくして次は本屋でまた再会したそうです」

「なんていう必然すぎる偶然」


 玲は桂から風宮さんと再び再会し行動を共にした後に起きた出来事について聞かされたことを皆に説明した。


「桂らしいというか、なんというか。ウフフッ」

「女の子を守るなんてやるじゃない」

「桂先輩はやっぱりカッコイイですっ」

「それで?どうしてその同級生の美人さんを家に上げたのかは聞いたの?」

「桂兄ぃ曰くですけど、そのことがあったからその人も精神的にまいちゃったみたいで、仕方がなく家に入れたそうです」


 そうは話す玲だが、いまいち納得してないようであった。


「まあ、桂君は優しいから分からなくもないけど。私も時もそうだったし」

「それはアンタの方からそそのかしたんでしょ!」

「違うわよ。アレは桂君の優しさに甘えただけよ」

「どうだか」

「で、でも別にそれでナニかあったわけでもないんですよね?」

「私が帰ってきたときには2人が抱き合ってましたけどねっ」


 玲はムスッとしながら、ストローを口にくわえる。


「…………」ゴゴゴゴゴッ

「り、理乃ちゃん?目がヤバいことになってるよ?」

「—————えっ?私、そんな目してましたか?」


 すると、明日美がなにか思い付いたようで


「その風宮さんとお友達になったほうが良さそうね」

「え?」

「なんでよ?」

「その風宮菫という人、絶対に桂君になんらかの特別な感情を抱いてるとしか思えない」

「特別な感情ってなによ?」

「鈍いわねぇ、咲。恋心よ」

「どうだかね」

「ありえますね」

「玲ちゃん!?」

「私も一概とは言えませんが、その風宮さんという人が桂先輩の高校の頃の同級生で同じ部活の部員同士ということは、恋愛小説や漫画のような展開になってもおかしくはないです」

「理乃ちゃんまで!?」

「そうだわ玲ちゃん。玲ちゃんに一つお願いがあるんだけど」

「なんですか?」


 この時、会社で仕事をしていた僕は夢にも思わなかった。

 一度あることは二度あるということを—————。

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