第23話

「え?」

「アンタの家に初めて行った時にさ、私の料理食べてくれたんじゃん?桂が美味しそうに食べてたからまた作ってあげよっかな〜て思って……。どうする?上品な居酒屋で乾杯するか、私の家で手料理付きの宅飲みをするか」


 難しい選択だ。

 普通の男なら後者を選ぶことだろう。

 折角、ご飯をご馳走してくれるというのにそれを断るのは、咲さんのご好意に背くことになる。


 だが、それは言い訳にしてご好意に甘えるのも如何なものかと思う。仕事で疲れているはずの咲さんに料理を作らせるわけにはいかない。それに、こんな時間まで仕事していたら、料理する気力なんて残ってないはずだ。残業で疲れているのに相手の為に料理を作るなんて酷なことだ。お礼の為だとはいえ、それはしんどすぎる。


 咲さんには残業の疲れを癒してもらいたい。僕だけが癒されるわけにはいかない。だから、ここは—————!


「居酒屋にしましょう」

「そ、そう……」


 ちょっと残念そうにする咲さん。


「本当は咲さんの野菜炒めをもう一度食べたいところですけど、僕の手伝いがあったとはいえ、残業で疲れている咲さんに料理を作ってもらって僕だけラクな思いをするのはなんか違うような気がして。咲さんにはゆっくり疲れを癒してもらいたんです」

「ッ! そっかそっか。また私の野菜炒め食べたいか〜!」


 分かりやすく鼻を高くし嬉しそうにする咲さん。


「…………ッッッッ」

「クスッ 別にいいのに……。私は、桂の美味しそうに私の料理を食べてくれてるところを見たら、疲れなんて吹っ飛んじゃうんだけどなぁ」

「それでも、咲さんのご好意に甘えるわけにはいきません。そう言ってくれるのは嬉しいですけど……」

「分かった———。じゃあ、今回は居酒屋で呑んで、またいつか野菜炒めご馳走してあげるからっ」

「はいっ!」


 休憩を終わらせ、僕たちは最後の追い込み作業に入った。

 僕はクルル曹長並のタイピングスピードで文字を打ち込んでいく。


「クーックックックッ!」

「桂? なんか今奇声みたいなのが聞こえたんだけど?」

「気にしないでください。今僕、ちょっとしたゾーンに入ってるので」

「あっそう……」


 そして、午後10時になるギリギリのところで


「終わっっっったぁぁぁ!!!」


 大きく背伸びする咲さん。


「お疲れ様でした!なんとかギリギリに終わらせましたね」

「なんとかねぇ。あとはこれをメールで送れば終わりッ!」

「なんか、疲れすぎてここから一歩も動きたくないですね」

「それなぁ〜!」


 白シャツ一枚で体のラインが目立ちボタン2つ外した格好で、椅子に反り返るようにもたれて深い吐息を吐く咲さんの姿に無防備さと色気を感じた僕は、即座に視線を外した。


「一息ついたら動きましょうか?」

「そーだねー」


 仕上げ確認と後片付けをして帰り支度を済ました後、警備室にオフィスの鍵を返し、僕と咲さんは会社を後にした。


「さて、それじゃあ呑みに行きますか!」


 咲さんに案内されたその居酒屋さんはどう見ても値段が高そうでオシャレなお店だった。


「桂は何飲む?」

「そうですね……じゃあこのフルーツカクテルを」

「オッケー。じゃあ私はレモンサワーにしよっかな」


 飲み物と重くない程度の料理を注文した。


「今日はありがとう。お疲れ」

「お疲れ様でした」


 誰かと乾杯するのはこれで2回目だな。


「………やっと、桂と飲みニケーションができた」

「そうですね。咲さんと飲みに行くのはこれが初めてですよね」

「飲みニケーションを毛嫌いする人はいるけど、本来の目的は会社の中では話せない愚痴とか辛い事とかを皆で喋り合って傷の舐め合いっこができるストレスの吐口する場なのに、いつの間にか接待みたいなものだと揶揄されたり、仕舞いには本当の接待の場になっちゃってる始末。————本当は、桂みたいな社員を救う為の場なのにね……」


 そう言って思いつめた表情をする咲さん。それはどこか後悔をしているようにも見えた。


「僕は別に救われなくても平気でしたよ。そもそも、愚痴とか溢すほどの嫌な事には慣れてますし、辛いことなんて二次元にいる嫁とのイチャラブしてたらコロッと忘れますよ」

「本当はもっと早く桂とこうしたかった」

「今こうして一緒に呑んでるじゃないですか」

「そうじゃなくて!もっと早く桂がこういう場に皆と参加していたら、きっと……」

「会社で僕が孤立することはなかったと?」

「………」

「僕は今の環境、結構気に入ってますよ。面倒で地味な仕事を僕に押し付けているから、皆が僕に頭が上がらなくて何も言えない。でも、僕がそれで威張ったりせず、何も言わないから余計分悪くて、皆が僕を避ける様がこれがまた心地良いんですっ」

「バーカッ! そういうこと言ってるからいつまで経ってもぼっちのままなのよ!」


 呆れる咲さんはレモンサワーを飲み干す。


「ぼっちの座に君臨している僕に物申す輩はいない!ということですよ!ガハハハッ!」

「————っ」

「………っ!」


 咲さんが睨んでいる。しまった。調子に乗りすぎたか?


「———でも、理乃さんは違いました」

「そうだね。桂のお節介のおかげね」

「そういえば理乃さん、この間の親睦会には参加したんですよね?どうだったんですか?」

「うん……。皆と仲良くしてたよ。男共が理乃ちゃんに声を掛けてきて、それを周りの女たちが追い払ってた」

「目に浮かびます」

「理乃ちゃん、桂が来なくて凄く寂しがってたわよ」

「理乃さんには悪いですけど、僕があそこにいても、他の皆が思いっきり羽を伸ばさせられないですから。せっかくの親睦会が葬儀後の会食みたいになっちゃいますし。あ、このカクテル美味しいなぁ。もう一回注文しよ」

「桂……」

「はい?」

「次そんなふざけたこと言ったら私、本気で怒るからねっ!」

「もう怒っているような?」

「なんですって?」

「な、なんでもないです! あっ、次何を注文します?」

「ハァ〜 まったく……」


 咲さんがそうやって僕の為に怒ってくれるから大丈夫です、なんてことは口が裂けても小っ恥ずかしくて言えないなと、言ったら言ったでまた怒られるだろうなと、頬杖をついて呆れてピーチサワーを飲んでいる咲さん見ていて僕はそう思えるのだった。


「ラストオーダーみたいです」

「じゃあ、ぼちぼちお開きにしますか」

「ですね」


 僕と咲さんがお店を出ると、外はすっかり人気ひとけがなく静かになっていた。


「それじゃあここで分かれよ。おつかれ」

「駅まで送ります」

「いいよ別に。一人で帰れるから」

「女性一人に夜道を歩かせるわけにはいきませんでしょう」

「大袈裟だって————うわっ!」


 道の凹みに躓きかける咲さんの腕を咄嗟に掴み引っ張る。そして引っ張っられたことで咲さんが僕の方へともたれる形になった。


「ほら、酔ってて足元がふらついてるじゃないですか。もし、誰もいないところで転けて怪我をしたら大変ですよッ」

「ッッッッ!」

「なので、駅まで送ります」

「あ、あり、がとうっ………」


 ブラウス一枚にボタンを二つ外していることに加えて、酒で酔って顔が火照っていることもあり、漏れる吐息も甘く咲さんから漂う無防備さと色気さが一層増している。だが、僕は心臓の鼓動を押し殺し、咲さんを駅まで送り届けることだけに己を律した。


「なんかごめんね。送ってもらっちゃって。私が誘ったのに」

「関係ないですから。咲さんは酔ってるし、今履いてるのは高いヒールの靴だし、誰かがこうやって歩かないと危ないですから。………余計なお世話だったでしょうか?」

「ううん全然っ!そんなことない、すごく嬉しいッ!それに、私が今日いつもより高いヒールの靴を履いてるなんてよく気付いてくれたなぁ、て思って……」

「まあ、気付いたのは店を出た直後だったんですけどね」

「でも、ありがと。やっぱ桂は優しいね」

「い、いえッッッッ」


 T字路の信号がない横断歩道を渡ろうとした瞬間


「きゃッ—————!」


 右車線から車が徐行もせずに走り去った。それに驚いて後ろに倒れそうになった咲さんを後ろで抱き寄せるように受け止めた。


「大丈夫ですか!」

「う、うん。大丈夫」

「危ない車でしたね」

「だ、だね……」

「咲さん、歩けまッッッッ!」


 その時、僕は視線を下に移した瞬間、体温が一気に上がった。咲さんのブラウスの開けた襟元から胸が見えそうになっていた。微かに下着の部分が見えていたような気もする。


「桂?」


 咲さんが不思議そうにこちらをみている。いかん。咲さんに気づかれてはいけない。ここは平然を装わないと!


「歩けますか?」

「うん、大丈夫。ていうか桂……」

「なんですか?」

「すっごい心臓のバクバク音が背中越しに伝わってくるんだけど」


 僕の心臓静まれぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!


「どうか気にしないでくさい」

「いや、気にするし」

「大丈夫です。支障はありません」

「もしかしなくてもさ……私にドキドキしてくれてたり、する?」


 至近距離の上目遣いで僕を見つめてくる。


「…………」


 その通りです、と言えるわけがない。

 咲さんから甘くていい香りがし、その色気が間近に感じ取れてしまい、僕の心臓の鼓動がより一層大きくなる。


「僕も酔ってるんだと思います」

「アンタ、酔う程のアルコール度数のお酒飲んでないし、そもそも一杯しか飲んでないのに酔って心臓の鼓動が激しくなるわけないでしょ」

「うっ!確かに」


 誤魔化には無理があったか。


「やっぱり、ドキドキ、した?」


 明日美さんや玲ちゃんのお風呂の一件で多少なりとも、女性への耐性みたいなものが身に付いたばかり勝手に思っていたが、そう簡単ではないらしい。


「ほらほら、先輩に正直答えてみなさい?」


 おちょくるように聞いてくる咲さん。


「ちょ、ちょっとは………ッ」


 照れながら僕はそう答えるしかなかった。


「ッ! そっ……フフッ」


 あれ?咲さん、今笑った?


「それじゃあしっかりと私を駅までエスコートしてよねっ!」

「お、お任せを」


 駅に着くまでの間、僕らは一言も喋ることはなかった。


「今日は本当にありがとう。また呑みに行こっ!」

「はい。また行きましょう」

「じゃあ、バイバイッ」

「はい。お疲れ様でした」


 咲さんは歩きながら改札口ギリギリまで手を振り続けていた。僕はそれをずっと眺め、見届けていた。



 ◇◇◇◇



 とある日。今日は有給休暇である。

 玲ちゃんはモデルの仕事で朝早くから出かけている。

 今日はどうしよっかな……。


 録画アニメは昨日にたくさん観たから、今観ちゃうと次観る分のお楽しみが無くなっちゃうし、動画配信サービスのアニメも、今は観たい気分でもないしなぁ。ラノベもマンガも読みたい気分でもない。何もする気がない。


 ああ、虚無感。


「たまには散歩でもして気分転換するか」


 青の胸ポケットがある白のTシャツに黒のズボン、上から紺色のカーディガンを着て少し袖をめくった服装で外を出る。


「(とりあえず本屋にでも行くか)」


 駅近の書店に足を運ぶ。あそこの書店は、漫画やライトノベル小説に力を注いでおり、店員さんのオススメ紹介の約3割がライトノベルだ。僕もよくその書店にはお世話になっている。


「なにかあるかな……」


 書店に入り、本を物色していると


「あれ?彼崎君?」

「? あ、風宮さん!」


 なんと偶然にも書店に風宮さんの姿があった。


「やっほー、ファミレス以来だね」

「そう、だな……」


 手を振りながらこちらに歩み寄る風宮さんに僕は、ファミレスでの日のことを思い出す。

 風宮さんにどういう顔で接すればいいのか戸惑ってしまう。


「彼崎君、休みなの?」

「有給休暇で」

「ああ!なるほどね」

「風宮んさんも?」

「うん。まあね。彼崎君も本を?」

「いや、気分転換に出掛けてとりあえず寄っただけ」

「それじゃあ今、暇なの?」

「そうだな。これといって何もすることがない」

「ふーん……」


 ああ、これからどうしようかな。帰って同人の添い寝CDでも聴きながらお昼寝でもしようっかなぁと、考えていると風宮さんが不意に僕の左手を掴み、



「ね。暇ならさ、私の買い物に付き合ってよ」

「え?」


 風宮さんの買い物に僕が? でも……


「でも、折角の貴重な休みで一人でゆっくりしたい日に、僕なんかが邪魔じゃあ……」

「私、一言でも彼崎君が邪魔だなんて言ったかな?」


 あ、風宮さんちょっと怒ってる。


「い、言ってないです」

「それに、邪魔なら誘ったりしないッ」

「おっしゃる通りです」

「でしょ。ほら、行こっ!」


 風宮さんに腕を引っ張られるがまま、彼女のお買い物に付き添うことになった。

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