第7話

「よ、よろしくお願い、します…………」

「彼崎です。こちらこそよろしくお願いします」


 その後輩の女の子は、黒髪のショートヘアーに黒縁眼鏡をかけた地味で大人しい子だった。名前は香住理乃かすみりのさんと言うらしい。

 どことなく僕と似ているな。


 咲さんから中途採用された後輩の面倒を任された。

 元々は咲さんが面倒を見るはずだったらしいが、急な仕事で手が回せなくなり、僕にお願いしてきた。『桂は優しいから』だと。


 咲さんに信頼されるのは嬉しいし、頼まれるのは満更でもない。けど、僕に後輩の面倒が見きれるだろうか?


「すみません。担当の屋敷部さんが急な仕事が入って担当が変わってしまって」

「いえ……大丈夫、です…………」


 やはり僕と似ている。しかし、僕よりも更に重傷だ。

 対人に怯えている。当たり障りのない必要最低限の言葉だけで人との関わりを極力避けている――――ように見えた。


 これは、コミュ障と呼べるほど簡単な問題じゃないかもしれない。


「それじゃあ、この書類に書かれている文書をまとめて入力してみてくれますか?」

「分かりました……」


 彼女は言われた通り、書類に目を通しながら、パソコンに文章を入力する。

 パソコンの操作は問題ない。文章も要点を上手くまとめられている。これは、仕事する分では問題なさそう、だけど…………


「か、完了しました………」

「よし。それじゃあ、それを保存して印刷してくれますか?」

「はい………はっ!」


 香住さんはミスして先ほど入力した文章を消去してしまった。どうやら、上書き保存が出来ていなかったようだ。自動上書き保存の設定もしていなかったようだ。


「すみませんっすみませんっすみませんっ!」

「香住さん、大丈夫ですよ!」

「うッ!ハァーハァーっ!、あ、あ、んッ、んハァーハァーっ!」


 まずい。完全にパニックになって過呼吸になっている。

 まさかとは思っていたけどここまでとは。


 彼女を自動販売機にある休憩室へ連れていき、ペットボトルのお茶を買い、キャップの蓋を開け彼女に手渡す。


「これを飲んで、香住さん!」


 彼女は受け取り一口飲んだ。


「落ち着きましたか?」

「はい。……………すみません」


 彼女は肩は震えさせながら、今にでも泣きそうな声をしていた。


「休憩が終わったらまた一緒にやり直ししましょう」

「はい。………すみません」

「大丈夫です。時間はたっぷりありますから。じっくりやっていきましょう」

「はい………」

「…………。僕も何か飲もうかな」


 と、僕も自販機で微糖の缶コーヒーを買い、彼女の向かいのベンチに座り缶のプルタブを開ける。


「香住さんは文書のまとめ方が上手ですよね」

「………え?」

「香住さんが書いている間、香住さんの文章を追って読んでいたんですけど、僕より簡潔に書けているな~と思って。僕なんか、いっつも要点をまとめようとしても、文章が長くなって先輩にいつも注意されるんです」

「そ、そう、なんですか………?」

「僕は文章をまとめるのが苦手で、先輩に何度も教えて貰いました。今ではなんとかマシにはなりましたけど。未だに注意されてます」

「………」

「だから、香住さんの文章を見て、僕も最初からあれくらいの文章力があったらなぁと、感心と同時に羨ましさが込み上げましたよ。アハハハ」

「そ、そんなことは…………」

「たとえ失敗しても落ち着いてやっていけば、香住さんは充分仕事できる人だと僕は思います」


 笑顔で彼女にグッとポーズをする。


「!………あ、ありがとう、ござい、ッッッ、ます………グスン」

「か、香住さん!?」


 緊張や不安、悔しさの気持ちが溶けたのか、香住さんは気持ちが溢れかえるように泣き出した。


 僕はコーヒーを飲みながら彼女が思い残さず泣き終えるまで待ってあげることにした。


「ッ………すみません………」

「大丈夫ですよ」

「あの、お茶の代金……」

「いいですよ。これは僕の奢りということで」

「あ、ありがとうございます。……あ、あの。彼崎さんは、どうしてそんなに優しいんですか?私、こんなんなのに………」

が怖いって知っているからかなぁ」

「え?」

「僕もここに入社した時は心苦しいというか、肩身が狭いというか、自分の居場所がなくて心細かったでした。それで、失敗した時、僕を知らない人、僕が知らない人達が僕の失敗を責める。それが、まるで『お前が此処に居るから悪いんだ』って言われているようでとても怖かった」

「………」

「でも、時が経つにすれて、それで気持ちが麻痺して独りで居ることに慣れてしまった。そんな時、僕に声を掛けてくれたのが香住さんの担当になるはずだった屋敷部さんだったんです」

「屋敷部さん………」

「屋敷部さんは僕に何度も声を掛けてきました。最初はよく絡んでくる人だなって苦手だったんですけど、いつの間にか、自然と当たり前のようにあの人と会話をしている自分がいました。もう、独りじゃなくなっていました」

「………」

「今ではあの人に感謝しています。僕を独りぼっちにさせないでくれた―――。だから、香住さんを見た時、どことなく昔の僕みたいで放っておけなかった。僕もあの人のようにはいかないかもだけど、手を差し伸べたいと思いました。お節介かもだけど……」

「そんなこと、ありません」

「え?」

「職場で、私にこんなに優しく接してくれた人はいませんでした。だからとても嬉しかったんです」

「そうか……」

「あ、書類作成に戻らないと……」

「あ、そういえばそうだった。ぼちぼち戻りましょうか」

「はい」


 僕らは作業を再開した。香住さんは泣いて少し楽になったのか、失敗してもすぐに修正してパニックになることなく無事、書類作成を終えることができた。


「よし。完璧です。お疲れ様でした」

「ありがとうございました」

「お昼時間ですし、そろそろお昼休憩としますか」

「でも、さっきは……」

「あれはカウントしないということで」

「っ!……はい」

「それじゃあ、あとは自由に――」

「あ、あの」

「はい?」

「あの、もしご迷惑じゃなければ、お昼、一緒に居てもいいですか?一人で食事を取るのが、その……」

「僕でよろしければ」

「ッ! ありがとうございます!」


 その時の彼女の顔はまるで、初めて一緒に遊べる友達を見つけたかのような明るい笑顔だった。

 香住さんを連れ、いつもの行きつけの休憩室に向かう。


「彼崎さんはいつもここで?」

「そう。僕はここでいつも一人で食べています」


 買ってきたコンビニ弁当をレンジに入れる。

 香住さんの昼食は恐らく、お母さんに作って貰ってであろう可愛いらしいお弁当だった。


「すみません。折角のお昼時間をお邪魔して」

「気にしないで下さい。香住さんは特別です」

「とくべつ、ですか?」

「はい」

「そう、ですか………」


 俯きながらも彼女の頬は緩んでいた。


「此処は僕以外はだれも使わないところなので、香住さんも一人になりたい時はこの部屋を自由に使って下さい。別に僕が独占しているわけではないので」

「あの、でしたら……」

「うん?」

「お昼の時、またこうして一緒にお昼をご一緒してもいいですか?」

「はい。いつでも」

「ありがとうございます」


 それから僕と香住さんはお昼なると、この休憩室で一緒にご飯を食べるようになった。特に何か会話に華が咲くわけでもなかったが、この時間はとてもお互いに悪くなく、心地よかった。


「桂、どう?彼女の様子は?」


 仕事中、咲さんがコーヒー片手に声を掛けてきた。


「来たばかりの時よりかは大分落ち着いたと思います。たまに失敗してあたふたすることはありますけど、パニックにはなることは減りました。僕とも報連相以外での会話も徐々に出来るようにはなってきています」

「一緒にお昼するような仲にまでなっているみたいだしね」

「見てましたか」

「まあね。私も彼女の事が気になっていたから……。でも、やっぱり桂に頼んで正解だった」

「まあ、同じ境遇だからというのもあるかもれしません」

「……ありがとね」

「いえ……」

「それじゃあ、今後もあの子をお願いね」

「え?これからもですか?」

「私、他にも頼まれてる仕事があるから。それにもう、あの子は桂じゃないとダメっぽいし?」

「ダメっぽいって?」

「桂に懐いてるってこと」


 香住さんは僕に心を開いてくれている、という意味だろうか。


「あの子の支えになってあげて」

「まあ、僕に出来るところからやってみます」

「よろしくね!」

「はい」


 咲さんに香住さんの事を託させてしまった。

 まあ、言われずとも、僕は彼女を独りぼっちにさせないようにするつもりではいた。香住さんにはたった一人でも、味方が必要なのだ。


 僕がその一人で居ないとダメなんだ――――



 ◇◇◇◇



 そんなことを胸に抱きながら過ごしたある日の休日、僕は市内のデパートにある行きつけのアニメイトショップに来ていた。


 すると―――


「彼崎さん、ですか………?」


 呼ぶ声の方を向くと、そこには私服姿の香住さんがいた。


「香住さん!?」

「お疲れ様です………」

「お疲れ様です………」


 喫茶店にて。


「いや~、まさか香住さんとアニメイトで会うことになるとは思いもしませんでした」

「私も驚きました。あのアニメイトに行くのは転職して初めてだったのですが、店内に彼崎さんにそっくりの人が居たので、もしかしてとは思ったんですけど……」

「でも、香住さんもオタクだったんですね」

「彼崎さんもオタクだったんですね」

「ちょっと嬉しいです………」

「私も、同じ趣味の人と出会えて嬉しい、です……」


 職場で同じ趣味の人と知り合うと、何故か非常にテンションが上がってしまう。そして、知り合って間もないのに会話に熱が入る。


 これ、オタクのあるあるの一つである。


「香住さんは何オタなんですか?」

「私は日常系の美少女アニメが好きで、原作本やグッズをよく買っています」

「そうなんですか。僕も日常系アニメは好きで、原作も何作品か持っています」

「彼崎さんは日常系では何がお気に入りですか?」

「僕は『ピクニックびより』が好きですね。主人公が――――」


 オタクトークしている香住さんもやはりテンションが上がっている所為か、彼女の表情はとても明るく、目も大きく見開いていた。


「あの、宜しければ連絡先交換しませんか?また、アニメのお話したいので……」

「はい。しましょう」


 そして、香住さんとLINE交換をした。


「ありがとうございます。………ウフフ」


 嬉しそうだな。


「笑っている方が可愛いじゃないか―――――」

「へぇッ!?」

「え? あ!、しまった。つい、声に………」


 思っている事を口に出してしまうとは、完全に気が抜けていた。


「ッッッッッ!!!!!」


 香住さんが頬を真っ赤にしながら悶えている。またパニックしたら大変だ。


「あ、いや、香住さんッ、これは違うんだ!その、えーと………」

「ぜ、善処します………」

「え? あ、はい。そう、ですね」

「…………」

「…………」


 ………。

 気まずい。

 なんか変な空気になってしまった。

 香住さんは俯いたままでこちらを全然見ようともしない。

 ああ、しくじった。


「私……、笑うと、可愛いですか?」


 彼女は俯きながら小さい声で尋ねる。


「……。はい。可愛いと思います」

「うへへっ……」


 顔を上げて照れながらも下手に笑う彼女の笑顔は、僕にはとても愛らしく可愛らしく思えた――――。

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