011  白銀の少年⑤Ⅰ

 八嶋美雪やしまみゆきは、教卓で微笑みながら教科書を持っていた。

 月曜日の朝っぱらから顔を見ないと思ったらこんなところで出くわすとは思わなかった。というよりも自分が起きる前に家から出て行ったのだろう。

 その優しい表情豊かな性格と理想的な母の面影とはかけ離れているが、今日も生徒と教師に分かれて向き合っている。

 彼女は年齢三十六歳ではあるが、未だ二十代後半の若さを保っている美人教師である。身長からスリーサイズまでもがすべて完璧であり、他の生徒の中ではファンクラブができるほどである。

「ええと……これは一体何のつもりだ? 母さん……」

 二年一組から少し離れた空き部屋で正寿は目の前で資料ファイルを置いている美雪に向って訊いた。昼前のこの四時間目は二者面談の続きだったのだ。

 出席番号の早い者から続いたこの二者面談は正寿を入れて、男子は五人ほどになっていた。母と子で二者面談をするというのは、あまりいい気がしない。それに二人っきりになってまで『美雪先生』と呼ぶのはなんだか言いにくいのである。だからあえて、ここでは母さんと呼んだのだ。

「母さんじゃないでしょ。ここは学校なんだから先生でいいのよ。正寿」

 微笑みながらそう言う。ポーカーフェイスをしているようで正寿にしては怖い所である。怒っているのか怒っていないのか分からない。

 彼女は、白いワイシャツに長めの薄色のスカートを履いている。髪は腰の位置まで伸ばし、茶髪に黒髪が所々は言っている。性格は春乃に似ており、春乃はるのは本家のDNAをそのまま受け継いでいる。だから、怒らせると春乃以上に怖いのだ。

「それよりもなんで俺まで面談しないといけないんだ? これってやりにくいじゃん……。家庭訪問とかあった場合はどうすんの?」

「その時は春乃にお願いするわ。それだったら問題ないでしょ」

 地獄だ、と正寿まさとしは頭の中でそう思った。

 この母にして、あの娘にサンドイッチされたら気力を保つのにも体力が足りなすぎる。八嶋家の二大魔王に勝てるものは絶対にいない。大黒柱である父は、今どこにいるのか美雪以外知らない。家では男より女の方が強いという事はこういう事である。

「これから何を相談するわけ? 成績もまあまあいいし、何もないと思うんだけど……」

「そうだけど、ここ一年で微動たりとも成績の変化はないのは分かっているわ。このまま正寿が維持できればの話だけどね」

「と、言うと何か知ってそうな顔をしているんだけど何かあった? 母さんが何かある時、遠回しな言い方で話してくるから……」

「さて、どうかしら。正寿が言っていること分からないわ。他にはというと特にないわね」

 美雪は正寿の個人情報を全て見た上での判断であり、ファイルを閉じると席を立ち、窓側まで行くと外の景色を見ながらため息をついた。

「あ、そうそう。帰ったら春乃に言ってもらえる? 母さん、数日間帰ってこないからご飯はいらないって……」

「はい? なんかあるのか?」

 唐突に言われて、戸惑う正寿は制服を下敷き代わりに仰ぐ。美雪は開けた窓から入ってくる風に当てられながらペットボトルの水を飲んだ。

「まあね。母さんは教師の仕事以外にもやらないといけないことがあるから。そう言えば、一昨日、アウトレットで何か事件があったらしいけど大丈夫だった?」

「あ、ああ……」

 あの事件以来、全国・地方ニュースではこの報道ニュースばかりだ。

 一昨日と言えば、土曜日。正寿にしては思い出したくない魔の日だった。せっかく午後はゆっくりできると思いきやそのまま週末を棒に振ったのだ。

 思い出すだけで寒気がし、耳にするだけでゾッとする。こればかりは人生最悪の日であり、あれ以来、自分は他の人間の霊気の流れをなんとなく感じ始めたのである。では、正寿からして美雪の霊力は感じない。周りの人間にも微量であるが、霊力を感じる。自分の母は一体何者だろうか。

 正寿は、何度も視ようと試みるが何も見えなく、それを気づかないふりをしていた美雪が、

「世間では酔っ払いが暴れたとか言っていたみたいだけど、まさか、春乃を置いて逃げて行ったわけではないでしょうね。テレビは真実を語ってくれたわよ」

 どうやらニュースの画面越しで、正寿が春乃を置いて、どこかに行く場面を見ていたらしい。監視カメラにバッチリ撮影されたようだ。

「知っていたわけね。だったら、あの騒ぎが他人ごとではないことは知っているだろ? 何か、映ったとか、妙な事とか……」

「なら、あの騒ぎでカメラ越しでは分からなかったことを教えてくれる? あんな騒ぎじゃすぐに終わらなかったはずよ」

 そう言って美雪は、椅子に座りなおすと正寿は和らいだ体を正しい姿勢に直す。優しい口調には、棘があり、正寿が自分の目で視たものを美雪は知りたかったのだ。

 八嶋美雪は八嶋一平やしまいっぺいの妻である。

 一般教師に話したところで何も解決にはならないが、一つ、彼女には何かの組織的なところと繋がっている。それは正寿も他の娘たちも知られていない。

 そして、彼女はフラッといなくなることがあり、なんだか面倒ごとを持ち帰っても娘たちに優しく、仕事は私情には持ち込まないのだ。両親二人が何をしているのかは知る由もない。

 それだからか、正寿は美雪に対して対抗する気は愚か、親子喧嘩すら一度も勝ったことないのである。

「そうだ。母さんに訊こうと思っていたんだけど、まだ時間ある?」

 正寿は、たった一つだけ聞きたいことがあった。

「時間はあまり少ないけど……まあ、いいわ」

「一条春佳っている少女を知っているか?」

 正寿の質問に美雪は頬をピックとし、顎に手を当てると溜息をついた。

「一条か……。本当にその少女は一条って言ったの?」

「ああ、確かに一条って言った。それに八嶋という名字を気にしていた。俺の左手から霊力とか訳の分からない事を言っていたぞ」

「はぁ……。これ以上は隠し事をしていても無駄な様ね。正寿は一条家と八嶋家の事について聞きたい?」

 そう言って美雪は、携帯を取り出すと自分のフォルダーから厳重に保存してあるファイルを開いた。それを正寿に見せると、

「これって?」

「これは以前、八嶋家が通報される前の資料よ。あの三人には内緒にしておいて。八嶋一平、正寿の父さんは元々あっち側の人間だったの」

 言いにくそうに話しながら美雪は正寿に言う。正寿は息を呑みながらゆっくり頷き、

「あっち側の人間って死神のか?」

「そうなるわね。でも死神という称号は一部の者しか与えられないの」

 美雪が、正寿の訊きたい情報を分かりやすく説明する。

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