009  白銀の少年③Ⅱ

「な、なぁ……大丈夫か?」

 正寿まさとしが、起き上がると彼女の肩を掴んだ。

「ひゃっ‼」

 いきなり肩を掴まれた春佳はるかは、ビック、となり反射的に後ろを振り返る。

 恐る恐るゆっくりと話しかけてきた正寿だった。

 やっと立ち上がるくらいの気力を持っていた足腰は震え、体を支えるのがやっとである。霊獣れいじゅうと死神の戦いは異次元を超えて、さすがの正寿は何も役に立たなかった。それにこの場所は海沿いの近くの場所で、さっきいた場所から数十キロも離れている。

八嶋正寿やしままさとし‼ 私の後ろに立つな! 危うく斬りつけるところだった……」

 鞘から刀を抜き、後ろの方へ跳ぶと、正寿と一定の距離を取り、刀を正寿の方に向けて警戒心を解かなかった。

「いやいや、待て。待てって……」

 正寿は慌てて春佳に敵意が無い事を示した。自分の命が一番大事である。

「あんたら一体、なんで戦っているんだ? それにさっきの化物はなんだ⁉ 今まで見たことが無いぞ‼」

「それはそうです。あれは普通の人間には視えません。だけど、今回は例外です。気にしないでください」

 春佳は刀を直すと、話し始めた。世界が二人しかいないこの空気の中、正寿は驚きばかりだった。

「だが、それで一般人の俺を巻き込むなよな。それにこの荒れた草原をどうする気でいるつもりだ。さすがにまずいだろ」

 呆れた正寿は荒れた草原を指さして、春佳は溜息をついた。刀に少女といった不気味な違和感を漂わせるセット。そして、口を開いた。

「こんなの私の霊力で再生することぐらい簡単です」

 正寿は頭を掻きながら欠伸をして、

「そうか。だけど、理由はあれどもお前、俺には何かがあると言っていたな。俺の左手をまじまじと見つめながら……」

「それは……関係ありません。私はただ、霊力がこれほどあるものが今まで普通の暮らしをよくできたと思ったくらいです。それに、あなたにはまだ、謎がありすぎます」

「なるほどな。うちの親は一度も俺たちの先祖に合わせたことが無かったな。墓参りとか言ったこともない」

「それは————」

 何かを言おうとした時、彼女は言うのをやめた。なぜ、やめたのか理由も分からなかったが、正寿は顎に手を当てながら考え込む。

「何か言いたいことでもあるのか? それよりもお前、死神とか知らんがそんなに暴れたければ他所でやってくれよ。俺はこんなことに関わりたくない……」

 だが、この発言が地雷を踏んでいたことに正寿は気づかず、春佳の頬がピクッ、とわずかに動いた。

「あなた、もう巻き込まれている。いや、この運命から逃れることすら出来ない」

「ま、そうだろうな……」

 正寿は苦笑いをしながら戸惑う。春佳にしてみれば、正寿は単なるイレギュラーな存在。予測もできなかった人物だ。こんな人間がここにいるとは思わなかったのだから。それに強大な霊力は、今後役に立つのかもしれない。

「なんとなく、視えないものが視えて、それに目の前で戦っていたことに逃げ出しもしなかったからな。それにしてもすまない。名前を覚えだせないんだが、なんて言ったっけ?」

「はぁ……」

 大きい溜息をつき沈黙が長引く。

「あなた、人の名前を一度で覚えることが出来ないのですか」

 乱れた髪を整えながら春佳が目を細めた。

 困惑した正寿は、名前を覚えだそうと考えすぎた結果、

「分からん。さっぱり思い出せん。まあ、あの一瞬で覚えられる頭でもないからな……」

「そうですか。まあ、自己紹介はいつでもできますしね……」

 開き直った正寿を諦めて、春佳がボソッ、と小さく呟いた。

 札を取り出すと、鞘に貼り、自分の刀を封印した。その札を再び自分の懐に戻し、スキがありそうで、スキがない格好になると流れる汗を自分の服で鼻を拭く。

「は? それはどういう意味……」

 彼女は再び正寿に背を向けると、霊力で草原を復元し、

「さて、その意味とやらは自分で考えるといい……」

 そして、そう言い終えると目の前から自分の姿を暗ました。

「……あ、って俺一人だけここに置いていくなぁあああああ!」

 広い草原にたった一人残された正寿は、そのまま背中から地面に倒れて空を見上げた。

 視界に入る青空は白い雲、輝く太陽、そして、海のような地平線の見えない遠くにある空の海がそこにはあった。緊張感と脱力感が一気に抜けたように体が空になっていった。

 見知らぬ少女との短い時間でいろんなことがあった。

 これはきっと夢ではないのだろう。それは自分の体がよく知っている。だが、今、一番問題なのは、この場所からどうやって家に帰るかという事だ。所持金で電車に乗っても、せいぜい駅三つ、四つまでしか乗ることが出来ない。

 どうすっかな、と呟き、時間だけが過ぎていく。

「途中まで電車に乗って、後は走るとするか……」

 立ち上がると、目の前の堤防に向けて歩き出す。

 携帯の画面を確認すると、着信履歴に相当連絡が入っていた。

 それは妹の春乃からで、何度も電話をかけているという事は自分が帰ってこないことに怒っているのだろう。通話ボタンを押し、電話をかける。

 携帯ストラップが歩くたびに頬に当たり、チクチクする。

 しかし、連絡は繋がらなかった。通話を切り、携帯をズボンのポケットにしまう。そして、一人、長い道のりを歩いた。

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