うみだしたもののこと。
自分が生み出したもの。
恥ずかしい。
直視できない。
誰かに見せるなんてとんでもない。
そう、思っていたのは子供の頃ですね。
周りの目を気にして、ずっと隠していた時期がありました。これなら見せてもいいかなって思って、怯えながら見せるようになったのは高校生の頃。
専門学校では課題というものがあって、生み出したものを見せることが普通になった気がします。
それでも、やっぱり家族に見せるのは恥ずかしくて、ずっと隠していたら父親に言われたんですよね。
「親に見せることができないなら、この先プロになんかなれないぞ」
言わんとすることは分かるけど、プロでも親に自分の小説とか漫画を見せている人って少ないんじゃない?って思いましたね。
結局は見せたし、読まれました。ダメ出しもされました。
そこで気づいたんです。
私の作品って中途半端なんだなって。
昔は完璧主義だった……と、思う。
漫画を描いているころは、いつも完璧にしないとって思ってました。
ペン入れして、トーン貼って、きちんと原稿に描いてから見せるものだって。
それで、未完成のまま誰にも見せずにいる作品がどれだけあるのか。数え切れないほどあると思います。
最近はね、もうダラダラって小説書いてる。絵もダラダラ描いてる。
中途半端なやつをネットにあげて、反応もらって喜んでいる。
でもね。
それでいいんですよ。
生み出したことが大事なんですからね。
完成させることよりも、発信して、先に進むのが大事、なのです。
生み出したら、クールであろうとしてました。
やみくもに愛するのではなく、少し離れて客観的に見るみたいな、自分が生んだからって偉いわけではなく、謙虚に向かい合おうって思ってて。
それが全部独りよがりだって知った時の恥ずかしさたるや、ですね。
今も恥ずかしい。こんなこと言うの超恥ずかしい。
自分の作品が好きって言うのも、キャラを語るのも、自作を愛しているという事実が本当に恥ずかしいです。
そうそう。だからこの恥ずかしさってやつも独りよがりなんですよ。
あくまでも私の場合ですが。
作品が完成するのって「誰かに見てもらえた、読んでもらえた、知ってもらえた」時なんですから。
なーんてね。
自分の出したものを見せるの恥ずかしいよねって話でした。
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