第26話

二六


 薫子が左文字たちと相談して出した結論は、新しい会社を設立して製作を引き継ぐしか方法がないということだった。だが、それにはロイヤル・レコードを説得して打ち切りを撤回させると同時に、スタジオSGTとは別の新会社を立ち上げ、そちらに製作を移管させる必要があった。だが、薫子には、新会社に出資してくれるような人脈はなかった。

 何か、方法はないだろうか? 薫子は頭の中で、知り合いの顔を片っ端から思いだした。だが、ほいほいと百万単位のカネを出してくれそうな人間はなかなか見つからなかった。最後に、貴和子を思いだした。しかし彼女も借金を背負っている。出資どころではないだろう。

 貴和子のほかには……と考えていると、ふと、貴和子からもらった写真のことを思いだした。そうだ。この手があるかもしれない。あるアイデアを思いつき、薫子はバッグを開けて中を探った。底のほうから、埃まみれになった写真が出てきた。裸で縛られた出船が床に転がされている写真だ。

 薫子は一計を案じ、貴和子を呼び出した。その頃貴和子は、もともと才能があったのか、SM界ではけっこう名の売れた存在になっていた。

「というわけなのよ。だから、協力して。お願い」

「ようするに、その出船っていう男をいたぶって、ウンと言わせればいいわけね」

「そうなのよ。やってくれる?」

「条件があるわ」

「何? おカネはないわよ」

「アンタからおカネ取ろうなんて思っちゃいないわよ。違うの」

「じゃ、何?」

「アンタも、いっしょにやりなさい」

「え? あたしが?」

「そうよ。衣装や道具は、貸してあげるから」

「無理よ。あたし、経験ないし」

「だって、その出船って男、アンタのことを気に入ってるんでしょ? そのアンタにプレイしてもらえるとしたら、ぐっと成功率があがるんじゃない?」

「それは、そうかもしれないけど……」

「じゃ、いいわね」

「えー、やだなあ」

「その、『プリテン』だかなんだかの命運がかかってるんでしょ? やるのよ」

 毎日のように男に命令口調で話している貴和子には、いつのまにか逆らうことのできない威厳のようなものが備わっていた。

「わかった。で、具体的にはどうすればいいの?」

「場所とか道具とかはアタシのほうで用意するから、アンタはうまくそこにおびき出して」

「わかった。それで?」

「アイツはたしか、ムチと顔面騎乗が好きだったから、最初は縛ってムチうって、それから顔面騎乗でフィニッシュだね」

「何? ガンメンジキジョーって?」

「顔の上に、またがってやるのよ」

「えー、気持ち悪ーい」

 薫子は、顔をしかめた。

「アンタがまたがってやれば、きっと喜んでOKするわよ」

「え、あたしがやるの?」

「そうよ。他に誰がいるのよ」

「いやよ、そんなこと」

「衣装を着てまたがるんだから、たいしたことないよ」

「それでも、イヤ」

「でも、それが決め手だよ」

「イヤだなあ」

 薫子はなんとか逃げる方法を考えているうちに、またアイデアを思いついた。

「そうだ」

「何?」

「こんなのは、どう?」

 何事かを耳打ちすると、貴和子はけたたましい笑い声をあげた。

「いいね、それ」

 全面的に賛成し、さらに笑い転げた。


 薫子は、良太を粘り強く説得した。

「えー。それを、僕がやるんですかぁ」

「そうよ。これには『プリシャス・テンプテーション』の命運がかかってるのよ」

「やだなあ」

「いい、良太くん。良太くんの双肩には、『プリシャス・テンプテーション』に携わる全ての人の生活がかかってるのよ。そこのところを、よく考えてちょうだい」

「でもぉ」

 渋る良太を、薫子はなおも追い込んだ。

「良太くんがやらなければ、『プリシャス・テンプテーション』は終わっちゃうよ。それは良太のせいになるんだからね。みんなに、恨まれるよぉ」

「はあ」

「せいぜい数分で終わることなんだから、やりなさい」

「はあ」

「いいわね、やるわね?」

 良太は、泣きそうな顔でコクリとうなずいた。


 準備がだいたい整ったことを確認した薫子は、ロイヤル・レコードに出向き、出船に面会した。打ち切りの撤回と新会社への出資を懇願したが、予想どおり、出船は首を縦に振らなかった。

「どうしても、ダメですか」

「うーん。この件は、ちょっと難しいね」

「そうですか。それなら仕方がありません。ところで」

 薫子は人に聞かれないように、出船の耳もとに口を近づけた。

「出船さん、SMがお好きなんですってね」

 出船はあわてて周囲を見まわし、人指し指を唇に当てた。

「シー。誰に聞いたの、そんなこと?」

「沙樹女王様、ご存知ですか?」

「ああ、よく知ってるよ。でも最近人気が出ちゃって、なかなか予約がとれないんだ」

「私の友達なんです」

「え、そうなの?」

「それでね、出船さんとだったら、特別にプライベートでプレイしてもいいって言ってるんです」

「ほ、ほんとかい?」

 とたんに、出船の目が好色そうに輝きはじめた。

「私も、ご一緒しますよ」

「え? 君も、そういうの好きなのかい?」

「とんでも……、いえ、そうなんです」

「そ、そりゃあ、すばらしいな」

「それと、もう一人、若い女王様もいっしょに」

「ホント? すごいなあ。トリプル女王様かあ」

「いつが、いいですか?」

「そうだねえ」

 出船はいそいそと手帳を繰り、空いている日にちを読み上げた。

「じゃあ、スケジュールを調整してご連絡しますから」

「うん、頼むよ。楽しみだなあ」

 嬉しそうに微笑みながら、出船はエレベーターまで薫子を送ってきた。ふだんはそんなことを絶対にしないから、よほど嬉しかったようだ。薫子はエレベーターのドアが閉まるまで、手を振った。完全にドアが締まり終わると手を止め、「ふう」と大きく息を吐いた。


 その日は午後イチに、良太を貴和子のアパートに送り込んだ。

「まあ、かわいい。食べちゃいたいわ」

「だめよ、貴和子。手を出しちゃ。良太くんは、こういうのに免疫がないんだからね。良太くんも気をつけるのよ。このお姉さん、危ない人だからね」

「何よ。人を変態みたいに言わないでよ」

「十分、変態でしょ」

「アンタだって、今日その仲間入りするんじゃない」

「アタシは、今日だけですっ」

「一回やれば、はまって抜けられなくなるわよ」

「冗談じゃないわ。二度とゴメンよ」

 夕方までかかって、貴和子の手によって良太は丹念な化粧を施されていった。仕上げにウィッグをつけると、どこから見ても美しい女性にしか見えない。

「ほら、きれいよ」

 鏡に映る姿を見て、良太は頬を赤らめた。

「貴和子、上手ねえ」

「女装プレイしたがる客も、多いのよ」

「へえ」

「良太。アンタ、これから一言もしゃべっちゃダメよ。男だったバレたら、元も子もないんだからね」

 うなずく良太に、貴和子は満足そうに微笑んだ。

「ほら、アンタも早く支度しなさい」

 貴和子が手渡してきたのは、皮製のハイレグ・レオタードだった。

「あたしが、これ着るの?」

「これでも、いちばんおとなしいものを選んだのよ」

 隣の部屋で着替え、おそるおそるふすまを開けた。良太がびっくりしたような顔をして見つめている。

「どう?」

「まあまあね。じゃ、出船のほう、頼んだわよ。アタシたちはスタジオでスタンバってるから」

「了解」

 ハイレグ・レオタードの上に地味なワンピースをまとい、薫子はタクシーに乗った。もう、とっぷりと日がくれていた。駅前に佇む出船を見つけ、薫子は声をかけた。

「出船さん?」

「おお、無量小路さん。これから、どこへ行くの?」

「スタジオを予約してありますの」

「ほお、本格的だねえ。楽しみだねえ」

 何も知らずについてくる出船がちょっと哀れに思えたが、薫子は心を鬼にして貴和子たちの待つスタジオに案内した。


 SMスタジオの中は黒く塗られ、天井からはチェーンがぶら下がり、床の上にはどうやって使うのかわからない恐ろしげな道具がいくつも設置されていた。奥の真っ赤なソファに、貴和子と女装した良太が偉そうに足を組んで座っていた。

「おお、沙樹女王様」

 貴和子は立ち上がって、ムチを一閃した。

「奴隷の分際で、なんで服を着ている! 裸になりなさい」

「は、はいっ」

 出船は喜び勇んで服を脱ぎはじめた。それを見て、薫子もワンピースを脱いだ。

「覚悟は、よろしくて?」

 全裸でひざまずく出船に、薫子は頭上から声をかけた。


 貴和子に怒られながら薫子もいっしょに責めに加わり、すでに一時間以上が経った。体中にムチや蝋燭の跡をつけた出船が、ロープでがんじがらめに縛られ、床に転がされていた。そのそばに、貴和子がしゃがみ込んでいる。

「さて、奴隷君。これが何だか、わかるかな」

 貴和子が出船の顔の上に差し出したのは、例の放置プレイの写真だった。

「この写真、君の会社にばらまいちゃおうかな」

「そ、それはお許しください、女王様」

「だったら、薫子の『プリテン』、うまく完成できるようにはからってくれるよね?」

「そ、それは……」

「やってくれたら、君の好きな顔面騎乗、やってあげるよ。それも」

 貴和子は、良太を手招いた。

「この美しい新人女王様に、乗ってもらえるんだよ。どうする?」

 出船は、見ていて哀しいほどに身悶えした。それほど、好きらしい。薫子は、身震いした。

「さあ、どうするのかな?」

「うう……」

「写真をばらまかれるのと、美しい女王様の顔面騎乗と、どっちがいいの?」

「うう……」

「もう、答えは、決まってるよね」

「うう……」

「どっちにするの!」

 貴和子の声が、突然大きくなった。

「顔面騎乗、お願いします」

「そう、いい子ね。じゃ、『プリテン』もうまくやるのね?」

「はい」

「わかったわ。約束破ったら、たたじゃおかないわよ。いいわね?」

「はい、破りません。だから、早く」

 貴和子は出船にタオルで目隠しをすると、良太にその上に座るように指示した。良太は嫌がったが、貴和子と薫子が上から無理矢理押さえつけた。良太の尻が出船の顔に乗ると同時に、くぐもった悲鳴のような声が響き、出船は果てた。男の尻に乗られて果てた出船が、薫子にはなんとも気の毒に思えた。

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