第5話


 日出生は、呆れたように薫子を見上げた。

「なんだって、千葉くんだりまで行っちゃったの?」

「すみません。脚本を読んでたら、つい……」

「つい、何?」

「……。おもしろくて」

 薫子は、消え入りそうな声で答えた。

「そう。気に入ってくれた? そりゃあ、よかった」

 日出生は嬉しそうに微笑んだ。

「やっぱ、こういう仕事は、作品に惚れ込むことから始まるからね」

「はあ?」

「いや、ご苦労でした。加代子ぉ。日当、払ってあげて」

 手提げ金庫を覗いた加代子が、明るく答えた。

「お金、三二七円しかないですよう」

「え、ホントに?」

 日出生は加代子が差し出す手提げ金庫の中を確かめたが、本当に小銭しかなかった。

「ゴメン。明日、銀行でおろしとくからさあ、悪いけど、また明日来てよ」

「はあ」

 薫子がうんざりしたような顔をすると、日出生があやすように言った。

「あの熊原から、脚本とってきただけでもたいしたもんだよ。アイツは、金と引き換えじゃないとぜったい書いたものを渡さないから」

「そういえば、お金、貸してほしいとかおっしゃってましたけど」

「そうだろう? いや、ホントにたいしたもんだ。だからさ、電話番号、教えといてくれない?」

「何でですか?」

「これに懲りずに、また頼むよ」

「考えときます。じゃ、お先に」

 捨て台詞のように言い残し、薫子は日出生に背を向けた。


 翌日の夕方。日出生から日当を受け取ると、薫子はその足で貴和子と合流して六本木のカラオケレストランへ行った。貴和子がおごると言うので、高級牛肉のしゃぶしゃぶを遠慮なく三皿食べ、一三曲歌った。

 さすがに歌い疲れて甘いものが欲しくなり、ハニートーストをパクついていると、貴和子が言いにくそうに聞いた。

「この前、晃二にヘンなこと、言われなかった?」

「ヘンなことって?」

「たとえば、その」

 貴和子は、ちょっと口ごもった。

「愛人にしたいとか何とか」

「ああ、言われたわよ」

「あ、やっぱり。あのヤロウ、アタシというものがありながら」

 貴和子は、悔しそうにフォークをトーストに突き立てた。

「こんな地味な女のどこがいいのかしら。やっぱり、いつもキャビアばかり食べてると、たまにはお茶漬けが食べたくなるっていうアレかしら」

「誰がお茶漬けですって?」

「で、いくらって言われた?」

「何が?」

「お手当」

 薫子は正直に言うべきかどうか迷ったが、言われたとおりの金額を答えた。

「三五万円」

「あ、そうなの」

 貴和子は安心したのか表情を明るくし、トーストをほおばりはじめた。

「やっぱり、そんなもんよね。で、薫子。あんた、やるの?」

「何を?」

「愛人」

「やるわけ、ないでしょ」

「ふうん。やらないんだ」

 貴和子はさらに安心したらしく、ハニートーストのおかわりを注文した。その様子から薫子は、貴和子があの男から少なくとも毎月三五万円以上のお手当をもらっていることがわかった。

「で、仕事は見つかったの?」

「まだ」

「でもさっき、アルバイトの日当をもらいに行ったって、言ってたじゃん」

「あれは、一日だけのアルバイト」

「ふうん。どんな仕事だったの?」

「それがね」

 薫子は、ディスコで貴和子と別れた後で遭遇した出来事を、順を追って説明した。貴和子は途中から腹を抱えて笑い出した。

「ああ、おかしい。楽しそうなお仕事ねえ」

「何が楽しいもんか。思い出すと今でも腹が立つわ」

「でも、薫子。これは、運命かもよ」

「運命?」

「そう、運命。一生を左右する出来事っていうのは、そういう何気ない出会いから始まるものなのよ」

 そんな運命は願い下げだと、薫子は思った。

「やめてよ」

「アタシのカンは、よく当たるのよ」

「じゃあ、自分の将来はどうなるのよ」

「そりゃあ、晃二よりもっとすごいハンサムのお金持ちが現れて、一生、玉の輿三昧よ」

「そうなることを、祈ってるわ」

「じゃ、二人の運命に乾杯」

 貴和子は、無邪気にカクテルのグラスを持ち上げた。

「あんたのだけに、しといてちょうだい」

 薫子は、人さし指で貴和子のグラスを押し下げた。

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