第4話


 ドアを開けると、部屋の中にいた人間がいっせいに薫子の顔を見た。昨日見かけた日出生、小太りの女、無愛想な男、そして初めて見る痩せた顔色の悪い女の四人だった。

「あの……」

 薫子が声をかけると、日出生が昨日のことを思い出したらしかった。

「ああ、昨日の人。面接するんだったね」

「あ、いや。違うんです」

 あわてて否定しようとする薫子をまったく気にせず、日出生が聞いた。

「あなた、名前は?」

「え? あの、無量小路薫子ですけど」

「お公家さんみたいな名前だね。血液型は?」

「え? 血液型ですか? B型ですけど」

「あ、OK。じゃ、採用。さっそくなんだけど、荻窪まで行ってきて」

「え? いや、あの、そうじゃなくて。今日は、お断りに」

「え? 断る? 何で?」

 日出生は、心の底から心外そうな顔をした。

「だって私、アニメなんて全然知らないし。ここじゃ、やっていけそうもありませんから」

「だいじょうぶ。あなただったら、できる」

 日出生は薫子に歩み寄り、両腕をがっしりと掴んで強く揺すった。

「お気持ちは嬉しいんですけど、やっぱり、無理だと思います」

「じゃさ、三ヵ月だけ、アルバイトのつもりでやってみてよ。それで、どうしてもダメだったらまた考えればいいじゃない」

 薫子が黙っていると、日出生が追い討ちをかけた。

「じゃさ、今日だけでもいいからさ。さっそくで悪いけど、加代子が帰って来ないんだよ。たぶん荻窪の熊原くまはらのところだと思うんだ。連れて帰ってきてくれない? あ、それと、脚本。できあがっているところまででいいから、もらってきて」

「ですから、あの……」

 薫子が何か話そうとするも聞かず、日出生はスタッフとの打ち合わせに戻ってしまった。

「あの」

 日出生の背中に、やや大きい声で呼び掛けた。数度目で、日出生はやっと振り向いた。

「なんだ、まだいたの。早く行ってきてよ」

「いえ、そうじゃなくて」

「あ、そうか。ごめんごめん。これ、地図と電話番号。じゃ、頼むね」

 日出生はさっとメモを書いて薫子に渡すと、また打ち合わせに戻ってしまった。薫子は、メモを片手になすすべもなく突っ立っていた。今日はただお断りをして帰るつもりでいたのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。

「すみません。私、こういうことをするために来たんじゃ、ありません」

 気を取り直して再び断ろうとすると、日出生が振り向いた。顔が怒っていた。

「無量小路くん。君は、お使いひとつできないのか。そんなつまらん人間だったのか」

 その一言が、薫子の血液を逆流させた。

「お使いぐらい、できるわよっ」

 くるりと踵をまわすと、薫子はわざと大きな足音を立てて階段を走り下りた。


 荻窪へ向かう電車が中野駅を過ぎたあたりで、ようやく冷静さが少し戻ってきた。

 しまった。またやっちゃった。挑発されるとすぐにムキになってしまうのは、薫子の子供の頃から変わらぬ性格だった。二十歳を過ぎてようやく自分の性格に気づき、気をつけるようにしていはいたのだが、予期せぬ場面でやられるとたちまち地金が出てしまう。この性格のおかげで、ずいぶん損をしたような気がする。特に、幼なじみの貴和子には存分に利用されたように思う。薫子は、自分の修業の足りなさをつくづく反省した。


 日出生の地図は不正確で、一時間近く歩き回っても目的のアパートは見当たらなかった。途中の公衆電話から何度も電話したが、一度も出なかった。日出生に聞こうにも、また電話番号を聞くのを忘れていた。細い路地裏に入り込み、そこの住人に聞いてみたりしたが、いっこうにらちがあかなかった。

 あちこち歩きまわった疲れが、足に来ていた。ひと休みして、これからどうするかを考えることにした。喫茶店のようなものを探していると、前方にファミリー・レストランが見えた。入り口を目指して歩きながら、何気なく店の大きなガラス窓から中を覗き込むと、思わぬものが見えた。牛丼と引き換えに薫子を事務所に泊めた、あの加代子とかいう女だった。窓際の席で、でっぷりと太った大柄な男と楽しそうに談笑している。二人の間にあるテーブルの上には、原稿用紙のような紙が大量に散らばっていた。

 薫子はファミリー・レストランに飛び込み、案内しようとするウェイトレスを押しのけるようにして加代子に歩み寄った。

「あなた……」

 あまりに喉が乾いていて、声がかすれた。かたわらのウェイトレスが盆の上に乗せていた水のコップを掴み、中身を一気に飲み干した。

「こんなところで、何しているの?」

 薫子の顔をまじまじと見つめていた加代子は、ようやくこの前の夜のことを思い出したようだった。

「ああ、あんた。事務所に泊めあげた人だよね?」

「大盛牛丼と引き換えに、ヘンな匂いのする寝袋に寝かされたわ」

「あんたこそ、こんなところで何してるよのよう」

「あんたを連れてきてって、あんたの社長に頼まれたのよっ」

 日出生に挑発された言葉を思い出し、つい口調がきつくなった。

「え? だって脚本、まだ全部できてないよう」

「そうだ。脚本もいっしょにもらってくるように言われたわ。あなたが熊原さん? 脚本をください。できてるところまでで、いいそうです」

 太った男があっけにとられたように薫子を見つめながら、か細い声でつぶやいた。

「おっかないオバさんだなあ」

「オ、オバさん!?」

「だれ、これ?」

 熊原は、声をひそめて加代子に聞いた。

「この前、事務所に泊めてあげた人」

「何で、ここにいるの?」

「知らないよう」

 薫子は、かまわず加代子の横に座った。どすんという意外に大きな音がして、他の客が何事かと振り向いた。

「私は日出生さんに頼まれて、今日だけアルバイトをしているんです。この人、連れて帰りますから、脚本ください」

「あ、はい」

 熊原は薫子の勢いに怯えたのか、目の前にあった原稿用紙をまとめて封筒に入れてよこした。

「何か、伝えること、ありますか?」

「いちおう、第一巻の分はできてるから」

「そう、伝えればいいんですね?」

「うん。あと……」

「あと?」

「日出生さんにさあ、ちょっとお金、前借りできないか聞いてみてくれない?」

「そういうことは、直接日出生さんにおっしゃってください。私は、今日だけのアルバイトなので。じゃ」

 薫子は封筒を受け取り、加代子を促して席を立った。名残り惜しそうに手を振る加代子に、熊原も手を振って応じた。


 電車のシートに座ると、加代子はすぐに眠ってしまった。薫子の肩は、加代子の枕になった。泊めてもらった恩もあるのであまり邪険にもできず、薫子は加代子のなすがままにさせることにした。しばらくそうしていたが、手持ち無沙汰なので、天井からぶら下がっている広告を読むともなく読んでみた。株式投資や不動産投資のハウツウ本やリゾートの広告ばかりが目立っていた。

 しばらくすると、それにも飽きてしまった。ふと目を手許に落とすと、先ほど受け取った封筒が目に入った。アニメには興味がなかったが、脚本とはどういうものなのか見てみたいという、ちょっとした好奇心が頭をもたげた。薫子は、封筒の中身を読んでみることにした。



プリシャス・テンプテーション(第一巻)


主な登場人物

花川戸はるか  中学二年生。主人公。性格は明るいがドジ。背が低いのがコンプレックス。

錦織浩一郎   中学三年生。生徒会長。スポーツ万能で成績優秀。はるかがひそかに思いを寄せる。

伊佐山ジュン  中学二年生。はるかのクラスメート。めがね。

三条ユキ    中学三年生。大財閥三条家の跡取り娘。気位が高い。

ユリ・ヴァン・ダー・リンデン 中学二年生。帰国子女。謎めいた美少女。

マサシ     オオアリクイの子供

マサシの母   オオアリクイ


 中学校の廊下。向こうの端から大慌てで走ってくる花川戸はるか。制服のボタンは掛け違っていて、髪にはヘンな寝癖がついている。

はるか「やばいー。今日も遅刻だー」

 廊下の角をまがったところで、衝突音。画面切り替わると、廊下に二人の生徒が倒れ込んでいる。一人は、はるか。もう一人は生徒会長の錦織浩一郎だ。

浩一郎「痛いなあ、もう」

 浩一郎、目をまわしているはるかに気づく。

浩一郎「あ、おい、君。大丈夫?」

 はるかを抱き起こす浩一郎。肩を揺すられて、はっと気づくはるか。目の前に、憧れの浩一郎がいてびっくり。

はるか「ぎゃあああ!」

浩一郎「わあ!」

 悲鳴にびっくりした浩一郎が手を離し、床に頭を打ち付けるはるか。

はるか「あわわわわ」

 後頭部を押さえながらもぱっと起き上がり、あわてて自分の荷物を片づけて逃げるようにその場を去るはるか。

浩一郎「なんだ、アイツ。自分からぶつかっといて」

 はるかの後ろ姿を目で追いながら、口をとがらせる浩一郎。そして物陰からその様子を見つめる美少女・ユリ。


 子供の頃に読んだ少女マンガを、思い出した。こういうドジな主人公に自分を重ね合わせて、物語の主人公になったような気分を味わったっけ。薫子は、思わず微笑んだ。そして、さらに原稿用紙のマス目を埋めている几帳面な文字を追っていった。

 物語は、その後もはるかが何度もドジを重ね、そのたびに憧れの浩一郎に迷惑をかけるというお決まりの展開になっていた。そんなある日、はるかは同級生と観に行ったクラシック・バレエの舞台裏で、人語を解する一頭のオオアリクイの子供に出会う。


はるか「きゃあああああ!」

 暗闇でぺろりと頬を舐められ、悲鳴をあげるはるか。

はるか「何? 何? いやよ。お化け、だいっきらいなんだからぁ」

 へっぴりごしで、あたりをまさぐるはるか。

マサシ「ねえ、驚かないで。ぼく、怪しいものじゃないから」

はるか「だ、誰?」

マサシ「ぼく、オオアリクリのマサシっていうんだ」

 はるかの前に、一頭のオオアリクイがあらわれる。そのつぶらな瞳には敵意が感じられない。言葉をしゃべるオオアリクイに、いささか面喰らった様子のはるか。

マサシ「ねえ、お願いがあるんだけど」

はるか「な、何?」

マサシ「ぼく、動物園で生まれたんだけど、ちょっと檻を抜け出してあちこち探検してたら道に迷っちゃって。自動車にびっくりしてトラックに逃げ込んだら、こんなところに来ちゃったんだ」

はるか「そ、そうなの」

マサシ「ぼくを、動物園に連れて帰ってくれないかなあ」


 バレエを観に行ってオオアリクイ? 薫子の頭上にいくつもの疑問符が浮かんだが、それらはいちおう保留にして、とりあえず読み進むことにした。

 はるかはバッグにオオアリクイを入れて劇場から連れ出し、その日は遅いのでマサシを自分の家に泊めることにした。家族にばれそうになりながら冷や汗ものの一晩を明かし、翌日、ドタバタ騒動の末にやっと動物園に連れていくことに成功する。無事に母親のもとにマサシを返してやると、オオアリクイの母は、お礼にといって何かの蛹をくれた。


オオアリクイの母「その蛹は、愛をつむぐ蛹です」

はるか「はい?」

 いぶかしがる、はるか。

オオアリクイの母「成就したい愛に出会った時には、その蛹に願をかけてください。きっと、いいことがありますよ」

はるか「はあ」

 おっかなびっくりで蛹を受け取り、ためつすがめつするはるか。やがて首をひねりながらバッグに放り込んだ。

はるか「ところで」

 オオアリクイの母に質問するはるか。

はるか「オオアリクイさんは、どうして人間の言葉がわかるの」

オオアリクイの母「たいていのオオアリクイは、人間の言葉をしゃべるのよ」

はるか「え、そうなの? でも私、今までそんなこと聞いたことないよ」

オオアリクイの母「だってそれは、オオアリクイだけの秘密だったから。あなたも、このことは他言しないでね」

はるか「でも、人間と話せたら、もっと仲良くなれるかもしれないのに」

オオアリクイの母「人間と私たちオオアリクイの間には、言葉だけでは超えられない溝があるの。海より深い溝がね。あなたも、大人になったらわかるわ」

 悲しげな目をしてうつむくオオアリクイの母。言葉を継ぐことができないはるか。


 人間とオオアリクイの間にある溝? 薫子は混乱する頭をなだめながら先を読んだ。主人公のはるかは、同級生のジュンから、浩一郎が大財閥三条家の跡取り娘ユキのことが好きだということを知らされる。そしてユキも浩一郎のことが好きなのにもかかわらず、親から政略結婚を迫られていることを知ってしまう。さんざん悩んだ末、はるかはひとつの決断を下す。オオアリクイの母からもらった愛をつむぐ蛹に、浩一郎とユキの愛が成就するように願をかけたのだ。すると蛹からキラキラと光り輝く幻想的な蝶がかえり、浩一郎とユキの上を舞った。

 

ユキ「浩一郎くん」

浩一郎「ユキさん」

 駆け寄って抱き合う二人。物陰から二人を見つめるはるかとジュン。キスをしようとする二人から目をそらし、はるかとジュンはその場を立ち去る。

 何も言わず、とぼとぼと帰り道を歩くはるかとジュン。やがてジュンが、小さな声ではるかに聞く。

ジュン「これで、よかったの? 本当は……」

 それを遮るはるか。

はるか「言わないで」

 はるかの頬を一筋の涙が流れ、手に持った蛹の殻に落ちた。殻が一瞬光るが、気がつかない二人。

ジュン「でも」

はるか「これで、よかったの。あの二人だったら、愛し合ってるんだし。錦織先輩には、私なんかよりユキさんのほうがずっとお似合いだよ」

 しばらく考え、納得するジュン。

ジュン「まあね。あんたが錦織先輩の彼女になったら、ドジの後始末だけで一生終わっちゃうかもね」

はるか「もう、ジュンたらぁ」

 笑いながら逃げるジュンを追いかけるはるか。その様子を物陰からじっと見つめるユリ。夕焼けの空にパン。エンディング・ロール重なる。


 謎めいた美少女ユリが物陰から見つめるだけで全く活躍しないこと、人語を解するオオアリクイ、人間とオオアリクイを隔てる溝など、いくつか納得がいかない点があるものの、薫子はこういう学園ラブストーリーが嫌いではなかった。むしろ、大好きと言ってもよかった。むさぼるように読み進み、気がつくと電車は薫子の知らない駅に停まっていた。

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