第14話 SAYONARA SPACE

 いやな夢を見たと思って歩いていると、肘の長さまで水位の下がった堤防の下でガラス球を見つけた。夜の運河の濁りと対照的に、それは穏やかに煌いていた。人通りの少ないのをいいことに、街灯の下でそれを拾い上げてみるとそれは急に光の筋を細長く出し、電気の上へ馬鹿正直なほど一直線に差していった。

 冷たい風が吹いたので、堤防の階段を上がって帰路に就くことにした。日開けまで近いことを黄色い四角形の箱が道ばたで笑うように大口を開けている様子から知った。置かれた円筒の中からふわり浮かんだ紙屑やらが口の中へ飛び込むと、箱は満足げに破砕音を鳴らした。

 目的地を網膜に投射する灰色の道を辿って歩いている中途、濃緑色のフライトジャケットのポーチに押し込んだ玉が熱くなっていることに気づいた。下の運河を艀がモーター音を鳴らしながら流れていく様子にどうしてか、足首をすっぱり切られたかのような冷たさを感じた。

 おい、お前は何だ。

 と光る玉を持ち上げて訊いても何も言わない。

 一人きりの寂しさから聞いたわけではない。

 するとその球が急に光の向きを変えて、胸に刺さった。

 歩みを止めて、後ろだと思い至る。

 また歩き出すと、今度はカツカツという音をかき消して、まるで金属の塊を地面に打ち付けるような音が追ってきた。歯を食いしばり胸の鼓動を誤魔化して足早になり、終いには腕を振って走り出す。金属音は逃がすまいと思ってかガシャガシャと工事現場のように騒々しく動いたが、足音と金属音にはどういう訳だか一定の距離が保たれていた。

 一つ振り返って脅かしてやろう。と思って歩みを不規則に速めたり緩めたりしていると、金属音もこれまた馬鹿に規則的な様子でこちらの歩き方を踏み辿る。

 奇妙な同一性に従っている二つの足音が止まっては連弾し、タップダンスのように灰色の建物が両端に立ち並ぶ街路の上で鳴り響く。汗で濡れた服を指先でつまみ、後ろへ見える様にパタパタと扇いでみせると、カランカランと何かを鳴らすような音が返ってきた。

 灰色の建物の頭上に光が差してきた様子から朝が近いことを知って安心した。今こそその時だと思って元気よく足を地面に打ち付け、その勢いでぐるりと回って振り返る。

やい貴様、と叫ぼうとした口は固まってあんぐりと開いたまま沈黙した。

 誰もいない。

 いつの間にか、手の中にあったはずの球も消えていた。

 首を傾げて音の痕を探したが、まるで今の全てが夢であったかのように運河の流れる音だけがちょろちょろと響いている。逡巡の後足を地面に何度か打ち付けてみたが返事はなく、虚空にただ空しくゴアテックスが吠えた。

拍子抜けして後ろ歩きに路を行く。朝日を受けながら今来た道を見つめていると、無性に何かが胸の中から逆流する思いがして、大きな咳を何度かした。

 そんな具合であったから、背中ごしに緩やかな衝撃を感じても、左程気にすることも無く、「ああ、すみません」とだけ言ってやり過ごそうとした。だが返事が無かったので不思議に思い、振り返った。

陽の光がまだ届いていないには、全身を鋼鉄の板で覆った何かが立ち尽くし、兜の奥から鋭い線をもって見据えていた。

 お前は一体誰だ。

 そう言った瞬間に鋼の拳が衝撃と共に視界をシャットダウンした。



 「おはようセルジ、今朝は冷えるな」という声で我に返ると、普段と変わらない穏やかな碧色の眼差しが俺を見ていた。返す言葉を思い出せずにぼんやりしていると、「またあの夢か?」と俺の顔を両手の平でパシ、と叩いて言う。

 「ああ……」と声を絞り出した。人工太陽の眩しさに、朧げながら自分が誰でどこにいるのかを思い出す。

 「そうだな、グラント。いつもの夢だよ。おはよう」

 「平気か?」ひどい顔だぞ、と付け足したグラントの胸には〈月面新港湾行政区係員〉を縮めた<Pvt.DNY>という文字が刻まれた黄金色の襟章が灰色のジャンプスーツの上に光っていた。

 「大丈夫だ、今何時だ」五時半と返す声に呻いて、今頃港では養殖カタツムリの競りが始まっている頃だと思い至る。

 ガタガタと揺れる電磁モノレールのセラミック窓の外へ視線を向けると、そこには白色の海の上にぽっかりと開いた穴へ落ちる殻なしの軟体虫が蠢いていた。味付けによって赤色、青色、黄色と体色が変わる養殖カタツムリたちは新港湾行政区の目玉と言える特産品だ。

「遅刻ってわけじゃないが、所長に文句は言われるだろうな」

苦笑いして言うと、グラントも肩をすくめて「その時はその時だろ」と返す。

 グラントと俺は長い付き合いで、この新港湾行政区が発足する前は軌道上の警備部隊で同じ機を動かした仲だ。丸形のMARUI警戒機はよく生命維持装置が故障したので、そんな時は俺が酸素供給機を叩いて直した。

 退役した警備隊の仲間は、それぞれ好きな地区へ恩賞を貰うことを条件に散らばった。集めておくと余計なことをしでかしかねないと防衛軍の偉いさんが判断したのだろう。年金暮らしではつまらないので、今俺は養殖場の監視員として働いている。偶然にもそこでグラントと再会した訳だった。

 ジリジリと目覚ましのような音が鳴り、時間通りの到着を知らせる。

 四角い電磁モノレールの発着口が開いたので、まずグラントが備え付けの椅子から

立ち、その後に俺が続いてプラットホームへ出た。

 ―今日の日照時間は十一時間を予定しております―

 遠くから聞こえてくる電子音声に、どうせ“計器上の問題”で縮まるのだろうと思いつつ乳白色の海の五十メートル上に浮いた電磁観測所の床を踏む。収支コスト上の問題を考える時、管理人がまず削減するのは生命維持機能だ。

発進するモノレールの音声を背に、屋根などない正方形の一枚板の端に固定された椅子に座ると、肘掛けからホロ映像投射器が展開して、でっぷりとした髭面の顔面を映し出した。

 「就業開始時刻は午前六時が規定です」と背後の椅子に座ったグラントが先手を打って言うと、青筋を額に現したジルベール氏は脂ぎった顎肉を震わせながら話し始めた。

 「他の者は皆五時から来とる」

 「熱心なことで」とグラント。

 「意識が足りないと思わんのか」

 「“あんたに媚びる”気は足りないかもな」と俺が言う。クツクツとグラントが含み笑いを集音機に届くよう漏らした。

 「覚悟しておけよ、お前たちがヘマなどしたらタマを引きちぎってワシのコレクションにしてやるからそう思え」唾を画面に飛ばしながらまくしたてるジルベール氏のご尊顔を、肘掛けのボタン一押しで消すと、俺たちは双眼型の監視スコープを頭に装着して自分の仕事を始めた。

 人工太陽の光が徐々に弱まる中、グラントが「見つけた、流入管から南東に三十メートル」と言った。密漁船か、と聞くと 「いかにもって感じだ」と返事がある。

 密漁者たちは多くの場合稼ぎの大きい獲物を狙う。新港湾行政区は金の潮目だから、当然ろくでなしどもがよく集まってくるわけだ。

 「小型ボート、メーカーはインテリオルホンダだ。ここから確認できる乗員は六名」

 安全に金はかけたくないが、大切な商品を盗まれても困る。という出資者の希望を反映して、この養殖場に立ち入る不審船には武器の無制限使用が認められている。グラントは椅子の下から細長い円筒を取り出して、双眼スコープとデータリンクさせると、脇に抱えて不審船に狙いを付けた。

 警告するか、と俺が聞くと、グラントは「そうだなぁ」と言って、円筒から赤く光る信号弾を発射した。本来これを発射する規定はないが、良心の問題だ。密漁船の様子はグラントから俺のスコープにも同期して確認できた。

 全く動きが無い。

 乗員は確かに船べりにいるが、ただ立っているだけだ。

 いやな予感がする。

 そう思った瞬間に密漁船が大爆発した。閃光の眩しさに椅子から転げ落ちると電磁プラットホームが爆風に煽られる傾きを感じて更に滑り転がる。

 「グラント!」

 爆音の中叫んだが、返事はない。

 視界が回復するより早く傾きは強まって、俺を振り落とそうとする。

 水平になりつつある椅子の背に飛びついて周囲を見回すと、カタツムリの海が天に向かって昇り上がる光景を目にした。

 終末的なその光景は、光差す方向に黒々とした穴が開いていることから一層絶望的に見えた。自然の法則に従って、勢いよく天の穴が俺を吸い込もうとする。

 その時、向かいの椅子からぐらりと落ちる物体を見つけた。

 声にならない叫びを挙げ、それに手を伸ばす。

 まばゆい光が数度明滅して、太陽の光が消えた。

 平衡感覚を失って右手を椅子の背から放して振り回すと、重い感触を間一髪で捉えたので、迷わずその服を掴んで持ち上げる。

 数度目に光が戻った時、俺は皮膚もろともドロドロになった何かの目と目を合わせていた。耐えられずに目を落とすと、焼け残った襟章には”Pvt”の文字が辛うじて認められる。

 ああ、グラント!お前死んでしまったのか!

 手の力が自然と緩んで椅子から離れ、友だった物もろとも青い天体の映った空に落ちる。

 この予感を覚えていたが、もはやそれもどうでもいいことだった。


 私は動体センサーに遠くから近づく存在を感じた。  

 眼下の赤い地面からではなく、星々の中に浮かんだ光ある天然の衛星からだ。

 ぐしゃぐしゃになった肉やデブリが私の傍をかすめては大気圏で燃えていく。

 その中の一つに、心奪われるものがあった。

 クッションを展開して、その進行方向にアームを使って伸ばした。

 ぼすり、という音を発音して殻の奥で笑みを浮かべる。

 お久しぶりです、セルゲイさん。姿こそ違えど魂は変わりませんね。

 古い記憶を呼び覚ます、単眼に映るその人だった物を見ながら、私は穏やかな気持ちになった。

 これは私の友人だった人々の物語、記されぬ人々の記憶だ。


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