第10話 Q OF DEATH 夜行の春

カレドニアに住んでいた私が幼いころのある年、悪天候から作物は穫れず家族たちは皆死にかけていた。その時ある人が村に来て、食料と引き換えに私を連れて行くと言った。馬上の彼は首を甲に覆われた脇に抱えて私に冷酷な色を湛えたブルーの目を向けていた。私は彼から剣術や敵の虚を突く方法に特化した教育を与えられ、いずれは彼らと共に戦うものだと思っていた。

 だがこれは私の物語ではない。


 死の化身と伝えられるデュラハンが刃で貫くとき、彼らはその感触に相手によって様々な色を見る。それは私たち人間の尺度で、“手応え“と表現することが一番近いかもしれない。皮や鱗、鎧を貫いてその中のものを破壊せしめる一撃必死の技を繰り出すには、綿密な計算と経験が必要になり、それらの感覚は、戦う命を幾度も奪ってようやく研ぎ澄まされるものである。老いか、若きか、青銅の剣か、鉄の矢じりかという問題は些細に過ぎた。馬を駆ろうとも、竜に乗ろうとも、全力を尽くして戦う存在に対して彼らは多大な関心を寄せている。

 このようなデュラハンの社会、作法、観念は彼らと剣を交えて尊敬を勝ち得た者に分け与えられ、そのような勇者は彼らの氏族の中へ迎え入れられた。時に破り、破られることを繰り返して生き延びた者、彼らの中で最も“狩りの晩人”に相応しいと認められた者を、死の騎士達は大いなる先人の名を借りて、〈デュラハノス〉と呼んだ。


 彼らは独自の文字を使い、魔力を操り、食料を効果的に確保する術を持っていた。だが、定住することを嫌い、能力と資源は主として戦いに費やされた。繰り返される流血と蹄に踏まれ死んでいく大地。まだブリテンにローマの脚が届かず、青い肌の戦士たちが野を駆け回っていたころ、デュラハンたちは既に彼らの歴史を自ら収束させようとしていた。彼らは暇があればいつもお互いに殺し合うか武練をしていたから、大陸に向けて出ていくデュラハンの若い世代はほぼ全員が傭われの兵士、あるいは士官になったそうだ。ベルベル人の土地、逃げ場のない砂漠でのデュラハン部隊は極めて協力で、相対した者にとって恐怖の象徴として知られた。彼らは流れる水を苦手としていたので、深い河に橋を架け、広い海を船で行くよりは水を好む何らかの魔獣を使って移動することが常識であった。ブリテン島でデュラハンの世界が消滅する中、私は私を“収穫”した彼と共にガリアの南部へ住み込んだ。名を告げなかった彼はどういう訳かあまり好戦的ではなくて、殺しよりも話すことをよく選んだ。私はそんな彼に向けて次第に不信感を募らせるようになっていった。そのデュラハンと私は師弟関係にあったが、彼らの掟では同族殺しはむしろ鍛錬の一種であり、敗けた者はただ死んでいくしかない。


 消えた焚火の上を通って、私は彼の横になった姿へ近づいた。彼から受け取った剣を持って、兜を脱いだ彼の首筋に目を合わせると、一気に振り下ろした。

 容易く切り落とされてなお、その体は不動だった。釣り針にかかった魚が狂乱するようになると予想していた私は大いに驚いて、少し経つと極めて恐ろしくなった。彼の首を侮辱的な速さで火にかけ、燃やした。その灰は長髪のガリア人たちが住む場所のごみ捨て場に撒いて上から便を被せた。戻った時彼の体は荷物を残して既に消えていた。

 彼の武具は獰猛な蛮人に高値で売れたので、私は更に南へ向かい交易商を始めた。

 彼は帰って来た。海賊に首を切り取られる寸前の私の前に現れると、奴らに制圧された櫂」船は数秒で血の海に変わっていた。後ろ手で縛られた私を優しげな手で解放すると、彼は私に向かって剣を手渡した。何が起こるかは知っていた。慄然とした私に彼は首を失った姿で立ち向かうと、一直線に突き進んで来た。

 日が真上から西に差し掛かるまで続いた勝負は突如苛立った海の機嫌によって曖昧になった。気が付くと私はシラクサの街の宿に寝かされており、沈んだはずの船荷はそのまま港に預けられていた。

 首の無い怪物たちの行方は誰も知らない。ブリテン島に帰ったか、あるいは水底に今も沈んだままでいるだろう。


 


  ある人の話をしよう。

  両手を縛られ、足に鎖を巻かれた一人の少女が船の上からもう届かない陸地の方角を、深い悲しみを浮かべた異なる色の相貌で見ている。そこからは、炎の匂いが漂って来ていた。その後には何も残らず、ただ忘れられゆくことにしかならなかった。陸風に従って流れる煙は全て彼女の名も無き友人たちの思い出、家族であり、それぞれの故郷を捨ててまで家を守り切った勇者たちの記憶を乗せていた。居場所を持たぬもの、あるいははなからして求めなかったものたち。その思いは打ち捨てられ、もはや亡骸も無くしていた。

 彼女を友人たちは“姫”と呼んだ。その言葉にはアーサー王の伝説にあるような助けを待つ女性に向けてではなく、敬意を受ける人としての情が込められていた。

 まだ世界が海の向こうを征服しきっていなかったころ、彼女は何よりも好きだったこの大地を、確かに守り切った。だが、その犠牲はあまりに大きかった。彼女の乗った船は温暖な海の上を行って、やがて霧の中に消えた。



 「この野郎!いい加減に俺の右脚返せ!」

 燃える心に裏打ちされた怒号が陽の途切れ途切れに差す空間の中を飛ぶ。

 「お前なんぞ一生動けないでいるのがお似合いさ」

 と言って苔の生えたベンチの上を飛び越えたのは艶の失せたプレートアーマーだ。

 怒号の主から奪った板金仕立ての右足を持ってひび割れた凝灰岩の上を走る。

 「頂きだ!」

だが、その足もまた並べられた椅子の陰から飛び出た金属製の腕にもぎ取られた。

 「ざけんなよこの阿呆!」

 不揃いな鎧たちのヘルム、キュイラス、グリーブやらが騒がしく飛び跳ねて騒然となる。

 「部品よこせ!」

 「占有反対!これは正義に背いている!」

 金属の狂った喧噪が支配するこの空間では声はどこから出ているのか、心の在りかへの関心など全くの無意味で、ただひたすらに己の欲望に溢れた愚連の有様だ。

 「何故俺たちはここに」

 「まずここがどこだ」

 「仕事をさせろぉ!敵を出せ!」

誰もが自由になるとこうなるのだ。

 私はそう思いながら、崩れたドームの屋根から洩れる光に照らされた説教台の上に立つ。

 

 「傾注せよ!」

 幾度も下されたその号令に廃堂の空気が一変した。

 面甲の眼下に見えるのは、ボロボロの白衣に覆われた頭部の無い甲冑。赤い十字のあしらわれたミサグリア、黒を基調としたグリフォンの紋章が刻まれた全身鎧がエトセトラ。

 「いいかよく聞け蛮人くずれのろくでなしども、ここはジパングだ。東の果てにたどり着いた我々に残された数少ない隠れ家だ。神だの運命だのを呪おうがどうでもいい。だが仲間を呪わば穴二つどころか粉々にされて二度と生き返れないと思え!」

 有無を言わせぬ暴言の嵐に隷下の兵士たちは沈黙する。

 そのチャンスを逃さずに次なる統制に移った。

 「バクスター!」

 「はい、私はここに!」平手から後の無い小手が応える。

 「我々がこのタイミングで目覚めた理由を調べろ!」

 「了解しました!」手だけの中隊長が分隊を招集する。

 「医療班!」

 「リーフィールドと他十二名揃っています」と赤い十字の甲冑が言う。

 「今の我々に治療など不要、よって解散し各自で修理の術を探せ!」

 「異存ありません」きびきびとした動作で彼女たちは堂の中へ散らばる。


 熟練した職人が打つ釘のように素早く行動するその姿はいつかと変わらない。それらは戦場の姿であり、今の私たちにとっては骨と皮も同然だ。

 人の手に及ばぬ技で軽量化された金属板の集合核、その厚みは人ならざる者どもたちとの決戦に備えて準備されたものだった。今では我々がそうなったが、それでも目標遂行に懸ける意義が薄れた訳ではない。

 「ヘスラー」

 後ろから告げられたその弛緩した声色に振り向くと、ポーチやらカラビナの多数取り付けられて不格好な姿がいつものようにそこにあった。

 「今起きたのか?」

 「騒がしいのには昔っから慣れてるよ。君もそうだし、姫様もそうだったから」わざと咎める口調で言ったのだが、彼はまったく気にしていない。

 「その舐めた物言いも変わらんな」というと、上から大小様々な大きさの破片孔が開いたグレートヘルムからくぐもった微笑の雰囲気が漂った。

 「では今一度仕官をお許し願えますか?マリエンブルクの家出娘様」

 彼の声は喜色、仕草は厳かな風に私の前へ膝を附かせた。

 「マコーリフ、お前ときたらいつまでその話をするんだ」と言って彼の冷たい手を取る。

 「忘れる時は死ぬ時さ」と言って立ち上がると彼は手首を取り外して中から何かを引っ張り出している。

 次の瞬間、訝しむ私の視界を、黒色の開けた布が覆いつくした。

 袖の無い上衣。刺繍も紋様も誂えられていないそのサーコートを、道化師のやる手品のように彼は翻して見せた。

 「今も変わらない君への贈り物だ。前は結局最期まで渡せずじまいだったからな」


彼が勧めるままにそれを肩に掛けさせられると、威厳のある重みが鋼越しに伝わってきた。

「実用性はないな」と無慈悲に言う。精々目くらましにしか使えまい。

「それは残念だ」と言う声が続く前に、「だが気に入った」と応えた。

これではガーゴイルの空襲は防げないが、見た目が素敵なら関係ない。

そう言うと、マコーリフもまた柔らかな笑い声をあげた。

割れた天蓋の隙間から若葉が降り落ちる。

かつて人魔の間で生き死んだ、五百年目の春だった。




 入り組んだ山道の不規則な曲線を、黒いレザージャケットに身を包んだ左道はT595デイトナのアクセルを最大限に吹かして強引に走破していた。並列された三気筒の水冷エンジンが唸りを鳴き上げ、軟弱な地盤に足を取られることなく突き進んでいく。

 顔に当たる乾いた冬の風を出来る限りの前傾姿勢で和らげながら、左目の網膜に投射された情報の板を確認する。状況は完全に事後的と言ってよかった。無敵だったはずのネットワークはズタズタに引き裂かれ、もうデータリンクで彼女の化学物質コーディネイターたちのバイタルを確認することもできない。

 むせ返るような肉の焼ける臭い。

 左道が森を抜けて飛び出すと、まずその空気を感じた。

 二十一世紀の今では当然に使われる火の杖の匂いであり、それは貧困と裕福を作り出す死の香りだった。

 ……来る!

 空中でその気配を察知した数秒後には、跳躍して哀れなデイトナに集中した火線の束から逃がれていた。爆裂するT595の悲鳴と熱を後ろに感じながら受け身を取ってコンクリートに変わった地面の上を転がる。

起き上がる前に電化された目が燃える廃病院をバックに迫るガスマスク姿の十一人と、その中の一人が持った冷凍ケースを捉えた。カスタム化されたM4が構えられ、左道の額に銃口が計算された冷酷さで向く。その瞬間、体内で脈動する人工血液とコンバーターラングがさらに気勢を上げた。

 統制された射撃、単発に送られる死。

 成程、騎馬隊が廃れる訳である。

 容赦なく全身に降り注ぐ暴力のシャワーを浴びながら左道は走った。


 施設の奥深く、墓石のように整然と並べられた円筒形の水槽や電算機が燃え盛る中、その空間に似つかわしくない首無しの死体が一つ残っていた。白衣を血に染めてうつ伏せに倒れた体の下には、頭部を握りつぶされた男の死体がまた置き去りにされている。

 無菌が長らく保たれたこの世界は、プラスチックと鉛によって崩壊しようとしていた。

その時、火が回りつつある抗菌壁をモスグリーン色の左手で突き破る姿があった。5.56ミリの弾を八割その装甲で受け止めているのはジャケット姿の女だ。

 実に世話が焼ける。

 左道は悪態をつくとその白い死体に歩み寄った。

 遺伝子工学者、医師、あるいは人間だったもの。

 力なく転がったそれは確かに死んでいる。

 不思議なことに白衣についた血は全てお隣の男のもので、彼女自身は切り取られた首の断面から一滴の血液さえ流していなかった。

 生きたミイラ、もしくは清潔なゾンビと形容することは不自然だが、同時に事実でもあった。

 「言っておきますがね、あんたを助けようとかそんな気持ちはありませんよ」

 そう言って死体を起こし、背負って歩き出す。

 「こっちが困るから、わざわざこんなマネをしなければならないんです。くれぐれも勘違いしないようにお願いします」

 返事が返ってこないことに苛立ちつつも、それは仕方のないことだと理解していた。だからこそより腹立たしい。

 “新人類計画”“内骨格の強化体”などと題された資料が風に舞い、炎の中へ二人と共に消えて行った。

 二〇一八年 三月三日 土曜日。

 この世界で戦う存在は、不揃いな屍人たちだ。

  



 桜並木の間を歩いていくと、いつも見慣れたその人影が立っていた。

 「おはよう」と紺のブレザーに包まれた彼女が言う。

  言葉少なに挨拶された様子からすると、待たせてしまったのかもしれない。

 『さっちゃん』こと福神のサチコ。この織村町では誰もが知っている。

 通りすがりの獣人に振り返られたりして「あまり大きくない村だからね」と彼女は言うが、僕はそんなことはないと思う。

 「待った?」

 「ちょっとだけ」

  率直に話してくれるということは、怒っていないのだろうか。僕のそんな心配をよそに、二人でお天気の話をしながら僕らは学校に歩いた。

 「あら、雨」とサチコさんが言うが早いかぽつ、ぽつと穏やかに水滴が落ちて来る。

 「時間通りだね」

 「そうね」という彼女の顔は朗らかだ。雨に濡れたらしおれてしまうので、僕は傘を差して彼女を入れた。

 唐笠の上を転がる水滴が流れて地面に落ち、村の淵から落ちていく。

 大樹から生えたひだのある半円に乗った僕らは、また別の半月に跳躍して上に登っていく。

 下を見れば真っ白な灰に包まれた街の跡がとても綺麗だ。

 高くそびえた大樹の上に、ぼくらの校舎が見える。

 静かなその世界に、空は無かった。

 

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