第5話 抹殺仕事人
気が付くとクレイは、かつて人間が使ったであろう薄暗い工場の中で壁を背に座り込んでいた。広くは無い。人間のごみを集めて粉砕したりする小規模な施設だ。目につく機械はどれも油に汚れ、辛うじて生き延びた発電機が電源を供給している。背にしたトタン板の向こうから漂う硝煙の臭いが、今クレイの置かれた状況と意識をはっきりさせている。寒気からか右足の膝の銃創の痛みが増し、鱗に覆われた身体を小刻みに震わせた。明滅を周期的に繰り返す電球に、空気中の埃が浮かび上がっては消える。この場所は気に入らない、と小声で毒づいた。臭い場所、人間の臭いだ。人間の臭いは遠くまでよく届く。何にせよ、この中に長く留まっている訳にはいかなかった。向かうべき場所を右腕のウェアラブル端末で確認し、手にしたプラズマ・ガンの長い銃身を杖代わりにして、立ち上がろうとした。
瞬間、爆発音とその後に続いたに地響き工場全体が揺れた。照らされた埃がより激しく空気中でワルツを舞う。クレイは慄いてプラズマ・ガンを取り落とした。反射的に頭をかばってうずくまり、トルエンの咆哮が過ぎ去るのを待った。外の様子を確認したいと思い、壁沿いに嵌め込まれたガラス窓に近寄る間にも、小さな銃声が散発的に響く様子を聞いた。外を慎重に伺うと、暗闇の中でひび割れ、ところどころ地肌の見えるコンクリートの上を首と四肢と胴体と尾のついた影が数人走り過ぎて行く姿が見えた。その方向へ束ねられたオレンジ色の線が鋭く飛び、また破裂音の応酬が繰り返される。不自然な明るさが雲に反射して、まだら模様を見上げた先に作り出していた。息を吞んで窓の下に座り込んだクレイは背負った背嚢を下ろして探り、曇った水晶球を引っ張り出した。
こちら、と言いかけた矢先に背後から引き裂かれる金属の音が耳を突いた。振り向くと、クレイが入ってきた入り口の扉をつるつるとした肌色の腕が突き破っていた。流れ込んで来た血の臭いにむせ、プラズマ・ガンを持つ手が震える。叫び声を上げたい衝動を抑えて、クレイは油まみれの床に伏せた。ずんぐりした器械どもが敵の視界を遮ってくれるかもしれない。音が静まるまで若干の間があり、その後に工場の内部へドス、ドスと何かが踏み込んで来る気配を感じた。不愉快なほどの規則的な足音が器械の向こう側で響いている。緊張から思考が白濁しそうになるたびに、クレイは舌を噛んで気を持ち直した。何をしても撃たれるという予感を覚えていた。気配が動きの方向を変え、クレイが潜んだ器械から離れて行った。何を探しているんだろうかと思ったが、その答えは明瞭で考えたくなかった。クレイの思考は、足音が遠くへ行った時を見計らって逃げる計画に集中していた。
その時、「くそっ」という言葉と共に破壊された入り口から入り込む姿が見えた。煙を抜けて、現れたその姿には胸元のふくらみと頭上についた三角形の耳二つが目立っていた。雌の獣人だ。突然の出来事に考えが二、三秒硬直した。運が悪いな、と自分でも驚くほど冷静に呟いていた。次の瞬間に足音が獣人の方向に向かって歩き出した。
銃声と絶叫。どちらが先かは関係無かった。鉄琴を激しく叩き鳴らしたような音と、女の悲鳴が混ざり、工場内が小さなオペラ座と化す。クレイは今が生き延びるチャンスだと確信した。背嚢は捨てて、プラズマ・ガンを背負って窓を開ける。蝶番がギイギイと抗議の声を上げたが、構わず力の限り押し上げて、工場の外へ転がり出た。中ではまだガトリングの歌声が獣人とセッションを続けている。[newpage]
走れ!走れ!走って逃げろ!
クレイは後ろを振り返らず、直線的に逃げた。目の前にはシダ植物に覆われたコンクリート・ジャングルが広がっていた。 ウェアラブル端末を操作して、戦闘地域の外へ脱出可能な最短経路を視界に表示する。
西暦二〇四八年、九月一日。火曜日の夕刻。
かつて〈クレ〉と呼ばれた極東の都は、炎上の時を迎えていた。
そして、その事実を気に病む人間は、一人としていなかった。
「やっぱりなんもねぇんだなオイ」
足元に転がる腐った木の残骸を蹴って、尖った耳のルストは不満げに言った。
入り込んだ建物は放棄されて久しく、崩れ落ちた屋根の隙間から太陽の光が見える。
「仕方ねぇさ。第一今はパトロール中だぞ」
いさめる様に横を歩く背の低い男、オゴロから声が届いた。
この建物はルストたちが住む村から離れて遠く、野生動物の住み着く〈ゾーン〉と呼ばれる地域に位置していた。幼いころ両親から聞いた“小さい太陽降臨”という題名の童話の舞台がここだそうだが、大してルストの興味を惹くものはなかった。
「それがどうしたよ。この通り何もねぇってのに巡回する意味なんてあるのかい」
「それはお前が決める事じゃなかろうさ」
「うるせぇ」
ルストたちはここに誰が住んでいたか知らず、ここが何なのかさえ理解できなかった。この〈ゾーン〉には得体の知れない不気味さがあったが、大人になって何度かパトロールを重ねる内に、そんな思いは退屈の狭間に消え去っていた。
「暇だし南に歩いて海行かねぇか」
「ジ様から怒られるぞ、やめとけ」
たわいもない会話を続けながら歩く。鳥の群れが空を飛んで行く姿が見えた。
外壁の崩れた建物を抜けて外に出ると、黒と白のブツブツが浮かんだ線が道の真ん中に走る場所に出た。
いつもの道、いつもの空。だが二人の視界の先に映った異常があった。
「アレ見えるか」
「わからん。何に見える?」
いつの間にか“それ“は肌色と鉛めいた色で構成され、二本の脚で立っていた。
姿形はルスト達とそう変わらない。だが、何かが違っていた。
ルスト達はおそるおそる“それ”に近づきながら、観察した。顔はあちこちに穴の開いた透明質な板に隠されて見えない。背中にはその細身の胴体に似合わない箱のような四角形の物体が取り付けられ、左手はだらりと垂れ下がり、右手には赤く錆びた円筒形の長物が握られている。耳は短く、オゴロのように筋肉質でもない。服装は小袋のたくさん付いた黒一色の布に覆われている。形だけ見れば、貧弱すぎるもの、と形容することが正しいのかさえはっきりしなかった。身じろぎ一つせず、“それ“は立ち尽くしている。ルスト達の接近に反応する様子もなく、目を開いた状態で静止していた。
「生きてんのか?」
「知るわけないだろ」
ルストは汗の吹きだした額を拭って、震える右手で“それ”に触れようとした。待て、とオゴロが止め、「村に戻ってどうするか聞いたほうがいい」と早口で言った。
「ビビってんのか」
「危険だと言ってるんだ」
ルストはオゴロを振り切って、指先で“それ”をつついた。[newpage]
何も起きなかった。
「何だよ大したことねぇじゃねぇか」ルストは胸を撫で下ろした。
「早く戻るぞ、皆に報告せにゃなら」オゴロの言葉は最後まで続かなかった。
“それ”の板の奥で、赤く光が明滅していたのを見たからだ。
「おい、離れろ」
「柄にもなく怖がりだな」そういう間にも、“それ”の関節がぎりぎりと音を立てて動き出している。
オゴロは元来た道を一目散に駆け出した。
「何だってんだあいつ」
ルストは馬鹿にした笑みを浮かべて“それ”の方向に向き直った。
「何で」
ガトリングが火を噴き、橙色のライトの中でエルフの体がダンサーのように舞う。
“それ”は無表情にトリガーからセラミック合成被膜に覆われた指を離すと、破損した右足の軽量チタン骨格を引きずりながら、距離を取りつつある次の標的に向かってプログラムを実行した。
ベルトロは待合室に入ると、生産ラインから自力で歩いてきた“それ“を見て驚嘆する男達の後ろに佇んだ。小声で話し合う彼らは皆異口同音に生産室の設備や強化ガラスを隔ててに見える”それ“のことについて語っている。身を乗り出さんばかりにして語らう彼らの後ろから、ベルトロは説明を始めた。
「まず、お忙しい中お集まり頂いたことを感謝いたします……」
ベルトロは穏やかな笑みを浮かべていた。
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