第4話 アラン 愛の飛翔
ひゅう、と白い息が口から洩れる。それ以外には、何も出来なかった。
胸の鋼板から伸びた冷たく透明な塊がその原因であることは明白だったが、やはり俺にはどうすることも出来ない。
その事実を裏付けるかのように右半身が痺れ、直後全身がそれに続いた。
がくがくと震える手で胸部を貫通した氷晶を抜こうとしたが、急速に視界がホワイトアウトし、周囲の音も聞こえなくなっていく。
だめだ、起きなければ。
緩慢な思考は既に己の体から抜け出ていた。
ゆっくりと体の力が抜け、乗ったものとのつながりが消えていく。
意識が空に落ちるその刹那、誰かに名前を呼ばれた。
謝ろうとする心も、泡になった。
アランは坂を上りながら、かつては栄えたであろう都の残骸を見上げていた。
山腹を削りその中に収められた街の姿は、住むものがいなくなった今でも精巧な石造りの威容を放っている。その主はどこに消えたのか、などという疑問も追究も無粋だ。
坂の傾きが緩まり、峠に差し掛かったところでアランは手頃な岩に腰を下ろした。体がへこむかもしれないが、構わない。
別に休む必要もないが、気持ちの問題として休んだ方が正しいように思えたのだ。
この地点まで上がってくるまでに三時間の時が過ぎている。
さて、歩こうか。
アランは立ち上がって再び坂を上り始めた。鋼鉄の表皮の上に被せられた十字染めの白衣が冷たい風を受けてはためく。
岩陰の獣たちの縄張りには入らぬよう注意しながら道を進んだ。
ピレネーの山々は生き物を嫌っているわけではないが、敬意を払わないものには冷たい。己の分際をわきまえなければ、冷たくなって山道に転がるか、谷の底で寂しく息絶えるかの二択をえらぶ羽目になる。
それは生きておらずとも変わらない節理だ。
アランがこれから会おうとしている相手も、この山に似て高いところにいる。
その相手のことを思うと、不思議と荒涼とした山の景色もアランには花が咲いたように喜ばしく思えた。
背後から風が強く吹いた感触を覚えた。
「ジャギー」
振り返ると、アランは喜びのにじみ出る若い声でその名前を呼ぶ。
竜の巨躯がアランの視界を埋めていた。赤くなった太陽の光が彼女の後ろから差している様子がとても美しく、アランは思わずため息のような音を鋼板の継ぎ目から漏らした。
「……遅い」
にべもない返事があった。怒っているとは絶に言えないが、嬉しくも無さそうだ。
赤黒い鱗の色、人間のそれよりはるかに太く伸びた四肢、黄金の眼。恐怖の象徴であり、勇ましさの印として知られるその生き物は、まさに竜だった。
「ごめん、でも会えてうれしいよ。」
アランはそう言って降りた竜の前足に近づいた。
初めて会った時と変わらない、美しい輝きを放つ鱗に覆われた喉を鳴らして竜は答えた。
「お前がどのように思おうが知らん」
「君が俺を呼んだ声を聴いたよ」
「お前の聴き間違いだろう」
竜が不機嫌そうに鼻孔から息吹を吹き出すと、火の粉がちりちりと飛んだ。
「悪かった」俺は彼女の両目を見て言う。
「何のことだ」目を細めて私は問うた。
「ひとりにして、すまなかった」
「……」
アランは地面に伸びた彼女の手を見つめて、少し逡巡した後に手を差し出した。
竜は黙ってその様子を見ている。
「手、繋がないか」
「……」
「ほら、前は首しか触ってなかっただろ。だからさ、信頼の証改めとかそんな感じで」
「気にしてない」
唐突な応答にアランは頭を上げて竜の眼を見た。
「過ぎたことだ、終わったことだ。だからお前も気にするな」
なぜか内側から燃え上がりそうな気がして、私は彼から目を逸らした。
俺がそっと手を触れると、鋭い爪の生えた、赤黒いその肌がとても懐かしく思えた。
覚えた愛しさに私は応え、彼の光沢ある手を指でなぞる。その冷たさがひどく悲しいが、努めて外には出さない。
「飛ぼうか」
以然と変わらぬ口調で彼が私に告げた。嫌味の一つでも言ってやろうと思ったが、そうしなかった。
「言うまでもない」
そう語る彼女の姿は前よりも奇麗で。翼が翻り、陽光の全てが俺の視界から消える。
そうして生き物二人は、再び空へ旅立った。
「投下!」
その言葉と共に私は眼下目掛けて焔を落とす。
乗せたお前より何十倍も重いその球が、やつらの頭上で破裂し死をもたらした。
地上に光が煌いては消えて、その後には沈黙のみが残る。
私は戦列を組んだ同胞と共に歓喜に吠える。
呑勝だ!
マナの満ちた空で飛ぶ楽しみは何物にも代えられない。
首に触れたお前の手から声が聞こえる。
翔び続けて、と。
少し笑って、落ちるなよと伝えた。
風を受けて翼が膨らむ。風向き良好、角度よし。
私たちは狂暴な風になって、再び自由な空へと舞い上がる。
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