第2話 雪と耳長の心

「……雪か」

 この島に訪れてから初めて見る現象に男は驚いていた。

 季節が冬であっても、ブリテン島では降雪量が基本的に少ない。だがこれは、男の企みにとって幸運な出来事だと思われた。男は右手にグラディウス、左手にマリア像の象られた楕円盾を持っていた。その不揃いな身なりを見た者がいれば、一瞬で傭兵くずれの野盗だと看破したことだろう。


 アングリアだかキャメロットだか知らないが、好き放題できるうちにするが吉ってもんさ。

 茂みの中でそう思っていると、男の取り巻き達が次第に準備を終えて彼の周囲に集まって来た。

 数合わせで雇った浮浪者、コソ泥、馬泥棒に元死刑執行人、崩壊したローマ属州の年老いた脱走兵。

 お互いに名前も聞かずこの悪党たちが徒党を組んだ理由には、この茂みを超えた街道沿いに未だ食い散らかされていない村が存在していることがあった。

 「いいか、荷車が来たら御者の野郎を何でもいいからぶち殺してさっさと奪って逃げるんだ。いいな?」と段取りを伝える。


 「応よ。その後は分け前を貰っておさらばってわけだな?」コソ泥が不安げに質問する。

 「安心しな、相手はただの村人だ。どうってことない」安心させるように答える。


 カムランの戦いの後、ブリテンの戦乱は急速に収まりつつあった。それというのも、男の元雇い主やその候補であった金持ちの面々がこぞって破産してしまったからである。男には雇い主の運命など知ったことではないが、殺す相手がいなければ傭兵稼業は成り立たないことは道理であった。糊口を凌ぐつもりで蓄えのありそうな村を襲って回って周り、今ここに至るわけである。


 「オッ!来やがったぜ!間抜けな羊がノコノコとよォ!」見張りに立っていた馬泥棒が張り切って叫び、盗賊たちは戦いの準備を整えた。

 男は茂みの端から顔を出し、街道上の様子を見た。

 確かに交易商と思しき男が牛に荷車を引かせながらこちらへ向かってくる。雇われ達はこれまで見たことがないと言わんばかりの表情で積み荷に目を凝らしている。

 「ここの茂みの前に来るまで待ち伏せて、一気にやっちまえ。いいな?」


 男は雇われ達に適当に指示を出しておいて、茂みから離れた。

 ああは言ったが、小競り合いでくたばるなんぞ愚の骨頂だ。安全圏から仕事が終わるまで待っていよう。


 だが、振り返ってみれば雇われ達の姿がない。

 馬鹿共が、合図を待てと言ったのに!

 慌てて茂みの外を確認するが、相変わらず商人が走らせる荷車は悠然と進んで来ていた。

 男は困惑した。

 奴らはどこに消えた?


 その時、唐突に男の背中を冷気が刺した。

 空気の冷たさとは異なる、何か触れてならないものに触れてしまったかのような寒気。


 「フ リ カ エ ル ナ カ レ」


 耳元にぎこちない発音が届く。その言葉に込められた拒絶の意思は、男がこれまで経験したことのない、いわば“異次元”の感覚だった。普段の男ならば、すぐに割に合わないと判断して逃走していたことだろう。


 だが、男は恐怖から理性を失っていた。

 野郎、殺してやる!

 叫ぶと当時に体をねじり、グラディウスを声の発せられた方向へ向かって投擲する。

 その剣が目標を捉えることはなかった。


 剣が飛ぶよりも先に、男の首が胴体から離れていたからだ。


 一瞬の内の出来事を理解できず、男は絶命した。血飛沫を上げながら、主人を失った身体が武器を握ったまま力なく倒れ伏す。その首に近づいて、拾い上げる影の姿があった。


 切り落とした首の断面から血の残滓がしたたり落ちる。

 その色が薄く降り積もった雪の層を赤く染めていった。


 雪。

地表の草々の都合などお構いなしに落ちてくるその白い粉を私は見ていた。

冬の訪れを告げる冷気が肌を刺す。これぞ一面銀世界と詩人なら言うだろうかと思った。

 跨った下の相棒が苦しげに息を吐きだしている。

ここから先は歩いたほうがよさそうだ。

 デュラハノスは手綱を引いて、愛馬に歩みを止めるよう伝えた。「まだいける」と抗議するかのようにいななきを挙げる相棒の首を撫でながら傾斜のきいた地面に足を着け、慎重に、積もった雪の表層に降りる。このところ首の継ぎ目はぐらついていないので、激しい運動をしても安心だ。

 この土地、アルフヘイムでは大雪など珍しくない。耳の長い人々が住み、剣鍛冶の盛んな国として知られている。デュラハノス自身は宝具とか、神器と呼ばれる類の武装には詳しくないが、興味そのものが無いわけでもなかった。

 

 今の仕事が終わって金貨に余裕があれば、普段使っている得物の予備にでも買ってみようか。


 そんなことを考えながら足を進めていると、降る雪の量が次第に少なくなってきていることに気づいた。

 視界が開けると、そこには都市がジュラ山脈の刳り貫かれた中腹に納まっている威容が見える。


 その街は城壁はおろか、柵や櫓さえ備えていなかった。その名は食べる、寝る、暮らすことを第一に選んだ穏やかで安全な棚街。フィルボノートである。


 「ねぇ!お客さんだよ!」と幼い子どもの声が下りて来る。懐かしい響きだ。

 「黒い鎧に剣を見て!運び屋さんだ!今日は何を持ってきたのかな?」

 「知るもんか、当てっこするかい?」声のする方へ眼を向けると、声に似合わず長身で耳長の姿が二人映る。

 エルフだ。

  総じて言えば保守的で、他の種族とは進んで関わることがない。エルフとはそのような生き物だ。だが、必要とあれば外部とのやり取りを行うこともある。あくまで”貢納”を許す、という形ではあるが。

デュラハノスがこの街に訪れた理由は他でもない。交易のまとめ役としてである。デュラハノス自身が商談を行うのではな く、エルフにとってはよそ者であるドワーフや他の部族たちとの仲介を行うのだ。

エルフという生き物の厄介さは正直なところ、竜にも勝るとデュラハノスは思っていた。基本的に外部との接触を忌み嫌い、己の文化や価値観が最上だと考える自称高貴な存在。つまり本能的に異部族を下賤の者とみなし、それらの運命について何ら同情することがない。そのような相手と”取り引き”するためには並々ならぬ努力が必要だった。幸いにして、デュラハノスは寿命に縛られることがないというエルフたちとの共通点を持っていた。だからこそ、この街の住民達もデュラハノスを友好的に迎え入れてくれている。


 「お久しぶりです」と喜色もあらわに先程の声の主達が駆け寄って来ていた。右耳がより尖っているのがゲルへム、どちらかと言えば丸みを帯びた形をした左耳の持ち主がだホアキン。


 「ゲルへム、ホアキン。また会えて光栄だよ。二人とも見ないうちに大きくなったね」

 「ええ、父が鍜治場入りを許してくれたんです」とゲルへムが誇らしげに話す。


 呆れた表情をしてホアキンが「まだふいご吹き見習いでしかないだろ」と割り込んだ。

 エルフの生は子どもでいる時間が長ければ、大人でいる時間も同様に長い。寿命を定められた他の種族に比べて遥かに”研修期間”が長い訳だ。それ故に、ゲルへム達の信用は何よりも大切にしなければならないとデュラハノスは自覚していた。世代交代の猶予が長い種族は一度受けた恨みを中々忘れないものだが、その分受けた恩も同じように返してくれる。

 「運び屋さん、首長の宮殿までご案内しますよ!」ゲルへムが弾む心もそのままに、デュラハノスの先導役を買って出た。

 ホアキンはしょうがない奴、と言いたげな表情を浮かべながらもデュラハノスの馬を街の馬屋に引いて行く旨を伝えた。


 先導役を果たしつつ、ゲルへムはデュラハノスの”冒険譚”をしきりに聞きたがった。エルフであってもやはりというべきか、外の世界への憧れを持ち合わせていることは無理からぬことである。

今回の”取り引き”も支障なく進みそうだ。デュラハノスはそう思いながら、整然と区分けされたフィルボノートの街の中に溶け込んでいった。


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