TIDE OF THE DEAD

久洛戸 修張衛

第1話 断頭旅団と繋がれぬ者

 日暮れ近くになり、夜行性の獣達がにわかに動き出し始める気配があった。


ここ最近早まった日暮れから陽の光はますます少なくなり、そのせいか、赤くなった木々の葉からは彩りが消えている。


半刻ほど前までは村から聞こえる子供たちの声がここまで響いていたが、今は近くの森から聞こえる鳥獣のさざめきのみが聞こえるだけ。木々の上に空を見ればどんよりとしたネズミ色の雲に覆われた世界が風に流れることも無くわだかまっていた。



 まだ木目の新しい切り株から、村娘のゲールはシダから編んだ紐で縛った薪を、両手で抱えつつ静かに歩いて離れた。


腰紐に挟まれた斧が沈む夕陽を受けて北ブリテンの湿っぽい風景をその側面に反射させる。重い束にまとめられた薪を抱え直し、ぬかるんだ地面を通って森を抜けると、道無き道の先に彼女の寓居が見える。辛うじて通りと仮称できるものに分かたれた小さな村へ戻ると、近くの酒場から男たちの話す声が聞こえてきた。その内容は全てサクソン人とブリトンの民の戦乱に関するものだった。キャメロットの騎士達と外来の民の熾烈な合戦の模様を、カムランから逃れて来たばかりの吟遊詩人が生々しい語り口で歌い上げている。


 


 村の状況には暗い面が目立っていた。麦の穫れる数が前年より明らかに減り、海の彼方から連れて来られた傭兵くずれの野盗による村々への襲撃が増えている。教会の神父が酔っ払って子どもを馬車で轢き殺し、その死体を隠そうとして見つかり町中引き回しの上八つ裂きになった事件も記憶に新しい。


通りの端に建てられた小さな薪置き小屋に、抱えた束を置いてまた出る。


「物騒な世の中だ、本当に」


誰に向けた訳でも無くそう呟くと、ゲールは扉を開けるために自宅の扉に手をかけた。


 だが、その粗末な木の板を前に押すことはしなかった。


「……誰だ」


 ゲールは齢二十ということで村の人々に通っていたが、顔に刻まれた皺が深く、人に語る年齢よりも老けて見える。少しばかり金色の混じった黒い髪をまとめて一つ編みにし、茶色の眼を携えた冷怜な雰囲気は人を容易に寄せ付けない雰囲気を持っていたが、物腰は柔らかく丁寧で、村の子どもたちからは好かれていた。


 普段人前には絶対に出さないであろう怒りの感情を込めて、後方に向けて声を飛ばす。すると、瞬間に先ほどまで保持していた薪の束の何倍はあろうかという重みを持った存在が現れる気配があった。


「久しぶりだな」


 獣が唸るような重低音をもって語られたその言葉は、ふつう人が再会の感情を伝えるために用いる言葉だ。しかし今この言葉を使った存在が"ヒト"ではないことをゲールは”知っていた”。


「すまないが貴方のことを私は知らない。また別の日にでも来てくれないか」ゲールは再び拒絶の意思を込めて言った。


「滅多なことを言うな。アルスターでは轡を並べて戦った仲だろう?」声は語る。


 ゲールは声の主に向けて振り返った。黒い巨大な影が彼女の眼前に現れる。その影は人型の姿を取り、全身を鋼鉄の鎧で覆った騎士に変身した。


「今度の戦いは大きい。お前の力が必要だ」


 質問ではない、有無を言わせぬ響き。ゲールにとってそれは遠い昔の忘れ去るべき記憶であり、それでいてとても懐かしく思われるものだった。それでも、その声を聴いているという現実がゲールの意識を逡巡させた。


 「私はただの村人だ。戦に連れて行ってどうすることもできないぞ」


 彼の望みを絶つべく意思を告げる。しかし毅然とした言葉の返答を受けた。


「いいえ、貴方は”知っている”筈だ。貴方の本当の姿はこのちっぽけな村には存在しないということを」 


「わからない、私は誰なのか」


「貴方はデュラハノス。数ある首無しの騎士たちの中で選ばれし存在を継ぐ者なのです」


 そうして鋭い風が、二人の異形の間を吹き去った。




 異形、それは人ならざる者。

 この世界に存在する知的な生き物は人間以外にも存在している。

 不思議の中にある彼らは遥かな昔から我々と同じように生き死に、また不思議の中に消えて行った。

 怪物と呼ばれる彼らがもし今の世界にも存在していたら、あるいは死にながらにして帰って来ていたら。

 化象たちが姿を現すその時に、人は答えを迫られるだろう。

 誰もが戦わねばならない瞬間に、誰もが生きている。

 これは、終わった者たちによる始まりの物語である。

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