第30話 反撃

 



 あまり人前で感情を露わにはしてはいけないと思っていた。ましてや王侯貴族に連なる者ならば、いつ何処でそれにより言質を取られてしまうかわからない。常に冷静であれと言い続けてきた。しかし、正直その想いが伝わったとは言い難い。生まれて初めて出来た教え子は、いつもこちらが止める前に、思うがままの言動を振りまいて、こっちがどれだけ疲れたことか。

 けれど、信じがたいことに、そんな教え子の評判は徐々に良くなっていった。自分が教育係となったばかりの時は、気位ばかり高い我が儘娘と陰口を叩かれていたものだったが、徐々にその評価は我が儘だけれど憎めないお姫様に変わっていく。

 味方のいない宮廷で誇りを保つために心を閉ざすしかなかった少女に、少しずつ笑顔が増えていく。

 少女の我が儘は徐々に他愛のないものになってゆく。「有名な店のお菓子を買ってこい」から「食べてみたい」に言葉は代わり、叶えてやると照れながら「ありがとう」と言われるようになった。底辺までいくと、あとは登るしかないというのは本当のようだ。そんな本当に些細な変化に侍女達は一々騒いではしゃいで、正直何やってるんだと呆れもした。

 能力は決して悪くない。教えたことはそれなりに吸収していくし、きつく扱いてもへこたれない。それでも、すぐに感情を出してしまう所だけはどうしようも出来なくて、そこはもう諦めた。

「……だから、人前でそんなに泣くな。馬鹿」

 シャリィの姿を見た途端、顔をぐちゃぐちゃにして、多分自分が傍らにいなければ全ての状況をかなぐり捨ててきっと駆け寄っていってしまうだろう。

「ほんと、成長しないな、お前」

「だっ、だって……!」

 反論しようとしているけど、涙声で格好がつかない。一国の姫君ともあろう者が(しかも敵を前にして)なんて失態だと思う。

「……まぁ、いい」

 大きく溜息をつく。ぽろぽろと涙を流し続ける少女を見下ろしながら小さく呟いた。

「……よくがんばったな」

「……リッター?」

「お前にしてはよくやった」

「……私……」

 施政者として有能とは言い難いだろう。こんなにも感情を露わにしてしまうのでは。

 それでも、王族として得難い物を持っている。息をするように自然に、彼女は国を、そして国民を愛している。全てを手に入れるのが不可能なら、彼女はそれだけでいい。

「選手交代だ」

 残りは、こっちで引き受ける。

「……うん」

 小さく頷く少女の頬にこぼれた涙を、そっと指で拭う。

「あとは、任せろ」

 その言葉に、アルシェは濡れた瞳で無理矢理笑顔を浮かべる。

「……この国に手を出したことを後悔させてやる」

 自分は逆に感情が表に出にくいとよく言われるから、多分少女は気づいていまい。

「……やれやれ、話は済みましたか?」

 うんざりと言いたげなラーゼルの声が広間に響いた。

「こんなに不愉快な想いをしたのは初めてだ。今後、この国との付き合い方を考えなければならないな」

 整った顔立ちが、不快そうにしかめられる。

「今宵はもう下がらせてもらいます。これからのことは、またその後に」

「……お待ちください、ラーゼル殿」

 立ち去ろうとする後ろ姿に声をかける。

「まだ、聞きたいことがあります」

 ゆっくりと振り向く男に、小声で呟く。

「よくも泣かせやがって」

 いい加減、こっちも限界だ。



「……聞きたいこととは?」

「無論、今宵の騒動のことですよ」

「はっ。あなたまで馬鹿げたことを言い出すおつもりか?」

「――聞かれて困ることでも?」

 ひたと見据える。プライドの高い男がこちらを侮蔑したような笑みを浮かべる。

「……いいでしょう。お聞きしましょう。何が聞きたいのですか?」

「そうですね。色々聞きたいことはありますが、とりあえずお尋ねしたいのは何故連れてきた私兵の数を偽ったか、ですね」

「何かの勘違いでは? 偽りなどございませんよ」

「城内に滞在していたのは、確かに申請通りでございましたが」

「ならば何の問題もないではないですか」

「では、今宵の兵はどこに隠しておられた?」

「……失礼なことを。貴方まで今晩の襲撃が私の仕業だとおっしゃいたいのですか?」

 神経質そうな顔が皮肉げに歪む。

「私は事実しか申しておりません」

「……貴方は、アルシェ様を諫めたわけではないのですか? 我が一族を敵に回すのは得策ではない、と」

「諫めましたよ。勝てない喧嘩を売るのはバカのすることだと」

「だったら」

「だから、証拠をあつめてきたんですよ」

「…………」

 ラーゼルが押し黙る。

「連れてこい」

 ゲイルがシャリィの身体を支えたまま部下に呼びかける。

「はっ」

 部下が連れてきたのは応急処置だけ済ませたツェルだった。

「この男をご存じですね」

「いや、知らぬ男だが?」

「…………」

 ツェルは苦笑しただけで、何も言わなかった。

「侍女が貴方とこの男が密会しているところを見ています。そうだな、シャリィ」

「はい。今日の夜会の途中です。ラーゼル様は確かに、この男と会ってらっしゃいました」

「ははっ。ご冗談はおよしください。リッター殿。まさか、私の言葉より、この侍女の言葉に信を置くとでも?」

「この侍女はなかなか面白い娘でね。襲撃者を四人撃退し、この男とも対等に渡り合い、姫様を無事逃げさせることに成功した。貴方の一番の誤算はこの侍女の存在でしょうね」

「ですから、私ではないと……」

「この侍女が見つけたのですよ。この男がランドール家の手の者であるという証拠を」

「…………」

 ラーゼルはゆっくりと腕を組んだ。値踏みするようにこちらを睨み付ける。

「……カルディンという花をご存じですか?」

「…………」

「ご存じでしょう? この国ではありふれた花なんですが、他の地ではあまり見かけない花です」

 ラーゼルの顔色が変わった。見定めるような目を真っ正面から見つめ返す。

「ご婦人に人気のある花でね。見た目も可愛らしいが、香草としても役に立つ。安眠効果が高いんです。他ではあまり見ない花ですから、特産品として売りだそうと目論んでいたんですよ」

「……一体何の話をしている?」

 探りを入れる男に微笑をあげて、言葉は無視する。

「ところが、うちには困った研究者がいましてね。品種改良を重ねた結果、毒性の強い亜種を生んだ挙げ句、毒薬の生成に成功してしまいました」

 困った研究者の顔を思い浮かべる。

 亜種を作り出したところで止めておけばいいのに、探求心の赴くまま抽出方法の研究を上層部に知らせぬまま進めてしまった。

「それは無味無臭で即効性、少量で死に至るという極めて高品質な、たちが悪いものです。我々はそれを放置するわけにはいかなくなりました」

 国王はそれを危険視し、研究を即座中止、現存する毒薬と研究データを抹消することになった。研究者は残念がったが、ある程度の成果を上げたことで満足したのか命令に素直に従った。従わなかったのは、欲に目が眩んだその男の助手だった。抹消を任された助手が、その毒薬の一部とデータを持って逃げ出した。

 この国の新たな特産物として花を売り出すため創設する国立植物研究所は、アルシェが発案したものだ。その研究所で中心メンバーとなるべき人物がやらかした不祥事をそのままにしていてはアルシェの立場が悪くなる。

「リッター殿、私も暇ではない。早く話の主題に入ってくれないものか」

「その男の身柄は未だ確保できていない。我が姫の有能なる遊撃隊をもってしても、捕らえることが出来ていません」

「ふん。有能と言っても、辺境の国の一部隊、たかが知れていましょうな」

 ゲイルにちらっと視線を流して言う。ゲイルは冷笑でそれに答えた。

「確かに。我が不徳のなすところ、申し開きようもない。我らの力では容易に手を出しかねるところに逃げ出されては何ともしがたい」

「…………」

「例え製造方法を知ったとしても、カルディンが生育できる環境がなければ意味がない」

「……そうでしょうね」

「男が情報を持ち込んだ場所はもうわかっています。そもそも候補が少ないですから。カルディンの生息地域を調べるだけだ」

「……何が言いたい?」

「その領土には多彩な植物が生息する山岳地帯がある。その土地の領主にその助手が接触をとったことは確認できているのですが、引き渡しに応じてもらえずに困っていたんです」

「…………」

「その領主は切れ者と噂の方で。あまり敵に回したくないし、けれどかの方の手にあの猛毒が行くのも看過しがたい。……グラゼア・バル・ランドール。貴方のお父上ですよ」

 眉が険しくひそめられ、瞳に怯えが走る、ここにはいない誰かのために。

「その毒が、先ほどアルシェ様を襲った襲撃者の奥歯から検出されました。間違いなく、我が国で開発し、ランドールの家に渡ったカルディンの毒です」

「……そんな、言いがかり……」

「我が国で開発した毒薬だ。検査技術が確保されているに決まっているでしょう。あれは、今現在、この国とランドール家にしか持つ者がいない毒薬だ」

「…………」

 手のひらでその薬を転がしてみせる。研究者が開発した毒薬は液体だった。それが錠剤状にされている。

 ランドール家で、あの毒薬はさらに改良されているのだ。

「我々は攻めあぐねていた。さすがは大貴族の当主様だ。引き渡しに応じるどころか、まだこちらからある物を引き出そうと交渉してきた。強行突破も考えたのだが、ランドール家の私設部隊は手強くてね。ゲイルの遊撃部隊をもってしても潜入ルートが確保できなかった」

 その言葉にゲイルが苦々しく笑って肩をすくめた。

「さてどうするかと膠着状態に陥っていた時に、貴方は来訪された。ラーゼル殿」

 ラーゼルの目つきが険しくなる。

「グラゼア殿が欲しがっていた物。ラーゼル殿ならご存じでしょう? そう、解毒薬です」

 ラーゼルの手が強く握りしめられ、爪が食い込んでいく。

「殺すだけが毒薬の使い途ではない。解毒薬があることで商品価値は倍に膨れ上がる。だが、あの助手が持ち出したのは毒薬のデータだけだ。解毒薬の処方箋はいまだイブリスにしかない。……お前の狙いはそれだな? ラーゼル」

「……何を、馬鹿なことを」

「あの国立植物研究所の創立者はアルシェだ。アルシェの発言権は大きい。アルシェを妻とし、その解毒薬の処方箋を手に入れれば、お前はランドール家の当主争いに名乗りを上げられる。そうグラゼア殿に唆されたのだろう?」

「ち、違う! 父上は何も知らない!」

「お前が連れて来たのはランドール家の私設部隊だ。グラゼア殿の許可を得ずに連れてこれるものか」

「私はランドール家の息子だぞ! 使う権利は十分に……!」

「決してお前は重用されてるとは言いがたいようだが?」

 この短い時間で遊撃隊の隊員が掴んだ報告書には、ランドール家の跡目争いの詳細も乗っていた。

 当主グラゼアの跡を継ぐのは強い後ろ盾を持つ長男か、明晰な頭脳で名の知れた次男か。多くの貴族が、その帰着に注目している。そこにラーゼルの名が上がることはない。

「妾腹で四男。才覚も乏しく強い後ろ盾もない。当主になりたいお前にとってグラゼア殿の提案は魅力的だったはずだ。幸い顔はいいしな。小国の田舎の姫一人どうにでも出来ると思ったのだろう。だが、ごあいにく様だったな。うちの姫様はちょっとあれなんだ」

「……あれってどれよ」

 黙って聞いていたアルシェがぼそっというが無視する。

「結婚を断られたお前は強硬手段に出た。確かに姫様の身柄を押さえられたら、我々は処方箋を譲ってでも取り返すからな。……おかげで、この有様だよ」

 泣き腫らした目のアルシェ、血に汚れたシャリィ。

「悪いとは思っているよ。うちが作った毒薬を持ち出されたばかりに、余計な夢を見させてしまってな。本当に申し訳ない。謝りましょう。……だがな」

 この国は貧しいから、いつも予算会議では紛糾してばかりだ。何をするにも金がいる。皆自分の行動が国のためになると信じ、その行動を起こすための予算を欲しがっている。

 結果削られるのは宮廷費で、質素な生活を強いられて。

 けれど、そんな中でも品格を保てるようにと、いつも侍女達は城を隅々まで綺麗にしている。国を守る兵達は民に優しい。横暴に振る舞えば、その非難がむく先がどこか、よくわかっている。研究者は熱心だ。自分たちの研究が国の未来を左右する。その重みから逃げない。民達は真面目だ。決して豊穣とは言いがたい大地で作物を作り、子を育み、産業を育てる。

 そうやってこの国は生きている。


「お前みたいな余所者がな。急に入ってきて踏みにじっていい場所じゃないんだよ、ここは」

 ここはアルシェが愛する国だ。

「……この報いは受けてもらう。お前にも、グラゼア殿にもな」

「…………違う、私はそんなつもりじゃ」

 青い顔をして力なく首を振るラーゼルを見て、また怒りがこみ上げてくる。碌な覚悟もなくこの国を踏みにじったのかと。


「……なぜグラゼア殿は貴方を使ったと思いますか?」

「え?」

 ならばこちらも踏みにじって何が悪い?


「有望な長男や次男には、こんな汚れ仕事をさせるわけにはいかなかったのでしょう」

「……そんな」

 その生い立ちのせいでどんな目にあったかなんて知らない。どうでもいい。


「貴方ならば、上手くいけば儲けものだ。駄目なら駄目で次の手を打てばいい。わかりますか? 貴方は――」



「もう、いい」



 捨て駒にされたんだよ。

 そう告げようとした言葉は、アルシェに遮られた。



 まだ涙で目が赤いが、少女は息を整えて背筋をピンと伸ばしている。

「それ以上言わなくていい。……余計な恨みを買う必要はない」

「姫様……」

「いいから。大丈夫だから。もうそれ以上言わないで」

「…………すいません。少し熱くなりました」

 小さく微笑んで鷹揚に頷く。その様は、一国の姫君の風格を備えていた。

「……こんなことになって残念です。ラーゼル様」

「違うんです、アルシェ様。誤解です! 私は決してアルシェを傷つけるつもりなど……」

「今夜、この宮廷に起きたこと。それがすべてです」

 優しく、けれども毅然と。アルシェはラーゼルの縋るような言葉に耳を傾けはしない。

「貴方が我が国でしでかした暴挙。許されることはありません。今後の取り引きは、貴方のお父様と、いえ、貴方の国の王かしら? そちらと直接行います」

「……そんな国王に知られたら、ランドール家は……」

「どう取り引きを持ちかけましょうね。まぁ、大丈夫です。うちにはそういうの得意な小賢しいあれがおりますから」

「……あれってどれだ」

 やられたらやり返す。大変しっかりしたお姫様だ。

「我が国に来ていただいてありがとう。おかげでこの先の取り引きが楽しみになって参りました。……大丈夫。貴方の命は全力をかけて守ります」



 貴方は大切な人質ですもの。




 花が咲くように艶やかに。

 微笑むアルシェに、ラーゼルは膝から崩れ落ちた。





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