第29話 私の戦い
「…………っ」
酷い状況だった。
火をつけた時、何かの薬草を放り込まれたと聞いてはいたが、惨状に息をのむ。煙を吸った大勢の人間が青ざめた顔をして医療室に溢れていた。
「……落ちつけ。命に別状はないと診断されてる」
「……ん。分った」
リッターの言葉に頷き、動揺を力尽くで押し隠す。姫の登場に安堵したのだろうか、俄に医療室が活気づく。
「みんな、大丈夫? 今、鎮火に向かっているわ。心配しなくて大丈夫だから」
その中を歩きながら励ます。まだ医者の治療にかかってない人間の多さが目につく。
「……人手が足りてないわね」
「典医も軍医もいるだけ駆り出してる」
リッターと小声で会話を交わす。隣にリッターがいるというだけで、頭の中は冷えて次の策を考えることが出来る。この男に無様な所を見られたくない。失望されるのは耐えられない。大丈夫。冷静だ。
「もっと手伝いを呼べないの?」
典医の古株に声をかける。
「宮廷内に居る人間はこれが限度です。侍女にも簡単な仕事は手伝ってもらっていますが、専門的な治療は無理ですし」
「遠い戦場にいるわけじゃないのよ。街の医者を呼びなさい」
「ですが……」
「姫様」
この場を警護していた正規軍の兵が声をかけた。
「今この状況で、身分の確かでないものをこの城の中に入れるわけにはいきません」
「なら、私が身分を証明するわ」
「え?」
堂々と言いはなった少女の言葉を上手く理解できなくて、兵はきょとんと目を見開いた。
「私が面通しする。街の医療所の人なら大概分るわ」
「……は、はぁ」
よく分らないという表情を露骨に出した兵に苦笑しつつ、リッターが言う。
「街の診療所の医師達に使いを出せ。姫様の知り合いのみ通せば、混乱は起きまい」
そして、溜息をつく。
「何よ、その溜息」
「いえいえ、別になんでも」
「私の街歩きも馬鹿にしたものじゃないでしょ」
「シャリィがここにいたら、なんと言ったことか」
無造作に出してしまった名に、アルシェは固まる。
「……すまない」
「……広間に行くわ。着いてきて」
「あぁ」
現場は混乱している。ゲイルとの連絡は、別れたきり取れなかった。
王者の帰還を、広間の人間達は受け入れた。
「待たせたわね。ここにいる者達は全員無事なのね」
広間に残っていたのは幸いにも煙を吸わずに済んだ貴族や役人、それを護衛する兵達だ。階上を見上げれば、そこに王も正妃の姿もなかった。父親達が無事な所に逃げたという事に安堵し、取り残されてしまった貴族達の不安を思う。襲撃者の正体が分らない以上、犯人かもしれぬ参加者を帰すわけには行かない。宮廷内に取り残され、されどこの場が完全に安全とも言い難い状態は、さぞ心細かったことだろう。
「不安にさせたわね、みんな。これから先は私が指揮を執ります。私が最後までここに残るから」
国王と弟が安全な場所に行ったなら、血統の保持は為される。ここで自分まで安全場所に行ってしまっては、置いて行かれたと混乱が起きるだろう。
「アルシェ。俺は少し場を外す。確認したいことがある。こっちは頼んだ」
「わかった。……気をつけて」
リッターは警備の責任者にアルシェを頼むと目配せしてから部屋を出て行く。少し心細かったが、甘えていられる状況ではない。
「宮廷内に侵入した奴らは?」
警備の責任者に尋ねる。
「まだ遊撃隊と戦闘中との報告が来ております。また、遊撃隊の隊長と連絡が取れません」
「……わかった。そちらに増援を送って。それから、手が空いている隊はある? 宮廷内の探索を続けて。保護が必要な人がいるかもしれないわ」
「分りました。……姫様」
「ん? ……っ」
男に促され、その視線を追い思わず息を呑んだ。
「どうやら大変な事態になっていますね」
「……ラーゼル、様」
掌にじわっと嫌な汗をかく。
こんな場面だというのに、気味が悪いほど優雅に従者を従えて、ラーゼルは現れた。役者が満を持して登場するかのような態度に怖気が立つ。今、命を賭して戦っている者もいるというのに。
肩にかけられたリッターの上着をぎゅっと握りしめて、ラーゼルに対峙する。今の自分の戦場はここだ。
「……お騒がせしてしまって申し訳ありません、ラーゼル様」
「お怪我はありませんか、アルシェ様」
「大丈夫です」
「さぞ、怖かったことでしょう。襲撃者の正体はつかめたのですか?」
「……いえ、まだです」
こちらの身を心の底から案じているような態度だった。リッターは明言しなかったけれどラーゼルを疑っている。自分もそうだったが、この態度を見るとその気持ちが揺らぐ。本当に案じてくれているのか、面の皮が厚いのか。
「とにかく、安全な所へ。そこの者、案内を」
兵に声をかけるのを止める。
「私は大丈夫です。ここに残ります」
「何をおっしゃっているのですか? こんな所に貴女のような方がいるべきではない」
「大丈夫です。心強い味方がここにはたくさんいますから」
全く怖くないと言えば嘘になる。けれどアルシェは笑ってみせた。信頼されると、人は強くなる。自分に出来るのはそれしかないから、せめて無条件に捧げたかった。
「ですが」
「大丈夫ですよ。そんなに心配なさらないでください。それよりラーゼル様こそお部屋に戻ってください。護衛をこちらからも手配しますから」
「駄々を捏ねてはなりませんよ、アルシェ様。こんな所に貴女がいたら、兵だって安心して勤めを果たすことができないでしょう?」
「私への気遣いは無用。それは兵も心得ています」
イブリス王国の王女がはねっかりなのは周知の事実だ。今更これぐらいで動揺する者はこの国にはいない。
「ラーゼル様、どうか部屋にお戻りください。貴方にもし何かあったら、ランドール家の当主様に申し訳が立ちません」
「帰るなら貴女も一緒です、アルシェ様。貴女の身は私が、ランドール家がお守りいたします」
「私は安全が確認できるまでここに残ります。それが王族に連なる者の責務です」
「だが、貴女は女性だ」
だから何だ。
苛立ちがわく。
「王族なればこそ、安全な場所に待避する必要がありましょう」
「陛下の身の安全は確保してありますから」
「貴女は貴き姫君だ。こんな所にいてはいけない。そうだ。ここの兵で心配なのでしたら、私が連れてきた私兵に護衛をさせますから」
ラーゼルはアルシェの手を取って、促そうとする。手を引き抜こうとしたが、つかむその力が思ったより強くてふりほどけなかった。
「……私には私の仕事があります。放してください。邪魔をしないで」
苛立ちがわいてくる。どうしても会話がかみ合いやしない。
「できません」
ラーゼルは掴んだ手を押し抱くように口元に引き寄せた。
「愛しい人を、こんな危険な場所に置いていくなんて、そんなむごい真似をしろと貴女はおっしゃるのですか」
そして押し当てられる唇、時が時なら酔うことも出来たであろうが、場を弁えぬ行為に心が波立つ。
「……私はこの国を束ねる血族に連なる者です」
手を取られたまま、甘い空気に引きずる込もうとする男を睨み付ける。
「たかが女と侮るならそれでも構わない。それでも私がここに残ることで安心する者がいるならば、その為に命をかけます」
「……そう、そういうことですか」
決別を言い渡したつもりだったのに、ラーゼルは何を思ったが、くっくと得意げに、まるで幼子を窘めるように笑った。不気味で、ぞっとする。
「どうやら、貴女は少々場の空気に酔っていらっしゃるようだ」
「……え?」
「悲劇のヒロインに浸るのも結構。ですが、この場においては足手まといとなりましょう」
――「貴女が一緒じゃ、逃げ切れないって言ってるんです!!」
捨てて逃げてきてしまった侍女の、友だちの叫び。足手まといという単語は、上手にアルシェの心をえぐった。
「さぁ。行きましょう。貴女は守られるべき存在だ」
――「どうぞご無事で」
「……違う、そうじゃない」
別れる時でさえ、あの子は笑っていた。
「私が守られたのは」
守られてしまったのは
「ただ、私が弱い存在だからで」
あの場で、何の役にも立てなくて
「本当は私が守らなくちゃいけなかったんです。私はそのために生かされてきたんだから」
愚かなままだったら、きっと当たり前のように皆を置いて、この場から逃げ去っていただろう。そんな存在したかもしれない自分を、今の自分は嫌悪する。
無知は罪だ。それが罪であると知る機会が与えられた自分の幸運をとても嬉しく思う。
「私にもっと力があれば、もっと優秀で手腕があれば、そもそもこんな襲撃をさせなかった。そうでなければならなかった。そのために私には権力が与えられているのに」
その力を上手く振えなかったが為に、シャリィは。
「私をこの場に逃がすために、侍女が命を賭けました」
その言葉に、広間にいた侍女達が視線を伏せる。傍らにいるべき少女がこの場にいないことに、皆気づいていた。
「自分と私を天秤にかけて、当たり前のように私を選んだあの子のために、私一人がぬくぬくと逃げおおせる事なんて出来ないのよ」
心が悲鳴を上げている。
シャリィ。
本当は大声で泣き叫びたい。ごめんねと謝りたい。
みっともなく泣きわめいて、あの子を返してと駄々を捏ねてしまいたい。
でも、そんなことしても意味がないと知っているから、せめて彼女が誇りに思えるような態度を取りたい。彼女の命の代価を。
「……それが、どうかしましたか?」
「…………え?」
ラーゼルはきょとんと、本当に意味が分らなかったのだろう、首を傾げていた。
「ラーゼル様?」
「それがどうかしたのですか?」
「……貴方は何を……?」
何を聞いているのか、何を聞かれているのか、互いに理解できず互いに眉を顰める。
「貴方を生かすために侍女が死んだのですね」
「……えぇ」
ラーゼルは感情が一切入らぬ事務的な口調で尋ねた。
「それがどうかしたのですか?」
「…………」
「貴女を助けるために命を投げ出すのは当たり前でしょう」
アタリマエデショウ。
ラーゼルの言葉が異国の物に思えて、解読できなかった。
例え小国なれど貴女は王族に連なる身、高貴なる生まれ、誰からも尊ばれる身。
その命を救うために、名も無き侍女が己の身をかけるなど当たり前ではないですか。
そもそも貴女は臣下に対し、気軽に接しすぎる。
それではイブリス王家の品位が汚されてしまう。
そんなことだから侍女が思い上がり、自分と貴女が対等などと勘違いするのです。
まぁ、格式の低い貴族ばかりの中で育ったのですから無理もないでしょう。ご安心ください。
ランドール家と盟約を結べば、もう侮られることはないとお約束します。この国が他国に軽んじられることもない。
私が、この国を救ってあげましょう。
蕩々とラーゼルは語る。
そこだけ、世界が違うみたいだ。
おかしいと思わないのだろうか。
ここに怯える民がいて、傷つきながらもそれを守ろうとする兵士がいて、皆叫び出したい恐怖を必死で押し隠しているのに、まるで舞台に上がった役者のごとく朗々と王族の命の価値が如何に高いか、ランドール家がどれだけ素晴らしいかを語る。
ここに、怯える民がいるのに。
「……だから、私は誇り高きランドール家と結ばれるべきなのですね?」
「そうです! アルシェ様。ようやくわかってくださったのですね」
大げさな動作で両腕を広げ、アルシェの身体を包み込んだ。高揚してしている呼吸が耳元にかかり、鳥肌が立つ。
「……だから?」
ラーゼルの腕の中で、アルシェは呟いた。
「だから、この王宮に火を放ったの……?」
「…………」
そっと両腕でラーゼルの体を押し返し、静かに問う。
「私の国にはどうせ大した価値はないから、だから火を放っても構わないの?」
「……何をおっしゃっているやら」
「私の民の命は、どうでもいいから、奪っても構わないの?」
涙が溜った瞳で、強く強くラーゼルを睨みあげる。ラーゼルは口を醜く歪ませた。
「誰か。アルシェ様は心労から取り乱しておいでた。どこか休める場所に連れて行って差し上げろ」
「答えなさい! ラーゼル・ラダ・ランドール……!!」
ぎゅっと拳を握りしめて叫ぶ。
「貴方が! 貴方が、この火を……!! 皆を……!!」
涙が一つ、頬を滑り落ちる。
憎しみで人を殺せればいい。怒りで人を罰せれれば、今この男は立っていない。
「やれやれ。どうも貴女は短慮でいけませんね」
ラーゼルは困ったように首を竦めた。
「それは何の根拠があってのお言葉ですか? 私が火を放った証拠があるとでも?」
「…………」
「証拠もなく私を疑うというのならば、私もランドール家の家名を侮辱されたと訴えねばなりません。もっとも貴女のお父上はそんな無謀なことをされはしないと思いますが」
ラーゼルは走った際に乱れたままのアルシェの髪を一房指に絡ませる。
「もちろん、私も将来の妻にそんな仕打ちをするような真似は致しませんよ。私は寛容な人間だ。可愛らしいご婦人の癇癪に、一々腹を立てたりはしません」
髪に唇を寄せる、その触れる直前、鋭い音が広間に響いた。男の頬を打ち抜いたアルシェの手が震えている。
呆然と見開かれるラーゼルの瞳、叩かれた頬にゆっくりと自分の手を当てる。
「……貴様」
不意に瞳にわき上がる憎悪の感情、振り抜いたままのアルシェの腕をつかんだ。
その時。
「そこまで」
静かで抑揚のない、けれど不思議と響く声。
「……リッター」
アルシェの呟きに答えるかのように、ラーゼルがアルシェの腕を放した。
一声で、その場を支配した男は悠然と広間の中央へと歩み進むと、ラーゼルの前で膝を屈し、慇懃に謝罪した。
「我が姫君が失礼な事を申し上げました。許していただきたい」
「リッター……!!」
リッターの登場に一瞬怯んだラーゼルが、その態度に余裕を取り戻す。
「アルシェ様の教育係は貴公だったな。学問を教える前に、もっと淑女としての礼節を教えるべきでしたな」
そんな言葉にもリッターは丁寧に頭を下げる。アルシェは悔しくて怒鳴る。
「こんな時に、何言ってんのよ、リッター!! こいつのせいで、私たちは……!!」
「その証拠は?」
「……っ!!」
リッターはゆっくりと立ち上がって言う。
「証拠もなく人前で相手を侮辱するような真似が許されると? 相手は大貴族だぞ。外交にひびを入れるつもりか」
「だって……!!」
リッターの叱責に、涙が溢れる。ラーゼルの得意げな顔が涙で揺れる。悔しくて、悔しくて。
「教えたはずだぞ。証拠を揃える前に、迂闊に動くな。相手を追い詰めるどころか自分の立場が悪くなる」
「……だって……!!」
悔しさにぼろぼろとなくアルシェに、ふとリッターが苦笑した。
「……リッター?」
「……教えたはずだ、アルシェ」
雰囲気が不意に和らぐ。
「負ける喧嘩をするな」
リッターの指がアルシェの涙を拭う。
「喧嘩を売るなら、勝てる条件を揃えてから、だ」
薄く笑う。その笑みをアルシェは知っている。
「証拠を、連れてきたよ」
それは煮詰めた策の最後の一手を詰める時の顔だ。
「……リッター……?」
問いかけに答えず、扉の方に振り向いて、リッターは言う。
「入れ」
言葉に応え、扉がゆっくりと開かれる。
そこに現れた人影に、大きく息を吸い込む。
「遅くなりました、姫様」
「……シャリィ……!!」
血に汚れたドレスを身にまとったシャリィが、ゲイルに支えられるように、そこに立っていた。
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