第26話 襲撃




アルシェは奔放な言動を取りはするが、決して理不尽に横暴な主ではない。ちゃんと国の財経をよく知っていて、それに合ったような慎ましい暮らしをしている。

 出会った頃はなんて我が儘な王女様だと思ったけれど、文句は言うけど無理を通そうとはしていないことを分かってから(嫌な授業は相変わらず逃げ回っているけど)(気がつくと街中に降りてジャンクフード食べてるけど)そんな口先ばかりの我が儘を言われても嫌ではなく、むしろ微笑ましく思えるようになってきた。

 そんな彼女のささやかな我が儘の一つなのは、毎晩寝る前にハーブティを入れて欲しいという物だった。まだイブリスでは上手に栽培出来ず、今研究を進めているというそのハーブは隣国産で多少値は張るが、許される範囲内の贅沢だろう。それを淹れるのはシャリィの役目だった。

 熱い湯を注いだティーポットと温めたカップを盆に置いてアルシェの部屋にはいるとき、アルシェの着替えを手伝った侍女とすれ違った。その手には先ほどまで少女の身を飾っていたドレスがあった。それに引き替え、シャリィはドレスを脱ぎ損ねてしまった。自分の姿を見下ろすと、やはりどうにもぎこちない。でも、アルシェしかいない前でならそんな様でも、もう少し着ていていいかなと思う。柔らかなドレスに身を包んで幸せだったのは、嘘じゃないのだ。

軽く会釈をしてすれ違い部屋の中へ足を踏み入れると、そこには寝間着姿に着替えたアルシェが窓際のソファに腰掛け、ぼうっと外を眺めていた。

「そこじゃ冷えますよ、姫様」

 気分が悪いと早々に会場を去ったから、普段の就寝時間よりむしろ早い。まだ冷え込みはそれほど厳しくないが、薄着をしているから少し心配でカップにハーブティーを注ぎながら言うが、少女は動こうとしない。

「……どうかなさいました?」

 主の足下に膝をつきながらカップを手渡す。

「大丈夫ですか?」

「…………

「…………何が」

 返事が返ってくるまでの間が長い。

「なんか疲れてるようですけど」

「……うん」

 気怠げにアルシェは温かいハーブティに口をつけた。

「私、人生失敗したかも」

「は?」

 ぼそっと言うその様は気怠げで、普段よりも大人っぽく見えた。

「断っちゃった、ラーゼル様のこと」

「…………」

 多分その現場はシャリィは覗き見ていたので、微妙に気まずい。

「しかもお父様にもリッターにもなんの相談もなく決めちゃったよ。やだなぁ。怒られるかも」

 結構本気でしょげて、アルシェは溜息をついている。伏せた瞼を縁取る睫が綺麗だなと思った。

「……お断りした理由をお聞きしてもいいですか?」

 静かに尋ねると、アルシェはゆっくりとシャリィへ視線を向けた。気怠げに伏せられた睫の奥で、その瞳の輝きにかげりはない。

「……リッターがね。リバインに帰るかもとか言ってるんだって」

「え!?」

 夜も更けたというのに思わず大きな声が出てしまった。

「え、帰るって、え? 何ですか、それ。どういうことですか!」

「落ち着いてよ、シャリィ」

 アルシェは動揺するシャリィに苦笑いを向けながら言った。

「だって、いなくなっちゃうって……!!」

「まだ本人の口から聞いた訳じゃないのよ。本気かどうか確認してないし」

 やけに落ち着いてるアルシェに、シャリィは動揺する。

「……いいんですか、それで! リバインにいっちゃって、それアルシェ様許しちゃう気なんですか?」

「いいわけないじゃない」

 結構冷静にアルシェは否定した。

「よくない。全然良くない。絶対駄目」

 自分に言い聞かせるようにアルシェは言う。

「絶対行かせないって決めたのよ、私」

「…………」

「だから、シャリィも協力しないさいよね」

 どこか晴れ晴れとした表情のアルシェに、シャリィはほっとした。

 だからラーゼルの求婚を断ったという理屈の根拠をもうちょっと突いてみたい気もするが、アルシェがハーブティーを全部飲み終えたようなので、その辺りで止めておくことにした。

「さ、そろそろ寝てください。今日は疲れたでしょう?」

「うん、ちょっと疲れたかも」

「明日は朝一でリッター様のところに行かれますよね」

「そうね。たまには甘やかしてやるわ。懐柔策でいこうと思うの」

 生意気な口をきくアルシェについつい吹き出したシャリィが、ふと、表情を消して辺りを見回した。

「シャリィ」

「……何か変な匂いがしますね」

「え、そう……?」

 鼻をすんすんと言わせるが、先ほどのハーブの匂いしか分らない。

「気のせいじゃない?」

「いえ、何か、きな臭い……。……何か燃えてる……?」

 シャリィは素早く窓辺に寄って外に目をこらす。

「……こっちじゃない。姫様、窓辺から離れてください」

「え、あ、うん」

 指示を出しながら、シャリィは扉の外に顔を出して、辺りを見渡す。中庭の方から煙がたなびいているのが見えた。火事だ。

「…………」

 何か、嫌な予感がする。ここに勤め始めてから火事など起きたことはない。もちろんそうそう起こる物ではないのだが、この宮廷は暢気な割に、その辺りの安全配慮は徹底してなされている。それがよりによって今夜火事が起きている。

「……姫様。何か羽織ってください」

 兵士達が慌ただしく消火活動に駆り出されている。慣れぬ事態に、動揺が走っている。

 嫌だ。凄く嫌だ。肌が粟立って、空気がぴりぴりしている。

 目をこらす。黒い人影が廊下の奥に見えた。こっちに向かって走ってくる。

「…………!!」

 シャリィは慌てて扉を閉め、鍵をかけた。

「シャリィ……!?」

「誰か来ます」

「遊撃隊の者じゃないの?」

「走り方が違います。あれは、隠密を生業としている輩の走り方です」

 アルシェの腕を引いて立ち上がらせると、そのままシャリィは一つ奥の間のアルシェの寝室に入る。扉を閉じ施錠したとき、先ほど鍵をかけた扉をがたがたと強引に開けようとする音が聞こえてきた。

「シャリィ! 何が起きてるの!!」

「わかりません。ですが、何者かが侵入してきています。狙いは姫様みたいです」

「なっ」

 青ざめたアルシェを引っ張ってクローゼットの前に立ち、その重い戸を開けた。

「この奥から、リッター様の部屋に抜けられましたよね」

「え、えぇ」

 クローゼットの奥の隠し扉の事をシャリィに教えた記憶はなかったが、断定の口調で言われると何故知っているか問うことはできない。

「一人で逃げられますね」

「え、シャリィは?」

「私はここで時間を稼ぎます。姫様は先に逃げて救援を呼んできてください」

「いやよ! 貴女も一緒に逃げなさい」

「ここに私が残らねば、すぐに逃げ道がばれて追いつかれます」

「だからって、シャリィを置いていけない!」

「大丈夫。時間を稼ぐだけです」

「いや! シャリィも一緒に……!!」

 扉を強引にこじ開けられた音がした。そして今寝室の扉が不吉な音を立てる。

「貴女が一緒じゃ、逃げ切れないって言ってるんです!!」

「…………!!」

 シャリィの有無を言わせぬ口ぶりに、アルシェは唇を引き結ぶ。

「私を助けたいと思うなら、先にどうか安全なところへ。お願いですから余計なことは考えないで。泣いても転んでも駄目です」

 喋ったら涙がこぼれそうで、そしたらいきなりシャリィの言いつけを破ってしまうから、ただアルシェは頷いた。

「……貴女が逃げ切れたと思ったら私もしっぽを巻いて逃げ出しますから。だから絶対ヘマしちゃ駄目ですよ」

 鈍い音が響く。寝室の扉から、鈍い剣の切っ先が突き出た。シャリィは最後に微笑む。

「どうぞご無事で」

 そしてクローゼットの扉を閉じた。

 その扉に両手を置いて瞳を閉じ、細く息を吸う。ゆっくり二度。肺の中の物を全てはき出し、目を開いた。

 夢を見せてくれたスカートを両手ですくい上げる。柔らかい手触りだ。身に余るものに触れさせて貰えた。だけど。

「……ごめんなさい」

 びりっと両手で、その布を引き裂いた。空気が太股を撫でる。お姫様ごっこはここで終わり。所詮、自分じゃこんなもんだ。

 後ろで、鍵が壊され、空気が流れ込む気配を感じた。

 後ろ手でクローゼットを抑えながら振り返る。

 そこに大事な物があると、分かるように。大事な者を隠していると伝わるように。 

「……どなたですか、こんな夜中に失礼な」

 侵入してきた男は全部で四人。皆黒ずくめの装束を着ている。

「……アルシェ姫はどちらにおられる?」

「姫様なら今宵は婚約者殿の寝室へとお行きですよ」

 しれっと言ってみせる。男達は腰を低くして、何時でも飛びかかって来れそうだ。

「……そこをどいてもらおうか」

「無礼です。淑女のクローゼットを覗こうなど変質者のする行動でしょう。どこの誰だか知りませんが、控えなさい」

「……言っても無駄のようだな」

 ゆらっと男が揺れる。その手の中にある剣が鈍く光る。

「ならば死んでもらおう」

「冗談」

 男が距離を詰める。シャリィは、破って軽くなったスカートの裾をたくし上げた。

 男の振りかぶった剣、その手元で鋭い音、その剣は宙を舞う。

「なっ」

 手に走った激痛に目を見張る男は、少女の手にある物を見てうめく。

「……私をどかせたかったら、覚悟してね」

 少女の手の中には黒い鞭、生き物の様にしならせて、床を打つ。



「すっごい、痛いよ」





 混乱は唐突だった。アルシェが退席してしばらくが経ち、宴もたけなわと言った雰囲気の時、それは突然窓を破って投げ込まれた。

「きゃあああ」

 投げ込まれたガラス瓶が床で砕け煙を撒き散らす。動揺した淑女達の悲鳴が響いた。

「煙……? ……薬か……!!」

 ゲイルが煙の臭いに眉を顰めて、急いで口元に布を当てた。

「煙を吸うな! 口に布を当てて体勢を低くしろ……!!」

 大声で怒鳴るが、広間は混乱していて良く指示が通らない。

「くそっ」

 正規兵が国王の傍に駆け寄り、安全な所に連れて行こうとしているのを目の端で捉えると、小さく安堵して意識を切り替えた。

「姫さんが心配だ。ここはあいつらに任せて行くぞ」

「あぁ」

 リッターに呼びかけてアルシェの部屋に向かう。火をつけられたのか、庭園のあちこちから煙が上がっているのが見え舌打ちをした。その二人に向かってゲイルの部下が駆け寄る。

「報告します。アルシェ様の部屋へ向かう通路に、不審な者達が陣取り道を阻んでいます!」

 ゲイルが命令する前に先に動いていた部下達の報告を聞き眉をしかめる。

「手練れか」

「応戦していますが、苦戦しています」

「わかった、俺が出る」

「いや、待て、ゲイル」

 それをリッターが止める。

「アルシェの部屋から俺の部屋へ抜ける道がある。そこから行った方が早い」

「わかった。お前らもついてこい」

「はい!」

 リッターが先導して走る。

「……アルシェ……」

 無事でいろ。

 まだろくに走ってないのに、心臓がばくばくして痛かった。

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