第22話 彼女の武装



 ラーゼルを歓迎する夜会を前に、宮廷の人々はどことなく浮かれていた。大国の有力貴族らしくラーゼルの装いは華やかで刺激を受けたらしい。ラーゼル本人も貴族らしい高潔さと、人懐こい暖かさを両方持っていてすぐにこの宮廷に馴染んでいた。そのラーゼルのための夜会と言うことで人々は張り切っていたようだった。

 その中で何時にない落ち込みをアルシェは見せていた。

「姫様、どのドレスを着ましょうか」

「どれでもいいわ。適当に選んでちょうだい」

 古参の衣装係におざなりに答えるが、衣装係も浮かれているのがアルシェの様子に気づかず服選びにご執心だった。

「ならばこれに致しましょう。今庭には綺麗な薔薇も咲いていますからそれで身を飾ればきっと素敵ですわ」

「うん」

 選ばれたのは薄紅色のシンプルなドレスだった。オーガンジー素材のスカートが歩く度にふわりと揺れるデザインのそれは胸元が大きく開いている。鎖骨の辺りを飾る何かが必要とされる、その衣装。きっとラーゼルに送られたネックレスがよく似合う。

「…………」

「さぁ、急がなければ。姫様が行かなければパーティーが始まりませんわ」

「えぇ、そうね」

 皆が楽しみにしている。行かなくてはならない。

「…………」

 ドレスに着替えると次は化粧だ。幾人かの侍女が前と後ろに陣取り化粧と髪結いを同時に行っていく。仕事中の侍女達は真剣だ。仕事に誇りを持っている侍女達をみると自分も誇らしいが、長い時間じっとしていなければならないのは中々辛い。待つしかないとゲイルの言葉がすぐに浮かんでくる。

――「こんなの置いて、リバインに帰るつもりかよ、あいつ」

 何の話だ。そんなこと聞いてない。

 頭の中がぐるぐる無理矢理かき回されて、ガンガン痛い。

 帰るって何。意味が分らない。全然わからない。

「目を閉じて下さい」

「ん」

 閉じた瞼の上に色が乗せられていく。人の指先の感触が心地よい。

 ……リッターはこの国を去ってしまうのだろうか。何故去ってしまうのだろう。

 もう飽きた? この国に興味はない?

 まだまだやりかけたことがたくさんあるのに、それも全て放り投げて自分のやりたいことをしに、リバインに行ってしまうのだろうか。なんだかそれはそれでリッターらしくて笑ってしまう。頑固で意地っ張りな彼らしいではないか。

 信念を曲げず、やりたいことを貫く。

 自分の存在が彼の人生において寄り道であったと認めるのは少し心が痛むけれど。

「ねぇ、シャリィはどこにいるの?」

 今涙をこぼしてしまうと、侍女達の苦労が無駄になる。気を切り替えるため、あのそそっかしい侍女のことを思うことにした。侍女のくせに、今傍にいないのは化粧も髪結いもろくに出来ないから追い出されているせいだ。

「今シャリィも身支度をしていますよ。リッター様のご命令で、今日は給仕でなく夜会中もアルシェ様の傍につくことになりましたからそれなりにしておかないと」

「……シャリィが?」

「……えぇ、シャリィが」

 とてつもなく不安になって感傷がどこかに吹き飛ぶ。シャリィはいい子だ。それに疑いはないけれど、それとそう言う仕事が向いているかは全く別物だ。

「なんでまた」

 仕事熱心な侍女だからやれと言われれば頑張るだろうが、人には向き不向きがある。そういう所での作法とか、秋波を送られたときのいなし方とか上手いとはとても思えない。

「なんでもゲイル様のたっての希望だったそうですよ」

「ゲイルが?」

「えぇ、上手くいけば綺麗にまとまるかもしれませんね」

 ゲイルがシャリィを追い回していることは宮廷内で有名だ。ゲイルの自分へのぞんざいな態度はどうかと思うが、あれで顔もいいし、あの年で遊撃隊の隊長に抜擢されるなどと出世頭だ。若い女性からの人気は高く目立つ。それが新参者の侍女、しかも姫付きへ大抜擢された(くせに有能とは言い難い)女の後を追っかけ回しているのだから噂になるというものだ。

 シャリィも幾人かの良識のない者から嫌がらせを受けているようなのだが、なにせシャリィなので嫌がらせされてることに気づかないらしく相手のやる気をそぐことに成功したらしい。

 ゲイルがシャリィを追いかけましている理由は公にされてないからこそ立った噂で、そのきっかけは色恋とは掛け離れているのだがそれを公にするわけに行かないし、そもそも最近の二人の様子はそれとはまたちょっと別の物を感じさせるときがある。まとまるならまとまるでいい気がして、脳裏に浮かんだ疑問は忘れることにした。

「姫様、唇を閉じて下さいませ」

「ん」

 刷毛に取られた紅が唇を鮮やかに染めていく。その間にも手を取られ、クリームを塗り込まれる。花の匂いが微かに漂う。

「……今日、随分念入りよね」

 普段は年が若いこともあり、シンプルな化粧が多いのだが、今日はやけに時間がかかる。

「えぇ、だって特別な夜会ですもの。姫様の一番綺麗な様を見ていただかなければ」

「……みんなは、私がラーゼル様と結婚する方に賛成なの?」

 なんとなく今まで聞きそびれていたことを尋ねてみる。自分とリッターの関係をよく見てきた侍女達の意見を聞くのは少し怖かった。

「私たちは学がありませんから、どうなることが一番良いかは分かりませんわ」

「でも、特別って」

「そりゃ、特別ですよ!!」

 髪を結っていた若い侍女が耳元で大きな声で言う。

「だって、リッター様に初ライバル出現ですよ! 今まで余計な男近づけすらさせなかったのに強引な手段で迫ってきた恋敵。しかも男前! そりゃ行く末が気になるってものでしょう! そんな時に、みすぼらしい格好で夜会に立たせるなんて酷い真似できますか!?」

「……みすぼらしいって……」

「さ、姫様、あとは仕上げですわ。立ってくださいな。花をたくさん取ってきましたから!」

 篭の中に摘んできたばかりの薔薇がたくさん入れられていた。白や淡い紅色の小振りなものが多く、今日のドレスに良く合うだろう。

 裕福な国ではないが、花で身を飾り立てることに関してはこの国以上の所は少ないんじゃないかとアルシェは密かに思う。この手際の良さはなんなんだろう。あまり茎を見せないように棘を取った薔薇を編み、手首や肩口を飾り立てる。髪にも小さな薔薇をあちこちにさして、華やかにしてくれる。シンプルなスカートにも次々と花が縫い取られ豪奢な雰囲気を作り出していく。

「姫様、首はどうなさいましょうか。この前いただいた首飾りをつけますか?」

 何も言わずに適当に終わらせてくれればいいのに、考えたくなかったことを聞かれる。これはラーゼルを歓迎する夜会だ。贈られたものをつけるのが礼儀だとは分かっている。

 だが、脳裏に浮かぶリッターの顔。

「……やめとく」

「よろしいのですか?」

「何か適当にやってちょうだい。……あれは、私には似合わないみたい」

 苦笑する。

 肌に張り付く冷たい感触を苦手に思ったのは事実なのだ。

 気の利く侍女は首にリボンを巻きリボンを作って、そこに花を飾ってくれた。

「さ、完成ですわ」

 鏡を見る。

「力作ね」

 ふと笑う。なんだか鏡の中にいる少女は見慣れない。

「そろそろリッター様がいらっしゃいますわ」

 終わるタイミングを見計らって、気の利いた侍女があらかじめエスコート役の青年を呼んでいたのだろう。その言葉が終わってすぐに扉はノックされた。

「リッターです。入っても大丈夫ですか?」

「どうぞ。丁度終わったところですわ」

 一人がリッターを招き入れる。リッターは何時も通り地味な正装だ。その男がアルシェを認めて小さく目を見張る。

「……見とれた?」

 ちょっと意地悪く聞いてみる。

「化粧濃くないですか?」

「うるさいわよ」

 予想通りきちんと褒めやしない男を睨み付ける。この距離感ならなれている。緊張しない。

「いやいや。見事に化けましたよ」

「えぇえぇ、優秀な侍女達が多いですからね!」

 本気で驚いたように近づいてくるリッターにやけになって言う。

「ちょっとは褒めたらどうなのよ。綺麗ですよとかさ」

「は? あぁ、えぇ、綺麗ですよ」

「……その『は?』の意味を教えていただけるかしら」

 腹の立つ男だ。いらいらを笑みに頑張って隠す。答えないリッターの視線は自分の目より少し上にある。

「……なに?」

「赤い薔薇、か」

「え?」

 鏡に目線をやると、耳の上あたりに一輪だけ赤い薔薇が差し込まれていた。一つだけ鮮烈な色を放って存在感を出している。

「それが何? 変?」

「変ではないですが……」

 歯切れの悪い口調はリッターには珍しい。

「何?」

「……少し、早いですね」

「あっ」

 そう言ってその花を外してしまう。

「ちょっと」

 文句を言おうとしたが、リッターの目を見て何も言えなくなってしまう。

「……貴女に言える最後の我が儘かもしれません。聞いてくれませんか?」

「……そういう顔すれば私がなんでも言うこと聞くと思ってるでしょ」

 最後の我が儘の意味を聞けない自分の意気地の無さについ笑う。いつもふてぶてしい男が困ったように眉根を寄せて微笑している。それに弱いなんて今更本人に知られたくない。

「……わかったわよ」

 アルシェはリッターに取り上げられた薔薇を取り返すと、青年の胸にそれを挿した。

「ちょっとはあんたにも華がないとね。ラーゼル様に全て持って行かれちゃうわよ」

「……あの人に張り合えと?」

 きらきらした青年を思い起こしてさっきとは別の苦悩を浮かべる。

「男ぶりは悪くないんだけどね。どうも地味なのよね、リッターって」

 もうちょっと何とかならないものかとリッターの髪を指で梳く。

「止めてください。一応セットしたんですから」

「なんならリッターも花つけてもらえば? お揃いよ?」

「……勘弁してください。ほら、もう行きますよ」

 当たり前のようにリッターが手を出し、当たり前のようにそこに手を乗せる。それが当たり前にならなくなるかもしれないと思ったら、心の奥の方で何かが冷えた。この手が、どこかに行ってしまう。

「……シャリィの準備はできたのかしら」

 それ以上考えたくなくて、別の話題を振る。シャリィは偉大だ。名前を出すだけでなんとなく場が和む。

「隣室に控えてました」

「なんでこっち来ないの?」

「……部屋から出たくないと」

「……なんで、シャリィに傍付き命じたのよ。可哀想に」

「ゲイルが進めたんですよ。俺のせいじゃありません」

「あんたが命令しなきゃシャリィは言うこと聞かないわよ」

「仕方ないでしょう。ゲイルがどうしてもというんだから」

「……可哀想に」

「あれでも優秀な軍人です。何か考えがあるんでしょう」

「……とりあえずシャリィ引っ張り出さないとね」

 


 部屋を出た所で二人が見たのは、部屋に入れてもらえないゲイルの姿だった。

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