第20話 うまくいかない
初めて会った頃。自分はそれはそれは愚かで、自分が大切にされるのが当たり前だと思っていた。
「放してよ、リッター! あいつ許せない……!!」
「いいから落ちつけよ、アルシェ。どうしたんだ」
「お母様を侮辱したわ!!」
「何言われたか知らないが、王族が一々激昂するなよ」
「あんなこと言われて、黙ってられるわけないでしょ!」
会った当初から、リッターは失礼な奴で、人のいない所では自分をどうしようもない生徒扱いして憚らなかった。その態度だって本当は相当罰して構わないものな気もするのだが、初めて会った時の衝撃があまりに大きくて咎め損ねたまま、ずっとこれを通されてしまった。
「何を言われたんだよ」
「……お父様はお母様を愛していたのよ。なのに、あの男、お母様がお父様を誑かしたって……」
「誑かした……?」
「お父様、次の妃を中々迎えなかったのは、お母様がお父様を誑かしたせいだって。どうせ誑かすなら、責任もって王子を産んでから死ねばよかったものをって……!!」
アルシェには聞こえていないと思ったか、あるいはもう聞かれても自分の立場に揺らぎなどもたらせないと思ったのか、その貴族は母親を侮辱する言葉を恥ずかしげもなく吐いてみせた。
「許せない。絶対に許さないわ」
「……いいから落ちつけ、アルシェ」
もう一度リッターは言葉を繰り返す。大きな手が肩の上に置かれる。
大事なことを言う時何時もそうするように、リッターは腰を屈めて顔を覗き込んで目線を合わせて言った。
「……お前の怒りは、まぁ、わかるさ。だが、アルシェ、王族たる者がそう簡単に怒りを露わにするんじゃない」
「だって……!!」
「感情的になるな。相手が自分に悪意を持っているなら尚更だ。そう簡単に隙を晒すような真似をするんじゃない」
「じゃぁ、あんな酷いこと言った奴を許せって言うの……! お母様は命を削って私を産んでくれたのに……! そんなお母様を愛したからこそお父様は後添いを見つけようとしなかったのよ。それを侮辱されて放っておけなんて、そんなの……!!」
リッターはなだめるように頭に手を置いた。
「別にそんなことは言ってない」
「言ってるじゃない」
「だから」
聞き分けのない子どもにリッターは面倒くさそうな溜息をついた。
「怒るなとは言ってない。ただ、それを相手にぶつけてどうする。相手は、しらを切って言いがかりをつけられたと吹聴するだろうさ。だから、女は感情的でいけないと。お前ならそんな者を王に頂きたいと思うか?」
「それは相手がお母様を侮辱したからでしょ?」
「そんな事実はないと言われたら終りだ」
「私の言うことが信じられないの?」
訴えるのに、リッターは聞いてくれない。
「そういう奴らには真実なんてどうでもいいんだ。大切なのはどっちが面白くて、どっちが自分に都合がいいかってことだけだ」
「じゃあ、どうしろって言うのよ……!!」
悔しくて怒りをどうしても収めきれなくて叫ぶと、リッターは頭を撫でた。
「迂闊に感情緒露わにするな。人前で泣くな」
言われて、自分が泣いていることに気がついた。
「悔しかったら俺の所に来い」
「え?」
「愚痴ぐらいなら聞いてやる。俺の前で泣こうと、別にそれも構わん。今更醜態晒されても何とも思わないからな」
「…………」
「だから、人前で感情のままに行動するのを止めろ。それが命取りになる」
「…………ん」
頷くと、リッターは頭をそっと抱き寄せてくれて、その温もりに馬鹿みたいに安心してわぁわぁ泣いたのだった。
瞼を開くと、いつもの見慣れた天蓋が見えた。肌に触れる極上とは言い難いけれどよく手入れされたリネンの感触、石けんの匂いを胸に吸い込む。
「……夢、か……」
つぅっと涙がこぼれ落ちて行ったのを感じる。
懐かしい夢を見た。リッターと出会った時、自分は恐ろしいほど愚かだったとアルシェは思う。
父は母を愛していて、本当に愛していて、だから娘にどう接すれば良かったのか分らなかったらしい。愛されていないと思ったことは一度も無い。ただ、望まれるままに物を与えたり、気に入らないと言われた教師を辞めさせたりするのは、多分正しい行動ではなかった。それが分っていながら娘に、母の面影を残す唯一の忘れ形見に嫌われたくなかった国王を自分に都合よく使っていたアルシェは、世界の支配者だったのだ。
それが崩壊したのは国王が後添いを迎えた時だった。父親としては未熟であっても国王としては正しくあった父は、自らの血をひく子どもが一人しかいないことの危険性を理解していて、自分の感情を捨てて再び妃を迎えた。その妃は恙なく子を宿し、健康な王子を産み落とした。
新たな命が生まれた瞬間を覚えている。何時だってたくさんの貴族の訪問を受けていたというのに、その日は、何故か誰も来なくて、妙に静まりかえった宮廷内が怖かった。
――「今日は、どうして誰もいないの?」
返事がとても欲しかったのに、その時傍付きだった侍女は曖昧に笑っただけで何も答えてくれなかった。
王子の誕生を、宮廷中、いや、国中が望んでいたことも知らないで、ただ幼いなりに何かを感じ取っていたのだろう、あの時のドキドキしてた胸の痛みは今でも忘れられない。
――喉が渇いたわ。
一言言えば、すぐに飲み物が出てくる。絞りたての果汁だったり紅茶だったり、その時に飲みたいものは侍女が察してちゃんと選んでくれた。その時はお茶だったのだろう。すぐにティーポットが用意され茶葉が中に放り込まれる。丁度その時だったのだ。その叫びは聞こえてきた。
――妃殿下が出産なさった! 王子だ! 王子の誕生だ……!!
きゃあっと部屋が沸き立った。部屋にいた侍女達は互いに抱き合い、目の端に涙すら浮かべながら王子の誕生を喜んでいた。宮廷内のあちらこちらで騒ぐ人達の声が届いてくる。そのいずれも本当に嬉しそうなのに、自分だけがその喜びの意味が分らず、一人取り残されて。
――……喉が渇いたわ。
茶葉だけ入れられたティーポット。それにお湯が注がれることはなかった。
「……本当に馬鹿だったなぁ、私」
思わず笑ってしまう。あのまま育っていたらと思うと戦慄すら覚える。
王子が生まれてしまえば仕えるに値しない我が儘な姫君の相手などする必要はない。鮮やかに人は去っていき、自分が用済みになったことすら分らない少女は当惑を怒りに変えて周りに当たり散らしていた。
そんな自分に教育係としてリッターをつけてくれた父には、どれだけ感謝しても足りない。
――「貴女に王位を継ぐに足りる資格がない。そう思ったから人は去ったんだ」
思い出すだけで真っ赤になれる台詞を、彼はくれた。
我が儘はそう簡単には治らなかったけれど、勝手を通す度に彼は容赦なく間違いを正し、けなし、こき下ろした。
多分それは仕えるべき主のためでない。絶対リッターが気にくわなかったから思ったことを言っただけだ。そうやって粗雑に扱われるのは初めてで何度首にしてやろうと思ったかしれない。
それでも彼が傍にいることを許し続けたのは、リッターが何時だって嘘をつかなかったからだ。ご機嫌を伺ってなんかくれない。顔を立ててもくれない。彼に認められるためには自分が価値ある人間になるしかなかった。
リッター・イム・ザイン
彼と、対等でありたかった。
――「……お前、あいつと結婚したいのか?」
「リッターの、馬鹿……」
ちょっとここの所、楽しすぎたのだ。
遊撃隊を設立したことで、行動範囲が大きく増えた。弟、というより現正妃を刺激しないように気をつけながら正規部隊に護衛を依頼しなくても、あちこちに視察に行ったり、色々な集会に参加できるようになり、民の声を直接聞く機会が増やせた。
民がわかれば、必要な策が見えてくる。必要だと思った施策をリッターは実現させる術を教えてくれた。民からはありがとうと言われ、ささやかなお裾分けが貰える。
リッターがどこからかスカウトしてきたゲイルは生意気だが有能で信頼できる。
シャリィは前歴が怪しいが、因習にとらわれない彼女の発言や行動のおかげで、変な枷から開放された。
人に必要とされるのが嬉しくて、姫としてでなく、純粋に自分を好きでいてくれる人が傍にいて、これが幸せでないはずがないんだ。
「このままじゃ、駄目なの?」
今が幸せだと、もう答えは決まっているのに、それじゃ駄目だと周りは別の答えを要求し続けしつづける。
王族に生まれ、その恩恵を受けて生きている以上、自分の好きには生きられないことだって分っている。そして、自分の結婚は立派な政策の一部だ。誰と婚姻するか。出来るだけこの国に有益な相手を見つけ選ばなければならない。
ラーゼルは結婚相手としては悪くない。大貴族だし、四男という立場を考えればこの国への婿入りも十分可能だ。ランドール家は豊かな財力と領土を持ち、薬学が発展している。そのつなぎは是非とも取り付けたい所だ。ラーゼル本人も魅力ある人物だ。容姿はもちろんだし、自分の立場を理解してくれた。
「……慈善事業じゃないけどさ」
微かに引っかかる違和感も、多分飲み込める程度だと思う。
自分は国にの為に生まれ、国のために生かされている。
わかってる。ちゃんと分ってる。
ちゃんと、できる。
できるけど。
「……でも、リッター」
全然途切れてくれない涙を隠すように目に腕を押し当てる。
「せめて、……自分で決めたくなかったよ……」
ラーゼルに嫁げと言うなら、従おう。
だから、せめて、それは貴方に強要されたかった。
その日は一日具合が悪いと言うことにして一日休むことにした。ラーゼルからの面会の申し出があったと言うことだが、だらしない姿を見せたくないと言ったら引いてくれたそうだ。
「……頭、痛い……」
泣きながら寝たせいだろう。起きた時には目元が腫れて酷いことになっていた。何かしらを察してくれた侍女達は、そのことに触れず、ただ冷やした布を用意してくれた。それに少し癒される思いがしたけれど、胸の奥に残る澱んだものが、どうしても笑顔を取り戻させてくれなかった。
「リッターのばぁか……」
言ってて、自分の力ない声に笑える。アルシェはよっと上半身を起こして、大きく伸びをした。目を閉じてゆっくり息を吸い込む。
朝の爽やかな空気は今日も変わりなくおいしい。アルシェの愛する国は今日も綺麗だ。
「……いい天気……」
ベッドの上から空を眺めやる。
明後日、ラーゼルは帰国する。それを一時撤退と取るべきか、それまでに一つの答えを出せと急かされているのか、それすらも判別できない自分は、結局政治家としてまだまだなのだろう。だから、そのためにリッターが教育係として任じられてるというのに。
「あの役立たず」
枕をぼすっと壁に投げつけると、自分が苛立っていたことに気がついた。あぁ、私は怒っていたんだって、そう思った。
「……外行きたいな」
困らせてやりたくなった。教育係とか、放任している振りして目を離してくれない隊長とか。
それはなんだか楽しそうだ。自分の思いつきが気に入ったアルシェはそれを実現するべく、シャリィを呼んだのだった。
「やったぁ!! 出し抜いたわ!!」
馬を走らせながら歓声を上げる主を見て、シャリィはげんなりと溜息をついた。
「絶対怒られる。絶対怒られる。絶対怒られる」
晴れ晴れしたアルシェの顔に比べて、シャリィの顔は青ざめている。
――「あいつらの監視をかいくぐって城の外に行きたいの。何とかして」
シャリィの主の恐ろしい所は、要望すればかなえて貰えると思っている所で、実際何とかしてしまう教育係が傍にいるから本当に質が悪い。
「甘やかしすぎです。リッター様」
どうせ聞いて貰えないであろう恨み言を呟きつつ、気絶させて姫の部屋の片隅に放り込んでしまった護衛の顔を思い浮かべて謝る。
「あぁ、すっきりした!」
「姫様、まずいですって。何かあっても私守りきれませんよ!」
「よく言うわよ。護衛気絶させたくせに」
「それは不意を突いたからです! 一対一じゃ勝てません!!」
「何よ。どうして手練れの不意なんてつけるのかなんて突っ込み入れて欲しいわけ?」
「うっ」
反論が封じられて、シャリィは再び大きく溜息をついた。
「……どうされたんですか、アルシェ様。こんな事されるなんて」
「ん~? ちょっとリッターを困らせてやろうかなって。そろそろ私がいなくなったこと気づいたかしら」
「……私、今日でお暇頂くことになるかもしれません」
「平気。守ってあげるから」
深刻な顔をしている侍女にあっけらかんと言って、アルシェは馬を飛ばす。礼儀作法の先生は、淑女はそんな物に乗れなくても構わないのだと言ったが、そこはリッターが押し通した。何かあった時に一人で逃亡も出来ない王女などいらないと言って、一時大げんかになったらしい。リッターも今では随分丸くなった物だと、年よりじみたことを思ってしまう。
城の裏手から丘を越え、良く息抜きに行く湖の畔まで行くとアルシェは馬から下りて、草原に腰を落とす。
「でも、ホント凄いわね、シャリィ」
「え?」
「遊撃隊、本当に出し抜けるなんて、実は思ってなかった」
「な!」
隣に腰掛けたアルシェが目を見開いた。
「だって姫様がやれって!」
「本当に出来るなんて思ってなかったのよ」
もっと前からお願いすれば良かったとけろっと笑う。
「二度目は無理ですよ。今日は不意を突けただけです。次からは警戒されちゃいます」
「凄いわね。遊撃隊に警戒される侍女。貴重品だわ」
「……もう二度とやりません!!」
「冗談じゃない。怒らないでよ」
ふいっと顔を背けてしまった侍女に笑いかけるが、こっちを向いてくれなかった。
「……知らなかったわ」
「え?」
「結構簡単に自由になれるものなのね」
「…………」
「もっと早く来れば良かった」
ぐぅっと伸びた後、そのまま草原に寝転んだ。大きく息を吸い込むと、草の匂いが胸に満ちる。
「……お疲れですか?」
「ん~、結構そうかも。神経使ってたから、最近」
「姫様でも気を遣うことあるんですね」
「どういう意味かなぁ、それ」
結構言いたいこと言うようになった侍女を睨み付けるが、シャリィは何処吹く風で湖を眺めている。
「……私、本当は政治とか向いてないのかも」
「そうでしょうか」
「駆け引きとか苦手みたい。相手の裏とか探るの面倒になっちゃう」
「いいんじゃないですか、姫様はそれで」
「そういうのが出来ないのって決定的に致命的だと思わない?」
「まぁ、普通の政治家になりたいならまずいと思いますけど、姫様はあくまで姫様ですよ。一人で政治やる必要なんて無いじゃないですか」
「どういう意味よ」
「大変な所はリッター様に押しつけとけばいいんじゃないでしょうか」
「……本当に言うようになったわね、あんた」
「そのためにいるんじゃないですか」
「私も、そう思ってた」
太陽が眩しくて瞼を降ろした。温かい日差しは、こんな自分にも降り注いでくれる。
「……思ってたよ」
例えば、自分がラーゼルと結婚したら、その時、リッターは何処にいるのだろう。
これだけ今問題になっていて、宮廷中の話題を浚っていて、自分やラーゼルの一挙手一投足が注目されてるというのに、その噂の一角を担ってくれていいなんて思っていたリッターの影はなんだか薄い。想定外な出来事に、一体どうした物やら途方にくれる。厳しい教師だと思っていたけれど、存外甘やかされていたみたいだった。一人でいるのがこんなに怖い。
「上手くいかないなぁ」
賢くなったつもりだった。愚かだったあの頃には戻りたくないと、そう思える自分を誇らしく感じられる。
だけど、思う。愚かなままでいられたら、今こんなに苦しまずに済んだのに。
「馬鹿な方が、生きやすいわ」
「それが幸せとは思えません」
「幸せじゃないなんて思わないわよ、馬鹿だから」
「でも、私は姫様を尊敬していたいです」
さらっとそんなことを言う侍女を見上げる。シャリィは平然とした顔をしている。恥ずかしいことを言った自覚はないらしい。アルシェばっかり頬が赤らんで、なんだか悔しい。
「あんまり買いかぶらないでよ」
尊敬してくれるというその気持ちはとても有り難い。答えられたら嬉しいなとも思う。でも今は、その思いを受け取るのは少し重い。
「……まいったな」
空の青さが眩しくて、顔を両手で覆った。
ラーゼルと結婚する、すなわちランドール家との盟約が出来ることは決して悪いことではないのだ。ランドール家の領土は広く、そこに含まれる山岳部には、平地では取れにくい薬草がたくさん生えている。薬学者を保護して薬の研究を推し進めていて、医学に弱い我が国が欲しい技術を持っている。母を亡くした自分の後見もしてくれるだろう。夢を実現するためには悪くない結婚相手だ。どうせしなければならない婚姻なら少しでも有利な相手を。そう考えれば躊躇うべき相手ではない。分っているけれど。
「なんで、何も言ってくれないの」
目元がじんわり熱くなる。
何時だって一緒にいて、何時だって一緒に戦ってきたのに、どうして。
一緒に考えて欲しかった。一緒に悩んで欲しかった。一緒にいて欲しかった。
ここで急に戦線離脱なんて、そんなのない。
「……やだなぁ、もう」
鉛を飲み込んだかのごとく、胸が重い。
「……このまま、どこかに行っちゃおうか」
「え?」
顔の上から手をどけて、脇に放り出しながら言った。
「このままさ。どっか逃げたら、案外簡単に自由になれちゃいそうじゃない?」
湖上を渡る涼やかな風を感じながら、アルシェは小さく笑っていった。冗談めかした口調だが、なぜかよく響いた。
シャリィは暫し黙ってアルシェの隣にただ黙って座って、湖を眺めていた。
ここは本当に小さな国で、城だって小さくはないが、多分内装はラーゼルの住むランドール家の方が豪華かもしれない。だからといって、自分が王族に直接仕える日が来るなんて思わなかった。初めて会った姫君という人種は、自分の偏見を高らかに飛び越えて、中々好き勝手生きていた。とても綺麗な顔立ちをしているのに、言ってることは乱暴でやってることは気ままだった。だから、本当に思っていたのだ。
彼女は自由なのだと。
「無理ですよ、姫様」
それは多分半分間違えていた。
「どうしたって過去は着いてくる。記憶喪失にでもなればいいのかな。でも、そうしたら過去を欲しがる気がするし。自分の身体を作り上げた物が、一刻一刻の積み重ねである以上、全てを捨てるなんてきっと出来ません」
王族とか平民とか、そんなの関係なく、人として、それは無理なことなのだろう。
「……過去は、捨てられない」
掌を見つめる。ゆっくりと息を吸う。
「無くせないんです」
目に見えぬ名残を握りつぶすように、拳を閉じた。
「もう、どうすればいいかわかんないの」
「分らなかったら、自分がどうしたいか考えればいいんですよ」
「だって」
「姫様は、どうしたいんですか?」
「難しいこと聞かないで」
駄々を捏ねる所は、普通の女の子みたいに見えて、不謹慎だが可愛いと思えた。
「ラーゼル様と結婚したいんですか?」
「悪くない相手だと思ってる」
「ラーゼル様と結婚したくないんですか?」
「……その未来が想像できない」
「じゃ、誰と一緒にいる未来を想像してたんですか?」
「…………そんなの」
アルシェは、一旦口を閉ざした。その手にシャリィが触れると、アルシェはきゅっと握り替えしてきた。幼子が、母の手を握る素振りに少しだけ似ていた。
「そんなの、言えない……」
アルシェはゆっくりと息を吐き出しながら、そう呟いた。
「迂闊に本音も言えなくて、王族は大変ですよね」
「私と代わらない?」
「嫌ですねぇ」
「冷たい」
「冷たくないですよ。これから帰ったら一緒に怒られてあげるんですから」
シャリィはそう言うと立ち上がり、アルシェの腕を引き上げた。
「帰りましょう、姫様」
「…………」
アルシェは唇をきゅっと引き結ぶ。
「……行きましょう。姫様。今が無理のしどきです。……一緒に、私も参ります」
ゆっくりと顔を上げる。美しいその眼がシャリィのそれと合う。
「……行くわよ」
きゅっと一度合わせた手に力を込めてから、それを放して踵を返した。草原で餌を食べていた馬は上機嫌で主の帰りを出迎えた。
「一緒に怒られてくれるのよね」
「はい」
アルシェはなれた動作で馬上に上がる。シャリィもそれに続いた。
シャリィは背筋を伸ばして、馬を走らせ始めた。風に靡く髪が、光を弾いて輝いた。
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