第19話 そんなの可哀想じゃないか



 夜の帳がおりて勤め人達は家に戻り、宮廷内がひっそりと静まり始めた頃、リッターはその部屋の戸を叩いた。

「はい! 今行きます」

 扉の向こうから元気な声が聞こえてきて、すぐに扉が開かれる。シャリィだった。ほんのり泣きが入った所でゲイルに押しつけたあの後、初めて顔を合わせたからだろう、シャリィは自分を見た時少し気まずそうな顔をした。

「え、ええと、先ほどは見苦しい所を……」

 目を泳がせながらいう様はしどろもどろではあるけれど元気そうでほっとした。

「もう大丈夫そうだな」

「は、はい! ありがとうございます」

「なら、私から言うことは一つだけだ。アルシェ様の近くに置く人物の権限は全て私に与えられている。俺がアルシェ様の近くに、お前という人材を置いておきたかった。だからお前は侍女に選ばれた。そして、それが正しかったと判断したから、まだそのまま仕事を続けさせている。それ以上でもそれ以下でもない」

「…………」

「お前に対する批判は、全て私への批判だ。余計なことを考えるのは、全て私の権限を侵すことになる。シャリィはただ自分の職務に懸命に励んでればいい」

 シャリィは一言も聞き漏らすまいと、しっかりと視線を合わせて聞いている。強い目だ。それが気に入って採用した。

「……アルシェ様の傍にいてやってくれ。時間の許す限り」

「光栄です」

 シャリィは短くそう言った後、でも、と小さく付け加えた。

「その時間が残り短いと、リッター様はお考えなんですね」

 普段とぼけているくせにに、気づいて欲しくない所にはさとい。ゲイルが手を焼くわけだ。無言でいると、シャリィは小さく顔を崩して苦笑した。

「正直、リッター様からその権限無くなっちゃったら、私ここに居れる気しないんですけど」

 自分からその権限が取り上げられる。その時、それはきっと未来の夫君へと譲られるのだろう。リッターも苦笑を返した。

「そうだな。そうしたら、責任もってシャリィも連れて行くよ」

「……私、リッター様に会えて本当に良かったです」

 拳をぎゅっと握って、泣き出しそうな目をしてシャリィは必死に言う。そんな時でも、目を逸らさない。それでこそシャリィだと褒めてやりたくなる。この少女はこうあるべきだ。

「多分、そう思ってるのは私だけじゃないですから。姫様に仕えてる皆、そう思ってますから、だから……!」

「シャリィ? 誰なの……?」

 可愛い侍女が必死に訴えているのに空気を読まない主人だ。対応に出たまま帰ってこないシャリィにしびれを切らしたのか気の短いアルシェが水を差した。

「あ、はい、すいません! 今リッター様がいらして……」

「リッターが?」

「シャリィ、もうアルシェの寝る支度は終わったのか?」

 腰を捻って部屋の方に呼びかけていたシャリィに話しかける。

「え? えぇ、大体」

「だったら今日はもう下がってくれ」

「え?」

「少し、アルシェ様と話しておきたいことがある。二人にさせてくれ」

「あ、はい。わかりました」

 多少驚いたようだが、それでも素直に頷く。こんな夜更けに男とあっさり二人きりにさせてしまうのは、本当に職務を全うしてるのかと突っ込みたくなるが、それで駄目だと言われたら困るので黙っておいた。

「姫様。今リッター様がいらして、お二人でお話がしたいそうですので、私今日はこれで下がらせていただきたいと思います」

「え? ちょ、シャリィ?」

「ではお休みなさいませ、姫様」

 待ちなさいとか色々異議を申し立ててるアルシェはどちらかというと自分よりの意見のようだが、シャリィは軽く一礼するといつもの足取りで去って行ってしまった。

「入るぞ」

 ざっくりした口調で一応一言宣告して部屋に入り扉を閉める。アルシェは長いすに座ってくつろいでいた所らしい。テーブルの上には細々とした瓶や陶器の小物入れが置いてあった。

「……何よ、こんな遅くに」

 慌てて羽織ったらしい薄手のナイトガウンの前を合わせながらふて腐れたように言った。

「いや、菓子を食いに来た」

「…………は?」

「美味い菓子をシャリィが見つけてきたんだろ? 出せよ」

「そ、それ今日のお茶の時間の話でしょう!」

 やっと思い当たったらしいアルシェが怒る。

「仕方ないだろ、時間取れなかったんだから。なんだよ、残ってないのか?」

「こんな時間に、はいどうぞって出せるわけないでしょ! 今何時だと思ってるのよ!」

「こんな時間まで夕飯も食わずに頑張ってた俺に言う言葉かよ。冷たいな」

「知らないわよ! 厨房にでもいって何か作ってもらいなさいよ!」

「菓子が食いたいんだけど」

「何子どもみたいな我が儘言ってるのよ!!」

「お前、こんな時間に怒鳴るなよ。非常識だな」

「あんたが言わないで……!!」

 突っ込み疲れたのか、なんなのよと呟きつつ長いすにどすんと腰を下ろした。リッターは行儀悪く、その向かいの机の上に腰をかけて、机上の瓶やら小物入れやらをいじった。

「……どうしたの、リッター」

「ん?」

「何しに来たの」

「言っただろ。菓子食いに来たんだよ」

「あんたね……」

「なぁ、これ何だ」

 眉間を押さえるアルシェに尋ねる。手にしたのは陶器の小物入れだった。その中に何かの軟膏が入っている。

「ハンドクリームよ。試作品。いい匂いのが出来たから試してくれって貰ったの。寝る前のお手入れ用よ。いつもシャリィがやってくれるの。あんまり上手くないけど」

「ふ~ん」

 クンクンと匂いを嗅ぐ。確かにいい匂いがする。

 テンポを崩されて疲れているアルシェを暫し見た後、徐に言った。

「なぁ」

「何?」

 もう二人きりの時にした出来ない口調で。

「俺が塗ってやろうか」

 長い長い沈黙の後、姫君は言った。



「は?」




 小物入れの中の軟膏をたっぷり掌に取る。

「ほら、手を出せよ」

 その手に塗りつけようとしたらいきなりストップがかかった。

「何だよ」

「いきなり塗りつけないでよ。冷たいでしょ」

「は?」

「最初は掌で少し温めるの」

「俺の手が冷たいだろ」

「誰のために塗ろうとしてるのよ!」

 怒られて言われたとおり掌を擦り合わせて温めた。熱が伝わったせいか、少し柔らかくなる。

「これでいいですか、お姫様」

「なんで私が嫌味言われなきゃいけないのよ」

 ぶつぶつ言ってるアルシェの手を取って、甲から塗っていく」

「丁寧に塗り込むのよ」

「皺の間にも入るようにだな」

 蹴っ飛ばされた。

 両手で包み込むように塗り広げていく。指一本一本塗るんだとか、爪の付け根が荒れやすいからそこは特に丁寧にやれとか指示が細かく出るので、忠実に従ってやる。

「……ねぇ」

 無言でやっていたら、アルシェがシャリィ以上に上手とは思えない手つきでいじられる自分の手を見ながらぼそっと言った。

「どうかした?」

「何が」

「変だよ、今日」

「そうか?」

「何かあった?」

「……お前、手大きくなったな」

 我ながら笑ってしまうような下手な話しのすり替えをした。

「リッター」

「昔はさ。俺の第一関節ぐらいまでしか指届かなかったのにな」

 掌同士を合わせて大きさ比べをする。今でも小さいけれど、昔はもっと小さかった。

「大きくなったんだな、お前」

「…………」

 そのまま指の隙間に自分の指を入れ、合間に軟膏を塗る。よく分らないまま自分でやられたら気持ちいいんじゃないかと思われるマッサージをしてやる。アルシェは大人しくされるがままにしていた。

「ほら、そっちも出せよ」

「ん」

 もう一度軟膏を取り出して、もう片方にも同じように塗ってやる。手入れ用だとアルシェは言ったけれど、別にこんなことしなくても十分柔らかいように思えた。

「……ねぇ、リッター」

「なぁ、アルシェ」

 疑問を言わせず、自分が切り込んだ。

「今日ラーゼル様に何言われたんだ?」

「え?」

「今日。会ってただろ。ハーブ園で」

「何で知ってるの!」

「偶々通りがかって、見たんだよ」

「ど、どこから!」

 一気に顔が真っ赤になった。

「割と最後の方?」

「さ、最後って……」

「首飾りもらった辺りから」

「な」

 首まで赤くなった。

「お前、男に免疫ないからなぁ。それぐらいでころっといかないでくれよ」

「そんな事ないわよ!!」

「説得力ないことこの上ないな。いいようにやられてるくせに」

「そ、んな事ないもん……」

 すぐふて腐れるところは昔と変わらない。

「俺もなぁ。こっち関係の教育は全然してやらなかったからなぁ」

「はぁ?」

 男のあしらい方も覚えた方がいい。それは分っているのだが、教え子可愛さについつい敬遠してしまった。そんな手管を覚えるメリットより、それによって歪んでしまうデメリットが怖かった。そのせいで、今いいようにラーゼルにあしらわれてしまっている。

「ねぇ、リッター」

「で? 何話した?」

「あのねぇ!」

「情報が足りないんだ。話せ」

「何なのよ、今日のリッター!! 変よ、あんた!」

「いいから早くしろよ」

 促すと不服そうに口を尖らせたが、観念したのかぼそぼそと話し始めた。

「……怯えられてるって言ってた」

「怯えられてる?」

「私よく知らないんだけど、ランドール家の長男のこと凡庸だって言ってた。だから他を低く見たがる人で、ずっと馬鹿にされて生きてきたみたい」

「ふぅん」

「妾腹なんだって、ラーゼル様。だからそれで辛い思いもしてきたみたい」

「…………」

 爪の付け根の辺りを揉んでやる。

「それでも、家臣達に馬鹿にされるわけにいかないから必死に頑張ってきたみたい」

「頑張る、ねぇ……」

 白く細い手で、自分だってゲイルに比べると弱々しい物だが、それより更に力のなさそうな手だ。それでも、きっと王族の姫君としては荒れている方なのかもしれない(素手で木登りとかするからだ)。

「だから、私が他人に思えないって言われた」

「え、なんで」

 手を凝視していたから話しに良くついて行けなかった。

「どこに共通点があるんだ?」

 確かに見た目だけならお姫様だが、こっちの中身は暴れん坊だ。

「……生まれた瞬間に、自分の人生を定められてしまったって言われた」

「…………へぇ」

 いらっと、心が波打つ。

「私を助けたいって」

「お前に助けられなきゃいけない事ってあったっけ」

 指にクリームを塗り込む。しっかりと、執拗に。

「随分自己陶酔される王子様だな。お前も同列にされていい迷惑だったろ」

「ちょっと、リッター。そういう言い方しないで」

 アルシェの声に咎める響きがある。手を見ているから表情は分らない。

「ラーゼル様は私を心配してくれてるのよ」

「お前を?」

 つい笑ってしまった。

「適当なくくり作って、自分と同じ領土に引き込んで悲劇に浸ってるようにしか思えないがな」

「リッター。なんでそういう言い方するのよ」

「なんで? そりゃ怒るだろ」

 ラーゼルのそれを、酷い侮辱のように思う。

「ラーゼルは次兄の話をお前にしたか?」

「え? ううん、聞いてないけど、何かあるの?」

「だろうな」

 彼から感じるいびつな誇りは、決してアルシェにそんなことまで話させはしまい。

「自分の不遇を、生まれのせいにしてればそりゃ楽だろう。自分の力ではどうにも出来ない事だ。妾腹の生まれというのは嘘じゃない」

「なに、その言い方。他に嘘をついてるみたいじゃない」

「いや、ついてないと思うよ」

 言質を取られるような嘘はつかない。ただ巧妙に真実の中に都合の悪いものを隠して、自分を悲劇の主人公に仕立て上げる。大した力量だ。それは政治家として必要な力であるし誇ればよいだろうに、それが胸を張れることではないと分かってしまっているから、卑屈に自分は悪くないという理屈を巧妙に作り上げている。

 別にそんなことはどうでもいい。好きにすればいい。

 許せないことは、自分が気持ち良くなるためのカテゴリーに、アルシェまで引きずり込もうとした。ただ、それだけだ。

「なんなのよ。なんでそんなに刺々しいのよ」

「お前は随分肩を持つな」

「リッターらしくないって言ってるのよ。よく知らない人を悪く言うなんて」

「気に入ったのか?」

「リッターが人の悪口言ってるのをみてるのが嫌なの」

「随分な評価をいただけてるようだな。結構俺は辛辣だったと思うが」

 アルシェは悔しそうに口を引き結んで俯いた。

「リッターは、そうね。確かに意地が悪いわ」

 口惜しさを滲ませて、アルシェは言う。

「でも、あんたが腹立てるのって無能な奴が実力ないのに偉ぶったり効率が悪いことする相手だったりで、別にその人本人のことなんかどうでもいい感じじゃない。なんでそんなにラーゼル様に突っかかるのよ」

「……随分、かばうよな。本当に」

 本当にどいつもこいつも自分を買いかぶっていて嫌になる。

 握りつぶせてしまいそうな小さな手だ。その手で、少女は一生懸命戦っているのに、侮辱された気がした。だから怒っているのに、それを咎められる。

「……お前、あいつと結婚したいのか?」

「は?」

 小さな声で囁くと、素っ頓狂な声が帰ってくる。

「気に入ってるようじゃないか」

「だ、な……!!」

 アルシェはわなわなと震えている。

「そ、それを聞きたいのはこっちの方じゃないの? あんた、しっかり陛下と話しあいしてるんでしょうね! どうするのよ、この後! 私一体あとどれだけあの人もてなし続ければいいわけ? こっちの苦労分ってるの? 終着点見えないまま気を持たせつつ近づけさせすぎないのも大変なんだからね!!」

「仕方ないだろう。ランドール家の思惑が探れてないんだ。今ゲイルが必死に情報集めてる最中だよ。もうちょっと待たせておけ」

「いい加減限界よ。そういうの得意じゃないの知ってるでしょ」

「いいんじゃないか? ラーゼル様はそう言う所がお気に入りのようだし」

「リッター!! いい加減にしてよ」

 アルシェが手を引き抜こうとしたのを力に任せて引き留める。

「……私にばっか言わせるの、ずるくない?」

「お前の問題だろ」

「私だけなの?」

 素っ気なく言った声に、アルシェは弾けるように返事をする。思わず顔を上げて目を見つめてしまって後悔した。

「私だけの問題なの?」

 瞳を潤ませて、泣き出すのを必死で堪えて、揺れる声でアルシェは問いかける。

「…………っ」

 生意気で口の達者なかわいげのない小娘。甘ったれてて、自分のために世界が回っていると勘違いしていた少女。愚かで可愛い俺の教え子。

 ずっと一緒にいて王たる者に必要なことを全部教えてきた。少女は教え子であると共に自分の作品でもあった。

 アルシェのことなら何だって知っている。字の癖だって、好きな菓子だって、転んでこさえた膝の傷跡だって。

 なのに、今、自分の瞳を覗き込んでくる少女が誰だか急に分らなくなった。

「……本当に、私だけ……?」

 こんな奴は知らない。銀色の煙るような睫の向こうで瞳が濡れて揺れる。その、赤。

 こんなに近くにいるのに、手はちゃんと温もりを伝えあっているのに、心が見えなくて戸惑う。

 こいつは、誰だ。

「……私たちの問題じゃないの……?」

 唇が震えている。



 凍り付くような沈黙が静かに振ってくる。動けば肌が切れてしまいそうだ。目眩がする。

 少女の頬を真珠のような涙が一つ零れ落ちていくのを、絵を見るような感じで見ていた。

「……アルシェ」

 アルシェは、無骨な手を握り直してそれを持ち上げると、自分の頬に押し当てた。

「ねぇ、リッター」

 目を伏せる。縁に溜った涙が潰れて睫を濡らした。

「なんで、私たち、ずっと昔のままじゃいられないんだろうね」

 愛しげに頬をすり寄せるアルシェに答える。



「昔のままでいてくれないのは、お前の方だ」



 柔らかい前髪を描き上げて額に唇を押し上げる。

 子どもみたいにぐちゃっと顔を崩したアルシェの涙を拭い、アルシェの指先にもう一度唇を押しつけて、そっとその温もりを手放した。

「……肝心な所で馬鹿よね、リッター」

「……あぁ、本当にな」

 俯いたまま、気丈に声を奮い立たせてアルシェが皮肉を言う。それ以上何も答えず部屋を出て行った。

 きっとこの後、誇り高いあの少女は一人、声を押し殺して泣くのだろう。何時だってアルシェが泣く時には自分が傍にいたのに、今日だけはいるわけにいかないのが恨めしかった。





 重い足を引きずって自分の執務室へとたどり着く。扉のきしむ音がやけに響く。

「おっ、帰ってきたか?」

「ゲイルか?」

「邪魔してるぜ」

 部屋には灯りがついていて、自分で持ち込んだらしい酒をあおってくつろいでいた。

「お前、勝手に……」

「お前も飲む?」

「……いただこう」

 面倒くさくなって長いすに腰掛けていたゲイルの隣に腰を落とす。

「で、何の用だ?」

 酒が注がれたグラスを受け取りながらゲイルに尋ねる。

「夜会の警護の打ち合わせだ。ちょっと相談したいことがあって……、……どうした、リッター。疲れてるな」

「別に」

「説得力ない事、この上無しだな」

 惚けようとしたが、全く効果はなかったらしく逆に感心されてしまった。

「で、どうしたんだよ」

「……泣かせた」

「……あ~~。やっちゃったか。まぁ、やると思ったけど」

「うるさい」

「なんだよ。拗ねるなよ」

「拗ねてない」

 がしがしと髪をかきあげて行儀悪く足をテーブルにのせた。

「お前、ちょっと最近隙が多すぎない? リッターらしくもない」

「俺を何だと思ってるんだよ」

「ラーゼルなんかにいいようにあしらわれる玉じゃないだろ。昼間だって痛い所さされて言われっぱなしだったしよ」

「あいつが易々と傀儡になるわけないっていうのにな」

 苛々を息と共に吐き出し、一気にグラスを煽った。ゲイルは空いたグラスに酒をつぎ足してやる。

「随分いい酒持ってきたな」

 思ったよりいい味で、ろくに味わわずに一杯目を煽ってしまったのが申し訳なくなってしまった。

「まぁ、昼間苛めたお詫びにね」

 嫌なことをぶり返す奴だ。警護の計画を詰めたいのも嘘じゃないだろうが、半分ぐらいは昼の話しの続きをしに来たのだろう。

「……政務次官につかないかって話があるんだろ?」

「……お前はどこからそんな話拾ってくるんだ?」

「お前が俺をこの国に招いたんだろ、諜報やらせるために」

 ゲイルが酒を瓶のままくいっと煽りながら軽く言うと、リッターは少し気まずげに眉をしかめた。

「別に、汚い仕事をさせるためだけに呼んだ訳じゃない」

「わかってるよ」

 思わなかった所で誠実さを発揮したリッターにゲイルは小さく笑った。

「ついちゃえばいいじゃないか。もっと姫様の名を使わずに自分の力で仕事が出来るようになるぜ。そうすりゃ今受けてるような批判だって受けずに済む」

「姫の寵愛をいいことに傀儡として操ってるって言う奴か」

 リッターが自嘲の笑みを浮かべて立ち上がり、窓辺に立った。

「まぁ、事実だしな」

 授けられた小さな部屋と自分の知識。持っているのはそれぐらいだ。彼女をきらびやかに飾り立ててやりたくてもそんな財力はなく、何かを為そうとしてもアルシェの名を借りるしかない。

「だから自分の地位を築けばいいじゃないか。お前なら十分やっていけると思うし、この国のためにもなると思うけどな」

「……別に、この国を救いたい訳じゃないんだよ」

 リッターは注がれた酒に月を映して、それを揺らして歪ませる。

「アルシェがこの国を継がないなら、リバインに戻って勉強の続きをやるさ」

「置いていくのか? この国に姫様を置いて?」

「ラーゼル殿が守るだろ」

 素っ気ないほどの口調でリッターは言う。

「……本当にそれがお前の望みなのか?」

 自分の酒に視線を落としながらゲイルが尋ねる。リッターは、杯を机のにことっと置いた。



「……どうしてどいつもこいつも俺が全てを分ってるみたいな言い方するんだ?」



 リッターが両手で髪をかき上げながる。

「皆して人を予言者みたいに扱うなよ」

 自嘲とも諦めともつかぬ笑みを浮かべて髪をくしゃくしゃとかき乱した。何時も几帳面に整えられた髪が崩れていつもより子どもっぽく見えた。

「……昔さ。お前を引き抜きに行ったとき、どうしてお前を選んだかって聞かれたよな」

「あぁ、あったな」

「本当のこと、教えてやろうか」

「……あぁ」

「……俺がお前のこと初めて見た時、話しかけなかったって言ったよな。それ、なんでだかわかるか?」

「いや?」

 リッターは皮肉げに口の端をゆがませて言った。

「怖かったんだよ、お前が」

「…………」

 大きく息を吐き出す。

「つまらなそうな目をして宴を眺めてるお前は、自分で事を成し遂げた実績があって、その視線にさらされるのが怖かったんだ。俺はただ頭がいいだけのガキで、親父のすねかじって生きてるような奴で。……お前みたいな男に認められたかった」

 髪をかき上げ、そのまま俯き目元を隠す。

「……アルシェの視線は結構しんどい。絶対の信頼向けられたってな。俺だってまだ二十八の若造だぞ?」

「……そんな老けた二十八見たことねぇよ」

 ものすごく貴重な物をゲイルはみている。

 それは、出会ってから初めて見る、リッターの途方にくれた顔だった。

 ほっとけと苦笑する姿も相当貴重だ。

「……俺だってどうしたいかなんてわからないよ。どうすりゃいいんだよ。ランドール家とつなぎが出来るのは国のために有益だろ。ラッキーじゃないか。めでたいってみんな思ってるんだろ? なのに、どいつもこいつも通りすがり様すげぇ冷たい目で見るんだぜ? 不甲斐ないって言いたげな顔でよ」

 酔いが回ってきているのかもしれない。リッターの口調が乱れる。

「アルシェを娶りたいと思わないのか?」

「……わかんねぇ」

「好きじゃないのか?」

「愛しているよ」

「答え出てるじゃないか」

「……あんなガキの頃から知ってるんだ。あんな細くてちびな娘に欲情できるかよ」

「じゃ、ラーゼルと結婚していいんだ」

 リッターは長い沈黙のあと、小さく嫌だと呟いた。

 涼やかな風が通り過ぎていく。庭に咲き誇る花々は、国の貧しさなど知らぬ顔で誇らしげに高らかに咲き続けている。

「わかんねぇよ」

 リッターが呟く。

 男だから泣けなくて、代わりに熱い息を吐き出した。

「……嘘つくなよ」

 ゲイルは小さく笑った。

「お前にわかんないことがあるわけ無いじゃないか」

「だから買いかぶるなと……」

「お前に足りないのか覚悟だけだよ」

「覚悟? 確かにそうかもな。この国のために生きていく覚悟は……」

「違うだろ」

 ゲイルは静かに言葉を遮った。

 お前に足りないものは。

 ゲイルは言う。



「アルシェを女王にしてしまう覚悟だよ」



 出会った時は、本当に小さくて小さくて、生意気で可愛げ無かった。

 我が儘で自分の言うことが全て叶うと本当に思ってて、実際半分ぐらい叶ってて、見捨てられたらふて腐れた。

――「だから、なんでお前は相手が気に入らないとすぐに逃げ出すんだ!」

――「別に気に入らないから逃げてるわけじゃないわ! 相手が私に教えるに足りる存在と思えないんだもの! 時間の無駄を省いてるだけじゃない。リッターだって何時も言ってるでしょ! 効率化を図れ。無駄は削れって!!」

――「人の言葉を都合よく解釈して利用するんじゃない!!」

 何度見捨ててやろうと思ったか。

 本当にどうしようもないガキだった。


 あんなガキに

――「リッターのばぁか」

 あんな細くて小さくて

――「なんで私の言うこときいてくれないのよ!!」

 あんなどうしようもないガキに

――「リッターなんか大っ嫌いよ!」

 国なんて重大な物を背負わすなんて



「……そんなの可哀想じゃないか」

 そんなの可哀想じゃないか。 




 アルシェが、遠くに行ってしまう。


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