第18話 彼らの会談
面倒な厄介ごとなら(嫌だけど)幾らでも処理してやるが、女に泣かれるのは本当に苦手だ。ゲイルにシャリィを押しつけてそそくさと逃げ出したリッターは疲れたように眉根を揉んだ。基本的に女の扱いが苦手な自覚はあるし、だったら絶対にそういうのに卒無いゲイルが事に当たった方が事態の沈静化につなげることが出来るだろう。適材適所だ。ゲイルだってシャリィの言動には結構気を配っているようだし、というか泣かせたと勘違いして怒るってことはそういうことで、つまり自分がしたのはいいことだ。
一応の正当化を終えたリッターは、とりあえず宣言してしまった手前部屋に戻れず図書館の方へ向かうことにした。みたい資料がいくつか溜っていたのも事実だ。
アルシェの発案は何時も突飛で、それでも基本的にそれは民のためになることが多いし、理詰めで説き伏せようとしても倫理的に人道的に納得できないと後に引こうとしない。
――「でも、あんたならなんとか出来るでしょ」
その台詞を言えば、なんでも叶うと思っている。とことん議論していかに無茶かを切々と訴えた後で、それでも当然って顔をして言うのだ、あの娘は。仕事量がこんなに増えたのはアルシェが色々な事業に口を挟み初めてからだ。
「……いい加減、あの話を受けるべきかな」
自分の身分の限界をいい加減感じている。アルシェが発案したことだからアルシェが事を進めればいい。そんな理屈の元、正式に役人が事業を進められるようアルシェの代わりに資料をそろえて教え込む。自分の名で進めれば大分労力が減ることはわかっている。ただ、踏ん切りがつかない。
はぁっと大きく溜息をつく。
とりあえず今進めている計画の予算を手に入れるための資料をそろえないといけない。足早に廊下を歩いていると、ハーブ園の前に通りかかった。
「…………なんて間の悪い」
あんまり見たくなかった。大事に大事に手間暇かけて色々教え込んできた愛弟子の背後に異国の貴族が背後に立ち、首に何かをかけていたかと思うと、不意にその旨の中に抱き寄せていた。
「……あぁ、本当に」
前言撤回だ。面倒ごとの処理は慣れていたつもりだけど。
「勘弁してくれ」
色恋沙汰も苦手だよ。
リッターは見なかった振りをして、速度を変えずに歩き続けた。
図書館に入ると顔見知りの司書が立ちあがって棚に手をかけながら話しかけてきた。
「この前頼まれた資料そろえておきましたよ」
「あぁ、すいません」
「いくつか参考になりそうな本も見つけたから、それも良かったら一緒に」
「助かります。ありがとう」
礼を言うと人のよさそうな笑みを浮かべて、窓側の席が空いてますと言った。軽々と持ったように見えた本の山は手渡されるとずしりと重く、細身に見える司書の力に恐れ入る。
この司書もアルシェの理解者で色々と便宜を図ってくれる協力者だ。
彼との関係はこの書庫をもっと一般にも開放して欲しいとアルシェに願い出たことから始まる。この書庫も決して充実しているとは言い難い。リッターが以前留学していた学術都市リバインにはここと同じぐらいの規模の図書館を持っている大学がたくさんあった。国が持つ図書館でそのレベルでは、街中にある学問所のそれなど推して知るべしだ。学問に志を持てど、自国の中では取り組む事が難しいのが現状で、自分のように他国に留学し、そのままそこで職に就き有能な人物を流出してしまうこともある。せめてここをたくさんの人に利用して欲しいと司書がアルシェに訴え出たのだった。それももっともだと思ったアルシェの「あんた何とかしないさいよ」のお言葉にしばらくリッターとゲイルが奔走することになったのも今では懐かしい想い出だ。図書館は宮廷内にあるため、防衛面から中々無条件の開放まで至らないが、少しずつ外部の人間が利用できるようになってきている。
その訴えた場所が、アルシェがお忍びで下に降りて食事を取っていた定食屋だった。アルシェに話を持ちかけた着眼点や、場所とか手段を選ばない手管が気に入って色々話し、今では仕事抜きでの交流も続いている。
「次の案件も中々苦戦しているようですね」
ぺらぺらと本を捲りながら、必要な所だけ書き出していると、その司書が話しかけてきた。
「何をするにも金が無くてね。どうしたもんだか」
仕事を続けながらいう。礼儀正しい事とは言い難いが、司書本人もそういうところがある人物なので気にしないことは分っていた。
「ちょっとお疲れのようですね」
「いつものことです」
「確かに、あの姫様と一緒じゃ気苦労も多いでしょうね」
穏やかな顔をしているが結構ずばずば言う人間なので、つい苦笑して顔をあげた。にこっと笑った司書がふと声を潜め顔を寄せて囁いた。
「リッター殿。入り口にお客様がいらしています」
「……ラーゼル様か?」
着いてきたのか? げんなりする。
「どうしますか? お仕事中とお断りしてもいいのですが」
「いや、角が立つ。行きます。ここ、このままにしておいていいですか? 戻ってきます」
「かまいません。司書室を明けましょう」
「ありがとう」
資料を開きっぱなしで席を立ち入り口に向かうと、お手本のようににこやかな笑顔のラーゼルが立っていた。自分も一応貴族の血はひいているのだが、この違いは何なのだろう。自分には一生こんな佇まいは生み出せまいと思う。
「お待たせいたしました」
「いえ、こちらこそお仕事中邪魔してしまって申し訳ありません。少し時間をいただければと思いまして」
「どういったご用件でしょう?」
「いえ、下らない雑談がしたかっただけですよ。考えてみれば貴方とゆっくり話す時間が無かったなと思って」
「そうですか。ではとりあえずこちらへ」
広げっぱなしの資料を何時回収に迎えるかわからなそうだ。
「この国は気に入っていただけましたか?」
「えぇ、気候は穏やかだし、住む人達も穏和ですね」
司書室の中に通すと、ラーゼルは物珍しそうにあちこちをきょろきょろと見回し、戸棚の中の司書の個人的な本の背表紙を撫でた。
「それに思っていたより文化レベルが高くて驚きました。福祉施設も充実しているようですし」
「あぁ、施療院に行かれたそうですね」
どんな国だと思っていたのか興味は引かれつつ相槌を打つ。それをそそのかしたのはゲイルだったらしい。都慣れしたラーゼルがこの国に興味を無くすかとも思ったがそういう効果はなかったらしい。
「驚かれたでしょう?」
アルシェの突飛な行動に。
わざと主語を抜いて話を振ってみたら、正確に理解したらしいラーゼルはわずかに苦笑をして返した。
「行動力のある姫君ですんね」
「おかげで手を焼いていますよ。そちらにお座り下さい」
ラーゼルの指がまだ未公開の事業の資料にさしかかったのを見て、リッターは席を勧めた。ラーゼルが素直に腰掛けたので、その向いに自分も席に着く。
「すいません。忙しい時間でしたか?」
「いえ。大丈夫ですよ。……何か?」
ラーゼルが自分を凝視していることに気がついて、問いかける。
「いえ……。本当にお若いんですね」
「は?」
ゲイルが出した報告書によるとラーゼルは確か二十一だった筈だ。大して自分はもう二十八になる。年下に若いと言われるのもなんだか微妙だ。
「私が言うのもおかしな話なんですが……」
いいながらもまだ凝視していて居心地が悪い。
「……貴方のことは前から知っていたんですよ。リッター・イム・ザイン殿」
「は、ぁ」
「リバイン公国の国立学院に十歳にして入学を認めさせた鬼才。途中退学をしたと聞いた時には本気で驚きました」
「あぁ、それで……」
ようやく得心がいった。
「そうですね。私も退学するつもりなんか全くなかったんですけどね」
今でもあの時の父親の手管を思い出すと腹が立つ。別にその選択を後悔しているわけではないがいいようにしてやられてしまったのが忌々しい。
「しかし、随分物好きですね」
「どういう意味でしょう?」
「確かに結構早くに入学させていただけましたが、所詮は一学生ですし。よく自分のことを知ってましたと思いまして」
新に生まれた疑問を尋ねてみる。確かに異例のことであった自覚はあるが、だからといって他国の大貴族の息子にまで名が売れているほどの事ではないと自分でも分っている。
「私の次兄がやはりリバイン国立学院に通っていたのですよ。確か、貴方と同学年だったはずですが。……ご存じですか?」
「……えぇ、もちろんですとも」
顔は思い出せないが。そんなことはおくびにも出さずにっこりと微笑んでやる。
あの当時、あんまり政治家として立身出世するつもりとかの見通しを持っていなくて、有力貴族とのコネを作るより、一人で本を読んだり話し応えのある学友と論議を交わす方が楽しかった。思えばあの頃は純粋に学問に身を投じていた。
「兄は楽しげにあの学校の思い出話を語ってくれますよ。実りある時間を過ごせたようです。……実は、私もあの学院を受験していたんですよ。残念ながら入学は許されませんでしたが」
「そうだったんですか」
「よく兄には言われましたよ。お前ぐらいの年に、リッターは論文を幾つも書いていたのに、と」
「そんな、大した物でも無いんですけどね」
「そんなことありません。一通り読ませていただきました。素晴らしかったです」
「いやいや……」
褒められて居心地が悪い。下手でもいいからとにかく書けと師に言われるままに書いた物なので、我ながら完成度が高いとは言い難い。
「だからどうしても話を聞いてみたかったんです。なぜ学院を中退されたんですか?」
「いやはや、本当に、全くですよね」
心の底から突っ込んで欲しくない話題だ。書く技術が上がる前に退学を余儀なくされてしまった。後悔が全くないと言えば嘘になる。
「やはりアルシェ様のためですか?」
「……まぁ、結果的にはそうなりましたね」
父の思惑通りアルシェの教育係として就任し、辞めるに辞められなくなってしまった。
「やはりアルシェ様は色々な方から敬愛を受けているのですね」
「ははははは」
敬愛。してないわけではもちろん無いわけではないのだが、敬愛。ゲイルがいたら爆笑されていた気がする。むしろして欲しかった。
なんて会話しづらい相手なのか。これに耐えてたアルシェを褒めてあげたいくらいだ。
「きっと貴方のような方の教育を受けて来たから、アルシェ様はどんな相手にも慈悲深く接することが出来るのでしょうね」
「いや、まぁ、そう、ですね。確かに街の者から好かれていますよ。普段はあんなですがね」
本当に慈悲深ければあんなにシャリィを困惑させる真似はしないだろうが。繊細な人形めいた容姿と、どこにでも自分から飛び出して言ってしまう行動力のギャップは、城外の者には中々理解して貰えまい。
と、その時、不意にラーゼルの視線が鋭くなった。
「……なるほど」
「? 何か?」
「いえ、どうやら貴方の影響だったようですね」
「は?」
「アルシェ様の侍女。……なんと言いましたか」
「シャリィの事でしょうか」
「私は貴方には敬意を表しますが、あの侍女をアルシェ様の近くに配していることに対しては、些か懸念を覚えておりますよ」
「……とは?」
穏やかな微笑みの中に入りこんだ棘。細く空気を吸い込み、静かに息を整えた。
「アルシェ様はお優しい。だが、それに奢り、身の程を弁えないような者を、何故リッター殿ともあろう者が放置しておくのですか?」
「何か、シャリィが失礼を致しましたか?」
「先ほどの貴方とそっくり同じ発言を」
「同じ?」
「普段はあんなですが、と」
「……あぁ」
なるほど。得心がいった。
それは、そう言うだろう。自分が別の仕事に追われることが増えてきている今、多分彼女が一番その台詞を言う権利がある。流石にラーゼルの滞在中は多少自重しているようだが、彼女の本当の普段を知っている人間ならばシャリィに同情することだろう。
「彼女はアルシェ様のお気に入りですから」
「寵愛を盾に、権力を手にしようと目論んだ愚か者はたくさんいます」
「……シャリィはそんな人間ではないのですよ」
権力を手にれようとするシャリィの図が思い浮かばない。中々難易度の高いことを要求するお客さんだ。
「リッター殿とは思えない甘い発言ですね」
「……随分ラーゼル様は私を高く買ってくださってるようで」
苦笑する。それほど話しをしたこともないのに大した評価だ。その次兄とやらがどんな話を吹き込んでくれたのか知らないが、どうも彼の中で自分の実像とはちょっと離れたリッター像が出来上がっているように感じる。
「何故彼女なのですか。彼女は平民でしょう。何故、もっとふさわしい人間がこの国にだっているはずでしょう?」
「アルシェ様が許さないでしょう」
「貴方の言うことならアルシェ様だって聞くでしょう?」
聞かない。全然聞かない。
「アルシェ様は意志の強い方ですから」
一応奔放な王女様の顔を立てた言い方をしてやると、ラーゼルはふぅと大きく溜息をついた。
「なるほど。どうやら私は少し貴方を買いかぶっていたようですね」
ラーゼルの顔に再び微笑みが戻る。
「主に諫言するのが忠臣の役目だと思っていましたが」
そこに浮かぶ感情の名は、多分優越という名を持っている。
「どうやら、その名にふさわしいとは言い難いようだ」
「…………」
ラーゼルは立ち上がって、窓辺へとゆっくり歩み寄る。
「多少幻滅いたしました。貴方に会えるのを本当に楽しみにしていましたのに」
「…………どういった意味でしょうか」
「寵愛を盾に権力を手にしようとしているのは侍女だけではないようだ、と。そう申し上げているのです」
「私が、そうだと?」
つい苦笑してしまう。
「そう思うのは非常に悲しいことですが。今のこの国の現状を鑑みれば、そう思われても仕方がないと思いませんか?」
「まぁ、そうかもしれませんね」
アルシェの名の下に進められている事業の実権のほとんどは自分が握っている。アルシェ創立の遊撃隊の隊長ゲイルも傭兵あがりで、独断で物事を進めがちだ。その判断力を買って引き抜いたのだが、それを快く思わない者も少なくあるまい。
「……私は、アルシェ様を娶りたいと強く願っています」
「えぇ、そのようですね」
「私という存在は、決してアルシェ様にとって不利益にはならないはずだ。王位を継ぐためにも」
ランドール家という強大な後ろ盾を少女は得ることになる。それは確かにアルシェにとって美味しい話だ。
「改めて先ほど求婚させていただきました。……見ていらしたようですが」
「失礼。偶々通りがかりまして」
どうやら気づかれていたらしい。本当に故意ではないのだから、言いがかりをつけられるのは面白くない。
「返答を急ぐつもりはありません。本当に、この国に必要な判断を、貴方ならなさってくれると信じていますよ」
「先ほど不審を指摘されたばかりなのに?」
リッターが言うと、ラーゼルは振り向いて穏やかに優しく微笑んだ。
「言ったでしょう。私は貴方を尊敬しているのですよ。この取り引きは貴方個人のためにも決してそんにはならないとお約束しますよ」
さすがはランドール家の男だ。立派な面の皮をお持ちなようだった。
「アルシェ様が私に嫁いできたとしても、今と変わらぬ重用をお約束しますよ」
「それはアルシェ様が決めることでは?」
「婚姻を結ぶのです。同じ事でしょう」
「王位継承権を持つのはアルシェ様です。例え即位中に死んだとしても、継承権はアルシェ様の子ども、もしいなければ弟君に譲られる。貴方には永劫与えられることはありません」
「同じ事を二度言わすおつもりですか?」
「……あの方は、大人しく傀儡になるような方ではないですよ」
「貴方が言うのですか? 面白いな」
奥底に持っている感情を丁寧に微笑みに隠してはいるけれど、口の端から負の感情がにじみ出ている。まだ若いと批評してやりたいが、多分もう自分もその挑発に乗っているのだろう。
触れると痛そうな空気が張り詰める。どう次の言葉を切り出そうかと思案している時、扉をノックする音が聞こえた。
「すいません。ちょっとよろしいでしょうか」
「ゲイルか?」
扉の向こうから聞こえてきたのは信頼できる友の声だった。
「リッター殿に急用なのですが、よろしいでしょうか」
その言葉にラーゼルが退室の意を表す。
「それでは、私はこの辺で。お仕事の邪魔をして申し訳ありませんでした」
「いえ」
ドアに向かって歩いていくのを座ったまま見ていたリッターはふと気になり声をかけた。
「あぁ、そういえばラーゼル様」
「はい」
「もうリバイン国立学院の受験は為されないのですか?」
「え?」
「あそこは受験に年齢制限ありませんし、四十代の同期もいましたが」
「……えぇ、色々忙しくなってしまった物でね」
ラーゼルはそれだけ言うと扉を開き、その前に控えていたゲイルに軽く頭を下げて去っていった。入れ替わりにゲイルが入ってくる。
「何かあったか?」
「内偵の者が帰ってきた」
「……そうか」
ちょっと参っていた頭を切り換える。
「報告書だ。陛下にも同じ物を届けてある」
「助かる」
封筒に入れられた書類を早速取り出してぺらぺらと捲る。
「あと、陛下から伝言だ。明後日、ラーゼルの送別会が開かれるそうだ」
「帰るのか?」
「一度な。婚姻の工作の方は続けるだろうさ」
残念ながらな、とゲイルは楽しそうに言った。
「……そろそろ真面目に考えたらどうだ?」
「何を」
報告書に目を通しながら上の空で答える。
「姫様の結婚相手」
「…………」
紙を捲り上げた手が止まる。
「別にラーゼルがいいと言ってる訳じゃないぜ。ただ、王位継承権を姫様が捨てる気ないなら、……なくてもか。数少ない陛下の実子だ。政略とは無縁じゃいられないだろう」
「……それは俺が決めることじゃないだろう」
「お前が決めることだと思われてるんだよ」
ゲイルの声は低く、無視しがたい響きが場を静まらせる。
「俺はただの教育係だぞ?」
「そう思われてるんだよ、お前は。分かってない訳じゃないだろうに、何時まで気づかない振りをしてるんだ?」
その言い方が咎められているようで、目を逸らす。
「……陛下の所に行ってくる」
「あいよ」
あからさまな逃亡を許されて、リッターは部屋を出た。
――そう思われてるんだよ。
頭の中から、その声は中々立ち去ろうとしなかった。
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