第16話 私の職場。
「困ったわね」
ラーゼルが滞在して三日が経った。たいして広くない城内はすっかり案内し終わり、もう見せる所がない。どうやってもてないしたものか。
「何か、いい案ない? ゲイル」
自室で部屋着のまま朝餉をとる。だらだらと机に頬杖をつき、つまらなそうにサラダをフォークの先で突きながらぼやく。ゲイルはアルシェの名のもと設立された遊撃隊の隊長で、護衛の任も担っている。だからといって、こんな姿の姫君の部屋にのうのうとのさばってていいものか。多少大人の倫理観が頭をかすめはするのだが、今更な事だし、誰も止めないので考えないことにした。気の利いた侍女頭がゲイルの分までお茶を入れてくれた。良識ある年嵩の女性に公認されてしまった。
「いい案と言われますと?」
せっかく出してもらった訳だし、有り難くいただきながら問い返す。
「もう見せる所がないのよ、ラーゼル様に」
「……はぁ」
何を深刻ぶって言うのかと思えば。そんな考えが顔に出てしまったのか、アルシェは不服に口を尖らせた。
「私は真剣に悩んでるのよ」
予定された訪問ではない。視察したい場所があっての訪問でもない。かといって放置しておく訳にも行かず、今日もどんなスケジュールを立てた物かと悩んでいるわけだ。
「別にいいんじゃないですかね。相手は姫様と話したくてここに来てるんだから、お茶して喋ってれば」
シャリィは、この部屋を訪れた時はアルシェの身の回りの世話をしていたのだが、いつの間にか姿を消していた。まさかアルシェを放っておいてシャリィを追いかける訳にも行かず、大人しくアルシェの前に座っているゲイルは詰まらなそうに言った。
「…………」
押し黙る。
そうは行かないから困ってるのではないか。そんなにたくさん二人で喋ってて、核心に迫る話題になったらどうしろというのだ。まだ国としての方策も定まっていないから、そうつれなくするわけにはいかないし、かといって話しているのは凄く疲れる。
「だってあの人、すごい困る……」
「困る?」
「……なんであんな甘い言葉すらすら言えるのかしら……」
ラーゼルと話していて分ったのは、いかに自国の貴族どもがアルシェに対して口説く気がなかったということだ。もちろん尊敬は払ってもらっている。好意も持たれている。けれどそれ以上の何かを求める気がほとんど無かったということにラーゼルと話していると気づかされる。
「あの人達、全然私のこと範疇に入れてなかったのね」
「今更気づいたんですか」
「うるさいわね」
大きく溜息をつく。
「そんなに扱いづらいと思われてるのかしら、私」
「扱いやすいと思われたいんですか?」
「それは御免だけど、こう、女としてのプライドって物もあるでしょ」
若干素でへこんでいる様にゲイルは笑いをこぼした。
「まぁねぇ。実際ここの国の貴族も役人も意気が高いと思いますよ」
「そう?」
比較対象を持たないアルシェは首を傾げる。
「貪る利権が少ないってのもあるし、例外だってもちろんいますけど、基本的によく働いてらっしゃる」
「ふ~ん」
サラダを苛めるのに飽きたのか、ようやくフォークで痛めつけられた野菜を口に運び始めた。
「この国来て有り難いのは、純粋に仕事に打ち込めるってことですよ。下らない権力争いに気を配らなくていい」
「……正規軍からの当たりはきついように見えるけど?」
疑わしげに言うアルシェに小さく目を見張る。正規軍から受けたやっかみはアルシェに言ったことはなかった。我が儘娘はそこそこ目端が利くから困る。
「あんなのなんてこと無いですよ。実際に妨害を受けたわけでもなし」
「そんなことされるもんなの?」
「男の嫉妬も見苦しいものなんです」
「ふぅん、面倒なのね」
真面目に感想を返すから笑ってしまう。
「この国はいい国ですよ。利益あるなしに関わらず真摯に取り組む役人が多い」
それの何が特別なのかよく分ってなさそうに眉をしかめる少女に笑いかける。
「それは間違いなく貴女の父上が慕われ尊敬されてるという証拠ですよ」
「……ふ~ん」
人差し指と中指の間でフォークを遊ばせて気の抜けたような声でアルシェは答える。視線はフォークに落としつつ焦点は合わず、脳裏で何かを探っている。その表情からはいつもの我が儘娘のそれはない。
「だからたくさん褒めてあげてやってください」
為政者として民の声を聞く。そういう当たり前のことをしっかりと行おうとしている。
「人は結構それだけでがんばれてしまうものですよ」
「……ん」
小さく頷いた。
弱小の国が生き延びていくための術をもらさず吸収しようとする姿勢は好ましかった。
「……まぁ、それはそれとして、ですね」
「! そうよ、とりあえず今日よ!」
はっとしてフォークを宙に跳ね上げ上手く掴んだ少女は立ち上がった。
「どうしよう。もうホント見せる所ないんだけど!」
「そうですねぇ」
ちょっと成長した姫君の手助けをしてやりたいのだが、どうしたものか。
「いいんじゃないですか。姫様が普段やってること紹介すれば」
「普段やってること?」
首を傾げる少女にいう。
「あるでしょ、常連な場所が」
「……ここは……?」
ラーゼルは平静を装いつつも動揺が隠しきれない声をこぼし、辺りを見回した。
「街です」
「え、えぇ、それは見れば分るのですが……」
アルシェは一応護衛も連れて街に降りてきていた。
「ごめんなさい。事前に来るって約束しちゃったんです。どうせならラーゼル様もと思ったんですが。……迷惑でしたか?」
ここで迷惑だと言い返せないことを分っていてアルシェは尋ねた。
「いえ。姫様と共にいられるなら、私はどこにでもお供しますよ」
うっと怯む。キラキラ笑顔には今も慣れない。そこから視線を逸らして商店街を紹介する。
「この国の特産物は花です」
「えぇ、存じておりますよ。広場にも花が溢れていますね」
通りには花を売る商人がたくさんいて、それが通りに彩りを加えている。
「単価は大したことないし、長持ちするものでもないので貿易は難しいのですけれどね」
花を売っていた街の娘がニコニコと近寄ってきて、アルシェに小さな花束を渡してきた。ありがとと小さく礼を言って、それをラーゼルに手渡す。
「でも、今度研究施設を作ることにしたんです。この国の大地じゃ大量生産は望めないから、その代わり品種を増やして希少価値の高い花を作ろうって。今までもそういう研究してた人達はいたんだけど、思ったよりお金がかかるみたいで。だからそれを国の事業として立ち上げてる最中なんです」
「それは姫様が?」
「えぇ。と言っても、私は立案しただけで、実現に向けて動いてるのはリッターですけどね」
「……リッター・イム・ザイン殿ですか」
女から花を贈られたのは初めてだったラーゼルはその花を見ながら呟いた。
「優秀な傑物と聞きました。リバイン公国に留学されてたとか」
「えぇ。性格は悪いですけどね」
露店に出ている焼き菓子屋をひやかしながら言う。
「ですが、未来の宰相候補とも言われてるとか」
「だって頭しか取り柄がないんですもん。そっちで上をめざすしかないでしょ」
城下町という自分のテリトリーに来たせいか、アルシェが大分くつろいだようだ。焼き菓子をいくつか見繕いながらリッターをけなす。
「ラーゼル様も食べますか?」
「え? あ、えぇ、そうですね。いただきます」
「結構美味しいですよ」
胸に抱えた紙袋の中から一つラーゼルに手渡し、自分も一つかじりつく。果物の種子を煎って粉にしたものが練り込まれ、香ばしい香りが口内に広がった。
「しかし、そんなに購入されてどうするのですか?」
紙袋の中にはまだたくさんの焼き菓子が残っている。
「城の方へのお土産ですか?」
「お土産ですけど、城の方ではありません」
「と言いますと?」
不思議そうな顔をしているラーゼルに、アルシェは得意げに笑った。
「あそこです」
少女が指さした先には、少し古ぼけた建物が見えた。
「あ~、姫様だ!」
「姫様だぁ!!」
「先生、姫様が来ました~!!」
「遅くなってごめんなさい。元気にしてた?」
門をくぐった途端に、庭で遊んでいた子どもたちがわらわらとアルシェの周りに近寄ってきた。
「お土産買ってきたよ。みんなで分けて」
アルシェと同年代の少女に紙袋を渡すと、今度はそれに群がり始める。
「いい子にしかあげないわよ」
「私いい子にしてたもん!」
「俺も! いっぱい手伝った!!」
「ん。じゃ食べていいよ」
お許しを得て、皆が嬉しそうに菓子を頬張り始めた。
「……アルシェ様、ここは……」
アルシェの周りに人が途切れたのを見計らって、ラーゼルがアルシェに問いかけた。
「ごめんなさい、驚かせて。ここは国で支援してる孤児院兼施療院なんです」
「施療院も?」
「えぇ、正面の建物がそうで、奥が孤児院です」
「へえ……」
まだ空気に飲まれているラーゼルを案内する。
「建物の維持費も馬鹿にならないのでくっつけちゃったんです」
ゲイルにもらったアドバイスは中々いいものに思えた。城下町を見てもらうなら別に大した準備いらないし、調べれば分ることしかないから隠すものもない。宮廷内で駆け引きをするよりずっと気が楽だ。
この施療院も自分が街歩きをしている時に、この建物に住んでいた商人が別国に移るという噂を聞いて安く売ってもらったものだ。行く場所の無くなった孤児達の寝床を提供する代わりに、孤児達は施療院の手伝いをさせている。人件費を浮かせるのと共に、職業訓練も出来て一石二鳥だ。ここから自立して出て行ったものの半数は医療施設に職を見つけた。
「ねぇねぇ、姫様! 俺、この前言われた書き取りしっかりやったよ」
「ホント? 雑に書いてない?」
「丁寧に書いたもん」
「へぇ。じゃ、見せてみなさいよ」
言うと、既に見せる気だった男の子は得意げに帳面を取り出した。
「あ、本当だ。えらいじゃない」
頭を撫でてやる。
「私も! 私も本スラスラ読めるようになりました。姫様聞いてください!」
そう言って今にも朗読を始めようとする。
「いいけど、もう間違えたからって泣かないでよ?」
からかうと、少女は顔を真っ赤にした。
「な、泣いてません!」
「そうだったかしら」
からかうときゃあきゃあと反応してくるのがすごく楽しい。
「ラーゼル様もお付き合いしてもらっていいですか?」
「えぇ、喜んで」
多少動揺したようだが、顔に出さないのが如何にもといった感じだ。
「それじゃ、聞かせてもらおうかな」
少女のたどたどしい音読が始まった。
「……少し、びっくりしました」
子どもたちを部屋に戻して、一室用意してもらって出されたお茶を目の前に、ラーゼルは口をつけずにそう言った。
「どれにですか?」
「どこから話したものでしょうね」
ラーゼルはちょっと疲れたのか苦笑して言った。
「よくこちらにはいらしてるんですか?」
「ここはちょっと特別ですね。設立に直接私が関わったので。でも月に一度は城下町の施療院と孤児院と、まぁ、あとは色々顔を出してるかな」
焼き菓子屋や飴細工屋の辺りは適当に濁して言う。
「基本的に人手足りてなくて。シーツの繕いとかも手伝ったりしますよ」
「貴女がですか!?」
「結構上手いんですよ。刺繍は嫌いですけどね」
カップに注がれてるのはこの孤児院の裏の畑で作られた香草茶だ。市で売るとそれなりに好評だ。
「お優しいんですね」
慈しむような瞳で見つめられると、ちくりと胸が痛んだ。
「……別に、そういう訳じゃないんですけど」
優しい。何か無性に居心地が悪くなる言葉だった。
「拾い切れてない暗部がまだまだあります。……この国は医療技術が発展してるとは言い難いですから」
他国であれば救えた命がある。家族を失わずに済んだ子どもがいる。
「ですが、街の中は清潔に見えました。疫病は流行りにくいでしょう」
「下水整備は先々代からの事業でしたから」
全ての村までとは行かないが、大きな街にはほとんど整備されている。少しずつ小さな町にも広げている所だ。
「でも、中々来てくれないんですよね、有名なお医者さん。リッターにリバインにいた頃のコネで呼べって言ってるんですけど、出される条件厳しくて」
逆に国費で留学させるかという案も出ているが、弱小の国では予算のやりくりが上手くいかない。
「……ここは本当に弱い国です。貧しさになれているから困難に耐える力は強いとは思うんですけど、豊かさに対する努力をするだけの財力の余裕が民には無いんです」
放っていけば永遠に続く現状維持。だから、国が一石を投じて波紋を作らなければ緩慢に終わりが来るのを待ち続けることになる。支援をしなければ進められない計画があまりに多い。けれど全てに支援を与えられるほど、国だって財政が豊かとは言い難い。
「焦るなって何時も怒られるんですけど、私せっかちみたいで」
――全てを一度には変えられない。出来ることから一つずつやっていくしかないんだ。
その正論はけちをつける所がなくて忌々しい。本当に憎らしい男だ。
「だから、時々ここに来るんです。宮廷にいて書類ばっかり見てると頭痛くなっちゃっうから」
いい香りのするお茶の匂いを肺いっぱい吸い込んだ。
「活動的なんですね」
「宮廷内にいるのが嫌なだけですよ」
実際正式な許可を取らずに街中に降りてる回数の方がよっぽど多い。
「しかし、それなら私でもお役に立てる事がありそうだ」
「え?」
ラーゼルは細く長い指を机の上で組んだ。白く綺麗な指は、粗末な机にはどうも不似合いだった。
「我がランドール家は、薬学に強いんですよ」
「あぁ」
ランドール家の領土は広く、その中に含まれる山は栄養豊かで色々な薬草が採れるという。その薬草を管理する施設があって、そこからたくさんの薬学者を輩出している。ラーゼルと結婚すれば、そことのつながりが生まれる。確かにそれは美味しい条件だった。
「…………」
もし自分が王だったら、そして王として医療の発展に尽力を注ごうと思っているのなら。
確かに娘一人と継がせることでそのつながりが手に入るなら、政略結婚させるだろうと思う。ただ、この国には正式な王の子は二人しかおらず、片方はまだ幼い。弟が国を継いだとしたって、アルシェはたった一つの手駒だ。自分なら何処に使うか。
黙り込んで思案にふけり始めたアルシェにラーゼルはくすっと笑った。
「止めましょう」
「え?」
「取り引きで貴女を手に入れるのは本望ではないのですよ」
「…………」
「今日貴女とご一緒できてよかった。知らなかった貴女の一面を見ることができました」
「こんな面ばっかりですよ、私なんて」
リッターには粗忽者と馬鹿にされ、シャリィには逃げないでくださいと怒られてばかりだ。
「いえ、我が国でも良家の子女は慈善事業に取り組んでいますが、ここまで視野が広い方には初めてあった」
「……慈善事業?」
その言葉に違和感を覚えて首を傾げた。
「別に慈善事業をしてるわけじゃないわ、私」
ラーゼルの言ってる意味がよく分らなくて言ってみる。
「慎み深い方ですね。ですが、私は貴女の行いを貴いものだと思いますよ」
「いえ、ですから。慈善なわけではなくて」
崇拝するような視線を向けられてしまって、更に困る。
「私がしてるのは行政でしょう?」
「えぇ、立派な行いです」
「いや、だから立派とかそういうんじゃなくて」
なんだかかみ合わない。
「私がする事なら行政になりますよね?」
「えぇ。尊敬しますよ」
同意をしてくれているのだけど、視線は人を褒めるような優しい目をしていて居心地が非常に悪い。
「あの、ですから……」
伝わってない。絶対これは伝わってない。
なんで伝わらないのか分らなくて、だから聞いた。
貴方はパン屋に「パンを焼くなんて偉いですね」と褒めるんですか?
ラーゼルは「一本取られたな」と笑ったから、アルシェはそれ以上何も言わなかった。
ラーゼルは、結局お茶に口をつけなかった。
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